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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【バルカン王国編】第5章 違う道

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第53話 選んだこと

剣を鞘に戻せないまま、どれくらい立っていたのか分からない。


長かった気もするし、ほんの数秒だった気もする。


足元には、俺が斬った男が倒れている。


少し離れたところでは、セレーネが襲われていた獣族の傷を見ていた。


「……立てる?」


「あ、ああ……なんとか」


返事が聞こえた。


生きている。


さっきまでなら、それだけで安心できたはずだった。


実際、安心している。


助けられた。


間に合った。


なのに、そのすぐ近くには動かなくなった人間がいる。


自分でも、どっちを見ればいいのか分からなかった。


「朝陽」


呼ばれて顔を上げる。


「手伝って」


「あ……うん」


ようやく足が動いた。


血のついた剣をどうすればいいのか迷って、結局そのまま地面へ置く。


それからセレーネの隣にしゃがんだ。


傷は深そうだったが、命に関わるものではないらしい。俺たちが持っていた道具を使って、できる範囲で手当てをする。


いつもなら何でもない作業だった。


布を出す。


傷口を押さえる。


必要なものを渡す。


たったそれだけなのに、何度も手が止まった。


指先に残っている感触が消えない。


剣を振った時の重さ。


刃が入った瞬間。


目が合った時の、あの顔。


「……すまない」


獣族が小さく頭を下げた。


「巻き込んでしまった」


「いや」


反射的に答える。


「俺が勝手に入っただけだから」


「それでも、あんたが来てくれなかったら……」


その先は聞かなくても分かった。


俺は何も返せなかった。


感謝されている。


助けたんだから、たぶん当然なんだと思う。


でも、その言葉を素直に受け取れなかった。


嬉しくないわけじゃない。


ただ。


その言葉を聞くたびに、少し離れた場所に倒れている男が視界に入った。


動けるようになった獣族を街道まで送り、そこで別れた。


何度も礼を言われた。


最後まで、俺はまともな返事ができなかった。


森へ戻る。


倒した男たちがいる。


生きている連中は、まだ意識を失っていた。


そして一人だけ。


もう起きない。


俺は地面に置いた剣を拾った。


血は乾き始めていた。


布を取り出す。


刃に触れる。


手が止まる。


「……拭かないとな」


誰に言うでもなく呟いた。


「錆びるし」


「うん」


「買ったばっかなのにな」


「うん」


「結構、気に入ってたんだけどな」


「……うん」


セレーネは、それしか言わなかった。


布を刃へ当てる。


赤黒くなった血が布へ移る。


一度では落ちない。


もう一度。


それでも残る。


力を入れて擦る。


「……落ちないな」


「朝陽」


「ん?」


「強く擦りすぎ」


見れば、布を握る指が白くなっていた。


力を抜く。


「……ほんとだ」


もう一度、ゆっくり拭いた。


今度は落ちた。


刃は、昨日までと同じ色へ戻っていく。


当たり前だ。


剣は何も変わっていない。


変わったのは俺の方だ。


「……俺さ」


気づけば口を開いていた。


「人、殺した」


「うん」


否定されなかった。


その返事が少しだけ痛かった。


でも、たぶん今はそれでよかった。


「助けようとはしたんだ」


「うん」


「最初から殺そうと思ってたわけじゃない」


「知ってる」


「全員、殺さずに止められると思った」


言いながら、だんだん自分が何をしたいのか分からなくなってくる。


言い訳したいのか。


許してほしいのか。


それとも、ただ聞いてほしいだけなのか。


「でも、間に合わなかった」


あの瞬間を思い出す。


振り下ろされる剣。


倒れていた獣族。


距離。


自分の剣。


考える時間なんて、ほとんどなかった。


「……あれしかなかった」


言った瞬間。


自分で違和感を覚えた。


本当に?


本当に、あれしかなかったのか?


もっと速く動けていたら。


最初から魔法を使っていたら。


あいつを先に倒していたら。


そもそも、戦い方が違っていたら。


考え始めれば、いくらでも出てくる。


「……いや」


首を振る。


「違うな」


セレーネが俺を見る。


「他に何かあったかもしれない」


「……うん」


その返事に、胸が少しだけ苦しくなった。


やっぱり、そうなんだ。


仕方なかった。


俺は悪くない。


そう言ってくれたら、少しは楽だったかもしれない。


でも。


たぶんセレーネは、そう言わない。


しばらく沈黙したあと、彼女が口を開いた。


「他の方法は、あったかもしれない」


「……うん」


「もっと早く気づいてたら。違う場所にいたら。違う魔法を使ってたら」


俺が考えていたことを、そのまま言われる。


「結果を見た後なら、いくらでも考えられる」


「……そうだな」


「でも、あの時は違った」


セレーネが、街道の方を見る。


さっき獣族が歩いていった方向。


「剣を振らなかったら、あの人は死んでた」


俺は何も言えなかった。


「朝陽は、殺したかったから斬ったんじゃない」


「……うん」


「でも、斬ったのは朝陽」


胸の奥が沈む。


やっぱり。


そこだけは消してくれない。


「だから……わたしは、朝陽は悪くないとは言わない」


思わず彼女を見る。


セレーネはいつもと変わらない顔をしていた。


責めているようにも見えない。


慰めようとしているようにも見えない。


ただ俺を見ている。


「正しかったとも、言わない」


「……じゃあ」


声が掠れる。


「俺、どうすればいいんだよ」


「分からない」


即答だった。


「分からないって……」


「わたしが決めることじゃないから」


少しだけ腹が立った。


こんな時くらい、答えをくれてもいいだろと思った。


こっちは何も分からない。


正しかったのか。


間違っていたのか。


どう思えばいいのか。


全部ぐちゃぐちゃなのに。


「でも」


セレーネが続ける。


「朝陽は、選んだ」


その言葉で、何も言えなくなった。


「殺す方を?」


「違う」


セレーネが首を振る。


「あの人を、生かす方」


目を伏せる。


剣を見る。


綺麗になった刃に、自分の顔がぼんやり映っていた。


「……同じじゃないのか」


「同じじゃない」


珍しく、はっきり否定された。


「でも、そのために人を斬った」


「うん」


「それは、なくならない」


「……うん」


「だから、忘れなくていい」


顔を上げる。


「忘れなくていい?」


「うん」


「普通、逆じゃない?」


「知らない」


「知らないって……」


「忘れたら、次も同じように振れる」


その一言に、口を閉じた。


セレーネはそれ以上説明しなかった。


でも、なんとなく分かった。


慣れたくない。


人を斬ることに。


剣を振れば、人が死ぬことに。


仕方なかったという言葉だけで全部を片づけることに。


俺はこの世界に来て、何度も死を見た。


最初は、目の前で人が死んだだけで動けなくなった。


戦いが終わってからも、飯が喉を通らなかった。


それから半年。


魔物に殺された人も見た。


間に合わなかったこともある。


死体を見ても、その場で立ち尽くすことは減った。


そうならなきゃ、生きていけなかった。


でも。


だからって。


自分で殺すことまで、同じにしていいわけじゃない。


「……腹、減ったな」


しばらくして、俺は言った。


「食べる?」


セレーネが荷物へ手を伸ばす。


「……いや」


胃がひっくり返りそうだった。


「今は無理」


「そう」


その返事を聞いて。


少しだけ笑った。


「そこは食えって言わないんだな」


「吐くでしょ」


「たぶん」


「もったいない」


「心配するとこ、そこ?」


「大事」


いつものセレーネだった。


何も解決していない。


胸はまだ重い。


手に残った感触も消えていない。


男の顔だって、目を閉じれば浮かぶ。


それでも。


ほんの少しだけ、息がしやすくなった。


俺は剣を鞘へ戻した。


さっきまで、どうしてもできなかったことだった。


小さく、金属の擦れる音がする。


それだけで身体が強張った。


たぶん、しばらくはこうなんだと思う。


「行ける?」


セレーネが聞く。


俺はすぐには答えなかった。


立ち上がって。


鞘に収まった剣を見る。


それから、街道の先を見る。


旅に出ると決めたのは俺だ。


知らないものを見たいと思った。


自分で選んで歩きたいと思った。


楽しいことだけじゃないなんて、分かっていたつもりだった。


でも。


たぶん俺は、分かっていなかった。


選ぶっていうのは。


選ばなかったものまで、なくなることじゃない。


「……行こう」


ようやく言えた。


セレーネが頷く。


「うん」


歩き出す。


いつもより、腰の剣が重かった。


たぶん明日も重い。


その次の日も。


それでも。


今は、その重さを忘れたくないと思った。

次回から獣王国ディアナ編に入ります。

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