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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【獣王国ディアナ編】第4章 大獣技場

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第82話 剣に宿す

大獣技場へ足を踏み入れた瞬間、昨夜とはまるで違う場所に来たような錯覚を覚えた。


 同じ石造りの闘技場。同じ円形の舞台。それなのに、予選の時とは熱気が違う。


 観客席はほとんど埋まり、上段まで獣人たちの姿が連なっている。祭りを目前に控えた王都カグラの浮ついた空気まで、そのままここへ押し込められたようだった。


 通路を抜ける途中、何度か俺の名前が聞こえた。


「昨日の四属性の奴だ」


「あいつがアルベルトとやるのか」


「バルカンのAランクだろ? さすがに厳しくないか?」


 ……聞こえてるんだけどな。


 まあ、言ってることは間違ってない。


 腰の剣に触れながら、俺は舞台へ続く階段の前で足を止めた。


「朝陽」


 振り返る。


 セレーネがこちらを見ていた。


「行ってらっしゃい」


「ああ」


「わたしより先に負けるなよ」


 その横からシウンが言う。


「お前はもう次のこと考えてるのかよ」


「当然だ。せっかく出るのだからな」


 シウンは腕を組み、当然のように頷いた。


 少し離れた観客席では、ミニムスがこちらへ向かって両手を振っている。


「旦那ぁ! せっかく本戦まで来たんですから、派手に頼みますぜ!」


「お前は気楽でいいな……」


 小さく息を吐いて、前を向く。


 昨日の夜、なかなか眠れなかった理由。


 アルベルト・レイス。


 予選で見た、槍と風。


 何度思い返しても、俺の使い方とは違っていた。


 でも――。


 考えるのは、もうやめた。


 昨日セレーネに言われた通りだ。


 見てから考える。


 俺は、その方が得意らしい。


 石段を上がる。


 眩しい光が視界へ差し込み、同時に歓声が降ってきた。


 舞台の反対側には、すでにアルベルトが立っていた。


 長槍を肩へ預け、いつも通り力の抜けた顔をしている。


「おはよう」


「……どうも」


「眠れた?」


「まあ、それなりには」


「そっか。僕はよく眠れたよ」


「聞いてないです」


 アルベルトが笑った。


「緊張してる?」


「してますよ」


「正直でいいね」


 槍が肩から下ろされる。


 それだけだった。


 たったそれだけなのに、空気が変わった。


 穂先が俺へ向く。


 昨夜までの軽い雰囲気は残っている。表情も変わっていない。


 なのに、その槍の先へ立った瞬間、分かった。


 強い。


 ガイウスと向かい合った時とはまた違う。


 圧力をぶつけてくるわけじゃない。威嚇しているわけでもない。


 ただ、どこから入っても刺される。


 そんな気がした。


「両者、構え!」


 剣を抜く。


 片手で握り、身体の前へ。


 アルベルトは半身になり、槍を静かに構えた。


「始め!」


 踏み込んだのは俺だった。


 距離がある。


 なら、まずは魔法。


「《ファイアボール》!」


 放った火球へ、アルベルトの槍が動く。


 いや、違う。


 槍が届くより先に、火球の軌道が僅かに逸れた。


 横を抜けた炎が石床へ弾ける。


 その向こうから穂先が来た。


「っ」


 身体を捻る。


 頬の横を槍が抜けた。


 そのまま剣を振る。


 金属音。


 受けられた。


 槍の柄と剣がぶつかった瞬間、妙な感触が手へ返ってくる。


 押したはずなのに、力が横へ逃げた。


 アルベルトの槍が滑るように動き、そのまま石突が脇腹へ迫る。


 剣を戻す暇がない。


 左腕で庇った。


「ぐっ……!」


 鈍い衝撃。


 足が二歩、三歩と下がる。


「やっぱり速いね」


「それ、こっちの台詞です」


 腕が痺れていた。


 予選で見ていた時より、ずっと厄介だ。


 距離だけじゃない。


 槍を受けた時の感触がおかしい。


 もう一度踏み込む。


 今度は剣を振る前に、横から魔法を挟んだ。


「《ウィンドカッター》!」


 風の刃が走る。


 アルベルトは大きく避けなかった。


 槍を軽く振る。


 穂先の周囲で風が巻き、俺の風を外側へ流した。


 その動きのまま、槍が突き出される。


 魔法を処理した後に攻撃したんじゃない。


 風を流した動作が、そのまま突きになっている。


 剣で払う。


 まただ。


 接触する寸前、槍の周囲で風が動いた。


 剣先がほんの少し浮く。


 その僅かなズレを通して、槍が胸元へ伸びてくる。


 身体を反らした。


 服が裂ける。


 そのまま後ろへ跳び、距離を取る。


「……なるほど」


「何か分かった?」


「全然」


「それは残念」


 言いながら、アルベルトが踏み込んでくる。


 速い。


 今度は俺が受ける側だった。


 正面から来た槍を剣で逸らし、横へ回る。


 追ってくる。


 穂先だけじゃない。


 柄が来る。石突が来る。足が来る。


 長い武器なのに、近づけば有利という単純な話じゃない。


 俺が懐へ入ろうとするたび、アルベルトは半歩だけ位置を変える。


 その半歩で、俺の剣が一番振りにくく、向こうの槍が一番動かしやすい距離へ戻される。


 だったら――。


「《フレイムランス》!」


 炎の槍を放つ。


 アルベルトが横へ流れた。


 逃げ道へ先回りする。


「《アースウォール》!」


 石壁がせり上がる。


 進路を塞ぎ、反対側から斬り込んだ。


 今度こそ。


 そう思った瞬間、アルベルトの足元で風が弾けた。


 一歩。


 たった一歩で身体が滑る。


 剣が空を切った。


「悪くない」


 声は背後。


「でも、まだ別々だ」


「――え?」


 振り向くより先に、背中へ衝撃が走った。


 槍の柄。


 身体が前へ飛ぶ。


 転がりながら受け身を取り、すぐ立ち上がった。


 客席から歓声が上がる。


 別々。


 その言葉が頭に残った。


 考えている暇はない。


 アルベルトが来る。


 俺は剣を構え直した。


 今度はこっちから距離を潰す。


「《バーニングウェイブ》!」


 炎が広がった。


 それまで使っていた魔法より、明らかに大きい。


 扇状に広がる炎が舞台を舐め、アルベルトの正面を塞ぐ。


 客席から声が上がった。


 その炎を盾に踏み込む。


 アルベルトの姿が見えない。


 だから、足元を狙う。


「《グランドスパイク》!」


 石床が隆起する。


 鋭い岩が連続して突き上がった。


 直後、炎の向こうから風が吹き荒れた。


 火の幕が裂ける。


 アルベルトが跳んでいた。


 岩の先端へ槍を当て、その一点を支点に身体を回転させる。


「うそだろ」


 空中から槍が落ちてきた。


 剣で受ける。


 重い。


 膝が沈んだ。


 そのまま押し潰される前に、横へ転がる。


「《エアスラッシュ》!」


 起き上がりざまに風を放つ。


 今度はアルベルトもまともに受けなかった。


 身体を捻り、風の刃を紙一重で躱す。


 その頬に薄い傷が走った。


 血が一筋落ちる。


 アルベルトが指で触れた。


「……C級まで使うんだ」


「昨日より、ちょっと頑張ってます」


「ちょっと、ね」


 笑っている。


 余裕が消えない。


 火力は上がった。


 使える魔法も増えてる。


 それでも届かない。


 俺が魔法を撃てば、アルベルトは避けるか流す。


 剣で近づけば、槍と風で距離を作られる。


 魔法。


 剣。


 魔法。


 剣。


 俺は二つを使っている。


 なのに、アルベルトは違う。


 槍と風を使っているんじゃない。


 槍を動かす時には、もう風がある。


 突きの軌道を変える風。


 剣を逸らす風。


 踏み込みを速める風。


 後退を助ける風。


 槍を振るという一つの動作の中へ、全部が混ざっている。


 ――まだ別々だ。


 さっきの言葉。


 あれは俺のことか。


「……そういうことかよ」


 思わず呟いた。


「何が?」


「いや」


 剣を握り直す。


「やってみます」


「何を?」


「まだ分かんないです」


 アルベルトが一瞬だけ目を丸くした。


 すぐに笑う。


「君、面白いね」


 俺は剣へ意識を向けた。


 魔法を撃つんじゃない。


 魔力を――剣へ。


 普段なら手の先で形を作る。


 それを、そのまま柄へ流す。


「……っ」


 違う。


 何も起きない。


 魔力が散った。


 アルベルトが来る。


 慌てて剣で受けた。


 弾かれる。


 肩へ槍の柄を食らい、身体が傾く。


 追撃を避けて離れた。


「試合中に練習するの?」


「俺も今、ちょっとどうかと思ってます」


「余裕あるね」


「ないですよ」


 本当にない。


 次に失敗したら、そのまま終わるかもしれない。


 でも。


 さっき一瞬だけ、分かった気がした。


 もう一度。


 剣の根元へ魔力を集める。


「《イグニス》」


 小さな炎が生まれた。


 ――柄の近くに。


「あっつ!」


 慌てて魔力を切る。


 客席から笑い声が起きた。


「……何してんだ、俺」


 アルベルトまで笑っている。


「本当に練習してるじゃないか」


「うるさいな……」


 違う。


 剣の中へ魔法を押し込むんじゃない。


 魔法は剣じゃない。


 なら。


 纏わせる。


 刃の形に沿わせる。


 自分の手から離さないまま。


 もう一度、魔力を流す。


 今度はゆっくり。


 掌から柄へ。


 柄から刃へ。


 剣そのものへ魔力を流し、その上に炎を作る。


 小さな火が刃の根元に生まれた。


 消えない。


 少しずつ伸びる。


 刃をなぞるように、炎が走った。


 観客席の空気が変わる。


 俺自身が一番驚いていた。


「……できた」


 アルベルトの笑みが、僅かに薄くなった。


「へえ」


 来る。


 槍が伸びた。


 今までなら剣を合わせた瞬間に逸らされる。


 炎を纏った剣を振る。


 ぶつかった。


 金属音と同時に、火の粉が散った。


 アルベルトの槍を包んでいた風が乱れる。


 剣が逸れない。


「――」


 初めて、アルベルトの身体が下がった。


 一歩。


 それだけ。


 それでも、この試合が始まってから初めて俺が押した一歩だった。


「……なるほど」


 今度はアルベルトが呟いた。


 俺は剣を見た。


 炎が揺れている。


 安定してない。


 でも、できる。


 魔法を撃ってから斬るんじゃない。


 剣そのものに、魔法を持たせる。


 もう一度踏み込んだ。


 炎を引きながら剣を振る。


 アルベルトが槍で受ける。


 火花と炎が散った。


 押せる。


 今までみたいに簡単には逸らされない。


 もう一撃。


 アルベルトが槍を返した。


 剣と槍がぶつかる寸前。


 風が膨らんだ。


「甘い」


 炎が吹き飛んだ。


「っ!」


 剣が大きく逸れる。


 空いた胴へ石突が叩き込まれた。


 息が消えた。


 身体が石床を転がる。


「……っ、は……」


 肺が動かない。


 剣を手放さなかったのが奇跡だった。


 立て。


 まだ終わってない。


 膝をつき、無理やり息を吸う。


 視界の端が少し暗い。


 アルベルトは追ってこなかった。


「発想はいい」


 槍を構えたまま言う。


「でも、今思いついたものが、何年も使ってきたものにすぐ勝てるほど簡単じゃないよ」


「……ですよね」


 当たり前だ。


 俺だってそう思う。


 でも。


 だからやめる理由にはならない。


 立ち上がる。


 もう一度、魔力を剣へ流した。


 今度は属性を乗せない。


 ただ魔力だけ。


 掌から柄。


 柄から刃。


 さっきより少しだけ滑らかに流れる。


 妙な感覚だった。


 握っているはずの剣が、さっきより近い。


 重さが消えたわけじゃない。


 なのに、刃の先がどこにあるのか、いつもよりはっきり分かる。


 アルベルトの眉が僅かに動いた。


「……それも今?」


「はい」


「嫌になるなあ」


「俺はずっと嫌になってますよ」


 強い奴を見るたびに、自分との差を思い知らされる。


 ガイウスの時もそうだった。


 セレーネを見ていてもそうだ。


 シウンだってそう。


 知らないことばかりだ。


 だから。


 見るしかない。


 真似するしかない。


 失敗するしかない。


 ――見て、真似して、失敗して。


 ――それで自分に合うもんだけ残しゃいい。


 ガイウスの声が頭を過ぎった。


「……よし」


 剣を構える。


 アルベルトも構え直した。


 ここからだ。


 俺は地面を蹴った。


「《タイダルウェイブ》!」


 大量の水が舞台を走る。


 倒すためじゃない。


 視界と足場を奪う。


 アルベルトが風で水を割った。


 予想通り。


 割れた水の間を抜ける。


 槍が来る。


 剣で受ける。


 今度は魔力を切らない。


 接触。


 風が剣を逸らそうとする。


 それでもさっきより刃が残った。


 押し切れない。


 でも、消されない。


 半歩踏み込む。


 アルベルトが下がる。


「《ウォーターボール》!」


 至近距離。


 水球が弾ける。


 アルベルトが顔を庇った。


 その隙に横へ回る。


 追う。


 槍が薙がれた。


 しゃがむ。


 頭上を風が抜ける。


 立ち上がりながら剣を振る。


 届かない。


 それでも、今までより近い。


 もう一つ。


 何か。


 剣に流した魔力へ、属性を乗せる。


 火はできた。


 なら――。


 風。


 刃の周囲に風を作る。


 最初は散った。


 剣を振った瞬間、形が崩れる。


「くそ……」


 アルベルトの突き。


 避ける。


 もう一度。


 風を刃へ。


 今度は強くしない。


 薄く。


 剣の形に沿わせる。


 俺が剣を振る方向へ、同じ方向に流す。


 振った。


 音が変わった。


 ヒュッ、と。


 刃が空気を裂く音が、一段高くなる。


「……!」


 俺より先に、アルベルトが気づいた。


 槍が来る。


 剣を合わせる。


 風と風がぶつかった。


 今まで俺の剣を横へ押し流していた力が、今度は真正面からぶつかる。


 剣が残った。


 槍も残る。


 互いの武器が押し合った。


「……本当に」


 アルベルトが笑う。


「試合中に覚えるんだね」


「まだ全然です」


「それで十分怖いよ」


 槍が離れる。


 俺も下がった。


 息が荒い。


 腕が重い。


 魔法を何度も使いながら、剣へ魔力まで流している。


 頭も疲れていた。


 でも。


 面白い。


 今まで別々だったものが、少しずつ繋がっていく。


 剣と魔法。


 どちらかじゃない。


 俺には両方ある。


「《フォレストウォール》!」


 石床の隙間から植物が噴き出した。


 太い蔓と幹が絡み合いながら伸び、瞬く間に俺とアルベルトの間へ壁を作る。


 その瞬間だった。


 大獣技場から、音が消えた。


 ほんの一瞬。


 さっきまで絶え間なく続いていた歓声が、嘘みたいに途切れる。


「……木?」


 誰かの声が聞こえた。


 それを皮切りに、客席が一気にざわめいた。


「待て、今の木属性だろ」


「昨日は火、水、風、土だったぞ」


「五つ目……?」


「五属性だと?」


 どよめきが広がっていく。


 昨日、四つ使った時ですら騒がれた。


 俺自身、図書館で調べるまでは、それがどれだけ異常なことなのか分かっていなかった。


 普通は一つ。


 二つ使えれば優秀。


 三つともなれば、それだけで相当珍しい。


 その常識の中で、五つ。


 観客席の一角で、ミニムスが立ち上がっていた。


「ちょ、ちょっと待ってくだせぇ旦那……! まだあったんですかい!」


 隣ではシウンまで目を丸くしている。


「……五つも使えたのか、あやつ」


 その横。


 セレーネだけは立ち上がらなかった。


 騒ぎもしない。


 ただ舞台へ視線を向け、伸び上がった植物の壁を静かに見つめていた。


 俺が木を使うところを見るのは、セレーネだって初めてのはずだ。


 それでも、その表情には周囲ほどの驚きはない。


 僅かに目を細めただけだった。


 正面では、アルベルトもさすがに動きを止めていた。


「……四属性じゃなかったんだ」


「俺、四つだけとは言ってないですよ」


「それはそうだけど」


 アルベルトが苦笑する。


「五つ使える人間を想定しろっていうのは、ちょっと無茶じゃない?」


「俺に言われても……」


「まあ、そうだね」


 次の瞬間。


 アルベルトの表情から笑みが消えた。


 風が動く。


 植物の壁が大きく揺れた。


 来る。


 壁の向こうは見えない。


 でも、それは向こうも同じだ。


 足音。


 右。


 いや――風の音だけだ。


 囮。


 俺は反対へ振り向いた。


 植物の隙間を縫って、槍の穂先が突き出される。


 剣を合わせた。


 風を纏わせる。


 甲高い音。


 槍が僅かに逸れた。


 その隙間を抜ける。


 壁を回り込み、アルベルトへ迫る。


「《エアスラッシュ》!」


 風の刃。


 アルベルトが槍を回して受け流す。


 そこへ剣。


 風を纏った刃が走る。


 槍とぶつかる。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 速い。


 自分の剣なのに、いつもと違う。


 風が剣を運んでいる。


 俺が腕だけで振るより、僅かに速い。


 そして何より、アルベルトの風に簡単には負けない。


 でも。


 それでも、アルベルトの方が上だった。


 俺が一つ覚える間に、向こうはその変化へ対応する。


 槍の握りを変え、風の向きを変え、今度は剣と正面からぶつからない。


 受けるのではなく、触れた瞬間に流す。


 俺の風ごと。


「っ……!」


 剣が外へ持っていかれる。


 すぐ戻す。


 その時には槍が来ている。


 肩を掠めた。


 血が飛ぶ。


 痛い。


 でも浅い。


 止まらない。


 剣を返す。


 アルベルトが避ける。


 追う。


 足が重い。


 息が苦しい。


 向こうだって同じはずなのに、崩れない。


 積み重ねが違う。


 俺が今ここで覚えたものを、アルベルトは何年も磨いてきた。


 それが一撃ごとに分かる。


 だからこそ。


 追いつきたい。


 今すぐ全部じゃなくていい。


 この一瞬だけ。


 次の一撃だけ。


 アルベルトが距離を取った。


 俺も止まる。


 互いに肩で息をしていた。


 初めて、アルベルトの呼吸が乱れている。


「……参ったな」


 槍を握り直しながら、アルベルトが言った。


「もっと楽に勝てると思ってた」


「俺は最初から楽に勝てるなんて思ってないですよ」


「それは知ってる」


 風が集まる。


 今までとは違う。


 槍の周囲を、目に見えるほど濃い風が渦巻き始めた。


 観客席のざわめきが遠ざかる。


 俺も剣を握る。


 魔力を流す。


 掌から柄へ。


 柄から刃へ。


 その上に風を重ねる。


 さっきより薄く。


 さっきより速く。


 刃から離さない。


 剣と風を別々に考えない。


 一つ。


「次で決めようか」


 アルベルトが言った。


「……はい」


 腰を落とす。


 アルベルトも槍を引いた。


 一瞬。


 音が消えたように感じた。


 踏み込む。


 同時だった。


 槍が一直線に来る。


 速い。


 今までで一番。


 避けたら間に合わない。


 剣を合わせる。


 金属がぶつかる寸前、アルベルトの風が動いた。


 俺の剣を外へ流す。


 何度もやられた。


 だったら。


 剣を守るために風を使うんじゃない。


 相手の風へぶつける。


 刃に纏わせていた風の向きを変えた。


 二つの風が衝突する。


 空気が弾けた。


 剣が外へ流れる。


 でも、槍も僅かにずれた。


 それで十分だった。


 踏み込む。


 アルベルトも止まらない。


 槍を引き戻すより、そのまま柄を滑らせて軌道を修正してくる。


 俺は剣を振る。


 届かない。


 あと少し。


 風。


 刃の後ろへ。


 押す。


 剣が加速した。


 視界の中で、槍の穂先が迫る。


 俺の剣も進む。


 どっちが先かなんて分からなかった。


 ただ振り抜く。


 そして。


 止まった。


 剣先が、アルベルトの首筋に触れる寸前で。


 同時に、槍も止まっていた。


 俺の脇腹へ向けて。


 穂先まで、あと僅か。


 数センチ。


 それだけだった。


 客席が静まり返っている。


 俺も動けなかった。


 アルベルトの目が、自分の首元にある剣へ向く。


 それから俺を見る。


 しばらくして。


 ふっ、と息を吐いた。


 槍が下がった。


「……参った」


 その言葉が、大獣技場へ落ちた。


 一拍遅れて、審判が腕を上げる。


「勝者――真白朝陽!」


 歓声が爆発した。


「……勝った?」


 自分で言ってから、ようやく力が抜けた。


 膝が落ちそうになる。


 剣を杖代わりにするのは嫌で、なんとか踏ん張った。


「危なかったね」


 アルベルトが言う。


「はい」


「あとほんの少し君が遅かったら、僕の槍が先だった」


「……ですよね」


 見れば分かる。


 俺の脇腹のすぐ横に、まだ槍がある。


 本当に少しだけ。


 勝ったというより、先に届いた。


 それだけだ。


「でも」


 アルベルトが槍を肩へ担ぐ。


「途中から、僕のやり方を真似し始めたでしょ」


「……バレてました?」


「そりゃね。ずっと僕が相手してたんだから」


 笑われた。


「最初は酷かったけど」


「自覚あります」


「剣を燃やして自分の手まで熱くしてたし」


「忘れてください」


「無理かな」


 アルベルトは笑ったまま、俺の剣を見る。


「でも、最後はちゃんと自分のものになり始めてた」


 自分のもの。


 その言葉で、ガイウスの顔が浮かんだ。


 見て。


 真似して。


 失敗して。


 自分に合うものだけ残す。


 あの時言われたことを、俺はまたやっていたらしい。


「次に会う時は、何を剣に纏わせてるんだろうね」


「まだ風もまともにできてないですよ」


「だから楽しみなんじゃない?」


 アルベルトはそう言って、先に舞台を降りていった。


 俺は手の中の剣を見る。


 もう風は消えている。


 魔力を流す感覚も、まだ曖昧だ。


 火だって安定していない。


 風も最後はほとんど勢いだった。


 C級の魔法も、使えるようになっただけで、セレーネみたいに自在に扱えるわけじゃない。


 それでも。


 昨日までできなかったことが、今は少しだけできる。


 剣と魔法を別々に使うんじゃない。


 剣へ魔力を流す。


 そこへ属性を纏わせる。


 まだ偶然に近い。


 でも、この先に何かある。


 そんな気がした。


 舞台を降りる。


「旦那ぁ!」


 戻った瞬間、ミニムスが駆け寄ってきた。


「いやいやいや、勝ったこともそうですけど! 五つってなんですかい五つって! 昨日四つであれだけ騒がせといて、まだ隠し持ってたんですかい!」


「別に隠してたわけじゃ……」


「世間じゃそれを隠してたって言うんでさぁ!」


「そうなのか?」


「そうですぜ!」


 隣でシウンも腕を組んでいる。


「わたしも四つまでだと思っていたぞ」


「使う機会がなかっただけだって」


「五つ目がその辺から出てくるものなのか……?」


「俺に聞かれても困る」


 そう答えてから、セレーネを見る。


 セレーネはいつも通りだった。


 少なくとも、ミニムスやシウンみたいな反応はしていない。


「……何?」


「いや」


 俺は首を傾げた。


「セレーネは驚かないんだなと思って」


「驚いてる」


「そう見えないけど」


「朝陽が勝手に決めないで」


「はい」


 短く返される。


 それ以上、セレーネは何も言わなかった。


 ただ俺の腰の剣へ視線を落とす。


「それ」


「ん?」


「剣に魔法をつけたの」


「ああ」


「前からできたの?」


「いや。初めてやった」


 セレーネが黙った。


「……何?」


「馬鹿」


「なんでだよ」


「失敗したら剣、壊れてたかもしれない」


「……あ」


 考えてなかった。


 普通に考えれば、武器へ直接魔力を流して、その上に炎まで纏わせたんだ。


 剣の方が耐えられない可能性だってあった。


「……次から気をつけます」


「そうして」


 セレーネはそれだけ言うと、舞台へ視線を戻した。


 俺もつられて前を見る。


 審判が中央へ立つ。


 観客席の熱はまだ冷めていない。


 五属性。


 そんな言葉が、あちこちから聞こえてくる。


 昨日まで四属性だった俺の呼ばれ方が、たった一試合で変わってしまったらしい。


 でも、今はそれより。


「続いて、本戦第一回戦――第二試合!」


 次の名前が読み上げられる。


「セレーネ!」


 隣にいたセレーネが立ち上がった。


 銀の髪が揺れる。


「対するは――ネヴィル!」


 反対側の通路。


 人間とほとんど変わらない姿をした男が、静かに舞台へ上がってくる。


 昨日。


 石床を溶かした、あの魔族。


 ネヴィル。


 セレーネが俺たちの前を通り過ぎる。


「セレーネ」


 呼ぶと、足だけ止まった。


「気をつけろよ。あいつの、触れたらまずそうだから」


「分かってる」


 振り返らないまま答える。


 そのまま歩き出した。


 俺は座りながら、さっきまで自分が立っていた舞台を見る。


 剣へ流した魔力の感覚が、まだ右手に残っている。


 けれど、考えるのは後だ。


 今度は見る番。


 セレーネが舞台へ上がる。


 向かい側では、ネヴィルが既に待っていた。


 第二試合が、始まる。

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