第28話 行ってきます
アルカ遺跡へ戻る。
一度そう決めてしまうと、不思議なくらい迷いはなくなった。
もちろん怖くないわけじゃない。
エルダ禁域がどんな場所なのか、今の俺は知っている。半年前とは違って、魔物がどれだけ危険なのかも、自分が死ぬ可能性があることも分かっている。
だからこそ、行くと決めた翌日にそのまま王都を飛び出すような真似はしなかった。
まず必要なものを揃える。
食料。
水。
野営に使う道具。
怪我をした時に使えるもの。
大剣の状態も確認した。
地図は何度も見直して、王都からエルダ禁域までの道のりも頭に入れた。
最初にあの場所から出てきた時の記憶と照らし合わせながら、できるだけ安全に進めそうな道を考える。
こうして準備していると、半年前の自分がどれだけ無茶をしていたのかがよく分かった。
あの時は制服だった。
食料もなかった。
武器もなかった。
魔法も知らなかった。
地図も持っていなかった。
そもそも魔物がいることすら知らなかった。
「……よく帰ってこれたな、ほんと」
自分のことなのに呆れてしまう。
今回は違う。
危険な場所へ行く。
それを理解した上で、自分にできる準備をする。
冒険者としては当たり前のことなんだろうけど、半年前の俺にはできなかったことだった。
◇
出発することを最初に話したのはガイウスだった。
「決めたのか」
「うん」
ギルドで向かいに座るガイウスへ頷く。
「アルカ遺跡に行ってくる」
「そうか」
思っていたより反応は薄かった。
「止めないんだ」
「止めてほしいのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「だったら行ってこい」
あっさりしている。
俺が拍子抜けしていると、ガイウスは呆れたように息を吐いた。
「何だその顔」
「もうちょっと何か言われると思ってた」
「前にも言っただろ。お前が決めることだ」
「そうだけどさ」
「それに、お前が何も考えずに行こうとしてんなら殴って止めてる」
「殴る必要ある?」
「ある」
「ないだろ」
「今のお前なら大丈夫だろ」
そこで言葉が止まった。
「……え?」
「何だよ」
「いや」
今、普通に褒められた気がする。
ガイウスが俺を見て、眉を寄せた。
「気持ち悪い顔すんな」
「台無しだよ」
「何がだ」
「せっかくちょっと嬉しかったのに」
「知るか」
やっぱりいつものガイウスだった。
でも。
今のお前なら大丈夫。
その一言は、思っていたより嬉しかった。
半年前の俺なら、絶対に言われなかったと思う。
「ただし」
ガイウスが少しだけ声を落とした。
「危ねえと思ったら帰ってこい」
「うん」
「何か見つけなきゃ帰れねえとか考えるな。何もなくても帰ってこい」
「分かってる」
「本当に分かってんのか?」
「分かってるって」
「ならいい」
ガイウスが椅子の背にもたれた。
「冒険者は?」
急に聞かれる。
何を言わせたいのかは、もう分かる。
「生きて帰って、初めて仕事になる」
「よし」
「今回、依頼じゃないけどな」
「細けえな」
「大事だろ」
「じゃあ言い直すか?」
ガイウスが笑った。
「生きて帰れ、朝陽」
今度は俺も笑った。
「分かった」
◇
出発までの数日は、特別なことをしなかった。
むしろ、いつも通りに過ごした。
朝起きて、飯を食う。
ギルドへ行く。
無理のない依頼を受ける。
帰ってきたら報告をして、ガイウスたちと飯を食う。
時間があれば王立図書館へ行き、最後にもう一度だけエルダ禁域とアルカ遺跡について調べた。
新しい情報は見つからなかった。
それでもよかった。
今ある情報だけで行くと決めたのは俺だ。
中央市場にも足を運んだ。
必要なものを買い足して、荷物を何度も確認する。
買いすぎれば移動の邪魔になるし、減らしすぎれば途中で困る。
何を持っていくか考えている時間まで、少し楽しかった。
初めて依頼で王都の外へ出た時とは全然違う。
あの時は、何が必要なのかも分からなかった。
今は自分で考えられる。
少なくとも、そう思えるくらいにはなった。
最後の夜。
宿の部屋で荷物を広げ、もう一度確認した。
大剣。
冒険者として使う道具。
食料。
水。
着替え。
必要なものを順番にしまっていく。
そして最後に、日本から持ってきたものを見る。
財布。
学生証。
充電の切れたスマホ。
充電器。
スマホは相変わらず電源が入らない。
壊れているわけじゃない。
充電する方法がないだけだ。
それでも手に取ると、何となく電源ボタンを押してしまう。
当然、画面は暗いままだった。
「……そりゃそうだよな」
半年も経った。
日本では今、どうなっているんだろう。
俺は行方不明になっているのか。
それとも。
駅で何が起きたのか。
そこから先を、俺は覚えていない。
だから考えても答えは出ない。
スマホをしまい、代わりに学生証を見る。
写真の中の俺は、当然だけど何も変わっていなかった。
半年くらい前の自分。
この写真を撮った時、異世界で大剣を背負って旅に出ることになるなんて考えてもいなかった。
「人生分かんないな……」
我ながら雑な感想だった。
でも、それ以外に言いようがない。
学生証も荷物の奥へしまった。
日本から持ってきたもの。
ムンドゥスで手に入れたもの。
両方が一つの荷物に入っている。
それを見て、少しだけ変な気分になった。
半年前なら、こっちの物なんて何も持っていなかった。
今はむしろ、こっちで手に入れた物の方が多い。
この半年で俺は、この世界で生きるためのものを少しずつ増やしてきたんだと思う。
明日は、その全部を持って始まりの場所へ戻る。
「よし」
荷物を閉じた。
寝よう。
明日は早い。
◇
翌朝。
まだ王都が完全に動き出す前に宿を出た。
空気が少し冷たい。
荷物の重さを確かめながら歩く。
背中には大剣。
半年前にはなかった重さだ。
王都を出る前に、冒険者ギルドへ寄った。
別に依頼を受けるわけじゃない。
ただ、何となく顔を出しておきたかった。
中へ入ると、すでにガイウスがいた。
「早いな」
「そっちこそ」
「見送りだよ」
「わざわざ?」
「嫌なら帰るぞ」
「いや、そこまで言ってない」
《ブレイヴ》の連中もいる。
いつもの顔ぶれ。
一人分だけ、もう埋まらない場所もある。
それでも《ブレイヴ》は《ブレイヴ》だった。
「どれくらいで戻る?」
ガイウスに聞かれた。
「分かんない。遺跡でどれくらい調べるかにもよるし」
「長くなりそうなら無理すんなよ」
「分かってる」
「食料は?」
「持った」
「水」
「持った」
「道具」
「持った」
「地図」
「持った」
「頭」
「持ってるよ!」
笑い声が上がる。
「何で最後だけ確認したんだよ」
「一番心配だからな」
「失礼すぎるだろ」
こういうやり取りも、しばらくできなくなる。
そう思うと少し寂しい。
でも、別に今生の別れじゃない。
調べたら帰ってくる。
それだけだ。
「じゃあ、行ってくる」
「おう」
ガイウスが手を上げる。
「生きて帰ってこい」
「何回言うんだよ」
「何回でも言う」
少しだけ笑った。
「分かった」
俺も手を上げる。
「行ってきます」
ギルドを出た。
◇
王都ルイの街を歩く。
中央市場。
何度も通った道。
見慣れた石造りの建物。
朝の準備を始める店。
行き交う人。
半年前、初めて王都へ来た時は全部が珍しかった。
人の多さに驚いた。
建物を見上げた。
何を売っているのか分からない店を眺めた。
冒険者ギルドを探すだけでも緊張した。
今では普通に歩いている。
道を間違えることもない。
飯を食う場所も知っている。
必要な物を買える店も分かる。
知り合いもできた。
仕事もできた。
たった半年。
でも、俺にとっては大きな半年だった。
城壁を抜け、王都の外へ出る。
少し歩いてから振り返った。
巨大な王都が見える。
「…………」
最初に来た時は、ここが目的地だった。
とにかく王都へ行けば何とかなる。
それだけを考えていた。
実際、何とかなった。
冒険者になった。
魔法を覚えた。
大剣を持つようになった。
人が死ぬところも見た。
怖いこともあった。
楽しいことも増えた。
そして今。
今度はここから、自分で行き先を決めて出ていく。
「……行くか」
王都へ背を向ける。
アルカ遺跡。
半年前。
俺がムンドゥスで最初に目を覚ました場所。
あの時の俺は、何も知らなかった。
どこにいるのかも。
どうやってここへ来たのかも。
これからどうすればいいのかも。
ただ外へ出た。
今も、分からないことは多い。
どうして俺がこの世界にいるのかは分からない。
日本へ帰れるのかも分からない。
自分がこれからどうなるのかも分からない。
それでも。
半年前とは違う。
今の俺には、自分で決めた行き先がある。
大剣の柄に軽く触れ、歩き出した。
始まりの場所へ。
今度は、自分の意思で。
次回から第3章に入ります。




