第55話 親切な人
「それで全部片づけるのやめない?」
俺がそう言うと、セレーネは何が悪いのか分からないとでも言いたげに首を傾げた。
目の前の女は、そんな俺たちを交互に見ている。
黒く長い髪に和装。背筋はまっすぐ伸びていて、立っているだけなのに妙な貫禄があった。
改めて見ると、かなりの美人だ。
大人びた顔立ちに、すらりとした長身。それでいて着物の上からでも分かるほど身体の線は豊かで――。
「朝陽」
「なんだよ」
「どこ見てるの」
「どこも見てない」
「見てた」
「見てないって」
「嘘」
「今そこ重要じゃないだろ」
セレーネの目が細くなる。
女はそんな俺たちを眺めたあと、わずかに眉を上げた。
「仲がいいのだな、お主たちは」
「そう見える?」
「見えるな」
「不本意」
「なんでだよ」
即答したセレーネに突っ込む。
女の口元が、ほんの少し緩んだ。
「それで、通りすがりの者たち。なぜわたしの話へ口を挟んだ?」
「ああ、それは……」
俺は女の向こうにいる二人組を見る。
さっきまで愛想のいい笑みを浮かべていた男たちは、明らかに俺たちを邪魔者として睨んでいた。
「兄ちゃん。こっちは仕事の話をしてんだ。関係ねえなら行ってくれねえか?」
「仕事ねえ」
「そうだよ。こっちの姉ちゃんにもちゃんと説明して、納得してもらってんだからよ」
「そうなのか?」
女へ尋ねる。
「ああ。カグラで仕事を紹介してくれるそうだ」
迷いなく答えた。
「住む場所と食事も用意してくれるらしい。客と話をしたり、酒の相手をしたりするだけで、かなり稼げるそうだぞ。随分と親切な者たちだ」
「…………」
俺とセレーネは揃って男たちを見る。
「なんだよ」
「いや……」
これはたぶん、思っていた以上に駄目なやつだ。
「店の名前は?」
「……あ?」
「カグラのどこで働くんだ?」
「細けえことは着いてから説明するって話だ」
「給料は?」
「だから、たっぷり出すって」
「具体的には?」
「……兄ちゃん、さっきからなんなんだよ」
男の声に苛立ちが混じり始める。
セレーネが女へ顔を向けた。
「仕事内容は、それだけ?」
「ああ。客の話し相手と酒の相手だと聞いている」
「他には?」
「特に聞いていないな」
「契約は?」
「まだだ」
「辞めたい時は?」
「そこまでは聞いていない」
セレーネが俺を見る。
「何も説明してない」
「だよなあ」
「うるせえな!」
男が声を荒らげた。
「だから細けえ話は店でするっつってんだろ! こっちはこの姉ちゃんに稼げる仕事を紹介してやってんだよ!」
その言葉に、女の眉がわずかに動いた。
「……細かい話?」
「あ?」
「今聞かれたことは、仕事を決める上で細かいことなのか?」
「いや、それは……」
男が言葉に詰まる。
俺は頭を掻いた。
「たぶんだけどさ。あんた、騙されてるぞ」
女がこちらを見る。
驚くでも怒るでもなく、真っ直ぐ俺の目を見た。
「どういうことだ?」
「カグラには遊郭があるだろ。歓楽街もかなり大きいって聞いてる」
ディアナへ入ってから読み直したガイドブックにも載っていた。
王都カグラには酒場や賭場だけじゃなく、夜の店が集まる一帯もある。
「客と話して酒を飲む。それ自体は嘘じゃないのかもしれない。でも、何をする仕事なのか全部説明せずに連れていこうとしてる時点で、まともには見えない」
「……つまり?」
女は誤魔化さずに聞き返した。
さて。
どう説明したものか。
「身体も売る」
「おいセレーネ!」
「違う?」
「違わないけど! もうちょっとこう、段階ってもんがあるだろ!」
「面倒」
「お前なあ……」
女はセレーネを見たあと、男たちへ視線を移した。
「今の話は本当か?」
「いやいやいや、全部の店がそうってわけじゃねえよ! そりゃ客によっちゃあ、そういうことも――」
「わたしは聞いていない」
静かな声だった。
さっきまでと声量は変わっていない。
それなのに、空気が変わった。
「お主たちは、客と話をして酒の相手をする仕事だと言ったな」
「だから、それも仕事のうちで――」
「他にもあるのなら、なぜ最初から言わなかった?」
「それは……」
「わたしが断ると思ったからか?」
男が黙る。
その沈黙だけで十分だった。
女は小さく息を吐く。
「なるほどな」
さっきまで男たちを疑ってすらいなかった目から、温度が消えた。
「親切な者たちだと思っていたのだが」
「ち、違う! 誤解だって!」
「何が違う?」
「とりあえず店まで来りゃ分かる! 話はそこで――」
「断る」
はっきりと言い切った。
「わたしはその仕事をするつもりはない」
「ここまで話進めといて、今さらそりゃねえだろ!」
男の一人が苛立ったように手を伸ばす。
女の腕を掴もうとした――その瞬間。
逆に、男の手首が掴まれていた。
「え?」
次の瞬間。
男の身体が浮いた。
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
投げたわけじゃない。
殴ったわけでもない。
ただ手首を掴んで、そのまま持ち上げただけだ。
なのに大の男が片腕一本でぶら下がっている。
「い、いででででっ! 待て! 折れる! 腕が折れる!」
女は男を見上げる。
「先に掴もうとしたのはお主だろう」
「悪かった! 悪かったから!」
「……仕方ないな」
手を離す。
男が地面へ尻餅をついた。
俺はその光景を呆然と眺める。
細いとは言わない。
けど、人間一人を片手で持ち上げられるような身体にはどう見ても見えなかった。
「て、てめえ……!」
もう一人が腰に差した短刀へ手を伸ばした。
女がそちらを見る。
「抜くのか?」
たった一言。
声を荒らげたわけでもない。
構えてすらいない。
それでも、男の手が止まった。
俺にも分かった。
何をしたのかは分からない。
魔法を使った様子もない。
けれど、身体の奥が勝手に警告していた。
――あれは抜かない方がいい。
たぶん、男も同じものを感じたんだと思う。
「……行くぞ」
「お、おう」
二人は俺たちを睨みつけながら後ずさり、そのまま足早に去っていった。
女は追わない。
姿が見えなくなると、何事もなかったようにこちらへ向き直った。
「助かった。礼を言う」
「いや……」
俺は男たちが消えた方向を見る。
「あれ、俺たちが助ける必要あった?」
「なかった」
セレーネが即答した。
「だよな」
「何の話だ?」
「あんたの話だよ」
女が首を傾げる。
「俺たちが口出さなくても、あいつらがあんたを無理やりどうこうするのは無理だっただろ」
「当然だ」
「当然なんだ……」
さらっと言い切った。
さっきまで騙されて連れていかれそうになっていた人とは思えない。
「でも、騙されていたことには気づかなかった」
セレーネが言う。
「ああ」
女は素直に認めた。
「そこはお主たちがいなければ分からなかっただろうな」
少し考え、それから男たちが消えた道を見る。
「外には、ああいう者もいるのだな」
「……知らなかったのか?」
「知らなかった」
「今までよく無事だったな」
「何かされれば返り討ちにすればいい」
「そういう問題じゃないんだよなあ……」
強い。
間違いなく強い。
なのに、危なっかしい。
なんだこの人。
「だが、覚えた」
女が俺を見る。
「相手が親切に見えても、話を隠していることがある。条件のいい話ほど、先に中身を確かめた方がいい。そういうことだろう?」
「……そうそう」
一度説明すれば、理解は早い。
何も知らないわけじゃない。
ただ、ああいう悪意に触れた経験がないんだ。
「なら、次からはそうしよう」
それで話は終わりとばかりに頷く。
変な人だ。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
「そういや、まだ名前聞いてなかったな」
「確かにそうだな」
「俺は真白朝陽。朝陽でいい」
「セレーネ」
「……相変わらず短いな」
「十分」
女は俺たちを順に見る。
「朝陽と、セレーネか」
それから自分の胸元へ手を添えた。
「わたしはシウンだ」
「シウン?」
「ああ」
黒髪に和装。
名前の響きまでどことなく日本を思わせる。
ディアナに入ってから、そういうものを目にする機会が一気に増えた。
「シウンはカグラに向かってたんだよな?」
「ああ。少し見てみたいものがあってな」
「観光?」
「似たようなものだ」
シウンはそう答えると、俺の荷物から覗いていたガイドブックへ目を留めた。
「それは?」
「旅のガイドブック。俺たちもカグラには行く予定なんだ。ただ、その前にユノハナに寄ろうと思ってる」
「ユノハナか」
「知ってる?」
「名は聞いたことがある。温泉で有名な場所だったな」
「そうそう」
ガイドブックを開く。
現在地から街道を進んだ先。
そこには温泉街ユノハナの名前と、いくつかの見どころが載っている。
「せっかくディアナまで来たんだし、急ぐ旅でもないからな。温泉入って、飯食って、一泊くらいしていこうかなって」
シウンが開いたページを覗き込む。
「ほう」
少しだけ目が輝いた。
「旅館に露天風呂……湯けむり通り?」
「店がいっぱい並んでるらしい。食べ歩きもできるってさ」
「食べ歩き」
そこだけ妙に食いついた。
「興味ある?」
「あるな」
即答だった。
さっき男を片手で吊り上げていた時の貫禄はどこへ行ったのか。
ガイドブックを覗き込む横顔は、ほんの少し楽しそうに見えた。
「カグラへ向かうなら、道も途中までは同じだぞ」
「そうなのか?」
「ああ」
俺が地図を指でなぞる。
「この街道を進めばユノハナ。その先からカグラ方面に続いてる」
シウンは地図を眺め、少し考えた。
「なら、わたしも寄っていこう」
「お、いいんじゃない?」
「決まりだな」
「……早いな」
ついさっき知り合ったばかりなのに。
まあ、俺たちも俺たちで旅の途中だ。
目的地が同じなら、一緒に歩くくらい別にいいか。
「じゃあ行くか」
「ああ」
「行こう」
三人で街道を歩き始める。
シウンは俺たちの少し前を堂々と歩いている。
その後ろ姿だけ見れば、さっき悪質な勧誘にころっと騙されていた人にはとても見えない。
「……すごい人と会ったな」
「うん」
「あれ、絶対強いよな」
「かなり」
「だよなあ」
「聞こえているぞ」
前から声が飛んできた。
「うおっ」
シウンが振り返る。
「何をこそこそ話している?」
「いや、シウンって強いんだなって」
「そうだな。わたしは強いぞ」
「そこは謙遜しないんだ」
「事実を曲げて何になる?」
「ごもっともです」
胸を張って言い切る姿が、妙に様になっている。
セレーネがシウンを見る。
いつもの無表情。
けれど、ほんの少しだけ興味を持っているようにも見えた。
「ところで朝陽」
「ん?」
シウンが俺を見た。
「先ほどセレーネが、お主に『どこを見ている』と聞いていただろう」
「…………」
嫌な予感がした。
「結局、どこを見ていたんだ?」
「忘れてくれ」
「なぜだ?」
「頼むから」
「妙な男だな」
シウンは本気で分からないらしい。
横を見ると、セレーネがじっと俺を見ている。
「朝陽」
「お前は蒸し返すな」
「見てた」
「だから見てないって!」
シウンが不思議そうに俺たちを見る。
やがて、小さく笑った。
「やはり仲がいいのだな、お主たちは」
「だから違うって」
「不本意」
「お前もそこは否定すんなよ!」
三人分の足音が街道に重なる。
さっきまで二人だった旅路を、黒髪の女が当たり前のように一緒に歩いている。
少し妙で、少し騒がしくなった道を、俺たちは温泉街ユノハナへ向かって進んでいった。




