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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【バルカン王国編】第1章「知らない世界」

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第5話 一文無し

 目を覚まして最初に見えたのは、知らない天井だった。


「…………」


 数秒。


 何も考えずに眺める。


 木の梁。


 白っぽい壁。


 窓から差し込む朝日。


「…………」


 知らない。


 俺の部屋じゃない。


「……そっか」


 思い出した。


「異世界……」


 口に出す。


 昨日までなら、絶対に冗談でしか使わなかった言葉。


 それが今は、自分の置かれている状況を一番簡単に説明できてしまう。


「……夢じゃなかったか」


 少し期待していた。


 目が覚めたら自分の部屋。


 スマホのアラームが鳴っていて。


 学校へ行く準備をして。


 駅に着けば、いつもの四人がいる。


 そんな朝を。


「…………」


 スマホを確認する。


 圏外。


「ですよね」


 画面を消した。


 寝床から身体を起こす。


「いって……」


 全身が痛い。


 特に脚。


 昨日あれだけ森を歩いたんだから当然か。


「筋肉痛……」


 高校生が一日森を歩いただけでこの有様だ。


「情けな……」


 大きく伸びをする。


 腹が鳴った。


「…………」


 そして。


 思い出す。


 昨日、宿の主人に言われたこと。


「薪……」


 働かなければならない。


「……行くか」


 異世界生活二日目。


 最初にやることが薪運び。


「思ってた異世界と違うな……」


 別に異世界へ来たかったわけでもないけど。


 ◇


「遅えぞ」


「すみません!」


 宿の裏へ行くと、主人はすでに仕事を始めていた。


 大量の薪が積まれている。


「寝坊したか?」


「ちょっと……」


「若いのにだらしねえな」


「昨日森歩き回ってたんですよ」


「そういやそうだったな」


 主人が笑う。


「じゃあ働け」


「容赦ないですね」


「飯食いたくないなら寝ててもいいぞ」


「働きます」


 即答した。


「現金だな」


「腹減ってるんで」


 渡された籠へ薪を入れる。


「これを?」


「厨房の裏まで持ってけ」


「分かりました」


 持ち上げる。


「……重っ」


「それくらい持て」


「これくらいって……」


「若いんだろ?」


「十七です」


「なら働ける」


「雑だなあ……」


 文句を言いながら運ぶ。


 一往復。


 二往復。


 三往復。


「はぁ……」


 きつい。


 昨日の疲労が残っている身体には地味に効く。


「これ何往復ですか?」


「全部なくなるまで」


「…………」


 薪の山を見る。


「これ?」


「それ」


「全部?」


「全部」


「…………」


 帰りたい。


 いや。


 帰る場所がない。


「やります……」


 結局、黙々と運んだ。


 ◇


「ほら」


 仕事を終えると、テーブルに朝食が置かれた。


 パン。


 チーズ。


 卵。


 それから温かいスープ。


「おお……」


 昨日より豪華だ。


「いいんですか?」


「働いた分だ」


「……いただきます」


 手を合わせる。


「何だそれ?」


「え?」


「今の」


「ああ……俺のところだと、食べる前にこうするんです」


「変わってんな」


「そうですかね」


 俺にとっては普通だった。


 パンをちぎる。


 少し硬い。


 でも香ばしい。


「うま……」


 チーズを挟んで食べる。


「これもうまい」


「アルヴェンのチーズだ」


「この村で作ってるんですか?」


「ああ。小麦もな」


「へえ……」


 改めてパンを見る。


 昨日は腹が減りすぎて、そんなことを考える余裕もなかった。


 噛む。


 素朴な味。


 でもちゃんとうまい。


「…………」


 異世界の朝飯。


 そう考えると、なんだか変な感じだった。


 もっとこう。


 得体の知れないものが出てくるのかと思っていた。


 でもパンはパン。


 チーズはチーズ。


 卵も普通に卵だ。


「何ニヤニヤしてんだ?」


「してませんよ」


「してたぞ」


「……ちょっと面白くて」


「飯が?」


「いや……」


 説明しても伝わらないだろう。


「こっちの話です」


「昨日からそれ多いな、お前」


「色々あるんですよ」


「そうかい」


 主人はそれ以上聞かなかった。


 ありがたい。


 ◇


 食事を終えて。


 俺はテーブルの上に一枚の硬貨を置いた。


「これがルクス?」


「ああ」


 主人から借りた硬貨を指で転がす。


 昨日。


 食事のあと、ここの金について聞いた。


 通貨の名前はルクス。


 この村だけではなく、どこへ行っても基本的にはこれを使うらしい。


「パン一個なら?」


「物による」


「宿一泊」


「部屋による」


「飯」


「物による」


「……全部物によるじゃないですか」


「当たり前だろ」


「そりゃそうだけど」


 日本で「飯いくら?」と聞かれても困る。


 牛丼と高級焼肉じゃ全然違う。


「働いたら、どれくらいもらえるんです?」


「仕事による」


「それ禁止にしません?」


「じゃあ何て答えりゃいいんだ」


「……仕事によりますね」


「だろ?」


「はい」


 納得してしまった。


「つまり俺」


 財布を取り出す。


 日本円。


 机に置く。


「こっちでは一文無しってことですよね」


「だからその金は何なんだ」


「俺の国の金です」


「使えねえなら同じだな」


「ですよね……」


 財布を閉じる。


 現実は厳しい。


「働けばいいだろ」


「簡単に言いますね」


「手足ついてんだから働ける」


「…………」


 その言葉に、自分の手を見る。


 確かに。


 金はない。


 知り合いもいない。


 住む場所もない。


 でも身体は動く。


「……まあ、そうか」


 働けば金は手に入る。


 その金で飯を食う。


 寝る。


 少なくとも、昨日より一歩進んでいる。


「仕事って、どこで探すんですか?」


「村ならその辺で聞けばある。農作業でも荷運びでもな」


「町だと?」


「色々あるだろ。王都まで行きゃ冒険者ギルドもある」


「…………」


 聞き慣れたような。


 聞き慣れないような。


「冒険者ギルド?」


「ああ」


「……本当にあるんだ」


「何がだ?」


「いや」


 漫画やゲームで何度見たか分からない言葉。


 冒険者。


 ギルド。


「冒険者って何するんです?」


「何って……依頼を受けるんだよ」


「どんな?」


「護衛、採取、魔物の討伐。色々だ」


「魔物……」


 昨日聞いた単語。


「それ、人が倒せるんですか?」


「倒せなきゃ誰が倒すんだよ」


「…………」


 確かに。


「冒険者って強いんですね」


「ピンキリだ」


「やっぱりそうなんだ」


 少し興味が湧く。


「魔法も使う?」


「そりゃ使える奴は使う」


「…………」


 魔法。


 やっぱりある。


 昨日聞いた時は頭が追いつかなかった。


 でも一晩寝て。


 改めて聞くと。


「見てみたいな……」


 自然とそんな言葉が出た。


「魔法を?」


「はい」


「珍しいもんでもないだろ」


「俺には珍しいんですよ」


「お前の国にはないのか?」


「ないです」


「魔法が?」


「はい」


「一つも?」


「一つも」


「…………」


 今度は主人が変な顔をした。


「そんな場所あるのか?」


「俺からしたら、魔法がある方がおかしいんですけど」


「変な国だな」


「こっちからしたら、ここも十分変です」


「そうか?」


「そうですよ」


 二人で顔を見合わせる。


 なんとなく笑った。


 初めてだった。


 この世界の話をして。


 怖いとか。


 分からないとか。


 そういう感情以外のものが出てきたのは。


 ◇


 食事のあと。


 宿代を稼ぐために、また仕事を手伝った。


 今度は水汲み。


「うわ……」


 井戸から水を引き上げる。


「重っ」


 昨日から何回「重い」と言っているんだ俺は。


 でも重いものは重い。


 電気。


 水道。


 ガス。


 日本なら意識すらしなかった。


 蛇口を捻れば水が出る。


 ボタンを押せば明かりが点く。


 ここでは違う。


 水を使いたければ汲む。


 火を使いたければ薪がいる。


 その薪も誰かが運ぶ。


「…………」


 面倒だ。


 死ぬほど面倒。


 なのに。


「なんか……」


 少し面白い。


 水桶を運びながら村を見る。


 朝から市場には人が集まっている。


 農家の人たちが荷物を運んでいる。


 子供たちが走っている。


 パンの焼ける匂い。


 家畜の鳴き声。


 水車の音。


「…………」


 昨日は全部が異常に見えた。


 今は。


 少しだけ違う。


 ここで暮らしている人にとっては、これが普通なんだ。


「お兄ちゃん!」


「ん?」


 声がした。


 見ると、小さな男の子がこちらを見ている。


「その服、変!」


「…………」


 制服を見る。


「いきなり失礼だな、お前」


「変なの!」


「分かったよ」


 子供が笑いながら走っていく。


「…………」


 俺も少し笑った。


「やっぱ浮いてるよな」


 この服。


 どうにかした方がいいかもしれない。


 ◇


 昼前。


 仕事が一段落したところで、俺は村を歩いてみることにした。


 昨日は宿へ辿り着くだけで精一杯だった。


 今日は少し余裕がある。


「……市場行ってみるか」


 金はないけど。


 見るだけならタダだ。


 小さな市場。


 昨日より人が多い。


「いらっしゃい!」


「今日はいいの入ってるよ!」


「こっち見ていきな!」


 声が飛び交う。


「おお……」


 活気がある。


 野菜。


 果物。


 肉。


 魚。


 パン。


 布。


 道具。


 色々なものが並んでいる。


 見覚えのあるもの。


 ないもの。


「これ何だ……?」


 紫色の丸い果物を眺める。


「兄ちゃん、食うか?」


「え?」


 店の男が一つ差し出してきた。


「いや俺、金ないです」


「試しだよ」


「いいんですか?」


「見ねえ顔だからな。旅人か?」


「まあ……そんな感じです」


 受け取る。


「皮ごと?」


「そのままいける」


「いただきます」


 一口。


「……甘っ」


 思っていたより甘い。


 少し酸味もある。


「うまい」


「だろ?」


「これ何ていうんです?」


 名前を教えてもらう。


「へえ……」


 覚えておこう。


「金できたら買いに来ます」


「期待しとくよ」


「はい」


 店を離れる。


「…………」


 楽しい。


 そう思ってから。


 自分で少し驚いた。


 昨日まで。


 帰りたい。


 怖い。


 分からない。


 そればかりだった。


 もちろん今も帰りたい。


 瑞輝たちにも会いたい。


 家にも帰りたい。


 でも。


「……異世界の市場か」


 もう一度周囲を見る。


 知らない食べ物。


 知らない道具。


 知らない服。


 知らない人たち。


 何もかも知らない。


 だから。


 ちょっとだけ。


 見てみたいと思った。


 ◇


 市場の端。


 人だかりができていた。


「何だ?」


 近づいてみる。


 何人かの男たちが話している。


「また街道に出たらしいぞ」


「昨日のか?」


「いや、別だ。今度は北側だとよ」


「冒険者に頼むしかねえな」


「王都から来るまで待つのか?」


「下手に手ぇ出して死人が出るよりマシだろ」


「…………」


 聞き耳を立てる。


 何の話だ?


「すみません」


 一人に声をかける。


「何ですか?」


「ああ?」


「何かあったんですか?」


「魔物だよ」


「…………」


 またそれだ。


「街道の近くに出たんですか?」


「ああ。最近たまにな」


「…………」


 男たちは当たり前のように話している。


 俺だけがその言葉に引っかかっている。


「どんなのです?」


「見たいのか?」


「いや……」


 見たい。


 ちょっと。


 でも。


「安全なところからなら」


「ハハッ! そりゃみんなそうだ!」


 笑われた。


「ですよね……」


 恥ずかしい。


「兄ちゃん、冒険者じゃねえのか?」


「違います」


「その格好だしな」


「そんな変ですか?」


「変だな」


「今日二回目です、それ言われるの」


 また笑われた。


 でも嫌な感じはしなかった。


「冒険者なら王都へ行け。ここにはギルドはねえぞ」


「王都……」


「ルイだよ」


「…………」


 またその名前。


 王都ルイ。


「ここよりずっと大きいんですか?」


「当たり前だろ」


「どれくらい?」


「行けば分かる」


「それ一番困る答えだな……」


 男が笑う。


 でも。


 王都。


 少し興味が湧いた。


 この村でこれだけ知らないものがある。


 もっと大きな町なら。


 何があるんだろう。


 ◇


 宿へ戻る途中。


 道の向こうに、一つの建物が見えた。


「……あれ?」


 他の建物とは少し雰囲気が違う。


 人が出入りしている。


 静かな場所だった。


 近くにいた老人に聞いてみる。


「すみません。あれって何ですか?」


「あれか?」


 老人が建物を見る。


「月光教の祈り場だよ」


「月光教?」


「ああ」


「…………」


 初めて聞く名前。


「宗教ですか?」


「そうとも言えるな」


「そうとも?」


「神王様と月を敬う教えだよ」


「神王……?」


 知らない言葉がまた増えた。


「この辺にも信じてる人多いんですか?」


「珍しくもないさ」


「へえ……」


 建物を見る。


 何人かが入っていく。


 ごく普通の光景。


 老人にとっても。


 村の人たちにとっても。


 それ以上でもそれ以下でもないらしい。


「…………」


 俺もそれ以上は聞かなかった。


 今の俺には。


 魔法も。


 魔物も。


 王国も。


 宗教も。


 全部同じだ。


 知らない世界の、知らない常識。


 一つずつ覚えるしかない。


 ◇


 夕方。


「はい」


 宿の主人が何枚かの硬貨を俺へ渡した。


「……え?」


「今日の分だ」


「宿代じゃないんですか?」


「それ引いた残り」


「…………」


 手のひらを見る。


 ルクス。


 この世界へ来て。


 初めて自分で手に入れた金。


「……俺の金?」


「お前が働いたんだからな」


「…………」


 大した額じゃない。


 たぶん。


 でも。


「おお……」


 なんか嬉しい。


「そんな喜ぶほど渡してねえぞ」


「いや、そうなんですけど」


 硬貨を見る。


「初めて稼いだんで」


「仕事したことねえのか?」


「高校生だったんで……」


「コウコウセイ?」


「あー……」


 説明が面倒だ。


「学生です」


「なるほどな」


 主人が頷く。


「じゃあ本当に働いたことなかったのか」


「バイトくらいは……いや」


 していない。


「ないですね」


「坊ちゃんか?」


「普通です」


「普通ねえ」


「普通なんですよ、俺」


 本当に。


 特別なことなんて何もない。


 ただの高校生。


 だった。


「…………」


 手の中の硬貨を見る。


「これで何か買えます?」


「市場行きゃ安いもんならな」


「服は?」


「その額じゃまともなのは無理だ」


「ですよね」


 制服を見る。


 早くどうにかしたい。


「もっと稼ぐなら仕事探せ」


「……仕事」


「ああ」


「ずっとここで薪運びってわけにもいかないですよね」


「俺は別に構わんぞ。安く使えるし」


「やっぱ安いんだ」


「飯と寝床つきだ」


「強いな……」


 少し考える。


 この村にいれば。


 とりあえず死にはしない。


 働けば飯が食える。


 寝る場所もある。


 でも。


 それだけだ。


「…………」


 帰る方法。


 自分がここへ来た理由。


 あの遺跡。


 日本。


 知りたいことは山ほどある。


 この村だけにいても、分からない。


「王都……」


 呟く。


「行きたいのか?」


「まだ分かんないです」


 正直に答えた。


 怖い。


 知らない場所へ行くのは。


 昨日までなら、日本へ帰ることしか考えられなかった。


 今だって帰りたい。


 でも。


 帰り方が分からないなら。


 まず、この世界のことを知らないと何も始まらない。


「…………」


 俺はどうすればいい?


 答えはまだ出ない。


 でも。


 昨日よりは。


 ほんの少しだけ、考えられることが増えた。


 ◇


 夜。


 寝床で、今日稼いだルクスを並べる。


「…………」


 少ない。


「そりゃそうか」


 一日働いただけだ。


 スマホを横に置く。


 財布。


 日本円。


 学生証。


 この世界では使えないものばかり。


「……売れるのかな」


 スマホを見る。


 もし売れるなら。


 この世界にはない物だ。


 それなりの金になるかもしれない。


「…………」


 手に取る。


 電源を入れる。


 ホーム画面。


 いつも見ていた景色。


 写真。


 連絡先。


 メッセージ。


「…………」


 親。


 瑞輝。


 京介。


 麗奈。


 瑠奈。


「……まだ無理だな」


 画面を消す。


 売ることはできる。


 たぶん。


 でも。


 今はまだ。


 これはただの機械じゃない。


 俺が本当に日本にいた証拠みたいなものだった。


「…………」


 枕元へ置く。


 代わりにルクスを握る。


 日本円じゃない。


 俺の知らない世界の金。


 今日。


 この世界で働いて。


 この世界の人からもらった。


「……ルクス、か」


 不思議な感覚だった。


 帰りたい。


 それは変わらない。


 でも。


 帰れるまで。


 何日かかる?


 一週間?


 一ヶ月?


 それとも――。


「…………」


 そこから先は考えない。


 考えたくなかった。


 ただ。


 一つだけ分かったことがある。


 明日も腹は減る。


 明日も寝る場所がいる。


 何かを買うなら金がいる。


 帰る方法を探すにしても。


 何をするにしても。


 まず。


「……生きないとな」


 当たり前のことだった。


 でも。


 昨日までは考えもしなかった。


 知らない世界で。


 俺は初めて、


 明日を生きるための金を、自分の手で握っていた。

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