第6話 魔法
異世界に来て三日目。
俺は朝から薪を割っていた。
「ふっ!」
斧を振り下ろす。
ガッ。
「…………」
薪を見る。
割れていない。
「硬くない?」
「お前が下手なんだよ」
「ですよね」
後ろから宿の主人に即答された。
「真ん中狙え、真ん中」
「狙ってますよ」
「外れてんだろ」
「結果だけ見て言わないでください」
「結果が全部だろ」
「厳しいな……」
もう一度。
斧を持ち上げる。
「ふっ!」
ガッ。
「…………」
今度は少し食い込んだ。
「お」
「そのままもう一発だ」
「はい」
振り上げる。
同じ場所。
「っ!」
振り下ろす。
パキン。
二つに割れた。
「……おお!」
「薪割っただけで喜ぶ奴初めて見たぞ」
「初めてなんだからいいじゃないですか」
ちょっと嬉しい。
昨日は運ぶだけ。
今日は割れるようになった。
ものすごく地味だけど。
「もう一個」
「調子乗んなよ。足切るぞ」
「怖いこと言わないでください」
「だから気をつけろって話だ」
「はい」
次の薪を置く。
斧を構える。
異世界三日目。
今のところ。
俺の異世界生活は、ほとんど肉体労働だった。
◇
「朝陽」
「はい?」
昼前。
宿の中を掃除していると主人に呼ばれた。
「これ持って市場まで行ってこい」
袋を渡される。
「何です?」
「空瓶。酒屋に返してこい」
「酒屋?」
「昨日歩き回ったんだろ。分かるだろ?」
「たぶん」
「分からなきゃ聞け」
「雑だなあ……」
「ついでにこれ」
何枚かのルクスを渡される。
「帰りにパン買ってこい」
「俺が?」
「他に誰がいる」
「いや……」
金を見る。
「…………」
「どうした?」
「お使い任されたなと思って」
「子供かお前は」
「知らない世界で三日目ですからね、俺」
「大袈裟な奴だな」
「こっちは割と必死なんですよ」
ルクスを握る。
昨日、自分で稼いで。
今日は初めて買い物をする。
また一つ。
この世界でできることが増える。
「行ってきます」
「パン食って帰ってくんなよ」
「しませんよ!」
「一個くらいならバレねえぞ」
「店主が勧めんな!」
主人が笑う。
「……ほんと適当だな、あの人」
でも。
嫌いじゃなかった。
◇
市場へ向かう。
三日目ともなると、村の景色にも少し慣れてきた。
「お、変な服の兄ちゃん!」
「その呼び方やめろ」
昨日の子供だ。
「今日も変!」
「明日も変だよ」
「なんで?」
「着替えがないからだよ」
「貧乏?」
「…………」
子供って残酷だ。
「今はな」
「かわいそー!」
「うるさい」
笑いながら逃げていく。
「……絶対服買お」
本気で思った。
市場へ着く。
昨日より少しだけ落ち着いて歩ける。
野菜。
肉。
布。
道具。
果物。
知らないものは相変わらず多い。
でも。
昨日とは違う。
「あれ、昨日食ったやつだ」
紫色の果物。
「こっちはパン屋」
少しずつ。
景色の中に知っているものが増えている。
たった一日なのに。
「…………」
なんかいいな。
こういうの。
知らない場所が。
少しずつ知らない場所じゃなくなる感じ。
「お?」
昨日の果物屋の男が俺を見つけた。
「兄ちゃん、今日は金持ってんのか?」
「持ってますよ」
胸を張る。
「働いたんで」
「偉そうに言うことか?」
「俺にとっては大事なんです」
「じゃあ買ってけ」
「いや、これ俺の金じゃないんで」
「なんだよ」
「お使いです」
「子供か」
「今日それ二回目!」
笑われる。
この村。
俺の扱い雑じゃない?
◇
酒屋に瓶を返し。
パンを買う。
「これでいいんだよな……」
渡されたルクスから代金を払う。
店の人が金を受け取る。
パンを渡される。
「はいよ」
「ありがとうございます」
「…………」
買えた。
当たり前だ。
ただの買い物。
でも。
「おお……」
「どうした?」
「いや、何でもないです」
パンを抱える。
初めて。
この世界の金を使って。
この世界の物を買った。
「……ほんとに生活してるな、俺」
自分でも変な気分だった。
その時。
「危ない!」
誰かの声がした。
「え?」
振り向く。
市場の端。
荷物を積んだ荷車が傾いている。
積まれていた木箱が一つ、地面へ落ちた。
ガシャン!
「うわっ」
箱が壊れる。
中から何かが転がった。
瓶。
何本も。
「まず――」
割れる。
そう思った。
けど。
「――《風よ》」
近くにいた男が手を伸ばした。
「…………え?」
風が吹いた。
いや。
違う。
風が――動いた。
落ちていく瓶の周囲だけ。
ふわりと。
目に見えない何かに受け止められたみたいに、瓶の勢いが弱くなる。
一本。
二本。
三本。
地面へ落ちる。
でも。
割れない。
「…………」
俺は立ち止まった。
「…………は?」
市場の人たちは普通だった。
「助かった!」
「悪いな!」
「積み方気をつけろよ!」
それだけ。
誰も驚いていない。
「…………」
今。
何した?
男は何事もなかったように荷車へ近づいている。
「待って」
俺はパンを抱えたまま走った。
「すみません!」
「ん?」
男が振り返る。
「あの!」
「どうした?」
「今の!」
「今の?」
「風!」
「…………」
男が首を傾げる。
「魔法ですか?」
「ああ」
「…………」
ああ。
それだけ。
「もう一回やってもらっていいですか?」
「は?」
「お願いします!」
「なんでだ?」
「見たいんです!」
男が困った顔をする。
「変な奴だな」
「よく言われます」
「今日だけで何回目だ、それ」
「いっぱいです」
「知らんがな」
でも。
男は笑った。
「こんなんでいいなら」
右手を上げる。
「見てろよ」
「はい」
凝視する。
「《風よ》」
次の瞬間。
俺の前髪が揺れた。
「うわっ」
風。
明らかに男の手から。
いや。
本当に手から出ているのか?
分からない。
でも。
何もなかった空間に、急に風が生まれた。
「…………」
「これでいいか?」
「もう一回」
「まだ見るのか?」
「お願いします」
「…………」
呆れながら。
もう一度。
「《風よ》」
風が吹く。
「…………」
俺は男の手を見る。
周囲。
服。
髪。
風の流れ。
「どうなってるんですか?」
「どうって?」
「何で風が出るんです?」
「魔法だからだろ」
「いや、それ説明になってなくないですか?」
「じゃあ何て説明すりゃいいんだよ」
「魔法ってどうやって使うんです?」
「…………」
男が俺を見る。
「お前、魔法知らねえのか?」
「知りません」
「一つも?」
「一つも」
「どこから来たんだよ」
「それ俺も知りたいです」
「…………」
このやり取りも何回目だろう。
◇
「魔力を使うんだよ」
「魔力」
「ああ」
市場の端。
男が簡単に説明してくれた。
「人の中には魔力がある」
「全員?」
「大体はな」
「俺にも?」
「知らん」
「…………」
「何だその顔」
「いや、そこ一番知りたかったんですけど」
「見ただけで分かるか」
「ですよね」
魔力。
人の中にある力。
それを使って魔法を起こす。
「火とかも出せる?」
「出せる奴はな」
「水は?」
「いる」
「雷」
「いる」
「氷」
「いる」
「すげえ……」
思わず声が出る。
「そんな珍しいか?」
「珍しいですよ!」
魔法だぞ。
本物の。
「…………」
少し。
いや。
かなりテンションが上がっている。
自覚はあった。
「魔法……」
昨日までは。
帰りたい。
怖い。
意味が分からない。
そればかりだった。
今だって何も解決していない。
でも。
本物を目の前で見てしまった。
「……すげえな」
また口から出た。
男が笑う。
「ガキみてえだな」
「十七なんで、まだギリ子供です」
「十分ガキだ」
「じゃあいいじゃないですか」
もう一度。
瓶を見る。
あの風。
「…………」
俺にも。
使えるのかな。
そんな考えが自然と浮かんだ。
◇
「ただいま」
「遅え」
宿へ戻った瞬間。
主人に言われた。
「すみません」
「パン買うだけで何時間かけてんだ」
「魔法見てました」
「は?」
「本物の魔法!」
「何だよ本物って」
「風がこう、ブワッて!」
「…………」
「瓶が落ちて、それを風でこう!」
「…………」
主人が俺を見る。
「何です?」
「いや」
「言ってくださいよ」
「楽しそうだなと思って」
「…………」
言われて気づく。
「俺、楽しそうでした?」
「ああ」
「…………」
少し恥ずかしい。
「いや、だって魔法ですよ?」
「魔法だな」
「普通なんですか?」
「普通だろ」
「こっちじゃそうなんだよな……」
パンを渡す。
「俺も使えるんですかね」
「魔力がありゃな」
「どうやったら分かります?」
「調べてもらえばいい」
「どこで?」
「王都」
「また王都」
「大抵のもんは王都行きゃある」
「東京みたいだな……」
「トーキョー?」
「俺の国の大きな街です」
「王都か?」
「王様はいないです」
「じゃあ違うだろ」
「そうなんですけど」
説明が難しい。
「冒険者ギルドも王都でしたよね?」
「ああ」
「魔法について調べるのも王都」
「ああ」
「ここに来た理由とか調べるなら?」
「知らん」
「ですよね」
でも。
情報が集まる場所。
人が集まる場所。
大きな街。
「…………王都ルイ」
行く意味はある。
少なくとも。
この村にずっといるよりは。
◇
午後。
また仕事を手伝った。
今度は食堂の片付け。
「これ洗えばいいです?」
「ああ」
「はい」
皿を洗う。
魔法。
頭から離れない。
「…………」
水。
さっき聞いた。
水を出す魔法もある。
「便利すぎない?」
水道いらないじゃん。
いや。
全員が使えるとは限らないのか。
「火も出せる……」
ライターいらない。
薪も。
「いや、薪は使ってるな」
じゃあ魔法を使うより薪の方がいい理由がある?
魔力を使うから?
疲れる?
効率?
「…………」
気になる。
気になることが増えていく。
最初は。
ここがどこなのか。
それだけ知りたかった。
今は。
魔法って何だ。
魔物ってどんなのだ。
王都はどんな場所だ。
冒険者は何をする。
この世界にはどんな国がある。
「…………」
知りたい。
帰る方法を探すためだけじゃなく。
普通に。
知りたいと思っている自分がいた。
◇
夕方。
宿の前。
荷馬車が一台止まった。
「お」
主人が外へ出る。
「どうしたんです?」
「荷が来た」
荷台には袋や木箱が積まれている。
「どこから?」
「街道沿いの町からだ」
「へえ」
御者が主人と話している。
俺は荷物を降ろすのを手伝う。
「これ中ですか?」
「ああ」
「はい」
袋を担ぐ。
「重っ!」
「お前そればっかだな」
「重いものばっか持たせるからでしょ!」
御者が笑った。
「坊主、見ねえ顔だな」
「数日前に来たんです」
「旅人か?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「色々あるんです」
「変な奴だな」
「それもよく言われます」
荷物を置く。
「おじさん、王都行ったことあります?」
「ああ」
「どんなところです?」
「どんなって……でかいぞ」
「それだけ?」
「人が多い」
「他は?」
「店も多い」
「…………」
説明が下手だ。
「行けば分かる」
「またそれ!」
この世界の人。
説明する気なさすぎない?
「行きたいのか?」
「ちょっと」
「なら街道を辿ればいい」
「歩いて?」
「歩く奴もいるが、荷馬車に乗せてもらう方が楽だな」
「乗れるんですか?」
「金払えばな」
「…………」
金。
やっぱりそこ。
「いくらくらい?」
聞く。
金額を教えてもらう。
「…………」
俺の今の所持金では足りない。
「ですよね」
「金ないのか?」
「ないです」
「働け、若いんだから」
「この世界みんなそれ言うな……」
正論だから何も言い返せない。
◇
夜。
今日稼いだルクス。
昨日の分。
合わせて数える。
「…………」
足りない。
王都へ行く。
服を買う。
飯を食う。
泊まる。
全部金がいる。
「……現実的だなあ」
異世界なのに。
魔法があるのに。
結局、金。
「…………」
スマホを見る。
また考える。
売る。
この世界にはない。
価値が分かる人間なら、かなりの金になるかもしれない。
でも。
「……充電」
残量を見る。
減っている。
当然だ。
充電器はある。
でも。
コンセントがない。
「これ……」
いつか使えなくなる。
どれだけ大事にしても。
電池がなくなれば終わり。
「…………」
写真。
連絡先。
メッセージ。
全部。
見られなくなる。
「……嫌だな」
素直に思った。
売りたくない。
でも。
ずっと持っていても、いずれただの板になる。
「…………」
まだ。
決めなくていい。
今は。
もう少し働こう。
◇
翌朝。
宿の主人に聞いた。
「王都に行こうと思います」
「そうか」
「反応薄くないですか?」
「行くと思ってたからな」
「何で?」
「お前、昨日から王都王都うるせえんだよ」
「…………」
確かに。
「でも」
主人を見る。
「まだ金ないです」
「知ってる」
「だから、もう少しここで働かせてください」
「ああ」
「いいんですか?」
「人手はあった方がいい」
「……ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「仕事は選ばせねえぞ」
「…………」
薪。
水。
荷物。
皿。
昨日までの仕事が頭をよぎる。
「お手柔らかに」
「働け」
「はい……」
笑われる。
俺も少し笑った。
王都へ行く。
まだ今日じゃない。
明日でもないかもしれない。
でも。
目的地ができた。
帰り方は分からない。
ここへ来た理由も分からない。
何をすれば正解なのかも分からない。
それでも。
「……まずは王都か」
昨日までの俺なら。
誰かにどうすればいいか聞いていたと思う。
今だって。
正直、誰かに教えてほしい。
でも。
誰も答えを知らないなら。
自分で一つずつ決めるしかない。
俺は斧を持ち上げた。
「よし」
まずは。
王都へ行く金を稼ごう。
異世界で最初にできた目標は、
英雄になることでも。
魔王を倒すことでもなく。
旅費を貯めることだった。




