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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【獣王国ディアナ編】第4章 大獣技場

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第80話 八人

 次の組み合わせが告げられ始めると、それまで途切れることなく騒がしかった待機場所に、わずかな緊張が戻ってきた。


 予選もいよいよ終盤だ。


 最初は五十人もいた参加者が、もう随分と減っている。


 負けた者は観客席へ移るか、そのまま大獣技場を後にしていた。空いた長椅子が目立つようになり、武器を手に立っている者の顔も、いつの間にか覚えのあるものばかりになっている。


 俺たちも、あと一つ。


 ここを勝てば明日の本戦だ。


「真白朝陽!」


 名前を呼ばれ、腰を上げる。


 隣にいたシウンがこちらを見た。


「来たな」


「うん」


「勝ってこい」


「そのつもり」


 反対側では、セレーネがいつもの無表情で俺を見ていた。


「朝陽」


「ん?」


「右手」


 言われて、さっきガイウスの大剣を受けた手を軽く握る。


 まだ少しだけ痛む。


 けれど、剣を握れないほどじゃない。


「大丈夫」


「無理しないで」


「分かってる」


「本当に?」


「……たぶん」


「分かってない」


「いや、今のは言い方が悪かっただけだから」


 セレーネの目が細くなる。


 俺は逃げるように闘技場へ向かった。


「行ってきます!」


「逃げたな」


 背中からシウンの声が聞こえた。


 通路を抜けた瞬間、空気が変わる。


 大獣技場を埋め尽くす歓声。


 夜空へ昇っていく熱。


 何度ここへ立っても慣れない。


 いや。


 むしろ試合を重ねるたび、視線が増えている気さえする。


 理由は分かっていた。


「四属性の兄ちゃんだ!」


 どこかから声が飛んできた。


「……もうそういう呼ばれ方してんの?」


 思わず呟く。


 別の場所からも声が上がった。


「次は何使うんだ!」


「全部見せろー!」


「無茶言うなよ……」


 やっぱり広まってる。


 さっきのガイウス戦で、火、風、土、水。


 四つの属性を使った。


 普通なら一つ。


 二つでも優秀。


 三つともなればかなり珍しい。


 そんな世界で四つも見せれば、こうなるのは当然だった。


 今さら後悔しても遅い。


 剣を抜き、相手を見る。


 最後の予選で当たったのは、槍を持った獣族の男だった。


 耳の形から何の獣族なのかまでは分からない。俺より頭一つ大きく、身体も厚い。槍も普通のものより長く見えた。


 何より、俺を見る目が今までの相手とは違う。


 俺自身ではなく。


 左手を見ている。


 魔法を警戒しているのだろう。


「……四つ、だったか」


 男が言った。


「一応」


「厄介だな」


「俺もそう思います」


「お前が言うな」


 もっともだ。


 男が槍を構える。


「だが、使わせなきゃ同じだ」


 その言葉と同時に、審判の手が上がった。


「始め!」


 男は速かった。


 合図が終わるより先に、長い槍が俺との距離を消してくる。


 狙いは分かりやすい。


 魔法を使わせない。


 左手を動かす時間を与えず、槍の間合いから一方的に攻めるつもりだ。


 穂先を剣で逸らす。


 金属音が響いた直後には、もう次が来ていた。


 突き。


 払い。


 再び突き。


 一つ一つは単純なのに、槍の長さが厄介だった。


 俺が剣を届かせるためには踏み込まなければならない。それなのに一歩前へ出ようとするたび、穂先がその場所を塞いでくる。


 上手い。


 焦って距離を詰めれば刺される。


 なら――。


「《イグニス》!」


 左手から炎を放つ。


 男は驚かなかった。


 すぐ横へ動き、炎の軌道から外れる。


 やっぱり見られている。


 さっきまでの試合を。


「火!」


 観客席から声が上がった。


「次は風か!?」


 うるさいな。


 こっちは考えてるんだよ。


 男も同じことを考えているのか、俺の左手から目を離さない。


 火。


 風。


 土。


 水。


 何が来るか分からない。


 だから警戒する。


 それなら、その警戒自体を使えばいい。


 俺は左手を持ち上げた。


 男が反応する。


 槍を引き、横へ動いた。


 何も出さない。


「……?」


 その一瞬で踏み込む。


「っ!」


 男もすぐ気づいた。


 槍が戻ってくる。


 剣で弾く。


 今度は俺の間合いだ。


 一撃。


 防がれる。


 男が槍を短く持ち替え、柄で受けた。


 そのまま押し返される。


 力が強い。


 俺は逆らわず後ろへ下がった。


 距離が開く。


 また槍の間合い。


 振り出しだ。


「なるほどな」


 男が笑った。


「魔法だけじゃねえか」


「一応、剣も使うんで」


「そっちの方が面倒だ」


 俺も少し笑った。


 悪くない。


 こういう相手は嫌いじゃない。


 何か一つが圧倒的に強いわけじゃない。


 でも、自分の武器の長さを理解している。


 俺が何をしたいのかを見て、そのたびに位置を変えてくる。


 だったら。


 こっちも考える。


 男が踏み込む。


 槍が伸びる。


 今度は大きく避けない。


 身体を半分だけずらす。


 頬の横を穂先が通った。


 怖い。


 でも、ガイウスの大剣よりは細い。


 見える。


 柄へ剣を当てる。


 押す。


 槍の軌道が逸れた。


 そのまま前へ。


 男が槍を引こうとする。


 左手を向ける。


 また警戒した。


 今度は。


「《ウェントゥス》!」


 風が走る。


「くっ!」


 狙ったのは身体じゃない。


 槍。


 長い柄へ横から風をぶつける。


 僅かに流れた。


 その隙へ踏み込む。


 剣を振る。


 男が柄で受ける。


 さらに押し込む。


 男の足が下がった。


 一歩。


 もう一歩。


 場外まではまだ遠い。


 けれど、初めてこちらから押した。


「やるな!」


 男が槍を振り回す。


 俺は下がる。


 追ってくる。


 速い。


 ここで風をもう一度。


 そう考えた瞬間、やめた。


 同じことを続ければ読まれる。


 左手を地面へ。


 土。


 使えば足場を崩せる。


 でも。


 それも見せた。


 なら――使わない。


 男の槍が来る。


 避ける。


 もう一度。


 剣で逸らす。


 相手は魔法を待っている。


 俺の左手が動くたびに、ほんの少しだけ意識がそちらへ向く。


 四属性を見せた。


 目立った。


 正直、面倒なことになったと思っていた。


 けれど今は、その事実そのものが武器になっている。


 何を使う。


 いつ使う。


 それを相手が考えなければならない。


 だったら、使わないことにも意味がある。


 槍が頬を掠める。


 俺はさらに一歩入った。


「なっ――」


 男の顔が近い。


 剣じゃない。


 肩をぶつける。


「ぐっ!」


 体格差で押し返されそうになる。


 それでも足を止めない。


 男が槍を捨てるように片手を離し、俺を押し返そうとする。


 その瞬間。


 左手を胸元へ。


 男の目が動いた。


 魔法を警戒して身体が横へ逃げる。


 それを待っていた。


 空いた足元へ、自分の足を掛ける。


「しまっ――」


 崩れた。


 倒れる前に肩で押す。


 男は二歩、三歩とよろめきながら、それでも踏み止まろうとした。


 場外線。


 踵がかかる。


 耐える。


「まだ――!」


 戻ろうとする。


 俺も踏み込む。


 最後だけ。


「《ウェントゥス》!」


 短い風を叩き込んだ。


 男の身体が僅かに後ろへ流れる。


 それで十分だった。


 両足が線の外へ落ちる。


「場外!」


 審判の声。


 一瞬遅れて、大きな歓声が降ってきた。


「勝者――真白朝陽!」


 息を吐く。


 終わった。


 剣を下ろしたところで、場外の男と目が合った。


「最後は風かよ」


「すみません」


「なんで謝んだ」


「なんとなく」


 男が笑う。


「四つも使えるくせに、妙にせこい戦い方するな」


「褒めてます?」


「褒めてる」


「なら、ありがとうございます」


「本戦でも頑張れよ」


「はい」


 頭を下げる。


 そこでようやく実感した。


 本戦。


 残ったんだ。


 五十人から八人。


 まだ全員が決まったわけじゃない。


 でも。


 俺は、その八人の一人になった。


 待機場所へ戻ると、シウンが腕を組んで待っていた。


「おめでとう、朝陽」


「ありがとう」


「最後まで随分考えていたな」


「まあね。四属性使えるって知られたから、逆に使ってやろうかなって」


「二つしか使っていなかったではないか」


「だからだよ」


 シウンが首を傾げる。


「使えるって分かってれば、相手は勝手に警戒してくれるだろ?」


「なるほど」


 納得したように頷く。


「性格が悪いな」


「戦い方が上手いって言ってくれる?」


「嫌だ」


「なんでだよ」


 セレーネもこちらへ来た。


「右手」


「また?」


「見せて」


「大丈夫だって」


「見せて」


「……はい」


 逆らうのをやめた。


 手を差し出すと、セレーネが手首を掴む。指を曲げさせたり、軽く押したりしている。


「痛い?」


「そこはちょっと」


「ここ?」


「そこは平気」


「なら大丈夫」


「ほら」


 手を引こうとした。


 離れない。


「セレーネ?」


「何?」


「もう終わった?」


「終わった」


「じゃあ離してくれる?」


 ようやく離れた。


 横でシウンがこちらを見ている。


「……何?」


「いや」


 口元が少し笑っている。


「何だよ」


「何でもない」


「絶対なんかあるだろ」


「ないぞ」


 こいつら最近こんなのばっかりだ。


 俺の本戦進出が決まってからも、予選は続いた。


 先に八人入りを決めていたゴクウは、少し離れた場所で金属棍を肩へ乗せ、残る試合を眺めている。


 ジンも同じだ。


 二人とも余裕がある。


 去年、この場所を最後まで勝ち上がった二人。


 今年も当然のように残っている。


 ゴクウがこちらの視線に気づいた。


「お」


 手を上げる。


「四属性!」


「その呼び方やめてくれない!?」


 観客席にまで聞こえそうな声で言うな。


 ゴクウが笑う。


「いいじゃん。分かりやすくて」


「俺には朝陽って名前があるんだよ」


「知ってる知ってる」


「絶対今覚えただろ」


「失礼な奴だなー」


 どっちがだ。


 その横でジンが鼻で笑っている。


「ゴクウ」


「あ?」


「お前、明日そいつに当たるかもしれねえぞ」


「そりゃ本戦なんだから誰とでも当たるだろ」


「だったら今のうちに謝っとけ」


「なんでだよ!」


「四属性全部ぶつけられるぞ」


「それはちょっと嫌だな」


「おい!」


 軽い。


 けれど。


 ゴクウの目が一瞬だけ俺を見た。


 笑っている。


 いつもの軽い顔。


 それでも、試合中に見せていた目と少しだけ重なった。


 俺の試合を見ていたんだろう。


 そう思った。


 しばらくして、次の試合が始まった。


 そこで初めて、俺はアルベルト・レイスという名前を聞いた。


 人族の男だった。


 俺よりかなり年上に見える。


 派手な装備ではない。長い槍を一本持ち、肩の力が抜けたまま闘技場へ入っていく。


 名前が告げられた時、どこかで聞いたような気がした。


「……アルベルト・レイス」


 口に出してみる。


 やっぱり覚えがある。


「知り合いか?」


 シウンが聞いた。


「いや。名前だけ聞いたことある気がする」


「どこで?」


「たぶんバルカン。冒険者やってた時」


 いつ、誰から聞いたのかまでは思い出せない。


 ただ、名の知られた冒険者だったはずだ。


 試合が始まる。


 相手も槍使い。


 同じ武器なら、違いが分かりやすかった。


 先に攻めたのは相手だ。


 踏み込み。


 鋭い突き。


 アルベルトは大きく避けなかった。


 半歩。


 穂先を外す。


 そのまま自分の槍を滑らせるように相手の柄へ添えた。


 金属同士が触れる。


 次の瞬間、風が抜けた。


 相手の槍先が横へ流れる。


 そこへアルベルトの槍が伸びた。


 胸元。


 寸前で止まる。


「……参った」


 相手が言った。


 短い。


 あまりにも短い。


 でも、何をしたのかは分かった。


 力で弾いたんじゃない。


 風を使って、相手の槍の軌道をほんの少しずらした。


 それだけで道を作った。


「上手いな……」


 ガイウスとは違う。


 ガイウスは大剣の重さと経験を使いながら、相手の選択肢を潰してくる。


 アルベルトはもっと軽い。


 無理に押さない。


 相手が動いた分だけ、自分も動く。


 そこへ魔法を混ぜている。


 俺も剣と魔法を一緒に使っている。


 だからこそ、少し気になった。


「勝者――アルベルト・レイス!」


 歓声を受けても、本人は槍を肩へ担いだだけだった。


 戻る途中。


 こちらを見る。


 目が合った。


 アルベルトが軽く手を上げる。


 俺も反射的に頭を下げた。


 向こうは少し笑って、そのまま通路へ消えていった。


「やはり知り合いではないのか?」


「違うと思う」


「ではなぜ挨拶された?」


「知らないよ」


 ただ。


 俺の試合を見ていたのかもしれない。


 さらに予選が進み、もう一人。


 今度は別の意味で目を引く参加者が現れた。


「魔族――ネヴィル!」


 読み上げられた種族に、俺は闘技場を見直した。


「魔族……」


 実際に見るのは初めてだった。


 人族と大きく違う姿を想像していたわけじゃない。


 それでも、思っていた以上に見た目からは分からない。


 普通の青年に見える。


 けれど試合が始まってすぐ、その違いは別のところに現れた。


 対戦相手の獣族が剣を持って踏み込む。


 ネヴィルは片手を向けた。


 何かが飛ぶ。


 液体。


 相手が咄嗟に避けた。


 石床へ落ちる。


 白い煙が上がった。


「……え?」


 じわりと。


 石の表面が崩れていく。


「溶けた?」


 シウンも僅かに身を乗り出した。


「妙な技だな」


 魔法――なのか?


 少なくとも俺が知っている七属性のどれとも違う。


 対戦相手も警戒したらしい。


 一度止まり、ネヴィルの手を見る。


 その瞬間から試合の形が変わった。


 近づかなければ攻撃できない。


 でも、近づけばあの液体が飛んでくる。


 剣で受けていいものなのかも分からない。


 ネヴィルは無闇にばら撒かなかった。


 相手が踏み込みたい場所へ落とす。


 進路を変えれば、そこへまた飛ばす。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 相手の動ける場所だけが狭くなっていった。


 焦った獣族が強引に踏み込む。


 ネヴィルの腕が動く。


 男は反射的に横へ跳んだ。


 そこはもう、場外線のすぐそばだった。


 着地。


 片足が外へ出る。


「場外!」


 ネヴィルは一度も相手へ触れていない。


 それでも勝った。


「……嫌な戦い方だな」


 俺が呟く。


「相手にしたくない?」


 セレーネが聞いた。


「できれば」


 触れたらどうなるか分からないものを相手にするのは怖い。


 ネヴィルの本戦進出が決まった。


 残る枠は、さらに少なくなった。


 そして。


「シウン!」


 名前が呼ばれる。


 シウンが立ち上がった。


「行ってくる」


「頑張って」


「ああ」


 俺の横を通り過ぎる。


 少し遅れて。


「朝陽」


「ん?」


「先に本戦で待っていろ」


 そう言って、シウンは闘技場へ向かった。


 笑っていた。


 なら。


「任せた」


 俺も笑って返す。


 相手は斧を持った大柄な獣族だった。


 ここまで残っているだけあって、シウンの力を知らないわけがない。


 開始直後から距離を取り、長い斧の間合いを押しつける。


 シウンが前へ出れば、斧が来る。


 避ければ下がる。


 力比べには付き合わない。


 前の試合でシウンが相手を持ち上げ、そのまま場外へ放り出したのを見ていたのだろう。


 真正面から捕まれば終わる。


 だから捕まらない。


 理にかなっている。


 実際、シウンは少しやりにくそうだった。


 踏み込む。


 斧。


 避ける。


 追おうとすると、相手が下がる。


 また踏み込む。


 また斧。


 何度か繰り返したあと、シウンが動きを止めた。


 相手も止まる。


 距離を保ったまま、様子を見る。


 その時。


 シウンの周囲で風が動いた。


 斧を持つ男の服が揺れる。


「魔法?」


 観客席がざわめいた。


 男も同じだった。


 獣族。


 だからこそ、魔法が来るとは考えていなかったのかもしれない。


 風が横から吹きつける。


 攻撃と呼べるほど強くはない。


 けれど、男の足が僅かに動いた。


 その一瞬。


 シウンが距離を潰した。


「しまっ――」


 斧を振るうには近すぎる。


 シウンの手が柄を掴む。


 男も離そうとしない。


 力がぶつかる。


 結果はすぐに出た。


 シウンが引く。


 男の身体が前へ持っていかれる。


 さらに踏み込み、肩を入れた。


 大柄な身体が浮く。


 観客席からどよめきが上がった。


「ぬっ……!」


 そのまま投げる。


 地面へ叩きつけるのではなく、場外へ。


 男は空中で身体を捻ったものの、着地した場所は線の外だった。


「場外! 勝者――シウン!」


 大歓声。


 シウンは満足そうに腰へ手を当てている。


「結局最後は力じゃん」


 俺は笑った。


 でも。


 最初から力だけで突っ込まなかった。


 魔法で一瞬だけ相手を崩し、確実に捕まえられる瞬間を作った。


 シウンなりに考えている。


 戻ってきた本人へそれを言うと、


「当然だろう」


 胸を張られた。


「わたしを何だと思っている?」


「力で全部解決する人」


「朝陽」


「ごめん」


「まったく……」


 怒っているように見えて、少し嬉しそうだった。


 セレーネも、その後に本戦進出を決めた。


 こちらはシウンほど派手じゃなかった。


 対戦相手は、セレーネが魔法を使う前に距離を詰めようとした。


 それ自体は正しい。


 これまでの試合を見ていれば、遠くから魔法を撃たせたくないのは当然だ。


 ただ。


 セレーネはそれも分かっていた。


 相手が踏み込んでくる。


 ぎりぎりまで引きつける。


 その足元へ風。


 攻撃ではなく、砂埃を巻き上げるためのもの。


 視界が一瞬だけ遮られた。


 そこへ蔦が伸びる。


 片足。


 さらに腕。


 動きが止まった時には、もう遅かった。


「降参する?」


 セレーネが静かに聞く。


 相手は何度か身体を動かしたあと、諦めたように息を吐いた。


「……降参だ」


 それで終わった。


 セレーネも本戦。


 戻ってきた本人は、まるで散歩から帰ってきたような顔をしている。


「お疲れ」


「うん」


「これで三人ともだな」


「うん」


 それだけ。


 でも俺の隣へ座った時、ほんの少しだけ距離が近かった。


 俺が何か言う前に、シウンが反対側から肩を寄せてくる。


「狭いんだけど」


「よいではないか」


「よくないよ」


「三人とも残ったのだ。今くらい喜べ」


「喜んでるよ」


「ならもっと嬉しそうにしろ」


「無茶言うな」


 横を見る。


 セレーネは離れない。


「……そっちは?」


「何?」


「いや、何でもない」


 聞いても無駄な気がした。


 予選最後の方まで残ったコタロウの試合は、見ているだけで疲れた。


 相手の方が明らかに上手い。


 刀を弾かれる。


 転ばされる。


 立つ。


 また攻める。


 避けられる。


 反撃を受ける。


 それでも、また立つ。


「コタロォォォ!」


 観客席からゴウの声が飛んでくる。


「立てェ!」


「立ってるわ!」


「勝てェ!」


「分かってる!」


「気合いだァ!」


「うるせえ!」


 スズの声まで混ざった。


「ゴウ! 少し黙って!」


「応援してんだよ!」


「邪魔なのよ!」


「お前も声でけえぞ!」


 何してんだ、あいつら。


 思わず笑ってしまった。


 でも。


 闘技場の中にいるコタロウは笑っていない。


 必死だった。


 昨日、俺たちに喧嘩を売ってきた時と同じ。


 強がって。


 負けず嫌いで。


 自分が子供扱いされるのが嫌で。


 それでも、今は誰に何を言われたわけでもない。


 ただ勝ちたいから立っている。


 何度目かの打ち合い。


 コタロウの刀が大きく弾かれた。


 相手が踏み込む。


 もう受けられない。


 コタロウは刀を追わなかった。


 身体ごと前へ出る。


「なっ!?」


 腰へ抱きついた。


「おおおおおっ!」


 そのまま押す。


 相手が踏ん張る。


 コタロウも止まらない。


 技も何もない。


 ただ前へ。


 一歩。


 もう一歩。


 場外線。


 相手の踵が越えた。


「場外!」


 一瞬の静寂。


「勝者――シバ・コタロウ!」


「――っしゃああああああ!!」


 コタロウがその場で跳ねた。


「見たかァ!」


「コタロウ!」


 ゴウが叫ぶ。


「本戦だぞ!」


「分かってる!」


 スズも立ち上がっている。


「やったじゃん!」


「おう!」


 本人より二人の方が喜んでいるようにも見えた。


「残ったな」


 俺が言う。


 シウンも頷く。


「ああ。大したものだ」


 強さだけなら、もっと上の参加者はいたかもしれない。


 組み合わせにも恵まれた。


 危ない試合もあった。


 それでも。


 最後に立っていたのはコタロウだった。


 そして、全ての予選が終わった。


 闘技場の中央へ呼ばれたのは八人。


 真白朝陽。


 セレーネ。


 シウン。


 サルトビ・ゴクウ。


 トラガミ・ジン。


 シバ・コタロウ。


 アルベルト・レイス。


 ネヴィル。


 五十人から、八人。


 こうして並ぶと、不思議な感じがした。


 隣にはセレーネ。


 その隣にはシウン。


 少し離れたところで、コタロウがまだ興奮した顔をしている。


 ゴクウは金属棍を肩へ担ぎ、観客席へ手を振っていた。


 ジンは腕を組んでいる。


 アルベルトは相変わらず力が抜けている。


 ネヴィルだけは静かに前を見ていた。


 八人全員が揃ったところで、進行役が中央へ出る。


「以上八名が、明日の《カグラ武闘獣杯》本戦進出者となる!」


 歓声が夜空へ突き抜けた。


 ここで終わり。


 そう思っていた。


 けれど、進行役は手を上げたままだった。


「そして――本戦の組み合わせを発表する!」


 歓声がさらに大きくなる。


「今やるんだ」


 俺が呟く。


「その方が盛り上がるのだろう」


 シウンが楽しそうに答える。


 俺としては、明日の朝まで知らなくてもよかった。


 知ったら絶対考えてしまう。


 誰と当たる。


 どう戦う。


 寝る前まで考える未来がもう見える。


「第一試合!」


 進行役の声が響く。


「真白朝陽――対――アルベルト・レイス!」


「……うわ」


 思わず声が出た。


 さっき見ていた男。


 槍と風。


 アルベルトがこちらを見る。


 目が合う。


 少し笑った。


「君か」


「みたいですね」


「さっきの試合、見てたよ」


「……やっぱり?」


「面白い戦い方するね」


「どうも」


「明日はよろしく」


「よろしくお願いします」


 軽い。


 それなのに、試合を思い返すと油断できる気がまったくしない。


 明日。


 あの槍の間合いへ入らなければならない。


「第二試合!」


 次の名前が呼ばれる。


「セレーネ――対――ネヴィル!」


 今度は俺が先にセレーネを見た。


 本人はネヴィルを見ている。


 ネヴィルも僅かに顔を向けた。


 石床を溶かした液体を思い出す。


「気をつけろよ」


「うん」


「触らない方がいいと思う」


「分かってる」


「ならいいけど」


 セレーネがこちらを見る。


「朝陽も」


「俺?」


「槍」


「ああ」


「気をつけて」


「……うん」


 お互い様か。


「第三試合!」


「サルトビ・ゴクウ――対――シウン!」


 ゴクウがすぐに反応した。


「お!」


 金属棍を肩から下ろし、シウンを見る。


「姉ちゃんか!」


「シウンだ」


「シウンな。覚えた」


 ゴクウが笑う。


「強そうだと思ってたんだよ」


「奇遇だな。わたしもだ」


「いいねえ」


 二人とも楽しそうだ。


「明日、派手にやろうぜ!」


「ああ。望むところだ」


 ……シウン。


 完全に乗ってる。


 まあ、あいつらしいけど。


「第四試合!」


 最後。


「トラガミ・ジン――対――シバ・コタロウ!」


「……」


 コタロウが固まった。


 分かりやすい。


 さっきまで「本戦だ!」と騒いでいた顔から、一瞬で表情が消えた。


 ゆっくりジンを見る。


 ジンもコタロウを見る。


「よろしくな」


「……お、おう」


「声小せえぞ」


「小さくねえ!」


「ならいい」


 ジンが笑った。


 観客席からゴウの声が飛んでくる。


「コタロウ! 勝てるぞ!」


「簡単に言うなァ!」


 大獣技場に笑いが広がった。


「でも」


 コタロウは一度息を吐いた。


 ジンを見る。


 今度は逃げない。


「やるからには勝つ」


「おう」


 ジンの顔から笑みが少し消える。


「その方がいい」


 短いやり取りだった。


 それでもコタロウの顔は、さっきよりずっとましになっていた。


 本戦四試合。


 朝陽対アルベルト。


 セレーネ対ネヴィル。


 ゴクウ対シウン。


 ジン対コタロウ。


 それですべて。


 この八人のうち、明日の夜まで残っているのは一人だけだ。


 そこまで考えて。


 やめた。


 まだ一試合も始まっていない。


 俺はまずアルベルトだ。


 大獣技場を出る頃には、身体の奥まで疲れが溜まっていた。


 夜風が熱くなった肌に心地いい。


 外へ出てもカグラの街はまだ明るく、通りには提灯が並んでいる。大祭は明後日からだというのに、すでに祭りが始まっているような賑わいだった。


「旦那ぁ!」


 聞き慣れた声。


 人混みの向こうからミニムスが走ってくる。


「三人とも残るとか、やりますねぇ!」


「見てた?」


「そりゃ見てましたよ! オイラが案内したんですから!」


「途中から見えなかったけど」


「席が遠かったんですって!」


 相変わらずだ。


 ミニムスが俺を見る。


 にやっと笑う。


「それにしても旦那」


「何?」


「四属性は派手にやりましたねぇ」


「……それ言う?」


「言いますよ。周りその話ばっかりでしたから」


「マジか……」


「明日はもっと増えるんじゃないですか?」


「聞きたくなかった」


 頭を抱える。


 隣でシウンが笑った。


「よいではないか。有名人だぞ」


「なりたくてなったわけじゃないんだよ」


「強いと知られただけだろう?」


「そういう単純な話じゃなくてさ……」


「朝陽」


 セレーネが呼ぶ。


「ん?」


「帰る」


「急だな」


「疲れた」


「ああ……そうだな」


 珍しく素直に言う。


 考えてみれば、セレーネも何試合もしている。


 俺だけじゃない。


「宿戻るか」


「うむ。腹も減った」


「お前はそればっかりだな」


「戦えば腹は減る」


「それはそうだけど」


「朝陽は減らないのか?」


「減った」


「なら同じだ」


「なんか納得いかない」


 四人で歩き出す。


 ミニムスが少し前。


 俺の隣にセレーネ。


 反対側にはシウン。


 大獣技場から離れるにつれて、背後の歓声も少しずつ遠くなっていった。


 でも。


 頭の中では、さっきの試合がまだ残っている。


 アルベルトの槍。


 僅かな風。


 相手の攻撃を大きく崩すんじゃなく、ほんの少しだけずらす使い方。


 俺も風を使える。


 だからこそ分かる。


 単純に強い風をぶつけるより、ああいう使い方の方が難しい。


 明日、あれと戦う。


「朝陽」


「ん?」


「また考えてる」


 セレーネだった。


「……分かる?」


「分かる」


「顔に出てた?」


「出てた」


 シウンも頷く。


「完全に戦っている顔だったぞ」


「どんな顔だよ、それ」


「眉間に皺が寄っていた」


「嘘」


 額を触る。


 シウンが笑った。


「今は休め。明日になれば嫌でも戦うのだろう?」


「そうだけど」


「なら今考えても仕方あるまい」


「いや、対策くらいは考えた方が」


「宿に戻ってからにしろ」


「結局考えていいんじゃん」


「歩きながら考えるなと言っている」


「母親みたいなこと言うなよ」


「誰が母親だ」


 肩を叩かれた。


「痛っ!」


「失礼なことを言うからだ」


「暴力反対!」


 セレーネが小さく笑った。


「今笑っただろ」


「笑ってない」


「絶対笑った」


「気のせい」


「今日それ二回目だからな」


 返事はない。


 ただ、少しだけ歩く速度が上がった。


「待てって」


 追いかける。


 シウンもついてくる。


 その前をミニムスが歩いている。


 明日のことを考えれば、緊張する。


 アルベルト。


 あの槍。


 勝てるかなんて分からない。


 それでも。


 不思議と嫌じゃなかった。


 冒険者になったばかりの頃なら、こんな場所へ立つこと自体考えられなかった。


 ガイウスの後ろを必死に追いかけて。


 大剣を振ることから始めて。


 魔法を覚えて。


 少しずつ戦い方を変えて。


 今は、自分の剣を持ってここにいる。


 明日。


 どこまで通じるんだろう。


 それを知りたいと思っている。


「朝陽」


「今度は何?」


 セレーネが振り返る。


「置いてく」


「だから待てって!」


 俺は小走りで追いかけた。


 大獣技場の夜は終わった。


 そして明日。


 八人だけの本戦が始まる。

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