第36話 ただいま
「朝陽」
「……ん」
「朝」
「……あと五分」
「それ前も言ってた」
「……じゃあ十分」
「増えた」
寝袋を引っ張られた。
冷たい朝の空気が一気に入ってくる。
「寒っ!」
身体を丸める。
「起きて」
「分かった、分かったから返して!」
寝袋を取り返す。
セレーネはすでに起きていた。
荷物もまとめている。
「……早くない?」
「普通」
「俺も前まで普通に起きれてたんだけどな」
「疲れてるんじゃない?」
「誰か一人増えたからな」
「わたし?」
「荷物も食料も増えたし」
「じゃあ置いていけば?」
「お前を?」
「荷物」
「あ、そっち」
「何だと思ったの?」
「いや……」
朝から恥ずかしい。
「何でもない」
身体を起こす。
今日で終わりだ。
何もなければ。
王都ルイへ帰れる。
朝食を済ませて街道へ戻った。
昨日までより、明らかに人が多い。
荷馬車が何台も行き交っている。
旅人も増えた。
遠くには広い農地が見え、その向こうにはいくつもの建物が並んでいる。
王都の近郊まで来た。
「今日こそ着くぞ」
「本当に?」
「着く」
「たぶん?」
「絶対」
昨日散々疑われたからな。
今日は言い切る。
「もうこの辺まで来れば迷いようがないから」
「迷ったことあるの?」
「……最初の頃は」
「あるんだ」
「仕方ないだろ。地図の見方もよく分かんなかったんだから」
「地図の見方は分かるでしょ」
「こっちの地名が読めなかったんだよ!」
日本なら分かる。
駅名。
道路。
地図。
スマホもあった。
でも、こっちへ来た直後は何もなかった。
読めない地図を持っていても意味がない。
「そう考えると俺、よく王都まで行けたな……」
「どうやって?」
「アルヴェンで色々教えてもらった」
「アルヴェン?」
「俺が最初に辿り着いたところ」
エルダ禁域を抜けて。
何も分からないまま歩いて。
初めて辿り着いた人里。
「そこで初めて、この国がバルカン王国だって知った」
「そう」
「王都ルイのこともな」
あそこがなかったら。
俺はどうなっていたんだろう。
考えたくない。
「最初は荷物もほとんどなかったから、身軽だったんだけどな」
背中を見る。
大剣。
旅の荷物。
「今はこれがあるから」
大剣の柄を軽く叩く。
「重い?」
「そりゃ重いよ」
「じゃあ置いていけば?」
「それは無理」
「どうして?」
「武器だから」
「昨日は変えるって言ってた」
「変えるかもしれないってだけ。捨てるとは言ってない」
ガイウスに教わった剣だ。
仮に別の武器へ変えるとしても。
そこらへんに捨てる気にはならない。
「それに、これ持ってると移動が面倒なんだよな」
「そうなの?」
「馬とか荷馬車とか。乗れないわけじゃないけど、こんなの背負ってると邪魔だろ」
大剣は長い。
重い。
旅の荷物まである。
結局、自分で歩いた方が気楽だった。
「だからずっと歩いてたのね」
「まあな」
「大変」
「今さら?」
「今知ったから」
「そうですか」
セレーネは身軽だ。
ちょっと羨ましい。
昼前。
街道の先に、それが見えた。
遠くに伸びる巨大な城壁。
その向こう。
建物の屋根がいくつも見える。
さらに奥には、王城。
思わず足が止まった。
「見えた」
セレーネも足を止める。
「……あれ?」
「あれが王都」
久しぶりに見る。
王都ルイ。
半年しか住んでいない。
生まれた場所でもない。
それなのに。
見えた瞬間。
肩の力が抜けた。
「帰ってきた……」
小さく口から出た。
「帰ってきた?」
セレーネが聞く。
「ああ」
少し考えて。
「俺、今ここに住んでるから」
「そう」
「だから……まあ、帰ってきたでいいんじゃないかな」
日本の家とは違う。
家族が待っているわけでもない。
自分の家があるわけでもない。
宿暮らしだ。
それでも。
今の俺が帰る場所を聞かれたら。
たぶんここになる。
「行こう」
「うん」
二人で王都へ向かった。
近づくほど人が増えていく。
荷馬車の列。
旅人。
商人。
冒険者。
王都へ入る人たちが、門の前に列を作っている。
セレーネが城壁を見上げた。
「大きい」
「だろ?」
「うん」
ちょっと嬉しい。
別に俺が作ったわけじゃないけど。
「俺も最初そう思った」
「朝陽も?」
「そりゃな。異世界の城壁なんて初めて見たし」
「またイセカイ」
「本当なんだから仕方ないだろ」
列の最後尾へ並ぶ。
少しずつ進む。
そこで。
「あ」
思い出した。
「どうしたの?」
「セレーネ、身分証ないよな」
「ない」
「だよな」
「入れない?」
「いや。大丈夫だと思う」
俺も最初は持っていなかった。
冒険者カードなんて、王都へ入ってから作ったものだ。
「俺も最初、何も持ってなかったから」
「どうしたの?」
「門番に聞かれて、アルヴェンから来たって答えた」
「それだけ?」
「多少は色々聞かれたけど、それで入れた」
だから。
身分証がないだけで追い返されるわけじゃない。
問題は。
セレーネがどこから来たのか。
「聞かれたら、俺が説明するよ」
「なんて?」
「旅の途中で一緒になったとか」
「嘘ね」
「石から出てきたって言うよりいいだろ」
「そう?」
「絶対そっちの方がいい」
禁域。
古代遺跡。
隠された地下。
石像。
そこから女の子が出てきました。
自分で言っていても怪しい。
「余計なこと言わなくていいからな?」
「余計なこと?」
「石になってたとか」
「本当なのに」
「本当だから困るんだって」
「変なの」
「世の中そんなもんだよ」
「半年しか知らないのに?」
「……」
こいつ。
本当に半年先輩を便利に使うな。
やがて俺たちの番が来た。
門番の視線が俺へ向く。
俺は冒険者カードを見せた。
確認はすぐ終わった。
問題はセレーネ。
予想通り、身分を証明するものがないことを聞かれる。
「旅の途中から一緒なんです。身分を証明できるものは持ってなくて」
いくつか質問される。
俺が答える。
セレーネも必要なことだけ答える。
少し時間はかかった。
でも。
それだけだった。
通っていいと言われる。
「ほら」
門を抜けながら言う。
「大丈夫だっただろ」
「朝陽」
「ん?」
「ちょっと緊張してた」
「……してない」
「してた」
「してないって」
「声が少し高かった」
「嘘だろ?」
自分では分からない。
セレーネが少し笑った。
「嘘」
「お前!」
完全に遊ばれてる。
「性格悪いぞ!」
「朝陽が騙されやすいだけ」
「くっそ……」
言い返しながら。
門を抜ける。
その先。
一気に景色が開けた。
大通り。
並ぶ建物。
店。
屋台。
行き交う人。
荷車。
呼び込みの声。
金属を叩く音。
料理の匂い。
半年間。
何度も見てきた景色。
でも。
数日離れていただけで、やけに懐かしい。
「ただいま……」
誰に言うでもなく呟いた。
「朝陽」
「ん?」
セレーネが立ち止まっている。
人の流れ。
建物。
遠くの王城。
あちこちへ視線を動かしていた。
「どう?」
聞いてみる。
「……人、多い」
「だろ?」
「うるさい」
「それも分かる」
「匂いもいっぱいする」
「飯の?」
「色々」
「そのうち慣れるよ」
「朝陽みたいに?」
「そうそう」
「半年で?」
「……その言い方やめろって」
まただ。
俺が歩き出す。
少しして、セレーネも隣へ並んだ。
「まずどうする?」
聞かれた。
「んー……」
やることは多い。
宿。
風呂。
セレーネの服。
ギルドへの帰還報告。
武器も見たい。
食料も買い直したい。
「とりあえず宿かな」
「お風呂」
「分かってる」
「ある?」
「あるところにするよ」
「ベッド」
「それもある」
「甘いもの」
「お前の要求増えてない?」
「三つだけ」
「三つもあるんだよ」
でも。
まあ。
何日も歩いた。
俺も風呂へ入りたい。
ベッドで寝たい。
「宿取ったら飯にしよう」
「甘いもの」
「飯の後な」
「分かった」
「服も買わないとな」
「今日?」
「できれば」
セレーネを見る。
何日も旅をした服。
俺も似たようなものだけど。
「俺も着替えたいし」
「臭い?」
「……」
自分の服を嗅ぐ。
やめた。
知りたくない。
「風呂が先だ」
「そうね」
意見が一致した。
歩き慣れた道を進む。
半年前は。
この街の何も知らなかった。
どこに何があるのか。
どこで飯を食えばいいのか。
宿はどこか。
ギルドはどこか。
全部、人に聞いた。
今は違う。
「こっち」
俺が曲がる。
セレーネがついてくる。
「道、分かるのね」
「当たり前だろ。半年住んでるんだぞ」
「半年」
「その半年は馬鹿にするところじゃない!」
「してない」
「絶対してる」
でも。
悪くない。
誰かを案内するなんて。
半年前の俺には考えられなかった。
宿を取る。
部屋は別々にした。
セレーネに必要なことを説明して、自分の部屋へ荷物を置く。
大剣を壁へ立てかけた瞬間。
肩が軽くなった。
「……生き返る」
そのままベッドへ倒れ込みたくなる。
でも。
先に風呂だ。
服もひどい。
身体もひどい。
全部洗いたい。
久しぶりの湯に浸かった瞬間。
「…………あぁ」
声が出た。
誰もいなくてよかった。
肩まで沈む。
温かい。
地面じゃない。
魔物も来ない。
見張りもしなくていい。
最高だ。
「もう旅したくない……」
もちろん無理だけど。
少なくとも今日は。
何もしたくない。
風呂を上がって。
着替えて。
部屋へ戻る。
少し休んでから、セレーネの部屋をノックした。
「セレーネー」
返事がない。
「寝た?」
もう一度。
「セレーネ?」
扉が開く。
髪を乾かしきっていないセレーネが立っていた。
「なに」
「飯行く?」
「行く」
早い。
「甘いもの?」
「飯」
「その後は?」
「甘いもの」
「はいはい」
やっぱりそれは外さないらしい。
外へ出る。
夕方の王都は人が多い。
仕事を終えた人。
これから飯を食いに行く人。
酒場へ向かう冒険者。
店じまいを始める商人。
俺にとっては見慣れた景色。
セレーネにとっては、たぶん何もかも新しい。
「何食いたい?」
「分からない」
「肉?」
「なんでも」
「じゃあ俺がよく行くところでいい?」
「うん」
歩き出す。
数歩進んで。
気づく。
一人で歩いていた時と、少し違う。
いつもなら。
どこへ行くかなんて自分だけで決めればよかった。
今は隣に一人いる。
飯を食うにも。
宿を取るにも。
行き先を決めるにも。
一人分じゃない。
「朝陽」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや」
首を振る。
「何でもない」
また歩く。
数日前。
俺は自分の答えを探しに王都を出た。
結局。
自分が何者なのかは分からなかった。
どうしてムンドゥスへ来たのかも。
あの遺跡で目を覚ました理由も。
顔の傷も。
身体が勝手に動いた理由も。
何一つ。
だけど。
一人で出た王都へ。
俺は今。
一人じゃなく帰ってきた。
「朝陽」
「ん?」
「お腹空いた」
「今行ってるだろ」
「甘いものも」
「分かったって!」
「忘れそうだから」
「忘れねえよ!」
セレーネが少し笑う。
俺も笑う。
答えは見つからなかった。
代わりに。
一緒に飯を食う相手が、一人増えた。
今は。
それでいい気がした。
次回から第4章に入ります。




