第66話 たぬきのおじさん
戦いが終わっても、森に静けさが戻るまでには随分とかかった。
地面には折れた剣や槍が散らばり、ところどころに血が滲んでいる。松明に照らされた建物の壁には戦いの痕が残り、少し離れたところでは縄で縛られた男たちがクガ組の見張りを受けていた。
さっきまで聞こえていた怒号の代わりに、今は低い呻き声と、誰かを呼ぶ声が森の中を行き交っている。
俺は木箱に腰を下ろし、裂けた服の隙間から脇腹を見下ろした。
「痛っ……」
「動かないで」
「いや、今のはセレーネが強く押したからだろ」
「傷口を見るため」
「もうちょっと優しくできない?」
「できる」
「じゃあしてよ」
返事はなかった。
セレーネは俺の抗議を無視して、傷の周りについた血を水で洗い流していく。
斬られた時はもっと深いと思ったけど、こうして見ると本当に浅い。血もほとんど止まっていた。
問題があるとすれば、むしろ右腕の方だった。
動かせないほどじゃない。
けれど、力を入れると筋肉の奥が鈍く痛む。
戦っている最中に魔力を流しすぎたせいだろう。
あの時は必死だったから気にならなかったけど、落ち着いた途端、身体中から一斉に文句を言われているような気分だった。
「腕も見せて」
「こっちは斬られてないぞ」
「分かってる」
右腕を差し出す。
セレーネが手首から肩までをゆっくり確かめていく。
「……痛い?」
「そこは平気」
「ここ」
「ちょっと」
「ここは?」
「痛っ」
「ここね」
「確認の仕方が雑じゃない?」
セレーネが俺を見る。
「無茶したから」
「……はい」
何も言い返せなかった。
あれを思いついたこと自体は後悔していない。
実際、助かった。
でも最初に右腕へ流した魔力量は明らかに多すぎた。シウンにも言われた通り、あれを何度もやっていれば敵に斬られるより先に自分で腕を壊していたかもしれない。
「しばらく右腕にはやらないで」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
「……ならいい」
ようやく解放された腕を軽く回していると、少し離れたところからシウンが歩いてきた。
服には土や血がついているけど、怪我らしい怪我は見当たらない。
「朝陽。具合はどうだ?」
「見た目ほど大したことない。シウンは?」
「わたしか? 問題ない」
そう言って、シウンは腕を上げてみせる。
ついさっきまで黒い鱗に覆われていた腕は、もう普段と変わらない。
それを見ていると、また試したくなる。
あの魔力の流れ。
腕に流して、脚に流して、最後には全身へ――
「やるなよ」
「え?」
「今、試そうとしただろう」
「……なんで分かった?」
「顔を見れば分かる」
隣でセレーネまで頷いた。
そんなに分かりやすいのか、俺。
「少なくとも今日はやめておけ。お主は加減を覚える前に身体を壊しかねん」
「分かってるって」
「ならばよい」
シウンはそう言うと、俺たちの向こうへ目を向けた。
森の少し開けた場所に、救出された人たちが集まっている。
十八人。
さっきまで地下の檻に閉じ込められていた人たちだ。
毛布に包まれて座っている者もいれば、クガ組の人たちから水を受け取っている者もいる。怪我のひどい人は横になり、その傍では別の被害者が付き添っていた。
助け出せた。
十八人全員。
その事実には、ちゃんと安心している。
それでも。
素直に喜ぶ気にはなれなかった。
さっき見た名簿が頭から離れない。
線を引かれていた、いくつもの名前。
あの人たちはここにはいない。
「……なあ、シウン」
「うん?」
「こういうのって、ディアナでは多いのか?」
シウンの表情が僅かに曇った。
「わたしも外のことをすべて知っているわけではない。だが……少なくとも、当たり前であっていいことではないな」
「そりゃそうだよな」
「うむ」
それ以上は誰も言わなかった。
ディアナへ入ってから、俺はこの国を綺麗だと思っていた。
ユノハナ。
水車郷。
田畑。
茶畑。
道ですれ違う人たち。
バルカンとはまるで違う景色も、食べ物も、建物も。
どこか日本に似ているところがあって、歩いているだけでも楽しかった。
それは嘘じゃない。
でも。
それだけがこの国じゃない。
人が暮らしている以上、綺麗なものだけでできているわけじゃないんだろう。
「朝陽」
セレーネに呼ばれて顔を上げた。
「考えすぎ」
「……そう見える?」
「うん」
「今日はよく顔に出る日だな」
苦笑して立ち上がる。
まだ脇腹は痛むけど、歩くくらいなら問題ない。
救出された人たちのところへ行こうとした時、建物の方からクガとサカキが出てきた。
クガの手には、さっき見つけた書類の束が握られている。
「クガさん」
「おう」
「何か分かりました?」
「少しな」
俺たちが近づくと、クガは書類の一枚を開いた。
「ここはやっぱり、集めた人間を一旦置いとく場所じゃったらしい」
「じゃあ、ここから国外へ?」
「ああ。何人かまとめて別の連中に引き渡す。その先までは、こいつらも全部知っとるわけじゃなさそうじゃ」
「もう話したんですか?」
「喋りやすそうなんが何人かおったけぇの」
どうやって喋りやすくしたのかは聞かなかった。
聞かない方がいい気がする。
サカキが別の紙を指差した。
「今夜も移送の予定だったようです。俺たちが入った時に人数が多かったのも、それが理由でしょう」
「だから十五人とか言ってたのか……」
「おそらくは」
あの地下で聞いた会話を思い出す。
今夜、何人だ。
十五。
向こうが欲しがっている。
あと少し遅ければ。
今日助けた人たちの何人かも、あの名簿の中で線を引かれていたのかもしれない。
「で、これじゃ」
クガが別の紙を出す。
月光教の印が押された通行証。
「本物なんですか?」
「分からん」
クガは即答した。
「印そのものはよう出来とる。じゃが、本物の教徒が流しとるんか、どっかから盗んだんか、偽造しとるんか。今んところ何とも言えん」
「捕まえた人たちは?」
「末端は知らん。上の奴も口が重い」
さっきの大剣を持った男だろう。
「じゃが、名前が一つ出た」
「名前?」
「いや。人の名前じゃない。取引先を示す符丁みたいなもんじゃ」
クガが紙を折る。
「まだ裏も取れとらん。今ここでお前らに話したところで、余計な先入観持たせるだけじゃ」
「……分かりました」
「月光教についても同じじゃ」
クガの目が鋭くなる。
「これがあるからいうて、教会全部が人攫いに噛んどるなんて話にはならん。そこは間違えるな」
「はい」
俺もそのつもりだった。
バルカンで半年暮らしてきた。
月光教の教会なんて何度も見たし、普通に祈りを捧げている人たちも知っている。
勇者召喚にも関わっていた。
世界で一番大きな宗教。
だからこそ。
もし本当にその一部が関わっているなら、話は簡単じゃない。
「これからどうするんですか?」
「こいつらと証拠を役人に渡す」
「大丈夫なんですか?」
思わず聞いた。
クガが少しだけ笑う。
「全部の役人が信用できんわけじゃない。信用できる奴を選ぶだけじゃ」
「なるほど……」
「二ヶ月追っとるんじゃ。そのくらいは調べとる」
そう言われればその通りだった。
「被害者の方は?」
セレーネが聞いた。
「まず近くの町まで運ぶ。そこから身元を調べて、帰れる奴は家に帰す。帰る場所がない奴は……まあ、そっちはワシらでどうにかする」
「クガ組で?」
「ああ」
「面倒見るんですか?」
「助けた後に道端へ捨てたら、助けた意味がないじゃろ」
当たり前のように言う。
初めて会った時。
俺の首元に刃を突きつけてきた人と同じとは思えない。
いや。
あの時だって。
この人たちはずっと、捕まった人を助けるために動いていた。
「なんじゃ」
「いや……」
「言いたいことあるなら言え」
「クガさんって、見た目よりいい人なんだなって」
「お前な」
クガの眉間に皺が寄った。
サカキが僅かに顔を逸らす。
「見た目で判断すんな言うたじゃろうが」
「言われてないです」
「……言うた気がする」
「言われてないです」
「細けぇの」
そう言いながらも、本気で怒ってはいないらしい。
その時だった。
「おねえちゃん」
小さな声がした。
振り返る。
毛布を身体に巻いたウヅキが立っていた。
さっきより顔色は少し良くなっている。
セレーネがすぐに近づいた。
「歩いて大丈夫?」
「うん」
「気持ち悪いのは?」
「ちょっとだけ」
「座ってた方がいい」
「でも……」
ウヅキはセレーネの服を掴んだ。
「おねえちゃんのところ、いたい」
セレーネが黙る。
どう返すんだろうと思って見ていたら。
「……いいよ」
ウヅキの頭を撫でた。
珍しい。
セレーネが自分から誰かの頭を撫でるところなんて、初めて見た気がする。
ウヅキも少し安心したように目を細める。
そのまま俺を見た。
「……おにいちゃん」
「俺?」
頷く。
「けがしたの?」
「ああ、これ?」
裂けた服を指差す。
「大丈夫。ちょっと切っただけ」
「いたい?」
「少しだけ」
「……ごめんなさい」
「なんでウヅキが謝るんだよ」
「だって……」
白い耳が垂れる。
「わたしたちを、たすけたから」
言葉に詰まった。
何を言えばいいんだろう。
助けたくて助けただけ。
それは本当だ。
でも、俺たちだけで助けたわけじゃない。
「俺だけじゃないよ」
しゃがんで目線を合わせる。
「セレーネも、シウンも。クガさんたちもいたから助けられた」
「……うん」
「だから、ウヅキが謝ることじゃない」
「でも……」
「じゃあさ」
少し考える。
「ありがとうって言ってくれたら、それでいい」
ウヅキが俺を見る。
しばらくして。
「……ありがとう」
「うん」
それでいい。
ウヅキの耳が、ほんの少しだけ持ち上がった。
「あさひおにいちゃん」
「……ん?」
今。
名前。
「俺の名前、覚えてたの?」
「うん」
「そっか」
なんだろう。
おにいちゃんなんて呼ばれたこと、たぶん一度もない。
妙にむず痒い。
「セレーネおねえちゃん」
今度はセレーネ。
「うん」
セレーネは普通に受け入れている。
なんでそんなに馴染んでるんだ。
ウヅキは次にシウンを見た。
少し考えている。
シウンも待っている。
「……つよいおねえちゃん」
「わたしだけ雑ではないか?」
少しだけ空気が緩んだ。
その時。
ウヅキの視線が、最後にクガへ向いた。
じっと見る。
クガも見る。
「なんじゃ」
「……」
「なんじゃ?」
ウヅキの白い耳が揺れる。
「たぬきのおじさん」
沈黙。
「……」
クガが固まった。
俺も。
セレーネも。
シウンも。
サカキまで黙っている。
「……ワシか?」
ウヅキが頷いた。
「たぬきのおじさん」
「二回言わんでええ」
クガが眉間を押さえる。
「ワシ、まだ二十五じゃぞ……」
「にじゅうご?」
「まだおじさんって歳じゃねぇよ……」
さっきまで人身売買組織を相手にあれだけ怖い顔をしていた男が、本気で落ち込んでいる。
笑いそうになったけど。
今笑ったら絶対に睨まれる。
「朝陽」
シウンが小声で呼ぶ。
「なんだ?」
「あれは、おじさんではないのか?」
「本人の前で言うな」
「なぜだ?」
「気にしてるから」
「二十五で?」
「聞こえとるぞ」
「すまん」
シウンが素直に謝る。
余計にクガが複雑そうな顔になった。
ウヅキはそんなことを気にする様子もなく、クガを見上げている。
「たぬきのおじさん」
「……なんじゃ」
「みんな、たすけてくれた?」
「ああ」
「みんな?」
「ここにおった奴は全員じゃ」
「……そっか」
ウヅキが小さく笑った。
「ありがとう」
クガが黙った。
さっきまでの不満そうな顔が消える。
少しだけ困ったように頭を掻いて。
「……礼はいらん」
しゃがむ。
目線を合わせる。
「お前はこれからのことだけ考えりゃええ」
「これから?」
「ああ」
「……」
ウヅキの表情が変わった。
笑顔が消える。
それを見て。
なんとなく分かった。
「ウヅキ」
セレーネが呼ぶ。
「帰るところ、ある?」
ウヅキは答えなかった。
毛布を握る小さな手に力が入る。
しばらく待って。
ようやく。
首が横に振られた。
「……ない」
その一言が、やけに重かった。
「家族は?」
俺が聞く。
また。
首が横に振られる。
それ以上は聞けなかった。
何があったのか。
どうして一人なのか。
どこで捕まったのか。
聞こうと思えば聞ける。
でも。
今聞くことじゃない。
クガが立ち上がった。
「なら、ワシらんところに来い」
ウヅキが顔を上げる。
「……たぬきのおじさんのところ?」
「その呼び方やめぇ」
「?」
「……もうええ」
クガが諦めた。
「寝る場所と飯くらいはどうにかなる。落ち着いてから先のこと考えりゃええ」
「でも……」
「ガキが遠慮すんな」
ぶっきらぼう。
でも。
声は優しかった。
「お前一人増えたくらいで、ワシらは困らん」
サカキも頷く。
「組長がそう言ってる。心配しなくていい」
ウヅキは二人を見る。
それから。
セレーネを見た。
「おねえちゃんは?」
「わたし?」
「いっしょ?」
セレーネが黙る。
俺たちはカグラへ向かう。
その先も。
たぶん。
ずっと旅をする。
ウヅキを連れていくなんて選択肢はない。
八歳くらいの女の子。
しかも、こんな目に遭ったばかりだ。
「わたしたちは旅をしてる」
セレーネが答えた。
「ここには残らない」
「……そっか」
白い耳が下がる。
「でも」
セレーネが続ける。
「会えなくなるとは言ってない」
ウヅキが顔を上げた。
「また、あえる?」
「うん」
「ほんと?」
「たぶん」
「そこは絶対って言ってやれよ」
思わず口を挟む。
セレーネが俺を見る。
「約束できないことは言わない」
「まあ……そうだけど」
それでも。
ウヅキは少し笑った。
「じゃあ、まってる」
「うん」
「セレーネおねえちゃんも」
「うん」
「あさひおにいちゃんも」
「もちろん」
答える。
「つよいおねえちゃんも」
「シウンだ」
「しうん?」
「そうだ。シウン」
「シウンおねえちゃん」
シウンが満足そうに頷いた。
「うむ。それでよい」
ようやく名前で呼んでもらえたのが嬉しいらしい。
そして最後に。
「たぬきのおじさん」
「ワシだけ直らんのか」
今度は俺も堪えられなかった。
少し笑った。
クガに睨まれた。
「何笑っとる」
「いや、すみません」
「お前もそのうちおじさん言われるぞ」
「俺まだ十七ですよ」
「……腹立つの」
「なんでですか」
さっきまで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
それでいい気がした。
全部が終わったわけじゃない。
むしろ。
ここから調べなきゃいけないことの方が多い。
名簿に残っていた名前。
すでに国外へ運ばれた人たち。
取引相手。
そして。
月光教の印。
俺たちが見つけたのは、その入口だけなのかもしれない。
それでも。
今夜助けた十八人まで、その重さの中に埋めてしまう必要はない。
助かった。
それは。
ちゃんと喜んでいいことだ。
◇
空が白み始める頃。
森の中には何台かの荷車が集まっていた。
クガが呼んだ人たちらしい。
救出された人たちは順番に荷車へ乗せられ、怪我のひどい人から先に近くの町へ運ばれていく。
捕まえた人攫いたちは別の荷車。
武器も全部取り上げられ、手を縛られている。
証拠の書類はクガが持っていた。
「ワシらは一旦ここで動く」
「役人のところですか?」
「ああ。こいつら渡して、被害者の身元も調べにゃならん」
「俺たちは……」
「カグラ行くんじゃろ?」
「はい」
「なら行け」
クガはあっさり言った。
「いいんですか?」
「何がじゃ」
「いや、この事件……」
「お前らが最後まで付き合う必要はない」
クガが俺を見る。
「お前らにはお前らの旅があるんじゃろ」
「……はい」
「なら進め」
迷いのない言葉だった。
「気になるんだったら、カグラで耳でも立てとけ。こっちで何か分かりゃ、必要なら伝える」
「どうやって?」
「クガ組を舐めんな。カグラにも人くらいおる」
「……すごいな、クガ組」
「今さらか」
少し笑う。
「クガさん」
「なんじゃ」
「ありがとうございました」
「何が」
「色々です」
クガは少しだけ黙った。
「礼言うんはワシらの方じゃ」
「え?」
「お前らがおらんかったら、全員無傷で助けられたかは分からん」
視線が俺からセレーネ、シウンへ移る。
「特にあの地下。よう守った」
「俺、結構助けられてましたけど」
「それでもじゃ」
クガが手を出す。
握手。
少し意外だった。
俺も手を出す。
強く握られた。
「生きとったら、また会うじゃろ」
「縁起悪い言い方しますね」
「冒険者なんぞしとる奴に、絶対また会えるなんて言えるか」
「それは……まあ」
「死ぬなよ」
短い言葉だった。
それだけで。
なんとなくガイウスを思い出した。
生きて帰れ。
ルイを出る時に言われた言葉。
「はい」
今度は迷わず答えた。
「クガさんも」
「ワシは死なん」
「俺には死ぬなって言ったのに」
「ワシは別じゃ」
「なんですかそれ」
手を離す。
サカキとも短く言葉を交わした。
「世話になった」
「こっちこそ」
「組長はああいう人だ。口は悪いが、信用していい」
「聞こえとるぞ、サカキ」
「聞こえるように言いました」
「お前までなんなんじゃ今日は」
サカキの口元が僅かに緩む。
それを見て。
この二人の関係も、少しだけ分かった気がした。
「おにいちゃん!」
声。
振り返る。
一台の荷車。
その後ろから白い兎耳が見えた。
ウヅキだ。
毛布に包まれながら、荷台からこちらを見ている。
俺たち三人で近づく。
「あさひおにいちゃん」
「うん」
「セレーネおねえちゃん」
「うん」
「シウンおねえちゃん」
「覚えたな」
「うん」
嬉しそうに耳が立つ。
「またね」
「ああ。またな」
「また」
セレーネが答える。
「達者でな」
シウンも手を上げる。
ウヅキは最後に、荷車の横に立つクガを見た。
「たぬきのおじさん」
「……なんじゃ」
「いこ」
「はいはい」
もう訂正する気もないらしい。
クガが荷車へ手を掛ける。
ゆっくりと車輪が動き出した。
ウヅキが手を振る。
俺も振り返す。
白い耳が。
木々の向こうへ小さくなっていく。
見えなくなるまで。
俺たちはそこに立っていた。
「……行くか」
俺が言う。
「うん」
「ああ」
朝の光が森へ差し込んでいる。
昨夜まで。
この場所には十八人が閉じ込められていた。
今はもういない。
壊れた建物と。
戦いの跡だけが残っている。
俺は腰の剣へ触れた。
その手を離し。
今度は自分の右腕を見る。
少し痛む。
でも。
昨日まで知らなかった戦い方を、俺は知った。
人を斬る怖さも。
助けられなかった人がいるという現実も。
助けられた人がいることも。
全部。
ここに残していくんじゃない。
持ったまま進む。
「カグラまで、あとどのくらいだっけ」
「寄り道しなければ、そこまで遠くない」
セレーネが答える。
「寄り道しなければ、か」
「朝陽には難しい」
「俺だけのせいみたいに言うなよ」
「大体お主ではないか?」
「シウンまで?」
シウンが笑う。
セレーネも僅かに口元を緩めた。
俺も笑った。
道へ戻る。
三人で。
次の場所へ。
王都カグラへ向かって。




