第38話 君のいない五年間
真白朝陽が死んだ。
十七歳だった。
◇
葬式の日。
雨は降っていなかった。
それが妙に腹立たしかった。
こんな日くらい。
空まで暗くなればいいのに。
そう思ったのが誰だったのか。
四人のうちの誰だったのか。
あるいは全員だったのか。
今となっては、もう分からない。
高田瑞輝は。
棺の前で、一度も泣かなかった。
泣けなかった。
朝陽が死んだ。
その事実が。
どうしても頭に入ってこなかった。
ついこの前まで。
一緒に学校へ行っていた。
くだらないことで笑っていた。
駅のホームに五人でいた。
それが。
四人になった。
「……朝陽」
棺の中の友人へ呼びかけても。
返事はない。
当たり前だ。
分かっている。
分かっているはずなのに。
「起きろよ……」
声が震えた。
「こんなの……笑えねえって」
当然。
返事はなかった。
少し離れた場所で。
河野京介はずっと下を向いていた。
木内麗奈は泣いていた。
声を押し殺そうとして。
それでも何度も肩が震えた。
そして。
村井瑠奈は。
朝陽の顔を見ていた。
ずっと。
誰より長く。
「瑠奈……」
麗奈がそっと腕に触れる。
瑠奈は反応しなかった。
「瑠奈?」
もう一度呼ばれて。
ようやく。
「……うん」
小さく返事をした。
「大丈夫?」
大丈夫なわけがない。
麗奈だって分かっている。
それでも。
他に言葉がなかった。
「……大丈夫」
瑠奈は答えた。
その日。
四人は。
真白朝陽に別れを告げた。
◇
それでも。
時間は止まらなかった。
学校はある。
授業もある。
テストもある。
進路も決めなければならない。
朝は来る。
腹も減る。
眠くもなる。
笑うことだってある。
最初は。
笑うたびに少しだけ罪悪感があった。
朝陽が死んだのに。
自分たちは笑っている。
でも。
そんなことをずっと続けてはいられなかった。
一週間が過ぎた。
一か月が過ぎた。
季節が変わった。
教室にあった朝陽の席も。
いつの間にか。
特別なものではなくなっていった。
忘れたわけじゃない。
ただ。
日常の方が。
少しずつ大きくなった。
◇
卒業式の日。
「終わったな」
校門を出たところで。
瑞輝が振り返った。
三年間通った校舎。
制服姿で見るのも、これが最後だ。
「終わったねー」
麗奈が卒業証書の入った筒を振る。
「振り回すなよ」
京介が言う。
「いいじゃん、今日くらい」
「人に当てんなよ」
「当てませんー」
「お前は当てる」
「なにそれ!」
麗奈が京介の腕を叩く。
少し前なら。
こんな光景の中に。
もう一人いた。
たぶん。
少し後ろから歩いて。
二人を見ながら笑っていた。
「……行こっか」
瑠奈が言った。
三人が見る。
誰も。
どこへ、とは聞かなかった。
◇
墓の前。
四人は並んでいた。
「卒業したぞ、朝陽」
瑞輝が言った。
返事はない。
でも。
今日は。
あの日ほど苦しくなかった。
「見ろよこれ」
瑞輝が卒業証書を少し持ち上げる。
「お前の分はないけどな」
「瑞輝」
京介が睨む。
「いや……違う。そういう意味じゃなくて」
「分かってるよ」
麗奈が笑った。
「朝陽なら『いきなり嫌味?』とか言いそう」
「言うな」
京介も笑う。
「絶対言う」
「で、瑞輝が焦る」
「うるせえよ」
「今みたいに?」
「麗奈まで乗っかるなって」
四人が笑った。
墓の前で。
初めて。
朝陽の話をしながら。
普通に笑えた。
少しだけ。
時間が進んだ気がした。
それぞれの進路がある。
これから先。
今までみたいに毎日会うことはなくなる。
「なあ」
瑞輝が言った。
「これからバラバラになるけどさ」
三人を見る。
「朝陽の命日くらいは、毎年集まろうぜ」
京介が頷く。
「まあ、それくらいならな」
「なにその言い方」
麗奈が笑う。
「絶対来なよ?」
「お前に言われなくても来る」
「瑠奈も」
麗奈が隣を見る。
瑠奈は。
墓を見ていた。
少し遅れて。
「うん」
笑った。
「毎年来よう」
その約束は。
守られた。
◇
一年目。
久しぶりに四人で集まった。
近況を話した。
学校の話。
新しくできた友達の話。
バイトの話。
朝陽の話もした。
高校時代の失敗談で笑った。
帰り際。
「じゃあ、また来年な」
瑞輝が言った。
「来年まで会わないみたいに言うなよ」
京介が返した。
実際。
四人全員で集まる機会は減っていた。
それぞれに。
それぞれの生活ができ始めていた。
◇
二年目。
少しだけ。
大人になった。
高校時代の話より。
今の話の方が増えた。
それでも。
墓の前に立てば。
朝陽は十七歳のままだった。
◇
三年目。
「朝陽がいたら、今頃何してたんだろうね」
麗奈が言った。
「大学行ってたかな」
瑞輝が答える。
「どうだろうな」
京介が笑う。
「あいつ、進路めちゃくちゃ悩みそうじゃね?」
「あー、分かる!」
「お前ら朝陽をなんだと思ってんだよ」
「瑞輝が一番甘いんだって」
「は?」
「昔からじゃん」
「いやいや」
話して。
笑って。
帰った。
◇
四年目。
もう。
朝陽の話をしても。
誰も泣かなかった。
それが良いことなのか。
悪いことなのか。
誰にも分からない。
ただ。
忘れてはいなかった。
◇
そして。
五年目。
「おっそーい!」
待ち合わせ場所へ着いた瞬間。
麗奈の声が飛んできた。
「まだ時間前だろ」
京介が時計を見る。
「一番最後だったから遅刻!」
「どういう理屈だよ」
「私たち待ったもん」
「勝手に早く来ただけだろ」
「京介ってそういうとこあるよね」
「どういうとこだよ」
「細かい」
「お前が雑なんだよ」
五年。
高校生だった四人は。
二十二歳になっていた。
瑞輝も。
京介も。
麗奈も。
瑠奈も。
服装も変わった。
髪型も少し変わった。
話す内容も変わった。
でも。
四人で集まると。
高校時代と大して変わらなかった。
「行くか」
瑞輝の一言で。
歩き出す。
行き先は。
言うまでもなかった。
◇
墓前に花を供える。
「五年かぁ」
麗奈が呟く。
「早いな」
京介が答えた。
「なんか……もっと昔な気もする」
「分かる」
瑞輝が墓を見る。
五年。
短いようで。
長かった。
十七歳だった自分たちは。
二十二歳になった。
なのに。
ここに眠っている朝陽だけは。
ずっと十七歳だ。
「俺ら、もう朝陽より五歳も年上なんだな」
瑞輝が言った。
「なんか変な感じ」
麗奈が笑う。
「瑞輝とか、朝陽におっさん扱いされるんじゃない?」
「二十二でおっさんは早えよ」
「でも朝陽は十七歳だよ?」
「それは……」
「五個上」
「……あいつなら言いそうだな」
「でしょ?」
笑い声が漏れる。
五年前なら。
墓の前で笑うなんてできなかった。
今はできる。
それだけ。
時間が経った。
やがて。
瑠奈が墓の前へしゃがんだ。
手を合わせる。
目を閉じる。
「……」
長い。
いつもより。
少しだけ。
麗奈が瑠奈を見る。
何か。
妙な感じがした。
悲しんでいる。
そういうふうには見えない。
かといって。
普通に墓参りをしているだけにも見えなかった。
祈っている。
いや。
何かを。
確かめているような。
「……瑠奈?」
麗奈が呼ぶ。
瑠奈が目を開けた。
振り返る。
「なに?」
いつもの瑠奈だった。
「ううん。なんでもない」
「そう?」
立ち上がる。
「じゃあ行こっか」
麗奈は。
もう一度だけ墓を見る。
気のせい。
そう思うことにした。
◇
夜。
四人は店で飲んでいた。
「かんぱーい!」
グラスがぶつかる。
「麗奈、飛ばすなよ」
「大丈夫大丈夫!」
「その台詞言う奴が一番信用できねえ」
京介が言う。
「京介は心配性だなぁ」
「去年誰が潰れたと思ってんだ」
「去年の私は去年の私です」
「同一人物だろ」
「成長したの!」
「一年で?」
「一年を舐めないでください」
「はいはい」
「なにその言い方!」
瑞輝が笑う。
「お前らほんと変わんねえな」
「瑞輝もね」
瑠奈が言った。
「俺は変わっただろ」
「どこが?」
「色々」
「具体的には?」
「……色々だよ」
「ないんじゃん」
「瑠奈まで麗奈側につくなよ」
「私、いつから陣営になったの?」
「知らねえよ」
笑う。
飲む。
食べる。
近況を話す。
もうすぐ学生生活も終わる。
これから何をするのか。
どこで働くのか。
そんな話が増えた。
やがて。
誰からともなく。
昔の話になった。
「朝陽ってさ」
麗奈がグラスを置く。
「瑞輝に誘われると、なんだかんだ付き合ってたよね」
「あったな」
京介が笑う。
「帰るって言ってんのに、こいつがしつこいんだよ」
「しつこいって言うなよ」
「実際そうだったじゃん」
麗奈も笑う。
「『昨日も付き合っただろ』って朝陽に言われてたよね」
「覚えてる」
瑠奈が笑った。
「瑞輝、『昨日は昨日。今日は今日』って」
「……そんなこと言ったっけ、俺」
「言ってた」
「言ってたな」
「言ってたよ」
三人に言われて。
瑞輝が苦笑する。
「全員覚えてんのかよ」
「だって――」
麗奈の言葉が止まった。
あの日も。
そうだったから。
夕方の駅。
五人でいつものように話して。
瑞輝が朝陽を誘って。
朝陽が呆れながら返して。
そんな。
何でもない一日だった。
その後に何が起きるのかなんて。
誰も知らなかった。
「……ごめん」
麗奈が困ったように笑う。
「別に謝んなくていいだろ」
京介が言った。
「もう五年だぞ」
「そうだけど……」
「朝陽の話しに来てんだからさ」
瑞輝がグラスを置く。
「楽しい話だけ選ぶ必要もないだろ」
麗奈が少し笑う。
「……そうだね」
会話が戻る。
また笑う。
五年前とは違う。
朝陽の死は。
触れてはいけない傷ではなくなっていた。
消えたわけじゃない。
ただ。
一緒に生きていける傷になった。
◇
店を出る。
夜風が気持ちいい。
「飲んだー!」
麗奈が伸びをする。
「お前、結局一番飲んでただろ」
京介が言う。
「成長したでしょ?」
「酔ってんじゃねえか」
「酔ってませーん」
「はいはい」
「またそれ!」
瑞輝がスマホを見る。
「まだ電車あるな」
「じゃあ帰る?」
麗奈が聞く。
その時。
「ねえ」
瑠奈が言った。
三人が見る。
「ちょっとだけ、寄りたいところがあるんだけど」
「どこ?」
瑞輝が聞く。
瑠奈は。
少しだけ間を置いて。
駅の名前を言った。
三人の表情が変わった。
朝陽が。
死んだ駅。
「……今日?」
京介が聞く。
「うん」
「なんでまた」
「五年だから」
瑠奈は笑った。
「なんとなく」
三人は顔を見合わせる。
断る理由は。
なかった。
◇
駅。
五年ぶりだった。
来ようと思えば。
いつでも来られた。
でも。
誰も来なかった。
ホームへ降りる。
夜。
電車を待つ人がいる。
会社員。
学生。
スマホを見ている人。
普通の駅。
五年前と同じ。
ここで。
一人死んだことなんて。
知らない人の方が多い。
「……ここか」
瑞輝が呟く。
五人で立っていた場所。
あの日も。
こんなふうに五人で話していた。
このまま帰るのか。
どこかへ寄っていくのか。
そんな。
どうでもいい話をして。
笑って。
電車が来て。
そして。
朝陽が落ちた。
瑞輝が無意識に。
ホームの端から一歩離れる。
京介も黙っている。
麗奈は。
線路を見られなかった。
瑠奈だけが。
前へ進んだ。
「瑠奈?」
麗奈が呼ぶ。
瑠奈は。
黄色い線の手前で止まる。
線路を見る。
五年前。
ここに。
朝陽が落ちた。
「……五年か」
瑞輝が言う。
返事はない。
瑠奈は。
ただ。
線路を見ていた。
「瑠奈?」
もう一度。
瑠奈が。
小さく。
呟いた。
「……ここから始まったんだね」
「え?」
麗奈が聞き返す。
その瞬間。
光が。
足元に広がった。
「なっ――!?」
瑞輝が声を上げる。
白い光。
ホームの床に。
見たこともない模様が浮かび上がる。
「何だこれ!?」
京介が瑠奈の腕を掴む。
「瑠奈!」
「みんな、離れろ!」
瑞輝が叫ぶ。
でも。
遅い。
光が強くなる。
麗奈が目を覆う。
「なにこれ……!?」
駅が。
消えていく。
人の声。
電車の音。
夜の空気。
何もかも。
白に飲み込まれる。
「瑠奈!」
最後に。
誰かが名前を呼んだ。
そして。
四人は。
日本から消えた。




