第61話 消えた獣人
水車郷を発ってからも、旅は相変わらず寄り道ばかりだった。
街道沿いの茶屋を見つければシウンが足を止め、見慣れない食べ物があれば三人で覗き込む。
俺がガイドブックを開けば、セレーネが横から覗き込み、シウンまで反対側から顔を寄せてきた。
「近いって」
「見えん」
「わたしも」
「じゃあ順番に見ろよ」
結局、俺が真ん中で本を持つことになる。
カグラへ向かっているはずなのに、進んでいるのか寄り道しているのか分からない。
でも、不思議と焦りはなかった。
急ぐ理由なんてない。
知らない土地を歩いて、知らないものを見て、そのついでに少しずつ強くなっていけばいい。
魔法の練習も、わざわざ時間を取ってやる必要はなくなってきた。
歩きながら指先に水を集めてみたり、休憩中に土を動かしてみたり。
一度見た魔法は、何度か使えばすぐ身体に馴染んでいく。
昨日まで意識しなければ形を保てなかった《アクアランス》も、今では手を向ければほとんど迷わず作れる。
セレーネ曰く、まだ魔力の無駄は多いらしい。
それでも――。
「朝陽」
「ん?」
「それ、邪魔」
「あ」
歩きながら指先で回していた水球を消す。
「すみません」
「前も見て」
「はい」
隣でシウンが笑った。
「器用なのか不器用なのか分からんな、お主は」
「俺も最近分かんなくなってきた」
「戦っている時の方がまとも」
「それ褒めてる?」
「褒めてない」
「だと思ったよ」
そんな調子で、三人旅は続いていた。
だから最初は――。
街道脇に貼られていた一枚の紙も、旅先ではよくあるものだと思った。
「……ん?」
何気なく通り過ぎてから、数歩戻る。
木の幹に紙が打ちつけられている。
描かれていたのは、犬系の獣人らしい若い男の顔。
その下には大きく、
『捜しています』
と書かれていた。
「行方不明?」
セレーネも足を止める。
「みたいだな」
二十歳。
近くの集落に住んでいた男。
王都カグラ方面へ向かった後、消息が分からなくなったらしい。
見かけた者は近隣の役場へ。
「いつから?」
「三週間くらい前」
「随分経っているな」
シウンが紙を見る。
「一人で旅をしていたのか?」
「そこまでは書いてない」
この世界で旅をする以上、危険はいくらでもある。
魔物。
盗賊。
事故。
道に迷うことだってある。
半年近く冒険者をやっていれば、行方不明という言葉も日本にいた頃ほど珍しく感じなくなっていた。
「行こう」
「うん」
再び歩き出す。
その時は、それだけだった。
けれど、一時間ほど歩いた頃。
「……まただ」
今度は道標の横。
別の紙が貼られていた。
兎の耳を持つ若い女。
『捜しています』
「この人も?」
「ああ」
俺は紙を読む。
十九歳。
二週間ほど前から行方不明。
最後に確認された場所も、この街道の近くだ。
「さっきの人とは別の集落だな」
「偶然?」
「どうだろ」
まだ二人。
それだけなら、ありえない話じゃない。
紙から離れる。
また歩く。
そして――。
三枚目。
猫系の獣人の少年。
十六歳。
四枚目。
鹿の角を持つ男。
二十五歳。
五枚目。
「……多くないか?」
さすがに足が止まった。
紙に描かれた顔を見る。
今度は十五歳ほどの少女だった。
「多い」
セレーネも同意する。
シウンは少し難しい顔をしていた。
「全員、獣族だな」
「……そうだな」
言われて気づく。
ここは獣王国ディアナだ。
獣人が多いのは当然。
だから、それ自体はおかしくない。
でも。
「行方不明になった場所が近すぎる」
俺はガイドブックを開いた。
載っている街道と、紙に書かれた最後の目撃地点を見比べる。
正確な位置までは分からない。
それでも、どれもこの周辺だ。
「魔物ではないのか?」
シウンが聞く。
「可能性はあるけど……」
「これだけ続いてるなら、討伐依頼が出てそう」
セレーネが言った。
「だよな」
少なくとも、危険な魔物が街道沿いを縄張りにしているなら、何らかの警告が出るはずだ。
それに俺たちは、少し前に雷獣と遭遇したばかりだ。
Aランク級の魔物が近くに出るだけで、周囲の空気がどうなるかは身をもって知った。
「盗賊か?」
「それもありえる」
でも。
まだ何も分からない。
「次に人がいるところで聞いてみよう」
「そうだな」
「うん」
歩き出す。
さっきまでと同じ街道。
同じ空。
同じ風。
なのに、一度気づいてしまうと、妙に周囲が気になった。
通り過ぎる荷車。
森へ続く細い道。
誰もいない分かれ道。
少し前までは、どれも旅先の景色でしかなかったのに。
「朝陽」
「ん?」
「水」
「あ」
見ると、また無意識に指先へ水を集めていた。
「……癖になってるな」
「練習熱心だな、お主は」
「いや、考え事してると勝手に」
水を消す。
シウンが俺の手を見る。
「昨日覚えたばかりとは思えんな」
「俺もそう思う」
「自分で言うのか」
「だって本当にそうなんだから仕方ないだろ」
セレーネが俺の手をじっと見ている。
「なに?」
「昨日より速い」
「やっぱり?」
「うん」
「じゃあ次は――」
「歩きながら《グランドスパイク》は禁止」
「やらねえよ!」
「水路の時、村人に当てかけた」
「忘れてくれ」
「嫌」
シウンが吹き出した。
少しだけ空気が戻る。
こうして話していると、さっきまでの嫌な感じも薄れる。
でも。
道端の紙に描かれた顔だけは、妙に頭に残った。
◇
夕方。
俺たちは街道沿いの小さな宿場へ辿り着いた。
名前がガイドブックに載るほど大きな場所じゃない。
宿が二軒。
食堂。
雑貨屋。
小さな役場。
あとは荷車や馬を休ませるための厩舎。
旅人が一晩休み、また翌朝には出ていく。
そんな場所らしい。
「今日はここ?」
「そうするか」
これ以上進むと、次に宿がある場所へ着く頃には暗くなる。
まだこの国の道に慣れていない以上、無理をする必要はない。
宿へ入り、部屋を取る。
三人分の荷物を置いてから、一階の食堂へ降りた。
「腹減った」
「朝陽、さっき団子食べてた」
「二時間前だろ」
「十分だ」
「何が十分なんだよ」
「わたしも腹が減ったぞ」
「ほら!」
「シウンは食べすぎ」
「なぜわたしだけ言われるのだ?」
三人で席へ座る。
少し早い時間だからか、客は少なかった。
荷運びらしい獣人が二人。
商人らしい男が一人。
奥では老人が酒を飲んでいる。
「何にする?」
卓上の品書きを見る。
「魚定食」
セレーネが即答する。
「早いな」
「魚なら骨取ってよ」
「なんで俺が?」
「朝陽、前に苦戦してた」
「いつの話だよ」
「じゃあ、わたしはこれだ」
シウンが品書きを指差す。
「……読めるの?」
「馬鹿にしているのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「これまで何を食べても美味かった。なら、知らぬものを選んだ方が面白いだろう」
「完全に旅行楽しんでんな」
「何か問題でもあるのか?」
「ないです」
注文を済ませる。
しばらくして、宿の女将が茶を持ってきた。
狐系の獣人だ。
「はいよ。料理は少し待っておくれ」
「ありがとうございます」
そこで。
昼間の張り紙を思い出した。
「あの」
「ん?」
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「ここへ来る途中で、行方不明者の張り紙を何枚か見たんですけど」
女将の手が止まった。
ほんの一瞬。
でも、はっきり分かった。
「……ああ」
「最近、多いんですか?」
女将は少し黙った。
それから周囲を見て、声を落とす。
「多いね」
「やっぱり」
「ここ二、三ヶ月くらいかねえ。王都へ向かったまま帰ってこない。隣の村へ行っただけなのに戻らない。そんな話が増えてるよ」
「魔物とか?」
「最初はみんなそう思ってたさ」
「最初は?」
女将が俺たちの卓へ少し身を寄せた。
「変なんだよ」
「何がですか?」
「残るんだ」
「……残る?」
「荷物が」
女将の声がさらに小さくなる。
「荷車だけ街道脇に残ってたり、財布がそのまま落ちてたり。旅道具も残ってる。なのに、人だけいない」
俺はセレーネを見る。
セレーネの表情も変わっていた。
「魔物なら」
セレーネが言う。
「血とか、争った跡が残る」
「そういうことさ」
「盗賊なら金を置いていかない」
「そう」
女将が頷く。
「だから皆、気味悪がってる」
「役人は調べてないんですか?」
「調べてるよ。自警団も動いてる。でも、見つからない」
「一人も?」
「戻ってきたって話は、私は聞いてないね」
空気が重くなる。
昼間に見た顔が浮かぶ。
犬系の男。
兎系の女。
猫系の少年。
鹿系の男。
少女。
「……どこで消えることが多いんです?」
「決まってない」
女将が首を振った。
「ただ――」
一度言葉を切る。
「一人で歩いてる若い獣人は、気をつけろって言われてる」
「若い獣人……」
「最近は王都へ行く商人も、なるべくまとまって動いてるよ」
女将はそこで話を切った。
「あんたたちも夜は出歩かない方がいい。特に街道を外れるんじゃないよ」
「分かりました」
「料理、持ってくるからね」
女将が離れていく。
三人の間に沈黙が落ちた。
「……どう思う?」
俺が聞く。
「誰かが連れていってる」
セレーネが答えた。
迷いがない。
「やっぱりそう思う?」
「うん」
「だが、何のために?」
シウンが腕を組む。
「それは分からない」
「金目当てなら荷物を残す理由も薄いよな」
「人そのものが目的なら?」
セレーネの言葉で、黙る。
人そのもの。
嫌な言葉が頭に浮かんだ。
「……誘拐?」
誰も否定しなかった。
俺は椅子の背にもたれる。
まだ決まったわけじゃない。
事故かもしれない。
俺たちが知らない魔物の仕業かもしれない。
でも。
もし本当に誰かが獣人を連れ去っているなら――。
「朝陽」
「ん?」
シウンが俺を見ている。
「お主、また首を突っ込むつもりだろう」
「……まだ何も言ってないけど」
「顔に出ている」
「そんなに?」
「水車郷でも同じ顔をしていた」
セレーネを見る。
「俺そんな顔してる?」
「してる」
「マジか」
そんなつもりはなかった。
ただ。
張り紙を思い出す。
あれを貼った人がいる。
帰ってくるのを待っている人がいる。
「まあ……」
息を吐く。
「まだ何も分かってないだろ」
「うん」
「だから、明日もう少し聞いてみよう」
「それは首を突っ込むという意味ではないのか?」
「情報収集だよ、情報収集」
「同じに聞こえるが」
「違います」
「そうか?」
「たぶん」
「疑問形」
「うるさいな」
シウンが笑う。
そこで料理が運ばれてきた。
「はい、お待ちどう」
「おお」
魚。
味噌汁。
白い飯。
煮物。
漬物。
シウンの前には、俺もよく分からない山菜料理が並んだ。
「これはどう食べる?」
「知らない」
「役に立たんな」
「なんで俺がディアナ料理全部知ってる前提なんだよ!」
「朝陽の故郷と似ているのだろう?」
「似てるだけ!」
セレーネが魚へ箸を入れる。
「朝陽」
「ん?」
「冷める」
「あ、はい」
箸を持つ。
いつも通りの夕食が始まった。
シウンが知らない料理を食べて驚いて。
セレーネが静かに飯を食べて。
俺が二人に突っ込む。
それだけなら、昨日までと何も変わらない。
でも。
食堂へ誰かが入ってくるたび。
外を荷車が通るたび。
昼間に見た張り紙が、頭の隅に浮かんだ。
ユノハナ。
雷獣。
水車郷。
ディアナへ来てから、いろんなものを見た。
綺麗な景色。
美味い飯。
知らない文化。
旅をしているだけで楽しいと思える国だった。
だからこそ。
その裏側で、人だけが消えているという話が――妙に引っかかった。




