第65話 身体を巡る力
剣と剣が噛み合った瞬間、耳を刺すような金属音が地下室に響き渡った。
重い。
腕だけで受けたはずの衝撃が肩を抜け、背中まで突き抜けてくる。歯を食いしばって踏ん張ったが、湿った床の上を靴底がじりじりと滑った。
目の前の男は、俺より一回りは大きい。鍔迫り合いの向こうで歯を剥き、力任せに剣を押し込んでくる。
後ろへ下がりたい。
けれど、下がれない。
背後には、まだ逃げ切れていない人たちがいる。
「この……っ!」
痺れる腕に力を込めた、その時だった。
「朝陽、下がって!」
セレーネの声が飛んだ。
咄嗟に膝を折る。
直後、頭上を水の槍が駆け抜けた。
俺と押し合っていた男が慌てて身体を引く。青白い水の槍はその胸元を掠め、階段から続いて降りてきた別の男が構えていた剣を正面から叩いた。
甲高い音とともに剣が跳ね上がる。
その一瞬で十分だった。
踏み込む。
斬らない。
剣を返し、柄頭を男の鳩尾へ叩き込んだ。
「ぐっ……!」
身体が折れたところへ、もう一度。今度は顎を打ち抜く。
男の膝から力が抜け、そのまま床へ崩れ落ちた。
生きているかどうかを確かめる余裕はなかった。
階段を駆け下りてくる足音が途切れない。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
「商品を外へ出すな!」
怒号が地下室を満たしていく。
――商品。
その言葉を聞くたび、腹の底に黒いものが溜まっていく。
けれど怒りに任せて前へ出れば、危険に晒されるのは俺だけじゃない。
「急げ! 歩ける奴から外へ!」
サカキの声が響いた。
振り返れば、地下室の奥では捕まっていた獣人たちが次々と小さな脱出口へ向かっている。
まともに歩ける人ばかりじゃない。
足を引きずる者。肩を借りなければ立てない者。薬が残っているのか、意識が朦朧としている者。
怯えて足を止める人をサカキが前へ促し、そのさらに後ろではシウンが怪我人を支えている。
あの白い兎耳の女の子――ウヅキもまだいる。
全員が逃げ切るまで、ここを通すわけにはいかない。
「横から来る!」
クガの声に反応して身体を捻った。
視界の端で刃が光る。
短剣だった。
避け切れない。
上体だけを捻った直後、脇腹に熱が走った。
「っ……!」
服が裂ける。
浅い。
そう判断するより早く短剣を持つ手首を掴み、身体ごと引き寄せる。男が前のめりになったところへ膝を叩き込み、そのまま突き放した。
だが、一人に意識を取られた。
正面から斧が迫っていた。
受けるしかない。
剣を両手で構える。
直後、腕が千切れそうな衝撃が走った。
「ぐっ……!」
膝が沈む。
重い。
そのまま押し潰されそうになった瞬間、横から影が飛び込んできた。
クガだった。
男の脇腹へ鋭い蹴りが突き刺さる。斧の軌道が僅かに逸れた。
その隙に剣を外し、踏み込む。
男がこちらを見た時には、もう遅い。
剣の柄をこめかみへ叩き込んだ。
鈍い感触。
男が床へ倒れる。
「前ばっか見んな!」
「すみません!」
「謝る暇があるなら周り見ぃ!」
言い終わる前に、クガは別の男へ向かっていた。
その動きには迷いがない。
相手が剣を振り上げれば懐へ潜り込み、手首を取る。肘を折り畳むように捻り、武器を落とさせ、そのまま顎を打つ。
刃物を持っているのに、ほとんど刃を使わない。
殺すためじゃない。
確実に戦えなくするための動きだった。
見ている暇はない。
次が来る。
地下室は狭い。そこへ十人以上の人間が押し込まれ、剣や斧を振り回している。
敵。
クガ組。
逃げる獣人たち。
怒鳴り声。
泣き声。
靴が床を蹴る音。
武器同士がぶつかる音。
狭い空間のすべてが入り混じり、少しでも視野を狭めれば何が起きているのか分からなくなる。
それでも。
一つだけ。
後ろだけは何度も確認した。
残っている人が、少しずつ減っている。
あと十人ほど。
まだだ。
まだここを抜かせるわけにはいかない。
「朝陽!」
セレーネの声。
右から剣が来る。
身体を引いた。
刃が鼻先を通り過ぎる。
反撃しようと剣を上げ――そこで、止まった。
相手の首が見えた。
今。
ここから振れば。
斬れる。
その事実を身体が理解してしまった。
途端に。
あの日の感触が蘇った。
街道。
振り下ろされようとしていた刃。
俺が踏み込んだ。
剣が人の身体へ入った。
肉を断った感触が、手の中へ戻ってくる。
「――っ」
ほんの一瞬だった。
でも、戦っている最中の一瞬は長すぎた。
男の膝が腹へ突き刺さった。
「ぐっ……!」
息が抜ける。
身体が折れたところへ剣が振り下ろされる。
床を蹴った。
転がる。
さっきまで頭があった場所へ刃が叩きつけられた。
「朝陽!」
「大丈夫……!」
腹を押さえながら立ち上がる。
大丈夫じゃない。
痛い。
怖い。
目の前にいるのは魔物じゃない。
人だ。
殺そうと思えば殺せる。
殺されるかもしれない。
それを、もう知っている。
だからこそ怖かった。
でも。
男の後ろ。
怯えながら出口へ向かう獣人たちが見える。
ここで俺が止まれば。
次にあの剣が向くのは、あの人たちだ。
だったら。
殺す必要はない。
あの時とは違う。
今はまだ、選べる。
男が踏み込んでくる。
今度は止まらなかった。
振り下ろされた剣を斜めに受け、力を横へ逃がす。
身体ごと前へ。
相手の手首へ剣の腹を叩きつける。
「ぐっ!」
武器が落ちる。
肩を掴んで引き寄せ、その勢いのまま壁へ叩きつけた。
男の後頭部が木板にぶつかり、身体から力が抜ける。
ゆっくり床へ崩れていった。
「……はぁ」
殺していない。
それでいい。
今は。
そうやって戦えばいい。
息を整える暇もなく、背後で鋭い金属音が鳴った。
振り返る。
「シウン!」
逃げ遅れた男を抱えていたシウンへ、槍が突き出されていた。
避けられるはずだ。
シウンなら。
でも避けなかった。
背後には、まだ自力で動けない獣人がいる。
シウンはその場に踏み止まり、左腕を槍の前へ差し出した。
その瞬間。
見えた。
魔力が動いた。
身体の奥から腕へ向かって、一気に何かが流れ込む。
直後、白い肌の上を黒い鱗が覆った。
槍がぶつかる。
甲高い音が響いた。
「なっ……」
男の顔が引きつる。
槍の穂先は、シウンの腕に傷一つ付けていない。
「退け」
シウンの声が低くなる。
今度は脚。
また。
魔力が動く。
太腿から脛へ。
黒い鱗が浮かび上がった瞬間、床板が軋んだ。
一歩。
ただそれだけだった。
なのに男との距離が消えた。
蹴りが腹へ突き刺さり、男の身体が宙へ浮く。そのまま壁まで吹き飛び、激しい音を立てて叩きつけられた。
前にも見た。
雷獣との戦いで。
あの時はただ、龍族だからできることだと思っていた。
鱗。
異常な力。
俺には関係ない。
そう思っていた。
でも。
今は近い。
目の前で見た。
鱗が生えるより先に、魔力が動いていた。
腕へ。
脚へ。
必要な場所へ。
魔力を集めている。
「朝陽!」
我に返る。
男が迫っていた。
剣を受ける。
押される。
腕が痺れる。
けれど。
頭から離れない。
俺は普段、魔力を外へ出している。
集める。
属性へ変える。
形を作る。
放つ。
《イグニス》も。
《アクアランス》も。
《グランドスパイク》も。
最後には必ず、自分の身体から離れていく。
だったら。
その前で止めたら。
外へ出さず。
自分の中に残したら。
魔力を右腕へ集める。
魔法を作る時と同じように。
でも、属性には変えない。
形も作らない。
ただ。
腕へ。
「……っ!」
瞬間。
内側から筋肉を無理やり押し広げられたような感覚が走った。
熱い。
痛い。
明らかに多すぎる。
それでも。
目の前の剣を押した。
「おおっ!」
「な――」
男の表情が変わった。
さっきまで押されていたはずの剣が、一気に戻る。
相手の腕ごと跳ね上がった。
できた。
そう思った直後。
右腕に鋭い痛みが走った。
「いっ……!」
魔力が散る。
力が抜けた。
まずい。
剣が迫る。
その間へ、土の壁が突き上がった。
刃がぶつかり、岩片が飛び散る。
「何してるの」
セレーネが俺の横へ入った。
「……ちょっと試した」
「戦ってる時に?」
「今しか試せない」
「壊したら意味ない」
淡々と言いながら、セレーネは男へ手を向けた。
床板の隙間から伸びた蔓が足へ絡みつき、体勢を崩したところへ風の刃が走る。剣を握っていた袖が裂け、男が怯んだ。
その隙に踏み込んだ。
今度は魔力を使わない。
剣の柄を鳩尾へ叩き込み、男を沈める。
「……助かった」
「無茶しないで」
「分かってる」
「分かってない顔してる」
セレーネはそれ以上言わず、すぐに別の方向へ向き直った。
俺も右腕を軽く振る。
痛い。
でも動く。
間違っていたわけじゃない。
量だ。
シウンと同じ量じゃ駄目なんだ。
あいつは龍族。
俺は人間。
だったら俺の身体が耐えられる量を探せばいい。
「朝陽! 後ろだ!」
シウンの声。
振り向く。
短剣。
避ける。
頬を掠めた。
距離を取る。
次は。
腕じゃない。
脚。
ほんの少し。
さっき腕へ流した量より、ずっと少なく。
両脚へ魔力を送る。
地面を蹴った。
「――っ!?」
景色が一気に近づいた。
想像以上だった。
上半身だけが前へ持っていかれたような感覚。
足が追いつかない。
危うく転びかけ、無理やり二歩目を踏んで体勢を立て直す。
でも。
距離が消えていた。
さっきまで数歩先にいた男が、もう目の前にいる。
向こうも驚いていた。
その一瞬に、剣の柄を腹へ叩き込む。
男が折れる。
顎。
二撃目。
倒れた。
「……今のは多い」
息を吐く。
でも。
腕の時とは違う。
痛みはない。
加減できる。
もう一度。
今度はもっと薄く。
魔力を脚へ。
踏み出す。
身体が前へ出る。
速い。
でも今度は足が追いついた。
止まれる。
曲がれる。
使える。
胸の奥に小さな手応えが生まれた、その時。
「全員出た!」
サカキの声が地下に響いた。
振り返る。
脱出口の向こう。
最後の人質が森へ出ていく。
「十八人! 全員です!」
「よし!」
クガが目の前の男の腕を捻り上げ、そのまま床へ叩き伏せた。
「ここに残る意味はない! 上へ出るぞ!」
その通りだった。
地下に閉じ込められれば、いずれ数で押し潰される。
今までは人質がいたから派手に動けなかった。
もう違う。
「シウン!」
「ああ!」
先頭に立ったシウンが階段を駆け上がる。
上から二人の男が剣を向けた。
「止まれ!」
一人目が振り下ろす。
シウンの腕を黒い鱗が覆う。
刃を受け止め、そのまま外へ弾く。
もう一人が脇腹を狙う。
今度は脚。
魔力が集中する。
踏み込む。
拳が男の腹へめり込んだ。
呻き声とともに身体が階段の上へ吹き飛ぶ。
「今だ!」
クガが駆け上がる。
俺たちも続いた。
地上へ出た瞬間、空気が変わった。
地下の狭さとは違う。
夜の森全体が騒乱に包まれていた。
松明の炎が揺れている。
怒号が飛び交い、柵の向こうでは馬がいななき、門の近くではクガ組の男たちと人攫いが入り乱れている。
人質たちは森の奥へ。
サカキが数人を引き連れ、その後方へ逃がしている。
「追え!」
敵の一人が叫んだ。
「逃がすな!」
人質の方へ走る。
遠い。
普通に追えば間に合わない。
――脚。
魔力を流す。
さっきより薄く。
地面を蹴った。
身体が前へ押し出される。
今度は崩れない。
もう一歩。
さらに距離が縮む。
敵がこちらに気づいて振り返った。
「なっ……!」
追いついた。
振り向きざまに剣が来る。
右腕へ魔力。
さっきの半分以下。
剣を合わせる。
衝撃。
耐えられる。
痛くない。
押し返す。
相手の体勢が崩れる。
脚へ流す。
踏み込む。
柄を腹へ。
「ぐっ!」
男が折れた。
そのまま顎を打つ。
倒れる。
できる。
腕。
脚。
必要な瞬間だけ。
まだぎこちない。
考えなければ使えない。
それでも、さっきまで届かなかった場所へ届いた。
人質へ向かっていた敵を止められた。
その事実が、何より大きかった。
「朝陽!」
声に振り向く。
今度はセレーネの側へ三人が迫っていた。
その前に太い根が地面を割って伸び、敵の進路を塞ぐ。
一人が飛び越えようとした瞬間、横殴りの風が身体を崩した。
そこへ水の槍。
男の剣が弾き飛ばされる。
セレーネは一つの属性に拘ることなく、その場で必要な魔法を淡々と使い分けていた。
俺も走る。
脚へ魔力。
踏み込む。
今度は迷わない。
風に体勢を崩された男の懐へ入り、武器を持つ腕を剣の腹で叩いた。
剣が落ちる。
もう一人。
横から短剣。
右腕へ魔力を流して受ける。
押し返す。
今までなら力負けしていた。
今は違う。
ほんの少し。
それだけでいい。
足りなかった分だけを、魔力で補う。
それだけで戦い方が変わる。
敵の懐へ入る。
肩を当てる。
体勢を崩し、足を払う。
男が地面へ倒れた。
その背後。
気づくのが遅れた。
蹴りが背中へ入る。
「ぐっ!」
身体が前へ飛ぶ。
咄嗟に受け身を取った。
転がりながら立ち上がる。
痛い。
けれど、さっきまでとは違う感覚があった。
蹴られる直前。
無意識に背中へ魔力を回していた。
シウンの鱗のように攻撃を止められたわけじゃない。
それでも、衝撃が僅かに軽くなった。
腕だけじゃない。
脚だけでもない。
身体全部。
魔力を流せる。
普段、魔法を使う時だって、魔力は身体の中を通って手へ集まる。
だったら。
出口を作らなければいい。
属性へ変えず。
外へ放たず。
全身を巡らせる。
息を吸った。
胸の奥へ意識を向ける。
魔力を集める。
そこから。
肩。
腕。
背中。
腰。
脚。
一か所へ押し込むんじゃない。
薄く。
血が身体を巡るように。
「……っ」
熱い。
でも痛くない。
身体の輪郭がはっきりしたような、不思議な感覚だった。
指先。
足裏。
剣を握る掌。
全部が少しだけ近くなる。
男が来る。
剣。
今までより動き出しが見える。
いや。
相手が遅くなったわけじゃない。
俺が反応できる。
身体をずらす。
刃が肩の横を抜ける。
相手が剣を戻すより先に、一歩入る。
脚へ少しだけ多く流す。
距離が縮む。
腕。
剣を押し上げる。
相手の手が開く。
柄を腹へ叩き込む。
男が膝をついた。
背後からもう一人。
振り向く。
間に合う。
剣を受ける。
衝撃が来る瞬間だけ、腕へ。
弾く。
相手が驚く。
その顔が見えた。
今度は脚。
一歩。
懐。
肩を掴み、勢いのまま地面へ投げる。
「……はぁ……っ」
呼吸が荒い。
魔力の減りも早い。
全身へ流し続けているだけで、少しずつ削られていく。
長くは使えない。
それでも。
今までの俺とは違う。
「朝陽!」
シウンの声が聞こえた。
そちらを見る。
大柄な男が振り下ろした大剣を、シウンが両腕で受け止めていた。
黒い鱗。
凄まじい衝撃に地面が沈む。
その姿を見て。
今なら分かる。
俺が真似したのは龍化じゃない。
あれは真似できない。
俺が拾ったのは、その手前。
魔力を必要な場所へ運ぶという技術だけだ。
「シウン!」
「なんだ!」
大剣を押し返しながらシウンが叫ぶ。
「龍化する時、魔力を腕とか脚に集めてるよな!」
「今聞くことか!?」
「確認したい!」
シウンが大剣を弾き、男の胸へ蹴りを放つ。
男が数歩下がった。
「流しているだけだ!」
「やっぱり!」
「何がやっぱりなのだ!」
それで十分だった。
考え方は間違っていない。
ただし。
俺の身体で。
俺が耐えられる量で。
それを覚えればいい。
「何をごちゃごちゃ喋ってやがる!」
大剣の男が怒鳴った。
他の連中とは明らかに違う。
首に太い傷。
大柄な身体。
人間一人くらいなら簡単に両断できそうな大剣を、片手で持ち上げている。
シウンの攻撃を受けても倒れていない。
「誰だ、てめぇら」
クガが前へ出た。
「クガ組じゃ」
男の眉が動く。
「……クガ?」
「二ヶ月も嗅ぎ回っとったんは、お前らか」
「気づいとったんか」
「途中からな」
男が笑う。
「潰しときゃよかったぜ」
「できたならの」
低い声がぶつかる。
周囲ではまだ戦いが続いている。
でも。
この男を中心に、空気が変わった。
「商品は?」
男が辺りを見回した。
「逃がしたのか」
俺の剣を握る手に力が入る。
「商品じゃない」
口から出ていた。
男の目が俺へ向く。
「なんだ、ガキ」
「人だろ」
一瞬。
男が黙った。
それから鼻で笑う。
「金になるなら商品だ」
「……」
「獣人なんざ欲しがる奴はいくらでもいる。若い女も、ガキも、力のある男もな。使い道なんざ――」
「黙れ」
クガの声だった。
大きくない。
なのに。
男の声が止まった。
「それ以上喋んな」
「なんだ?」
「今、ワシが殺したくなる」
クガは怒鳴らなかった。
だから余計に。
本気だと分かった。
「兄貴!」
森からサカキが戻ってきた。
「人質は全員下げました! 怪我人も組の連中が見てます!」
「追手は?」
「こっちに残ってる奴で全部です!」
「……そうか」
クガが短刀を構え直す。
「なら、もう守りながら戦う必要はないの」
大剣の男も笑みを消した。
「全員殺せ!」
残っていた男たちが一斉に動いた。
空気が爆ぜる。
クガとサカキが前へ出る。
シウンの腕を黒い鱗が覆う。
セレーネの周囲へ魔力が集まる。
俺も剣を構えた。
来る。
槍。
真正面。
全身へ流していた魔力を、脚へ少しだけ寄せる。
踏み込む。
突き出された穂先が頬の横を抜けた。
相手の懐。
腕へ。
剣を下から打ち上げる。
槍が跳ねる。
そのまま柄を腹へ。
「ぐっ!」
倒れない。
強い。
男が槍を短く持ち直す。
横薙ぎ。
今度は受けない。
脚へ。
一歩下がる。
穂先が空を切る。
戻る。
踏み込む。
手首。
剣の腹。
槍が落ちる。
男が拳を振るう。
肩で受ける。
痛い。
でも止まらない。
柄を顎へ叩き込んだ。
男が倒れる。
息を吐いた時、視界の向こうで炎が上がった。
敵の魔法使い。
火球。
セレーネへ飛ぶ。
セレーネは動かなかった。
水が正面へ立ち上がり、炎を呑み込む。
蒸気が広がる。
その白い幕の向こうから敵が飛び込んできた。
足元から蔓が伸びる。
絡む。
男が転ぶ。
別方向から迫った一人には風が叩きつけられ、さらにその背後を土の杭が塞いだ。
炎が晴れる頃には、セレーネはもう次の相手を見ていた。
迷いがない。
どの属性を使うかなんて考えているようにも見えない。
必要だから使う。
ただそれだけ。
俺も目の前へ戻る。
大剣の男。
シウンとぶつかっている。
振り下ろされた大剣をシウンが鱗の腕で受けるたび、地面が震える。
それでも。
シウンが押し切れない。
「シウン!」
「来るな!」
大剣が横へ薙がれた。
シウンが後退する。
刃が近くの木へ食い込み、幹の半分近くを抉った。
あれは。
まともに受けたら駄目だ。
「セレーネ」
「うん」
言葉はそれだけで足りた。
セレーネが手を向ける。
男の足元から蔓が伸びる。
大剣を振って断ち切る。
その瞬間。
地面が盛り上がった。
岩の杭。
男が横へ飛ぶ。
体勢が崩れる。
「シウン!」
「分かっている!」
黒い鱗が脚を覆う。
地面を蹴った。
一瞬で距離を詰める。
拳。
男が大剣の腹で受けた。
轟音。
大剣が大きく外へ流れる。
今。
俺も走った。
脚へ魔力。
距離を詰める。
男の脇。
無防備。
剣を振れば。
斬れる。
また。
一瞬だけ。
腕が止まった。
男の肘が飛んできた。
「――っ!」
顔面。
衝撃。
視界が揺れた。
身体が地面へ転がる。
「朝陽!」
セレーネの声が遠い。
口の中に鉄の味。
立て。
腕をつく。
大剣の男がこちらを見ていた。
「戦場で止まるなよ、ガキ」
分かってる。
そんなこと。
でも。
怖い。
まだ。
人を斬るのが。
あの感触をもう一度味わうのが。
「朝陽」
セレーネが俺の前へ入った。
「下がってて」
「……嫌だ」
「でも」
「できる」
立つ。
剣を握る。
まだ指は震えている。
それを隠さない。
「殺さなくていい」
セレーネが言った。
見る。
「倒せばいい」
静かな声だった。
「今は、それでいい」
胸の奥に残っていたものが、少しだけ解けた。
怖くなくなる必要なんてない。
忘れる必要もない。
俺が殺したことも。
あの時、生かす方を選んだことも。
全部持ったまま。
今できることをすればいい。
「……うん」
大剣の男を見る。
殺さない。
でも。
止める。
「シウン!」
「なんだ!」
「もう一回正面から頼む!」
シウンが俺を見る。
一瞬。
それから。
「任せろ!」
地面を蹴った。
両腕。
黒い鱗。
男も大剣を振り上げる。
「何度来ても同じだ!」
振り下ろす。
シウンが正面から受けた。
轟音。
地面が割れる。
シウンの膝が沈む。
「ぐ……!」
それでも離さない。
「セレーネ!」
「分かってる!」
大量の水が横から押し寄せた。
男の足を攫う。
「なっ――!」
体勢が崩れる。
大剣に掛かっていた力が抜ける。
シウンが押し返した。
「今だ!」
走る。
魔力。
全身。
薄く。
脚。
増やす。
一歩。
距離が消える。
男の横。
狙うのは身体じゃない。
手。
剣の腹を叩きつける。
「ぐっ!」
まだ離さない。
もう一度。
右腕へ。
魔力。
多すぎない。
今の俺が耐えられるだけ。
「はあっ!」
柄を手首へ叩き込んだ。
大剣が落ちる。
重い音。
男の目が見開かれる。
「てめ――」
踏み込む。
剣は返さない。
柄頭。
鳩尾。
魔力を乗せる。
「がっ……!」
男の身体が折れた。
「シウン!」
「退け!」
掌底。
胸。
シウンも加減している。
それでも大柄な身体が地面を滑り、木の根元まで吹き飛んだ。
立とうとする。
その首筋へ。
短刀。
「終わりじゃ」
クガだった。
「動くな」
「……」
「次は切る」
男の動きが止まる。
「サカキ!」
「はい!」
縄を持ったサカキが駆け寄る。
腕を後ろへ。
縛る。
大剣を遠くへ蹴り飛ばす。
周囲を見る。
まだ戦っている者は。
少ない。
クガ組の男たちが一人ずつ押さえていく。
森へ逃げようとする影。
一人。
「逃がすな!」
クガの声。
俺が走った。
全身に残した魔力。
脚へ。
今までで一番自然に動いた。
身体が前へ出る。
速い。
でも怖くない。
制御できる。
木を避ける。
男が振り返る。
短剣を投げる。
見えた。
身体を僅かにずらす。
刃が頬の横を通り抜ける。
距離を詰める。
男が剣を抜いた。
受ける。
腕へ魔力。
弾く。
脚。
一歩。
懐。
柄を腹へ。
男の身体が折れる。
もう一度。
顎。
倒れた。
そこで。
魔力を止めた。
「……っ」
全身が一気に重くなる。
膝をついた。
息が上がる。
身体が熱い。
腕も脚も細かく震えていた。
使える。
でも。
まだ長くは無理だ。
ずっと魔力を流し続けるだけで消耗する。
量を間違えれば身体を痛める。
集中も必要だ。
完成には程遠い。
それでも。
今までなら届かなかった。
逃げる男には追いつけなかった。
重い一撃を受ければ押し負けていた。
一歩。
ほんの一歩。
足りなかったところへ。
届くようになった。
「朝陽!」
セレーネが駆けてくる。
「平気?」
「……うん」
「本当?」
「今回は本当」
差し出された手を掴んで立ち上がる。
そこへシウンも来た。
「先ほどの動きはなんだ?」
「……シウンの真似」
「わたしの?」
「部分的に龍化する時、魔力を腕とか脚へ流してただろ」
「ああ」
「あれ見て思いついた」
自分の右腕を見る。
「鱗は無理だけど、魔力を身体に流すだけなら俺にもできるかなって」
シウンが黙った。
俺の腕。
脚。
そして顔を見る。
「見ただけで試したのか?」
「何回か失敗したけど」
「……お主は」
何か言いかける。
でも。
シウンは小さく息を吐いただけだった。
「同じつもりで使うな」
「え?」
「わたしは龍だ」
腕を覆っていた黒い鱗が消えていく。
「龍の身体は魔力を通すことに慣れている。お主の身体とは違う。同じ量を流せば、先に身体が壊れるぞ」
最初に痛めた右腕を見る。
「……うん。それは分かった」
「なら、自分が耐えられる量を覚えろ」
「分かった」
「すぐに使いこなせると思うなよ」
「そこまでは思ってない」
「ならいい」
シウンが頷いた。
戦いは終わった。
そう実感した途端、さっきまで遠くに聞こえていたものが戻ってくる。
怪我人の呻き声。
拘束される男たち。
クガ組が互いの無事を確認する声。
森の奥では、救出された人たちが身を寄せ合っていた。
「兄貴」
サカキが大剣の男の懐を探っている。
「これを」
取り出したのは、何枚かの紙だった。
クガが受け取る。
一枚。
見覚えのある形式。
通行証。
そして。
その下に押された印。
月光教。
もう一枚。
クガの顔が険しくなった。
「……名簿じゃ」
「名簿?」
近づく。
名前。
年齢。
種族。
紙いっぱいに並んでいた。
横には数字。
意味を聞く必要はなかった。
今日助けた十八人。
それだけじゃない。
何人もの名前に線が引かれている。
「この人たちは……」
誰もすぐには答えなかった。
クガが紙を握る。
「もう運ばれた奴らじゃろうな」
「国外に?」
「ああ」
紙の上に並ぶ名前。
知らない人たち。
顔も知らない。
それでも。
あの地下室にいた人たちと同じように、どこかで捕まった。
連れてこられた。
そして。
売られた。
「二ヶ月で……こんなに」
「ここだけじゃないかもしれん」
サカキが低く言った。
クガも否定しなかった。
今回潰したのは、一つの集積場所。
そう言っていた。
ここが全部だという保証はない。
「また月光教の印……」
セレーネが通行証を見る。
「ああ」
クガが答える。
「これで二枚目じゃ」
「本物なんですか?」
「まだ分からん」
クガははっきりと言った。
「じゃが、偶然で片づけるには出来すぎとる」
大剣の男へ視線を落とす。
「こいつに聞く」
「話しますかね」
「話してもらう」
声は静かだった。
「誰に人を渡しとったか。どこへ運んどったか。この印を誰から手に入れたか」
縛られた男は睨み返すだけで、何も言わない。
「今はそれでええ」
クガが紙を畳んだ。
「時間はある」
それ以上は聞かなかった。
聞かない方がいい気もした。
その時。
森の奥で白いものが動いた。
兎耳。
「……ウヅキ」
毛布を肩から掛けた女の子が、クガ組の男に支えられながら立っていた。
まだ顔色は悪い。
足元も覚束ない。
それでも。
自分の足で立っている。
ウヅキがこちらを見る。
俺。
シウン。
そして。
セレーネを見つけた。
白い耳が僅かに上がった。
「おねえちゃん……」
セレーネが振り返る。
「ウヅキ」
女の子が歩いてくる。
ふらつく。
セレーネがすぐに近づいた。
「無理しないで」
「……だいじょうぶ」
「気持ち悪くない?」
「ちょっと……」
薬がまだ残っているんだろう。
セレーネがしゃがむ。
ウヅキの小さな手が、その服を掴んだ。
「……たすかった?」
「うん」
「みんな……?」
セレーネがクガを見る。
クガが頷いた。
「ここにおった奴は全員じゃ」
セレーネはもう一度ウヅキへ向き直る。
「みんな助かった」
「……」
白い耳が震えた。
ウヅキの目から涙が落ちる。
泣き声はなかった。
ただ、力が抜けたようにセレーネの胸へ顔を押しつける。
セレーネは一瞬だけ戸惑ったように見えた。
それでも。
小さな背中へ静かに腕を回した。
「大丈夫」
さっきまで戦っていた時とはまるで違う声だった。
「もう大丈夫」
その光景を見ながら。
俺は自分の手へ目を落とした。
震えは。
もう止まっていた。
人を斬るのは、まだ怖い。
たぶん。
次も怖い。
でも。
怖くなくなる必要なんてないのかもしれない。
人を斬ることを何とも思わなくなる方が、俺にはずっと怖かった。
「朝陽」
セレーネに呼ばれた。
「ん?」
「怪我」
「ああ……」
脇腹。
すっかり忘れていた。
服が裂け、血が滲んでいる。
「浅いよ」
「見せて」
「本当に浅いって」
「見せて」
「……はい」
逆らっても無駄だ。
傷口を確認したセレーネが水を出す。
そこで。
ふと気づいた。
水。
少し前には、土。
その前には風。
蔓も使っていた。
戦っている最中は考える余裕がなかった。
でも今思い返すと。
「……セレーネ」
「なに?」
「お前、他の属性も使えたの?」
「使える」
あっさり。
「風と木も?」
「うん」
「……聞いてないんだけど」
「聞かれてない」
「クガさんに火と水と土って言ってたじゃん」
「得意なのを聞かれたから」
「……」
そうだったか。
思い返す。
確かに。
何属性使えるか、とは聞かれていなかった。
「じゃあ他にも?」
「使える」
「何が?」
セレーネは少しだけ考えた。
「いろいろ」
「いろいろって」
「いろいろ」
それ以上答える気はないらしい。
「……いつかちゃんと聞くからな」
「そのうち」
いつもの調子で返される。
それ以上は追わなかった。
今は。
聞かなきゃいけないことが他にある。
消された名前。
月光教の印。
国外へ売られていった人たち。
この場所を潰しただけでは終わっていない。
それでも。
森の中。
毛布に包まれた人たちを見る。
寄り添う者。
泣いている者。
ようやく緊張が切れたのか、その場へ座り込んでいる者。
そして。
セレーネの腕の中で目を閉じかけている、小さな白い兎耳の女の子。
少なくとも。
今日ここにいた十八人は。
連れていかれずに済んだ。
右手を握る。
まだ少しだけ重い。
身体へ魔力を流す。
巡らせる。
必要な場所へ集める。
シウンの戦い方から拾った、たった一つの発想。
まだ名前すらない。
長く使えばすぐに息が上がる。
量を間違えれば、自分の身体を壊す。
それでも。
今まで届かなかった場所へ。
あと一歩足りなかったところへ。
今日の俺は、確かに届いた。




