第44話 それぞれの時間
それから数日。
俺たちは、ほとんど毎日のように王城へ通った。
最初こそ門をくぐるたびに緊張していたけど、三日目くらいになると兵士の顔にも見覚えが出てくる。
向こうも俺を覚えたらしく、確認も最初よりずっと早い。
慣れって怖い。
少し前まで、王城なんて遠くから眺めるだけの場所だったのに。
「朝陽さん、聞いていますか?」
「……はい」
「今、一瞬ぼーっとしていましたよね」
「気のせいです」
「朝陽、学校でもそれ言ってたよ」
「瑠奈」
「なに?」
「余計なこと言わなくていいから」
「事実でしょ?」
「事実だけど」
隣で麗奈が笑う。
ステラ王女まで口元を押さえていた。
「では、もう一度説明しましょうか?」
「お願いします……」
机に広げられた地図へ視線を戻す。
国家。
種族。
宗教。
魔物。
魔法。
冒険者。
知っているつもりだったことも、改めて聞けば知らないことばかりだった。
冒険者制度なんかは、むしろ俺の方が瑞輝たちより詳しい部分もある。
半年間、実際に冒険者として暮らしてきたからだ。
逆に国同士の関係や世界情勢となると、完全に俺の負けだった。
「……難しい」
「何が?」
瑞輝が聞く。
「国同士の関係」
「ああ」
「仲良いとか悪いとかだけじゃ駄目なの?」
「駄目でしょうね」
ステラ王女が即答した。
「ですよね」
分かっていた。
「でも、朝陽さん」
ステラ王女が地図を見る。
「すべて覚える必要はありませんよ」
「そうなんですか?」
「はい。実際にその土地へ行けば、ここで聞くより分かることも多いでしょうから」
「……実際に」
「行くのでしょう?」
顔を上げる。
ステラ王女は、昨日の話を覚えていた。
王都の外。
知らない世界。
自分の目で見たい。
あれから一晩経っても、その気持ちは消えていない。
むしろ。
地図を見るたびに強くなっていた。
「……行きたいです」
「なら、今はその程度で十分です」
ステラ王女が微笑む。
「旅先で困った時に、『そういえば聞いたことがある』と思い出せれば、それだけでも違いますから」
なるほど。
全部覚えろと言われるより、ずっと助かる。
「王女様」
「はい?」
「先生向いてますね」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、学校の先生より分かりやすいです」
「朝陽、それ先生に失礼だよ」
「本人いないからいいだろ」
「そういう問題?」
「そういう問題」
瑠奈が呆れたように笑う。
こうしていると。
本当に。
昔に戻ったみたいだった。
◇
昼になると。
勉強は一旦終わった。
「終わったー!」
麗奈が机に突っ伏す。
「お前、俺より疲れてんじゃん」
「私これ一回やったもん」
「じゃあ復習だろ」
「復習だから疲れるの」
「どういう理屈だよ」
「知ってる話をもう一回聞くのって眠くならない?」
「王女様の前でよく言えるな」
「ステラなら大丈夫」
「麗奈さん?」
「ごめんなさい」
早い。
ステラ王女が笑う。
「冗談です」
「びっくりしたぁ……」
「王女様も冗談言うんですね」
俺が言うと。
「言いますよ?」
「……ですよね」
「朝陽さんは私を何だと思っているんですか?」
「王女様です」
「それはそうですが」
「朝陽、まだ慣れてないの?」
瑞輝が笑う。
「慣れる方がおかしいんだよ」
何度会っても。
王女は王女だ。
ただ。
最初ほど。
遠い人には感じなくなった。
◇
午後。
瑞輝たちは訓練があるらしい。
「見てく?」
瑞輝に聞かれたけど。
今日は断った。
見てみたい気持ちはある。
でも。
俺にもやりたいことがあった。
数日間。
色んな話を聞いた。
だから。
一度。
自分の中で整理したかった。
「じゃあ俺、図書館寄って帰るわ」
「また調べもの?」
瑠奈が聞く。
「うん。今まで読んでた本も、今ならちょっと違って見えそうだし」
「そっか」
「セレーネは?」
「行く」
「了解」
俺たちが廊下を進もうとしたところで。
「朝陽」
瑠奈に呼び止められた。
「ん?」
「夕飯は?」
「ああ……どうしようかな」
「終わったら一緒に食べない?」
「みんなで?」
「うん」
瑞輝が頷く。
「今日は訓練だけだから、そんな遅くならないと思う」
「じゃあそうする」
「宿まで迎えに行く?」
瑠奈が聞く。
「いや、待ち合わせでいいよ」
「でも――」
「場所分かるから大丈夫」
瑠奈が止まる。
また。
あの顔。
ここ数日。
何度か見た。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、いつものところで」
「了解」
手を振る。
セレーネと二人で歩き出す。
少し進んで。
振り返る。
瑠奈は。
もう麗奈と話していた。
◇
「ねえ、瑠奈」
朝陽たちの姿が見えなくなってから。
麗奈が瑠奈の隣へ寄った。
「なに?」
「ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「セレーネって人」
瑠奈の表情は変わらない。
「セレーネがどうしたの?」
「ほら、最初に会った時」
麗奈が少し声を落とす。
「瑠奈、さっきセレーネって人のこと怖い目で見てたでしょ」
「……そう?」
「見てたよ」
麗奈は笑う。
「私、ちゃんと見てたもん」
「気のせいじゃない?」
「えー?」
麗奈が瑠奈の顔を覗き込む。
「もしかして」
にやっと笑う。
「嫉妬しちゃったのー?」
「……」
「朝陽が知らない女の子連れてきたから」
「麗奈」
「なに?」
「楽しんでるでしょ」
「ちょっと」
「もう」
瑠奈が小さく笑う。
「そんなことないよ」
「ほんとに?」
「ほんと」
「ふーん」
麗奈は。
まだ少し疑っている。
「だってさ」
「うん?」
「朝陽とずっと一緒にいたんでしょ? あの子」
「そうみたいだね」
「気にならない?」
「仲間なんでしょ?」
「朝陽はそう言ってたけど」
「なら、それでいいよ」
瑠奈は。
いつも通り笑っている。
「そっかぁ」
麗奈が言う。
「つまんない」
「何を期待してたの?」
「修羅場?」
「ならないよ」
「えー」
「えー、じゃない」
麗奈が笑う。
瑠奈も笑った。
それで。
その話は終わった。
「おい、何してんだ?」
少し先から京介が呼ぶ。
「置いてくぞ」
「待ってー!」
麗奈が走る。
瑠奈も。
その後を追った。
◇
王立図書館。
久しぶりというほどでもない。
でも。
少しだけ。
違って見えた。
棚に並ぶ本。
地図。
歴史書。
以前の俺は。
ここに答えがあると思っていた。
読めば。
いつか。
全部分かると思っていた。
「……狭かったんだな」
「なにが?」
隣にいたセレーネが聞く。
「俺の探し方」
「そう?」
「うん」
本を一冊。
棚から抜く。
「ここにあるものが全部だと思ってた」
「……」
「でも、違うんだろ?」
セレーネを見る。
「国によって歴史が違う。種族によって知ってることも違う」
セレーネは。
少しだけ。
俺を見た。
「ステラが言ってた」
「うん」
「だったら、ここだけ調べても足りない」
本を開く。
以前。
何度も読んだ。
古い歴史について書かれた本。
書いてあることは。
変わらない。
でも。
俺の読み方は。
少し変わった。
これは。
答えじゃない。
誰かが残した。
一つの記録だ。
「セレーネ」
「なに?」
「お前はさ」
言いかけて。
止まる。
記憶がない。
少なくとも。
本人はそう言っている。
聞いても。
困らせるだけかもしれない。
「……いや、なんでもない」
「変なの」
「よく言われる」
ページをめくる。
少しして。
セレーネが聞いた。
「外、行くの?」
「……行きたい」
今度は。
迷わず答えた。
「まだどこに行くかは決めてないけど」
「そう」
「お前は?」
「わたし?」
「うん」
本を閉じる。
「王都に残りたいなら、別に無理についてこなくていい」
セレーネが。
黙った。
「ほら、お前にもやりたいことあるかもしれないし」
「……」
「記憶のことも――」
「行く」
遮られた。
「え?」
「朝陽が行くなら、行く」
あまりに。
普通に言う。
「……いいの?」
「うん」
「結構危ないかもしれないぞ?」
「知ってる」
「どこ行くかも決まってない」
「知ってる」
「野宿もあるぞ」
「もうした」
「……そうだった」
セレーネが。
少し首を傾げる。
「行かない方がいい?」
「いや」
首を振る。
「来てくれるなら、助かる」
「そう」
それだけ。
でも。
なんとなく。
嬉しかった。
◇
夜。
六人で飯を食べた。
この数日で。
もう見慣れた光景になっていた。
瑞輝がいて。
京介がいて。
麗奈がいて。
瑠奈がいて。
セレーネがいて。
俺がいる。
五年。
半年。
そんなものが。
どうでもよくなるくらい。
普通だった。
「朝陽」
瑞輝が言う。
「ん?」
「ちょっといいか?」
食事が終わって。
店を出た後だった。
「いいけど」
「少し歩こうぜ」
瑞輝と。
二人で歩く。
少し離れた後ろを。
残りの四人が歩いている。
「珍しいな」
俺が言う。
「何が?」
「お前が改まって話すの」
「俺だってするわ」
瑞輝が笑う。
しばらく。
並んで歩く。
夜の王都。
半年。
俺が一人で歩いていた道。
「朝陽」
瑞輝が。
前を見たまま聞いた。
「お前、この先どうする?」
来た。
そう思った。
「……まだ、細かいことは決めてない」
「うん」
「でも」
少し。
空を見る。
「王都は出ようと思ってる」
瑞輝が。
こっちを見る。
「外、見てみたいんだ」
「世界を?」
「うん」
自分で言うと。
昨日より。
もっとはっきりした。
「俺、半年ここにいたけどさ」
歩きながら。
話す。
「結局、この国のことすら全然知らなかった」
「……」
「遺跡のことも。セレーネのことも。俺がなんでここにいるのかも」
答えは。
まだない。
「だったら、外に行ってみようかなって」
「そっか」
瑞輝は。
それだけ言った。
少しして。
「なあ」
「ん?」
「もしさ」
瑞輝が。
少し言葉を選ぶ。
「俺らと一緒にいたいなら、王様に掛け合ってみるぞ」
足が。
少しだけ遅くなる。
「え?」
「お前を勇者にするとか、そういう話じゃなくて」
瑞輝がすぐに続ける。
「ただ……せっかく会えたからさ」
笑う。
「五年ぶりに」
俺にとっては。
半年。
瑞輝にとっては。
五年。
「またすぐ別れる必要もないだろ」
その言葉が。
思っていたより。
重かった。
日本にいた頃。
毎日のように一緒にいた。
朝。
学校。
放課後。
帰り道。
それが。
突然終わった。
瑞輝たちにとっては。
五年前に。
俺にとっては。
半年前に。
そして。
やっと。
もう一度会えた。
「王様に頼めば、何かしら方法はあると思う」
瑞輝が言う。
「だから、もしお前が――」
「瑞輝」
止める。
瑞輝が。
俺を見る。
「ありがとう」
本心だった。
一緒に行けば。
楽だと思う。
瑞輝がいる。
京介がいる。
麗奈がいる。
瑠奈がいる。
日本にいた頃の。
俺の居場所。
きっと。
安心できる。
でも。
「俺は――」
言葉にする前に。
後ろを見る。
少し離れた場所。
セレーネがいる。
俺たちの話は。
聞こえていないだろう。
麗奈に何か言われて。
首を傾げている。
その姿を見て。
もう。
答えは決まっていた。
「……明日、ちゃんと話すよ」
瑞輝が。
俺を見る。
それから。
少し笑った。
「分かった」
追及しない。
昔から。
そういうところは。
変わっていない。
夜の王都を。
二人で歩く。
明日。
たぶん。
俺たちは。
違う道を選ぶ。
次回から第5章に入ります。




