第8話 旅支度
「……足りた」
朝。
寝床の上に並べたルクスを、もう一度数える。
「足りた……!」
間違いない。
王都へ向かうために必要だと言われた金額。
それに。
少しだけ余裕もある。
「よっしゃ……」
思わず拳を握った。
異世界に来て。
薪を運び。
水を汲み。
畑を手伝い。
荷物を運び。
皿を洗い。
柵を直し。
また薪を割り。
「…………」
地味。
ものすごく地味。
「俺、何しに異世界来たんだろ」
いや。
来たくて来たわけじゃない。
「でも……」
ルクスを見る。
全部。
自分で働いて手に入れた。
「……頑張ったな」
ちょっとくらい自分を褒めてもいいと思う。
その時。
「朝陽!」
「はい!」
下から声がする。
「起きてんなら降りてこい!」
「今行きます!」
ルクスをまとめる。
今日も。
いつもの一日が始まる。
◇
「足りた?」
「ああ」
朝飯を食べながら報告すると、宿の主人はそれだけ言った。
「もっと喜んでくれてもよくないですか?」
「何で俺が喜ぶんだ」
「ここまで働いたじゃないですか」
「金払っただろ」
「そうなんですけど」
パンをちぎる。
「明日には出ようかなって思ってます」
「そうか」
「…………」
またそれだけ。
「寂しくないんですか?」
「何が?」
「いや、ほら。何日もここで働いた若者が旅立つんですよ」
「仕事一人分減るから困るな」
「そっち!?」
「他に何がある」
「もうちょっとこう……あるでしょ」
「ない」
「冷たいなあ……」
主人が鼻で笑う。
「お前が勝手に来て、勝手に働いて、勝手に出てくだけだろ」
「言い方!」
「違うか?」
「……合ってます」
悔しい。
「王都で何するか決めたのか?」
「とりあえず」
指を一本立てる。
「冒険者ギルド」
「うん」
二本目。
「魔法について調べる」
「うん」
三本目。
「日本を知ってる人がいないか探す」
「うん」
四本目。
「俺がいた遺跡について調べる」
主人の顔が少し変わる。
「遺跡か」
「はい」
忘れていたわけじゃない。
俺が最初に目を覚ました場所。
森の奥。
石造りの巨大な遺跡。
「結局、あそこが何なのか全然分からないんで」
「戻るつもりか?」
「今はないです」
即答する。
「一人では絶対に」
「賢明だな」
「村の人たちに散々言われましたからね」
あの森が危険だということ。
魔物がいるということ。
普通の人間が近づくような場所ではないということ。
「次行くなら、ちゃんと準備してからです」
「そうしろ」
「はい」
今なら分かる。
俺は本当に何も知らなかった。
知らないから。
怖さすら分かっていなかった。
「まず王都」
口に出す。
「そこで調べます」
「そうか」
主人がスープを飲む。
「なら今日は旅支度しろ」
「旅支度?」
「その格好で王都まで行く気か?」
「…………」
制服を見る。
「駄目です?」
「好きにしろ」
「絶対駄目な言い方じゃないですか」
「森歩いて、畑仕事して、薪運んで。もうボロボロだろ」
「まあ……」
見る。
確かに。
日本にいた頃なら絶対この状態で学校には行かない。
「服買うか……」
「ようやくか」
「でも金が」
「旅費全部使うほどじゃねえよ」
「安いのあります?」
「市場行って聞け」
「分かりました」
立ち上がる。
「あと」
「はい?」
「荷物入れるもんも買っとけ」
「…………」
財布。
スマホ。
充電器。
学生証。
今は全部、制服のポケットや適当な袋に入れている。
「確かに」
「旅する気あんのかお前」
「初めてなんですよ!」
「普通はみんな初めてがある」
「それ言われたら何も返せないな……」
主人が笑った。
◇
市場。
「服……」
改めて探してみると、ちゃんと売っている。
当たり前だけど。
「これくらいか」
値札を見る。
持っている金と相談。
「旅費引いて……飯代残して……」
高いものは無理。
格好良さもいらない。
とりあえず丈夫で。
動きやすくて。
安い。
「…………」
高校生が異世界で最初に服を買う時の基準がこれ。
「夢がないな……」
「何がだい?」
「うわっ」
店の女性に声をかけられた。
「いや、何でもないです」
「服かい?」
「はい」
「その格好じゃねえ」
「やっぱ変です?」
「珍しいね」
「もう慣れました」
何回言われたか分からない。
「旅するんですけど、安くて丈夫なのあります?」
「王都へ?」
「はい」
「ならこれくらいで十分だよ」
何着か見せてもらう。
「…………」
普通だ。
シャツ。
ズボン。
上着。
色や形は日本のものとは違うけど。
別に鎧みたいなものを着る必要はないらしい。
「これにします」
「毎度」
金を払う。
「…………」
減った。
当然だけど。
「金ってすぐなくなるな……」
「稼げばいいさ」
「この世界そればっかだな」
「何か言ったかい?」
「何でもないです」
次。
荷物を入れる鞄。
これも安いもの。
それから。
最低限必要そうなものを聞いて買う。
「水入れるやつ」
「水筒かい?」
「あります?」
「あるよ」
「ください」
「保存できる食い物も?」
「王都までなら持っておいた方がいいね」
「じゃあそれも」
金が。
減る。
「…………」
さっきまで金持ちになった気分だったのに。
「生活って金かかるな……」
日本では。
こんなこと考えたこともなかった。
服。
飯。
寝る場所。
移動。
全部。
親が用意してくれていた。
「…………」
帰れたら。
ちゃんと礼言おう。
そんなことを思った。
◇
宿へ戻る。
「お」
主人が俺を見る。
「ようやく人並みになったな」
「今まで何だったんですか」
「変な服のガキ」
「ひどくない?」
買った服に着替えていた。
制服は畳んで鞄の中。
「どうです?」
「普通」
「…………」
「何だよ」
「もうちょい褒めてくれても」
「服着ただけだろ」
「そうですけど」
でも。
鏡代わりになる金属板に自分を映す。
「…………」
なんか。
本当にこの世界の人間みたいだ。
「変な感じ」
「何が?」
「いや」
制服じゃない自分。
異世界の服。
知らない宿。
腰には鞄。
「…………」
少しずつ。
日本から離れているような。
そんな気がした。
「制服は捨てんのか?」
「捨てません」
即答する。
「持っていきます」
「荷物になるぞ」
「それでも」
「そうか」
主人はそれ以上何も言わなかった。
◇
午後。
村を歩いた。
旅立つ前に。
なんとなく。
見ておきたかった。
水車。
「…………」
最初に村を見つけた時。
遠くからこれが見えた。
あの時は。
人がいる。
それだけで泣きそうになった。
畑。
「朝陽!」
「こんにちは!」
「明日出るんだって?」
「早くない!?」
もう知ってる。
「誰から聞いたんですか?」
「宿屋」
「あのおっさん……」
情報回るの早すぎる。
「王都行くんだろ?」
「はい」
「気ぃつけろよ」
「ありがとうございます」
市場。
「お、兄ちゃん!」
「どうも」
「果物買ってけ!」
「旅費なくなるんで嫌です」
「ケチ!」
「商売雑すぎるでしょ」
例の紫色の果物を見る。
「…………」
「何だ?」
「一個ください」
「買うんじゃねえか」
「最後なんで」
「毎度!」
金を払う。
一口。
「……うま」
最初に食べた時より。
少しだけ。
美味しく感じた。
◇
「兄ちゃん!」
「お」
またあの子供。
俺の服を見て。
固まる。
「…………」
「何だよ」
「変な服じゃない!」
「お前それしか俺の特徴なかったの!?」
「普通!」
「褒められてる気がしない!」
子供が笑う。
「どっか行くの?」
「王都」
「ルイ?」
「そう」
「いつ帰ってくる?」
「…………」
止まった。
「分かんない」
「なんで?」
「俺にも分かんないから」
「変なの」
「そうだな」
笑う。
「でも」
頭を軽く撫でる。
「また来ることがあったら遊ぼうな」
「うん!」
子供は走っていった。
「…………」
また来る。
自分で言って。
少し驚いた。
帰る場所は日本だ。
それは変わらない。
なのに。
もう。
この村へ「また来る」という発想が自然に出てきた。
◇
村の端。
月光教の祈り場。
「…………」
結局。
一度も中には入らなかった。
信仰がないから。
ただ。
村の人たちが普通に出入りしているのは何度も見た。
「神王ツクヨミ……」
世界を創った神。
そう教えられた。
五千年前。
初代バルカン王ルイ。
世界を救った英雄。
魔法。
魔物。
人族。
獣人。
魔族。
エルフ。
「…………」
何も知らなかった。
今も。
ほとんど何も知らない。
でも。
来た時よりは。
この世界が少しだけ見える。
「王都行ったら、もっと分かるかな」
たぶん。
いや。
分からないことが増えるだけかもしれない。
「……それでもいいか」
知らないなら。
知ればいい。
◇
夕方。
宿へ戻る。
「明日の朝、荷馬車が出る」
主人が言った。
「え?」
「王都方面」
「乗れるんですか?」
「話つけといた」
「…………」
俺は主人を見る。
「おっちゃん」
「何だ」
「めっちゃいい人じゃないですか」
「金は払えよ」
「そこは払いますよ!」
「当たり前だ」
「でも」
少し笑う。
「ありがとうございます」
「ああ」
それだけ。
本当に。
この人はそれだけだった。
「朝早いぞ」
「はい」
「寝坊すんなよ」
「しません」
「絶対だぞ」
「子供じゃないんだから」
「薪割り初日に寝坊した奴が何言ってんだ」
「一回だけでしょ!」
「一回は一回だ」
「……起きますよ」
「ならいい」
いつものやり取り。
でも。
これも明日で最後。
◇
夜。
荷物を並べる。
買った服。
水筒。
保存食。
財布。
ルクス。
日本円。
学生証。
充電器。
制服。
そして。
スマホ。
「…………」
電源を入れる。
残量はもう少ない。
「……最後まで持つかな」
何の最後だ。
自分でも分からない。
写真を開く。
適当に遡る。
学校。
教室。
帰り道。
飯。
どうでもいいスクリーンショット。
「何でこんなの撮ったんだ……」
少し笑う。
次。
瑞輝。
京介。
麗奈。
瑠奈。
四人が写っている。
「…………」
指が止まる。
「今頃どうしてんだろ」
俺が消えて。
何日経った?
向こうでも同じだけ時間が流れている?
分からない。
「…………」
心配してるだろうな。
親も。
みんなも。
「……帰らないとな」
声に出す。
忘れてはいない。
この世界が少し楽しくなっても。
魔法に興奮しても。
王都へ行くのが楽しみでも。
帰りたい。
それは。
別の話だ。
「…………」
画面を消す。
スマホを鞄へ入れる。
制服も。
その横に入れた。
「よし」
準備完了。
明日。
この村を出る。
◇
翌朝。
「…………」
宿の前。
荷馬車が止まっていた。
荷物を積んでいる。
御者。
何人かの旅人。
「朝陽!」
「はい!」
荷物を持って外へ出る。
「寝坊しなかったな」
「当たり前でしょ」
「偉い偉い」
「馬鹿にしてる?」
「してる」
「最後までこれかよ……」
主人が笑う。
俺も笑った。
「じゃあ」
何と言えばいい。
数日。
短い。
でも。
俺にとっては。
この世界で最初に過ごした場所。
「……お世話になりました」
頭を下げる。
「ああ」
「飯、うまかったです」
「知ってる」
「自分で言う?」
「事実だからな」
「薪割りも覚えました」
「まだ下手だけどな」
「一応割れるようになったでしょ」
「まあな」
「あと……」
言葉を探す。
でも。
上手い言葉が出ない。
「…………」
「朝陽」
「はい」
「行ってこい」
「…………」
それだけだった。
「はい」
俺も。
それだけ返した。
荷馬車へ向かう。
「朝陽!」
声。
振り返る。
村の人。
畑の老人。
市場の商人。
あの子供。
「兄ちゃん!」
手を振っている。
「…………」
俺も手を上げた。
「またな!」
言った。
荷馬車に乗る。
ゆっくり。
車輪が動き始める。
ガタガタと音を立てながら。
アルヴェン村が遠ざかっていく。
「…………」
最初に見た水車。
畑。
石垣。
家々。
小さくなっていく。
「……行ってきます」
誰に言ったのか。
自分でも分からなかった。
◇
荷馬車は街道を進む。
森とは違う。
ちゃんとした道。
左右には畑。
その向こうには丘。
遠くに山。
「…………」
俺は荷台から景色を見る。
知らない世界。
初めて見る道。
初めて向かう街。
王都ルイ。
「どんなところなんだろ」
魔法。
冒険者。
ギルド。
色んな種族。
図書館。
俺の知らないものが。
もっとある。
「…………」
怖くないわけじゃない。
むしろ。
不安だらけだ。
金だってそんなにない。
王都に知り合いなんて一人もいない。
帰り方も分からない。
これからどうやって生きるのかも。
まだ何も決まっていない。
でも。
アルヴェン村へ辿り着いた時とは違う。
あの時の俺は。
ただ助けてほしかった。
今は。
「……見てみたいな」
少しだけ。
自分から。
この世界の先を見たいと思っている。
荷馬車が進む。
村はもう見えない。
俺は前を向いた。
王都ルイへ。
知らない世界の、
その先へ。
次回から第2章に入ります。




