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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【バルカン王国編】第1章「知らない世界」

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第3話 森の中で

 森の中を歩き始めて、最初に分かったことがある。


「……歩きにくすぎる」


 道がない。


 当たり前といえば当たり前なんだけど、これが想像以上にきつかった。


 地面から飛び出した木の根。


 腰の高さまで伸びた草。


 行く手を塞ぐ枝。


 何度払っても顔にまとわりついてくる細い蔓。


「いって……」


 枝が頬を掠めた。


 足元ばかり見ていたら今度は顔に枝が当たる。


 前ばかり見ていたら木の根につまずく。


「山ってこんな歩きにくいのかよ……」


 学校行事で山を歩いたことくらいはある。


 でも、あれはちゃんと人が整備した道だった。


 ここにはそれがない。


 本当にただの森。


 俺が道だと思って進み始めた場所も、少し歩けば草木に埋もれて消えてしまった。


「…………」


 足を止める。


 振り返った。


「……やば」


 もう遺跡が見えない。


 少し前までは、木々の隙間から石壁が見えていた。


 なのに今は、どこを見ても木しかない。


「待て待て待て」


 急に不安になる。


 戻れるか?


「…………」


 来た方向。


 たぶん、あっち。


 いや。


 本当に?


 似たような木ばかりだ。


 さっき通った場所がどこだったのか、もう分からない。


「……マジかよ」


 自分が思っていた以上に、森の中では方向感覚がなくなる。


 スマホを取り出す。


 地図は使えない。


 圏外。


 時刻だけは分かる。


 それから――。


「コンパス……」


 標準で入っていたアプリを開く。


 方角は表示された。


「使える……!」


 思わず声が大きくなった。


 初めてスマホがスマホらしい仕事をした気がする。


「いや、ライトも使ってたけど」


 誰に言い訳しているんだ。


 とにかく、方角は分かる。


 問題は。


「……どっち行けばいいんだ?」


 そこだった。


 北が分かったところで、町がどっちにあるか分からない。


「意味ねえ……」


 いや。


 意味がないわけじゃない。


 少なくとも同じ方向へ進み続けることはできる。


 ぐるぐる回って元の場所に戻るよりはいい。


「……どっちにしよう」


 考える。


 考えて――。


「分かるわけないだろ」


 情報がなさすぎる。


 結局、最初に進んでいた方向を維持することにした。


 正しいかは分からない。


 でも、ここで何度も方向を変える方が危ない気がする。


「とりあえず真っ直ぐ……」


 スマホで方角を確認する。


 少し進む。


 また確認。


 それを繰り返す。


 バッテリーは無駄にしたくない。


 必要な時だけ画面を点ける。


「頼むから人いてくれよ……」


 返事の代わりに、どこかで鳥が鳴いた。


 ◇


「はぁ……」


 どれくらい歩いただろう。


 脚が重い。


 制服は完全に森歩きに向いていなかった。


 靴もそうだ。


 土で汚れ、ところどころ泥がついている。


「喉渇いた……」


 遺跡で見つけた水。


 飲んでおけばよかったかもしれない。


 いや。


 あの時は、飲まない方がいいと思った。


 それは間違ってない。


 たぶん。


「……水探さないとな」


 今すぐ限界というわけじゃない。


 でも、このまま何時間も歩くなら必要になる。


 食べ物も。


「…………」


 腹を押さえる。


 意識した途端、腹が減ってきた。


「最悪だ……」


 朝。


 何食べたっけ。


 昼は学校で食べた。


 そのあと駅に行って――。


「……あれ?」


 そこで気づく。


 今、何時だ?


 スマホを見る。


「…………」


 表示されている時刻と、空の明るさ。


 合っているのか分からない。


 そもそも、どれくらい気を失っていた?


 一時間?


 数時間?


 一日?


「いや……」


 一日はない。


 そう思いたい。


 スマホの日付は変わっていない。


 でも、それが正しい保証もない。


「…………」


 また分からないことが増えた。


「考えるな」


 自分に言い聞かせる。


 分からないことを延々考えても仕方ない。


 今必要なのは水。


 それから人。


「……川とかないかな」


 耳を澄ます。


 風。


 葉が擦れる音。


 鳥。


 虫。


 水の音は聞こえない。


 仕方なく歩き続けた。


 ◇


「……待って」


 足を止めた。


 何かおかしい。


 静かだ。


 さっきまで聞こえていた鳥の声が、いつの間にか消えている。


「…………」


 風は吹いている。


 木々も揺れている。


 なのに、生き物の声がしない。


 嫌な感じがした。


 理由は分からない。


 でも。


「……戻った方がいいか?」


 小さく呟いた時。


 ガサッ。


「っ!」


 右。


 反射的に振り向く。


 茂みが揺れた。


「…………」


 また鳥か?


 さっきみたいに。


 そう思いたい。


 でも、揺れ方が違う。


 もっと大きい。


 ガサ。


 ガサガサ。


 何かが移動している。


「……嘘だろ」


 身体が固まる。


 熊。


 猪。


 鹿。


 日本の山にいる動物を必死に思い浮かべる。


 どれでも嫌だ。


 鹿ならまだ――。


「いや、鹿でも普通に怖いわ」


 じり、と一歩下がる。


 走る?


 いや、相手が何か分からない。


 走って追われたら終わる。


 俺は周囲を見る。


 木。


 登れるか?


「無理だろ……」


 運動部でもない俺が、いきなり木登りなんてできるわけがない。


 武器。


 何か。


 落ちていた太めの枝を拾った。


「…………」


 頼りない。


 死ぬほど頼りない。


 でも素手よりはマシだ。


 両手で握る。


 手が震えていた。


「頼むから……出てくんなよ」


 息を殺す。


 茂みが揺れる。


 近づいてくる。


「…………」


 逃げたい。


 めちゃくちゃ逃げたい。


 でも、足が動かない。


 次の瞬間。


 茂みから何かが飛び出した。


「うわっ!」


 枝を構える。


 出てきたのは――。


「…………」


 四本脚の、小さな動物だった。


 俺の膝より少し高いくらい。


「……なんだ?」


 見たことがない。


 犬?


 狐?


 そのどちらにも見える。


 でも、どちらとも違う。


 動物は俺を見る。


 俺も動物を見る。


「…………」


 しばらく見つめ合った。


「……食うなよ?」


 通じるわけもないのに話しかける。


 動物は鼻を動かした。


 一歩。


 こっちへ来る。


「待て待て」


 枝を握る手に力が入る。


「来んなって」


 さらに一歩。


「…………」


 怖い。


 でも、様子がおかしい。


 襲いかかってくる感じじゃない。


 牙を剥いているわけでもない。


 俺は動物の動きを見る。


 視線。


 脚。


 姿勢。


 少なくとも、今すぐ飛びかかってくるようには見えない。


「……お前も俺が怖い?」


 動物が首を傾げた。


「いや、分かんないけど」


 俺は少しだけ枝を下げる。


 その瞬間。


 動物の耳がぴくりと動いた。


「……?」


 俺ではない。


 別の方向を見ている。


 次の瞬間。


 それは突然走り出した。


「え?」


 俺から逃げるように、森の奥へ消えていく。


「…………なんだよ」


 全身から力が抜けた。


「マジでビビった……」


 枝を杖代わりにして、その場にしゃがみ込む。


 心臓がうるさい。


「ほんと何なんだよ、この森……」


 しばらく動けなかった。


 ◇


 その後も歩いた。


 とにかく歩いた。


 途中から、拾った枝はそのまま持っている。


 武器として役に立つとは思えない。


 でも、何も持っていないよりは安心できた。


「……日、傾いてない?」


 空を見る。


 木々に遮られて分かりにくいけど、明らかにさっきより暗くなっている。


「まずいな」


 夜。


 この森で?


「無理だろ」


 昼間ですら怖い。


 夜になったら何も見えない。


 スマホのライトだけで過ごす?


 バッテリーが持つわけがない。


「寝る場所……」


 必要になる。


 水も。


 食べ物も。


 火も。


「…………」


 火。


 どうやって起こす?


「木を擦る……?」


 できる気がしない。


 テレビで見た程度だ。


 というか、木を擦って本当に火なんてつくのか?


「俺、サバイバル知識なさすぎだろ……」


 普通に生きていたら必要ない。


 昨日まで――いや、さっきまで日本にいたんだから。


「……日本にいたんだよな」


 立ち止まる。


 森を見る。


 見たことのない植物。


 見たことのない動物。


 人の気配がまったくない原生林。


 あの巨大な遺跡。


 圏外のスマホ。


「…………」


 さすがに。


 少しずつ。


 認めたくない考えが頭の中に浮かび始めていた。


「いや……」


 まだだ。


 決めつけるには早い。


 日本にも知らない場所はいくらでもある。


 知らない動物だっている。


 遺跡だってある。


 ただ俺が知らないだけかもしれない。


「人を見つければ分かる」


 そうだ。


 人に会えばいい。


 ここがどこか聞けば全部終わる。


 だから。


「……頼むから、いてくれ」


 また歩き出す。


 ◇


 さらにしばらくして。


「……ん?」


 俺は足を止めた。


 音。


 今度は聞き間違いじゃない。


「水……!」


 走りそうになる。


 でも、足元を見て速度を落とす。


 音を頼りに進む。


 草を掻き分ける。


 木々の間を抜ける。


 そして。


「……あった」


 小さな流れがあった。


 川というほど大きくない。


 森の中を流れる細い水。


「水……」


 喉が一気に渇いた気がした。


 近づく。


 透明。


 底の石が見える。


 流れもある。


「…………」


 飲みたい。


 死ぬほど飲みたい。


 でも遺跡で考えたことを思い出す。


 生水。


 危ない。


「でも……」


 いつ安全な水を見つけられる?


 今日中に人里へ出られる保証は?


「…………」


 迷う。


 喉はもうかなり乾いている。


「少しだけ……」


 結局、両手で水を掬った。


 匂いを嗅ぐ。


 変な臭いはしない。


 ほんの少し口に含む。


「…………」


 冷たい。


「……うま」


 ただの水なのに。


 もう一度。


 今度は少し多めに飲む。


「はぁ……」


 生き返る。


 本気でそう思った。


 顔も洗う。


 冷たい水が気持ちいい。


「……よし」


 少なくとも水は見つけた。


 それだけでかなり違う。


 そして。


「川……」


 流れを見る。


 水はどこかへ続いている。


「川沿いに行けば……」


 人がいる?


 確証はない。


 でも人が生活するなら、水は必要だ。


 村や町があるなら、川の近くにある可能性は高い。


「……たぶん」


 俺の浅い知識だけど。


 森の中を適当に歩くよりは、ずっと理由がある。


 俺は流れの方向を見る。


「下流……どっちだ?」


 水が流れている方を見る。


「こっちか」


 決めた。


「これ沿って行こう」


 初めて、自分の中でちゃんとした方針ができた気がした。


 ◇


 川沿いは、それまでより歩きやすかった。


 完全な道ではない。


 でも方向を見失う心配が少ない。


 水もある。


「……ちょっと楽になったな」


 ほんの少しだけ気持ちに余裕が戻る。


 鳥の声もまた聞こえるようになっていた。


 小さな虫が水面を飛んでいる。


 魚のような影も見えた。


「魚いるじゃん」


 思わず覗き込む。


「…………」


 捕まえられる?


 無理だろ。


 道具がない。


 素手で魚を捕る技術なんて当然ない。


「漫画みたいにはいかないよな……」


 腹が鳴った。


「うるさい」


 自分の腹に言う。


 食べられそうな木の実も見かけた。


 でも手を出さなかった。


 毒があるかもしれない。


 知らないものを食べるのは怖い。


「腹減った……」


 水は何とかなる。


 問題は食料。


 このまま何日も森を歩くことになったら、本当にまずい。


「何日もは嫌だぞ……」


 頼む。


 今日中。


 せめて明日。


 誰かいてくれ。


 そう願いながら歩き続ける。


 どれくらい経ったのか。


 ふと。


「…………あれ?」


 川の横。


 地面。


 何かがおかしい。


 俺は近づいた。


「これ……」


 土が平らになっている。


 今までとは違う。


 草も少ない。


 細いけれど、明らかに一定の幅がある。


「道……?」


 しゃがんで見る。


 獣道かもしれない。


 でも。


「…………」


 少し先。


 土の上に跡がある。


 丸くない。


 獣の足跡とも違う。


「……靴?」


 胸が跳ねた。


 俺は立ち上がった。


「人……」


 いる。


 少なくとも。


 ここを誰かが通っている。


「人いるじゃん……!」


 声が裏返った。


 嬉しい。


 本気で嬉しい。


 ここが日本なのか。


 外国なのか。


 何なのか。


 そんなことはもう後でいい。


 とにかく人がいる。


「よかった……」


 危うく泣きそうになった。


 俺は道らしきものを辿る。


 さっきまでの疲れが少しだけ消えた。


 歩く。


 歩く。


 道は途切れない。


「頼む……」


 誰か。


 家でもいい。


 道路でもいい。


 何でもいい。


 木々の間が少しずつ明るくなっていく。


「……森、抜ける?」


 前方。


 木が減っている。


 俺は足を速めた。


 枝を掻き分ける。


 草を踏み越える。


 そして――。


「…………」


 立ち止まった。


 森が終わっていた。


 その先に広がっていたのは、なだらかな丘陵。


 夕日に照らされた広い農地。


 小川。


 石垣。


 遠くで回っている水車。


 そして。


 家。


 一軒じゃない。


 何軒もある。


「……村?」


 煙突から、煙が上がっている。


 人が歩いている。


 遠くから、誰かの声が聞こえる。


「…………」


 やっと。


 本当にやっと。


「人だ……」


 俺はその場に立ち尽くした。


 安心した。


 それと同時に。


 妙な違和感があった。


 見える家々。


 道。


 畑。


 人々の服装。


 遠目でも分かる。


 俺の知っている日本の田舎とは、何かが違う。


「……え?」


 電柱がない。


 アスファルトもない。


 車もない。


 見えるのは石と木で造られた家。


 土の道。


 畑。


 荷物を積んだ――。


「……馬車?」


 目を凝らす。


 馬らしき動物が、車輪のついた荷台を引いていた。


「…………」


 何だ、これ。


 時代劇?


 撮影?


 テーマパーク?


 そんな考えが次々に浮かぶ。


 でも。


 どれもしっくりこない。


 俺は森の出口に立ったまま、村を見下ろしていた。


 人は見つけた。


 ようやく助けを求められる。


 なのに。


 さっきまでとは違う種類の不安が、胸の奥に広がっていく。


「……ここ」


 口の中が乾く。


「本当に、どこなんだよ……」


 夕暮れの中。


 俺は初めて、


 この場所が自分の知っている世界ではない可能性を――


 ほんの少しだけ、考え始めていた。

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