第33話 戦い方
翌朝。
目を覚ますと、セレーネはすでに起きていた。
少し離れた場所に座って、森を眺めている。
「……おはよう」
声をかけると、振り返った。
「おはよう」
「今日は起こされなかったな」
「起きたから」
「自力で?」
「そう」
「よかった……」
昨日みたいに二回も起こされたのに寝続けていたら、さすがに格好がつかない。
いや、もう手遅れかもしれないけど。
「何?」
「いや、なんでもない」
立ち上がり、身体を伸ばす。
肩を回してから、大剣を背負う。
今日は禁域を抜けられるはずだ。
そこから王都まではまだ数日かかるけど、森の奥にいるよりはずっと気が楽になる。
「朝飯食ったら出よう」
「うん」
「今日中には禁域を抜けられると思う」
「やっと?」
「昨日も言っただろ。広いんだよ、ここ」
「そう」
「俺が作ったわけじゃないからな」
「知ってる」
「……」
最近、ちょっとだけ分かってきた。
セレーネは別に喧嘩を売っているわけじゃない。
たぶん、思ったことをそのまま言っているだけだ。
それがたまに妙に刺さる。
本人に悪気があるのかは分からない。
……いや。
昨日の何回かは絶対あったと思う。
朝食を済ませ、野営の跡を片付ける。
火が完全に消えていることを確認してから出発した。
歩き始めてしばらくは、特に何も起こらなかった。
木々の隙間を縫うように進む。
鳥の鳴き声。
葉が擦れる音。
遠くから聞こえる何かの声。
半年前なら、その全部が怖かった。
今はある程度聞き分けられる。
少なくとも、鳥が鳴いただけで剣に手を伸ばすことはなくなった。
「……」
後ろを見る。
セレーネは普通についてきている。
相変わらず疲れている様子はない。
「本当に元気だな」
「何が?」
「昨日目を覚ましたばっかりとは思えない」
「……そう?」
「普通もっと弱ってると思う」
「普通が分からない」
「まあ、俺も石になったことないから分かんないけど」
セレーネが俺を見る。
「なに?」
「別に」
「その『別に』、便利すぎない?」
返事はなかった。
前を向く。
しばらく歩く。
「そういえば」
「なに」
「セレーネって、歳いくつ?」
足音が止まった。
俺も振り返る。
「……」
セレーネが黙っている。
「あ、覚えてない?」
「……そうね」
「そっか」
考えてみれば当然だった。
自分が何者かも分からないと言っているんだから、年齢だけ覚えている方がおかしい。
「見た感じ、俺とそんな変わらなそうだけど」
「朝陽はいくつ?」
「十七」
「……十七」
「高校二年……って言っても分かんないか」
「分からない」
「だよな」
日本の話をするたびに説明するものが増える。
学校を説明するには、日本の生活を説明しないといけない。
電車を説明するには、機械から説明しないといけない。
スマホなんて見せても、もう電池が切れているからただの黒い板だ。
「王都に着いたら色々見せるよ」
「色々?」
「この世界のもの。俺も最初は何見ても珍しかったから」
「……そう」
「セレーネも何か思い出すかもしれないし」
「……うん」
一瞬だけ。
返事が遅れた。
気のせいかもしれない。
昨日から、たまにこういうことがある。
何かを聞いた時。
何かを見た時。
ほんの少しだけ、セレーネが止まる。
でも聞けば「分からない」と言う。
本当に分からないのか。
思い出せそうで思い出せないのか。
俺には判断できない。
だったら、今は無理に聞く必要もない。
俺だって、自分のことを聞かれても答えられない部分がある。
お互い様だ。
昼前。
空気が変わった。
先を歩いていた俺は足を止める。
「セレーネ」
「なに」
「止まって」
声を落とす。
セレーネが黙った。
周囲を見る。
森は静かだ。
静かすぎる。
さっきまで聞こえていた鳥の声がない。
「……何かいる」
「どこ?」
「まだ分からない」
背中へ手を回し、大剣の柄を握る。
ガイウスから教わったことを思い出す。
見えてから考えるんじゃ遅い。
先に逃げ道を見る。
足場を見る。
相手が一体だと決めつけない。
「俺の後ろにいて」
「……分かった」
素直に下がった。
少し意外だった。
もっと何か言われるかと思ったけど、こういう時は従ってくれるらしい。
ゆっくり進む。
右。
左。
前。
木の陰。
茂み。
何もいない。
でも。
いる。
こういう感覚は、半年で身についた。
理由を説明しろと言われても難しい。
ただ、何度も森へ入っていると、いつもと違う静けさが分かるようになる。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで。
左側の茂みが揺れた。
「っ!」
身体を向ける。
飛び出してきた影。
四足。
魔物。
考えるより先に大剣を抜いた。
金属音と同時に、地面を蹴る。
魔物がこちらへ飛び込んでくる。
「セレーネ、下がって!」
返事を確認する余裕はない。
横へずれる。
爪が目の前を通過した。
避ける。
踏み込む。
大剣を横へ振る。
重い刃が魔物の身体を捉えた。
「っ……!」
浅い。
倒しきれない。
相手が地面を転がり、すぐに起き上がる。
俺も大剣を戻した。
「一体……」
いや。
決めつけるな。
周囲を見る。
茂みが揺れる。
「やっぱりか!」
もう一体。
後ろ。
セレーネの近く。
「セレーネ!」
魔物が飛び出す。
まずい。
距離がある。
大剣を持ったままでは間に合わない。
左手を前へ出す。
「《ファイアボール》!」
火球が飛ぶ。
魔物の横腹へ当たった。
爆ぜる。
軌道が逸れた。
セレーネの横を通過し、地面へ転がる。
「離れて!」
「……」
セレーネは俺を見ていた。
「セレーネ!」
「分かってる」
ようやく下がる。
なんでそんな落ち着いてるんだ。
普通もっと驚くだろ。
いや。
今は考えてる場合じゃない。
正面の一体が再び来る。
大剣を両手で握る。
振り下ろす。
避けられた。
重い刃が地面へ食い込む。
「くそっ」
引き抜く。
その間に横からもう一体。
身体を捻る。
爪が服を掠めた。
「っ!」
近い。
蹴りを入れて距離を作る。
効いたかどうかはどうでもいい。
離せればいい。
大剣を構え直す。
二体。
片方はさっきの魔法で傷を負っている。
もう片方は大きな傷なし。
逃げるほどじゃない。
勝てる。
落ち着け。
一体ずつ。
「……」
息を吐く。
先に傷を負っている方。
大剣を持ち直し、前へ出る。
魔物が警戒して距離を取った。
追う。
右からもう一体が来る。
見えてる。
踏み込む足を止め、身体を引く。
爪を避ける。
そのまま大剣を振る。
今度は当たった。
重い感触。
一体が吹き飛ぶ。
「よし!」
倒れた魔物へ追撃しようとする。
その瞬間。
背後。
嫌な感じがした。
振り返る。
もう一体が飛んでいる。
近い。
大剣を戻すには遅い。
左手を向ける。
「《ファイアボール》!」
火球。
直撃。
魔物が地面へ落ちる。
すぐに距離を詰める。
今度こそ。
大剣を振り下ろした。
静かになった。
「……ふう」
息を吐く。
倒れた二体を確認する。
動かない。
周囲を見る。
まだいる可能性がある。
しばらく待つ。
物音なし。
「終わった……かな」
大剣を下ろす。
汗が額を伝った。
別に苦戦するような相手じゃなかった。
でも、二体以上になるとどうしても忙しい。
剣を振って。
戻して。
魔法を撃って。
また剣を握る。
ガイウスみたいに大剣だけで全部対応できればいいけど、俺はそこまで上手くない。
「セレーネ、大丈夫?」
振り返る。
「……」
少し離れた場所に立っていた。
怪我はなさそうだ。
「大丈夫?」
もう一度聞く。
「平気」
「よかった」
大剣を背中へ戻す。
「悪い。いきなりだったから」
「……」
「怖かった?」
「別に」
「ですよね」
なんとなく予想していた。
というか。
「なんでそんな落ち着いてるの?」
「そう?」
「そうだよ。魔物だぞ?」
「見れば分かる」
「いや、そうじゃなくて」
俺が初めて魔物に会った時なんて、もっと酷かった。
怖くて。
何をすればいいか分からなくて。
必死だった。
セレーネは違う。
戦ってはいない。
でも、怯えてもいない。
俺の言う通り距離を取って、ずっと戦いを見ていた。
「もしかして魔物は覚えてる?」
「……分からない」
「でも怖くなかった?」
少し考える。
「別に」
「それ答えになってる?」
「なってる」
「そっか……」
記憶がない。
でも身体は何かを覚えている。
もしそうなら。
俺と少し似ている。
そんなことを考えていると、セレーネが倒れた魔物ではなく俺を見ていることに気づいた。
「なに?」
「……」
「また傷見てる?」
「違う」
「じゃあ何?」
セレーネの視線が下がる。
背中の大剣。
「それ」
「大剣?」
「うん」
「これがどうした?」
「……」
しばらく黙っている。
「なに?」
「戦いづらそう」
「……え?」
聞き間違いかと思った。
「戦いづらそう」
二回言われた。
「俺が?」
「うん」
「いやいや」
思わず笑う。
「一応、これで半年やってるんだけど」
「そう」
「冒険者ランクもDだし」
「そう」
「もうすぐCだし」
「そう」
「……なんか腹立つな」
セレーネは大剣を見る。
「重いでしょ」
「まあ」
「両手も使う」
「基本はな」
「魔法を使う時、持ち直してた」
言われて止まった。
「……」
「剣を振った後も遅い」
「いや、それは大剣だから」
「だから」
「……」
セレーネが俺を見る。
「戦いづらそう」
三回目。
「そんなことないって」
反射的に言った。
「ガイウスはこれでめちゃくちゃ強いし」
「ガイウスは、でしょ」
「……」
言葉が詰まった。
セレーネはそれ以上何も言わない。
大剣を否定しているわけじゃない。
たぶん。
俺の戦い方を見て言っている。
「でも、俺はこれ教えてもらったし」
「うん」
「使いやすいし」
「そう」
「……」
使いやすい。
本当に?
自分で言っておいて引っかかった。
半年間ずっと使ってきた。
最初にまともに教えてもらった武器。
ガイウスが使っていた武器。
間合いも。
振り方も。
重心も。
全部これで覚えた。
だから。
大剣を使うこと自体に疑問を持ったことがなかった。
「……別に」
セレーネが歩き出す。
「え?」
「朝陽が使いやすいなら、それでいい」
「なんだよ、それ」
「知らない」
「言うだけ言って終わり?」
返事はない。
俺はその背中を見た。
それから。
背負った大剣へ手を伸ばす。
戦いづらそう。
そんなこと。
今まで一度も言われなかった。
むしろ覚えるのが早いと褒められた。
ガイウスにも。
他の冒険者にも。
だから自分には向いているんだと思っていた。
「……」
さっきの戦いを思い返す。
剣を振る。
魔法を使う。
また剣を握る。
確かに。
何度も持ち替えた。
大剣を片手で支えながら魔法を撃った。
剣を振り切った直後、次の攻撃へ移るまで一瞬遅れた。
でも。
「大剣ってそういうもんじゃないのか……?」
前を歩くセレーネを見る。
「なあ」
「なに」
「セレーネって戦えるの?」
足が止まった。
振り返る。
「……分からない」
「そこも?」
「覚えてない」
「じゃあ、なんで俺の戦い方にそんな詳しいんだよ」
「見れば分かる」
「それが分かんないんだって」
「そう」
「……」
また歩き出す。
やっぱり。
変なやつだ。
何も覚えていないと言うくせに。
時々、妙に物を知っているようなことを言う。
五千年前の話をした時。
俺の傷を見た時。
そして今。
何かある。
そう思う。
でも。
本人が話さないなら、無理に聞いても仕方ない。
俺だって、人に言っていないことはある。
七属性全部使えることだってそうだ。
「……お互い様か」
「何が?」
「なんでもない」
俺はセレーネの横へ並んだ。
「あとどれくらい?」
「何が?」
「禁域」
「ああ。もうそんなかからないと思う」
「そう」
「早く出たい?」
「別に」
「絶対それ好きだろ」
「別に」
「ほら!」
少しだけ。
セレーネの歩く速度が上がった。
「待てって」
追いかける。
その途中。
俺はもう一度だけ、背中の大剣を意識した。
夕方になる前に。
森が途切れた。
「……出た」
思わず声が漏れる。
振り返る。
背後には、どこまでも続く深い森。
半年前。
俺はあそこから一人で出てきた。
何も知らず。
何も持たず。
自分がどこにいるのかさえ分からないまま。
そして今。
同じ場所から。
「セレーネ」
「なに」
「ここから先は、ちゃんと人がいる場所に近づいていく」
セレーネが森の外を見る。
「……そう」
「村とか町とかもあるし、その先に王都」
「ルイ」
「覚えてたんだ」
「それくらいは」
「そっか」
風が吹く。
森の中とは違う。
開けた場所を通った風。
セレーネの髪が揺れた。
「行こう」
俺が歩き出す。
少し遅れて。
セレーネもついてくる。
これで。
本当にエルダ禁域を出た。
俺にとっては二度目。
セレーネにとっては――たぶん、初めて。
少なくとも。
今のセレーネにとっては。
「朝陽」
「ん?」
「王都って」
「うん」
「甘いもの、あるの?」
「……」
思わず足を止めた。
「そこ覚えてたの?」
「悪い?」
「いや」
笑う。
「あるよ」
「そう」
「着いたら食べる?」
少しだけ間があった。
「……別に」
「じゃあ食べない?」
「食べないとは言ってない」
「どっちだよ」
「知らない」
またそれだ。
でも。
今度は俺も笑った。
自分のことを知るために始まりの場所へ戻った。
答えは見つからなかった。
代わりに。
よく分からない女の子が一人増えた。
それがいいことなのか。
悪いことなのか。
まだ分からない。
ただ。
一人で歩いた時より。
二人で歩く帰り道の方が。
少しだけ楽しいと思った。




