第74話 王都カグラ
「それで、どこから行くんだ?」
ギルドを出たところで、俺はミニムスに尋ねた。
「そうですなぁ。旦那方が何を見たいかにもよりますが――」
言いながら、ミニムスが通りへ出る。
俺たちもその後を追った。
昨日カグラへ着いた時にも街は見ている。
夜にはミニムスに宿まで案内される途中で、いくつかの通りも歩いた。
それでも、朝のカグラはまた違って見えた。
軒先では暖簾が掛けられ、閉じていた雨戸が次々と開いていく。
荷車を引く男が石畳を進み、大きな籠を背負った女が店先へ野菜を運び込んでいる。その間を子供たちが駆け抜けていったかと思えば、頭の上の耳を母親に掴まれて連れ戻されていた。
あちこちで揺れる耳や尻尾。
着物の背には、それぞれの尻尾に合わせて形の違う切れ込みがある。
角の大きな男が入っていった店は、入口そのものが他より少し高かった。
昨日は街の大きさばかりに目を奪われていたけど、こうしてゆっくり歩いてみると、細かいところまで俺の知っている日本とは違う。
「朝陽」
「ん?」
「また止まってる」
振り向いたセレーネに言われて、慌てて追いつく。
「悪い。見てた」
「昨日からずっと見てる」
「仕方ないだろ。気になるんだから」
「田舎者のようだな」
シウンが笑う。
「うるさいな。俺にとっては知らない街なんだよ」
「わたしにとっても久しいが、そこまできょろきょろはせぬぞ」
「シウンは来たことあるだろ」
「それはそうだが」
そんな話をしながら歩いていると、道の端で何人かの男たちが木材を組んでいるのが見えた。
少し先では、建物から建物へ紐を渡し、そこへ提灯を吊るしている。
昨日も似たような光景を何度か見た。
街全体が、少しずつ祭りの姿へ変わろうとしている。
「そういえば祭りって、いつからなんだ?」
「明後日からですぜ」
ミニムスが答える。
「七日間、朝から晩までカグラ中がお祭り騒ぎ。今でも十分人は多いですが、始まったらこんなもんじゃありません」
「七日間か……」
思っていたより長い。
「楽しみ」
セレーネが吊るされた提灯を見上げる。
「わたしも久しぶりだ。ちょうどよい時に来たものだな」
シウンも機嫌が良さそうだった。
俺だって楽しみじゃないわけがない。
日本にいた頃の祭りとは、たぶん全然違う。
でも、提灯や屋台の準備を見ているだけで、なんとなくあの空気を思い出す。
「祭りが始まったら案内してくれるのか?」
「そりゃもちろん。追加料金で」
「取るのかよ」
「仕事ですから」
「そこはブレないな、お前」
「へへっ」
こいつらしいと言えば、こいつらしい。
「で、今日はどうするんだ?」
「まずは王道から行きましょうや」
「王道?」
「初めて来た人間に裏路地ばっか見せても仕方ありませんからね」
「昨日は裏路地通ったけどな」
「あれは宿への近道です」
ミニムスが前を向く。
「今日はちゃんと、王都カグラをご案内しますぜ」
◇
最初に向かったのは、千代市場だった。
昨夜も前を通っている。
ただ、その時とはまるで違った。
「うわ……」
入口からもう人で溢れている。
通りの両側に店が隙間なく並び、その前には野菜や魚、肉、果物、乾物、工芸品まで所狭しと並べられていた。
「安いよ! 見ていきな!」
「今朝入ったばっかだ!」
「そこの姉ちゃん、食ってかないか!」
あちこちから声が飛ぶ。
値段を巡って客と店主が言い合っていると思ったら、次の瞬間には二人とも笑っている。
魚を入れた桶を担ぐ男が、
「通るぞ!」
と叫ぶ。
人混みが慣れたように左右へ割れた。
俺たちも慌てて避ける。
「朝はこんなに人いるのか」
「千代市場は朝が一番賑わいますからね」
ミニムスは慣れた様子で人の隙間を進んでいく。
速い。
「ちょ、待て!」
「朝陽」
袖を引かれた。
セレーネだ。
「離れるとはぐれる」
「分かってる」
反対側からも腕を掴まれる。
「ならばわたしも掴んでおこう」
「シウンまで?」
「これならはぐれぬだろう」
「俺を目印にするなよ」
右にセレーネ。
左にシウン。
そのまま人混みを進む。
……歩きにくい。
「シウン」
「なんだ?」
「近い」
「離れればはぐれるぞ」
「いや、そうなんだけど」
腕に身体が当たる。
妙に意識してしまって、少しだけ右へ寄った。
今度はセレーネの肩にぶつかる。
「……朝陽」
「ごめん」
「近い」
「そっちから掴んだんだろ」
「それとこれは別」
「何が?」
「別」
意味が分からない。
少し前を歩いていたミニムスが振り返る。
俺たちを見る。
口元が緩んだ。
「何だよ」
「いやいや。旦那も大変ですなぁ」
「何が?」
「何でもありません」
「絶対なんか言おうとしただろ」
ミニムスは答えず、人混みの中へ逃げていった。
「あ、こら!」
「朝陽、行くよ」
「分かってるって」
結局、二人に引っ張られる形で追いかける。
◇
市場は、歩いているだけで腹が減る場所だった。
焼いた魚の匂い。
出汁の香り。
醤油の焦げる匂い。
蒸籠からは白い湯気が上がり、別の店では団子を焼いている。
「……朝飯食ったばっかなんだけどな」
「観光に朝飯は関係ありませんぜ」
「何その理論」
「美味いものは、美味い時に食う。それが一番です」
「それは正しいな」
シウンが頷く。
「お前は味方すると思ったよ」
「朝陽」
セレーネが袖を引く。
「今度は何?」
「あれ」
指差した先で、串に刺した肉が焼かれていた。
甘辛い匂いがする。
「食べたいの?」
「別に」
「じゃあ行くか」
「待って」
「食べたいんじゃん」
「朝陽が食べるなら付き合う」
「俺のせいにするなよ」
「わたしも付き合おう」
「シウンは普通に食べたいだけだろ」
「うむ」
「そこは素直なんだな」
三人で店へ寄る。
「兄ちゃんたち、観光か?」
店主が威勢よく声をかけてきた。
頭の上には丸い耳。
太い腕で次々と串を返している。
「そんな感じです」
「なら食ってけ。うちのタレはカグラで一番だ」
「隣の店も同じこと言ってましたぜ」
ミニムス。
「お前は黙ってろ!」
「へへっ」
知り合いなのかと思ったけど、そうでもないらしい。
一本ずつ買う。
齧った瞬間、香ばしい匂いが鼻に抜けた。
「うま」
甘い。
でも甘すぎない。
後から少し濃い醤油の味がくる。
知っている味に近いのに、肉そのものは食べたことがない。
「美味いな」
シウンはもう半分食べている。
セレーネも黙々と食べていた。
「セレーネ」
「何?」
「美味い?」
「普通」
「その顔で?」
「普通に美味しい」
「それ美味いってことだろ」
セレーネが俺の串を見る。
「何?」
「そっちも同じ?」
「同じだよ」
「そう」
それでも見ている。
「……食べる?」
「一口だけ」
「自分のあるだろ」
「一口」
「なんでだよ」
仕方なく差し出す。
セレーネが一口だけ齧った。
自分の串を見る。
俺の串を見る。
「同じ」
「だから言っただろ!」
隣でシウンが笑っている。
「何してんだ、俺たち」
「仲がよいではないか」
「そういう問題じゃない」
「朝陽」
「ん?」
「もう一口」
「嫌だよ!」
セレーネが少し不満そうな顔をした。
なんなんだよ。
◇
千代市場には食べ物だけじゃなく、ディアナ中から色々な物が集まっていた。
刃物。
器。
布。
細工物。
獣人向けの服も面白い。
尻尾の太い種族用。
翼のある種族用。
角を通しやすいように襟元が大きく開くもの。
俺なら気にもしないところに、それぞれ工夫がある。
ある店では、帽子に穴が二つ開いていた。
「これ何?」
「耳を出すんですぜ」
「ああ」
言われてみれば簡単な話だった。
近くにいた子供が、ちょうど同じ形の帽子を被っている。
耳だけがぴょこんと外へ出ていた。
「……なんか可愛いな」
「朝陽も被るか?」
「俺には耳ないだろ」
「穴から髪を出せばよい」
「何のために?」
「可愛いかもしれぬぞ」
「絶対嫌だ」
「似合うかも」
「セレーネまで乗るな」
「被ってみて」
「嫌だって」
二人に勧められていると、店主まで帽子を持ってきた。
「兄ちゃん、試すだけならタダだぞ」
「店の人まで!?」
逃げた。
◇
市場を抜ける頃には、朝よりも日が高くなっていた。
人通りの多い道を進み、角を曲がる。
そこで。
俺は足を止めた。
淡い色が、風に揺れていた。
桜。
石畳の大通りに沿って、満開の桜がどこまでも続いている。
枝いっぱいに咲いた花が風に揺れ、時折、花びらが通りへ舞い落ちていた。
その向かい。
鮮やかな赤。
紅葉だった。
真っ赤に染まった葉が、桜と同じ風に揺れている。
淡い桜色と、燃えるような赤。
春と秋。
日本では別々に見ていた景色が、ひとつの大通りの中に並んでいた。
舞い上がった花びらが、落ちてきた紅葉とすれ違う。
その向こうには瓦屋根。
暖簾。
提灯。
耳や尻尾を揺らしながら歩く人たち。
遠くには、城の屋根まで見えていた。
「……綺麗だな」
自然と声が出た。
「そう?」
セレーネが俺を見る。
「うん」
それしか出てこなかった。
しばらく見ていたい。
そう思える景色だった。
「ここが《サクラ大通り》ですぜ」
ミニムスが言った。
「カグラの目抜き通り。大祭が始まりゃ、ここも人で埋まります」
道の端では、祭りに使うらしい屋台が組み立てられていた。
別の場所では大きな飾りを運んでいる。
今はまだ普段の大通り。
それでも少しずつ、祭りの気配が混じり始めている。
「これ、ずっと咲いてるのか?」
「ああ」
答えたのはシウンだった。
「桜も紅葉も、カグラでは珍しくない」
「そっか」
もう一度、見上げる。
桜の向こうに紅葉が見える。
紅葉の向こうには桜。
見慣れているはずのものなのに、見たことがない。
「気に入ったか?」
シウンが聞く。
「うん」
「そうか」
シウンが俺の隣へ並んだ。
「わたしも、この景色は好きだぞ」
「シウンでもそういうの思うんだな」
「どういう意味だ?」
「いや、もっと食い物とか酒とか――」
脇腹を小突かれた。
「痛っ」
「失礼な奴だ」
「悪かったって」
笑いながら歩き出す。
数歩進んで、ふと気づいた。
セレーネが来ていない。
振り返る。
少し後ろで、桜を見上げていた。
風が吹く。
舞い落ちた花びらが、銀色の髪に一枚だけ引っかかった。
「セレーネ」
呼ぶと、こっちを見る。
「何?」
「置いてくぞ」
「待って」
小走りで追いついてくる。
髪にはまだ花びらがついたままだ。
「ついてる」
「何が?」
「じっとして」
手を伸ばす。
髪から花びらを取った。
セレーネが俺を見る。
「……何?」
「桜」
見せる。
「そう」
それだけ言って、また歩き出す。
……なんだったんだ。
「朝陽」
少し先からシウンに呼ばれた。
「早く来い」
「ああ」
追いつくと、シウンが当然みたいに俺の腕を取った。
「お前、また」
「人が多いからな」
「さっきより全然少ないだろ」
「気にするな」
「気にするよ」
反対側から袖を引かれる。
セレーネだった。
「今度は何?」
「別に」
「じゃあなんで掴んでんの?」
「人が多いから」
「今それシウンに言ったんだけど!」
「そう」
「そうじゃなくて!」
二人とも離れない。
前を歩くミニムスの肩が震えていた。
「おい」
「何も言ってませんぜ」
「まだ俺も何も言ってねえよ」
「へへっ」
「笑ってんじゃねえか!」
桜と紅葉の下を、そんな調子で歩いていく。
◇
大通りを外れると、街の雰囲気が変わった。
道は少し細くなり、観光客らしい人も減る。
軒先には洗濯物。
縁側で茶を飲んでいる老人。
路地では子供たちが遊んでいた。
小さな獣人の子が屋根へ飛び乗り、下から母親らしい女に怒鳴られている。
「降りなさい!」
「やだ!」
「危ないでしょう!」
「平気だもん!」
そう言って隣の屋根へ飛び移った。
「うわ」
かなりの距離があったぞ。
「獣族の子供なんてあんなもんですぜ」
「いや、普通に危ないだろ」
直後。
着地に失敗して屋根を滑り落ちた。
「ほら!」
でも地面へ落ちる前に、くるりと身体を回して塀へ着地する。
何事もなかったように走っていった。
「……すげえ」
母親の怒鳴り声だけが後を追っていた。
「朝陽」
「ん?」
「あれくらいなら、わたしもできるぞ」
シウン。
「張り合うなよ」
「もっと高くてもよい」
「やらなくていい」
「飛ぶこともできる」
「知ってるよ!」
なんで子供相手に対抗心燃やしてんだ。
セレーネが横で笑っている。
「何?」
「別に」
「絶対今笑っただろ」
「笑ってない」
「笑ってたよな、ミニムス」
「オイラに振らないでくださいよ」
「そこ逃げるのかよ」
◇
ミニムスは大通りだけを案内するわけじゃなかった。
細い道へ入り、また別の道へ抜ける。
観光客向けの店が並ぶ場所。
地元の人ばかりが使う小さな店。
古い家が並ぶ一角。
小さな茶屋。
名前もないような路地。
何度か、ミニムスは街の人から声をかけられた。
「今日は案内か?」
「まあ、そんなとこですわ」
「変なとこ連れてくんじゃないよ」
「信用ありませんなぁ」
「日頃の行いだろ」
「ひどい話です」
そんなやり取りをしながら歩いていく。
「お前、本当に顔広いんだな」
「長いことこんな仕事してますからね」
「迷ったらミニムス探せばいいか」
「探すだけで料金取りますぜ」
「取るなよ」
「冗談ですって」
「お前の場合分かんないんだよ」
でも。
少しだけ分かってきた。
こいつは本当に、この街を知っている。
どの道がどこへ繋がっているか。
どの店が何を売っているか。
どこが観光客向けで、どこが地元の人間の場所なのか。
宿を紹介してくれた時もそうだった。
胡散臭い。
それは変わらない。
けど、案内役として金を取るだけのことはある。
「ミニムス」
「へい?」
「次は?」
「もうちょいです」
「どこ行くんだ?」
「着いてからのお楽しみで」
「珍しく勿体ぶるな」
「まあまあ」
細い路地を抜ける。
途端に、視界が開けた。
◇
川だった。
大きな川が、王都の中をゆっくり流れている。
その上に長い橋が架かっていた。
川沿いには桜。
その間を縫うように紅葉。
水面には淡い花びらと赤い葉が浮かび、ゆっくり流れていく。
「……すげえ」
橋へ上がる。
風が通り抜けた。
市場を歩き回って少し暑くなっていた身体に気持ちいい。
欄干へ手を置く。
川の向こうにも街が続いていた。
無数の瓦屋根。
その間から桜と紅葉が顔を出している。
さらに遠く。
街を見下ろすように、カグラ城が建っていた。
「《月見橋》」
ミニムスが隣へ来る。
「夜もいいですぜ」
「月見橋ってくらいだもんな」
「月が出りゃ、川にも映る。桜も紅葉も見える。大祭の夜なんかは特に綺麗なもんです」
「へえ……」
夜も来てみたい。
今見えている景色が、夜になったらどうなるんだろう。
「朝陽」
「ん?」
シウンが欄干へ寄りかかる。
「気に入ったようだな」
「顔に出てる?」
「ずっと出ている」
「セレーネにも言われた」
「実際、昨日からずっと楽しそう」
そのセレーネも俺の隣へ来る。
「そんなに?」
「うん」
「まあ……楽しいよ」
素直に認める。
ルイとは全然違う。
知っているものがたくさんある。
米も。
醤油も。
暖簾も。
提灯も。
桜も紅葉も。
でも、それだけじゃない。
耳や尻尾のある人たちが普通に着物を着て歩いている。
屋根を飛び回る子供がいる。
見たことのない食べ物が、知っている味付けで売られている。
桜と紅葉が、同じ風に舞っている。
知っているようで、知らない。
その感じが心地よかった。
「いい街だな」
俺が言うと、ミニムスが得意げに胸を張った。
「でしょう?」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
「長年住んでりゃ、自分の街みたいなもんです」
「それはまあ……分からなくもないけど」
「朝陽」
「ん?」
「お腹空いた」
セレーネ。
「さっき食っただろ」
「歩いたから」
「早くない?」
「わたしも腹が減ったぞ」
「シウンまで?」
「朝から随分歩いたからな」
「お前ら絶対観光より食う方が目的になってるだろ」
「そんなことはない」
「ない」
「なんでそこだけ息ぴったりなんだよ」
ミニムスが笑う。
「なら、そろそろ昼にしますか」
「もうそんな時間?」
「市場で寄り道しすぎなんですぜ」
「誰のせいだよ」
「セレーネだな」
シウンが言う。
「シウンも食べてた」
「わたしは付き合っただけだ」
「嘘」
「お前ら人のせいにするなよ」
「朝陽も食べてた」
「俺!?」
「旦那も同罪ですな」
「お前まで入ってくんな!」
笑い声が橋の上に広がった。
川から吹く風に乗って、桜の花びらが舞い上がる。
その中に、赤い紅葉が一枚混じっていた。
俺の肩に落ちる。
摘まんでみる。
赤い葉。
その向こうを、桜の花びらが流れていった。
「朝陽」
呼ばれて顔を上げる。
少し先で、三人が待っていた。
「置いていくよ」
「今行く」
紅葉を川へ放す。
ひらひらと揺れながら水面へ落ち、桜の花びらと一緒に流れていった。
まだ昼。
カグラに来てから、一日と少し。
それなのに。
この街で見てみたいものが、もういくつも増えている。
「ミニムス、昼飯も任せていい?」
「へへっ。もちろん」
「美味いところにしろよ」
「旦那、誰に言ってるんです?」
ミニムスが得意げに笑う。
「王都カグラで飯に困ったら、オイラに任せてくださいよ」
「期待してる」
「その分、案内料はいただきますぜ」
「結局金の話かよ!」
シウンが笑い、セレーネも小さく笑う。
俺たちは月見橋を渡り、そのまま昼のカグラへ歩き出した。




