第62話 残された荷車
翌朝。
宿を出る前に、俺たちは小さな役場へ寄ることにした。
昨日の女将から聞いた話が、どうしても引っかかっていたからだ。
「本当に行くのか?」
朝飯を食べながら、シウンが聞いてきた。
「話を聞くだけだよ」
「昨日も同じことを言っていたな」
「情報収集だから」
「それで何か分かったら?」
「その時考える」
「つまり首を突っ込むのだろう?」
「……否定できない」
セレーネが味噌汁を飲みながら頷いた。
「朝陽だから」
「最近それ便利に使ってない?」
「便利」
「認めたよ」
まあいい。
俺だって、何でもかんでも助けて回れるなんて思っていない。
この世界へ来て半年。
そんなことができるほど、世界が単純じゃないことくらい分かっている。
それでも。
手の届くところに何かあるなら。
見て見ぬふりをするのは、やっぱり苦手だった。
◇
宿場の役場は小さかった。
日本なら公民館と言われても納得するくらいの木造建築で、中には机がいくつか並んでいる。
朝陽たちが事情を話すと、受付にいた狸系の獣人の男は困ったように眉を寄せた。
「冒険者か?」
「はい」
冒険者証を出す。
男が確認する。
「Dランク……バルカン登録か。随分遠くから来たな」
「旅の途中です」
「それで行方不明者の件を?」
「昨日、この辺りで多いって聞いたので」
男は少し迷った。
それから席を立つ。
「待ってろ」
奥へ消える。
戻ってきた時には、何枚もの紙を抱えていた。
「……こんなに?」
机に並べられた紙を見る。
十枚どころじゃない。
「この宿場だけじゃない。周辺の村や町から回ってきた分も含んでる」
「いつからです?」
「はっきり増え始めたのは二ヶ月ほど前だな」
昨日の女将と同じ話だ。
年齢。
種族。
性別。
一人ずつ違う。
でも、やっぱり若い獣人が多い。
「全員この近くで?」
「いや。範囲は広い」
男が地図を広げた。
いくつかの場所に印が付いている。
「最初はバラバラだと思われてた。魔物に襲われた奴もいるだろう、夜道で盗賊にやられた奴もいるだろうってな」
「でも違った?」
「分からん」
男は首を振った。
「証拠がない」
セレーネが地図を見ている。
「街道沿いが多い」
「そうだ」
「一人で移動してた人?」
「それも多い」
「荷物が残ってる人も?」
「ああ」
男が俺たちを見る。
「昨日も一件あった」
「昨日?」
「ここから半日ほど行った街道脇で、荷車が見つかった」
思わず身を乗り出す。
「人は?」
「いない」
「荷物は?」
「そのまま」
「場所、教えてもらえますか?」
「おい」
男の顔が険しくなる。
「まさか見に行くつもりか?」
「近いなら」
「Dランクだろう」
冒険者証を見る。
「何がいるかも分かってない。妙な真似はするな」
「分かってます」
「分かってる奴の顔じゃないな」
シウンが小さく笑った。
「やはり顔に出るらしいぞ」
「今それ言う?」
役場の男がため息をつく。
「……場所だけ教える。何か見つけたら戻って報告しろ。追いかけたりするなよ」
「はい」
「本当に分かってるか?」
「はい」
信用されていない。
当然か。
◇
「絶対に追うなと言われたな」
宿場を出てしばらく。
シウンが楽しそうに言った。
「聞いてたよ」
「守るのか?」
「場合による」
「ほらな」
「まだ何も見つけてないだろ」
街道を歩く。
場所はカグラへ向かう道から大きく外れてはいない。
どうせ進む方向は同じだ。
「セレーネはどう思う?」
「なにが?」
「行方不明」
「人」
「それはそう」
「違う」
セレーネが前を向いたまま続ける。
「魔物じゃないと思う」
「やっぱり?」
「うん」
「理由は?」
「残り方が変」
荷物。
財布。
荷車。
それらが残っている。
「食うために襲う魔物なら、人だけ綺麗に持っていく必要がない」
「盗賊なら金も取る」
「うん」
となると。
昨日浮かんだ言葉が、また頭に出てくる。
誘拐。
「……嫌だな」
「何がだ?」
「もし本当に人を狙ってるなら、魔物より面倒そうだと思って」
人間には目的がある。
理由がある。
考えて動く。
半年冒険者をやってきて、それが一番厄介だと分かり始めていた。
それから二時間ほど歩いた頃。
「朝陽」
セレーネが止まった。
「ん?」
「あれ」
街道から少し外れた場所。
木々の間に、何かが見える。
車輪。
「……あれか」
三人で近づく。
荷車だった。
片側の車輪が浅い溝へ落ちて、少し傾いている。
馬はいない。
人もいない。
荷台には木箱が積まれたまま。
「本当に残ってる」
箱を開ける。
布。
乾物。
雑貨。
商品だろう。
荒らされた様子もない。
「財布」
セレーネが荷台の端から小さな袋を拾った。
中から硬貨の音。
「……盗賊じゃないな」
「少なくとも金が目的ではなさそうだ」
シウンが周囲を見渡す。
「争った形跡も見当たらんな」
「血もない」
俺も地面を見る。
街道から荷車までは、車輪の跡が続いている。
急に道を外れたようにも見える。
「なんでこんなところに……」
しゃがむ。
土。
草。
足跡。
いろんなものが重なっていて、俺にはよく分からない。
追跡なんて専門じゃない。
でも。
「……これ」
車輪の近く。
草が一方向へ倒れている。
「何か引きずった?」
セレーネもしゃがむ。
「たぶん」
荷車から森の方へ続いている。
数メートル。
その先で途切れていた。
「人を?」
「分からない」
シウンが周囲の匂いを確かめるように鼻を動かした。
「馬の跡はあるな」
「分かるの?」
「この程度ならな」
シウンが少し離れた地面を指差す。
「一頭ではない」
見る。
確かに蹄の跡がある。
「この荷車の馬じゃなくて?」
「それだけではないと思う」
「……誰か別の奴が来た?」
「おそらく」
嫌な予感が強くなる。
「でも、争った跡がない」
「相手が抵抗できなかった」
セレーネが言った。
「不意打ちとか?」
「薬」
「……ああ」
その可能性もある。
俺たちはしばらく周囲を調べた。
すると。
「朝陽」
少し離れたところからセレーネに呼ばれる。
「これ」
木の根元。
小さなものが落ちていた。
拾う。
「布?」
薄い布切れ。
端が破れている。
ただの服の一部にも見える。
でも。
「匂いがする」
シウンが近づいた。
「何の?」
「薬草……いや、少し違うな」
布へ鼻を近づける。
「甘い」
俺も嗅いでみる。
「……ほんとだ」
微かに甘い匂い。
香水とは違う。
鼻の奥に残るような、妙な匂いだ。
「眠らせる薬とか?」
「分からん」
「持って帰る?」
「うん」
セレーネが布を畳む。
役場に渡せば、何か分かるかもしれない。
「とりあえず戻って――」
言いかけた時だった。
シウンの顔が上がった。
「待て」
「どうした?」
「音がする」
俺とセレーネが黙る。
聞こえない。
「どっち?」
「あちらだ」
森の奥。
シウンが目を細める。
「馬だな」
「何頭?」
「複数」
心臓が少し速くなる。
「街道じゃなくて?」
「違う。森の中だ」
森の中を馬で?
三人で顔を見合わせる。
「どうする?」
セレーネが聞いた。
役場の男の言葉を思い出す。
何か見つけたら戻れ。
追いかけるな。
「……見るだけ」
「追うのだな」
「見るだけだって」
「同じではないか?」
「違う」
「朝陽」
セレーネが俺を見る。
「静かに」
「……はい」
森へ入る。
木々の間を進む。
シウンが先頭。
俺。
セレーネ。
足音を立てないように歩く。
少し進むと、俺にも聞こえてきた。
馬の蹄。
車輪。
何かが軋む音。
「荷車?」
「たぶん」
さらに近づく。
木の陰から覗く。
いた。
街道ではない。
獣道に近い細い道を、一台の幌馬車が進んでいる。
前後には馬に乗った男。
三人。
いや。
奥にもいる。
「五人」
セレーネが小声で言った。
全員、武装している。
冒険者には見えない。
「……何してるんだ?」
ただ森を移動しているだけなら、それ自体はおかしくない。
けれど。
幌馬車。
街道を避けるような道。
武装した男たち。
そして、近くに残されていた無人の荷車。
「朝陽」
セレーネが俺の袖を引いた。
「ん?」
「聞こえる」
耳を澄ます。
車輪の音。
馬の足音。
その奥。
微かに。
何かがぶつかるような音。
ガタン。
ガタン。
幌馬車の中からだ。
「荷物じゃない?」
「違う」
シウンの声が低くなる。
「動いている」
背筋が冷えた。
その時。
幌の隙間から何かが見えた。
白いもの。
一瞬だけ。
「……耳?」
長い。
白い耳。
すぐに幌の中へ消えた。
兎系獣人。
「……おい」
思わず声が漏れる。
セレーネが俺の腕を掴んだ。
「待って」
「でも」
「まだ」
分かっている。
飛び出したら駄目だ。
中に何人いるかも分からない。
相手の正体も。
目的も。
何も分からない。
ただ。
これだけは分かった。
人が消えている。
人だけが。
金も。
荷物も残して。
そして今。
街道を避けた幌馬車の中に、獣人がいる。
「……偶然じゃないな」
誰も答えなかった。
答える必要もなかった。
幌馬車が森の奥へ進んでいく。
俺たちは木の陰に身を隠したまま、その後ろ姿を見つめていた。




