第27話 始まりの場所
自分が最初にいた遺跡について調べてみよう。
そう決めた翌日、俺は朝から王立図書館へ向かった。
これまでにも何度も足を運んでいる場所だから、もう入口で緊張することもない。最初の頃は、この世界の文字で埋め尽くされた本棚を見ただけで途方に暮れていたのに、今では目的の本がありそうな場所を自分で探せる程度には慣れていた。
とはいえ、今日はいつもと少し勝手が違う。
魔法について調べるなら、火属性や魔力操作といった分かりやすい言葉から辿っていけばいい。でも、俺が知りたいのは名前すら知らない遺跡だ。
そもそも、どこから調べればいいのかも分からない。
「……まず場所か」
しばらく考えてから、地図を探すことにした。
俺があの遺跡から出た時は、この世界について何一つ知らなかった。国の名前も、王都ルイの存在も、どこへ向かえば人がいるのかさえ知らず、とにかく森を抜けて歩き続けただけだ。
当然、地名なんて覚えているはずがない。
それでも、そこからアルヴェン地方を経て王都まで来た道のりは覚えている。
今なら当時とは違って、バルカン王国の地理もある程度は分かる。
広げた地図の上で王都ルイを見つけ、そこから自分が歩いてきた方向を逆に辿っていく。
依頼で何度も足を運んだグラシア地方。
最初に人と出会ったアルヴェン地方。
そこから、さらに奥へ。
指を動かしていた俺は、やがて地図の端に近い場所で止まった。
「エルダ禁域……?」
知らない名前だった。
ただ、位置としてはかなり近い。
その周辺について別の本で調べてみると、バルカン領の最奥に位置する場所らしい。人の手がほとんど入っていない原生林と山岳が広がり、現在でも立ち入りそのものが避けられている。
要するに、本当にそのまま禁域だった。
「俺、そんなところ歩いてたのかよ……」
今になって背筋が寒くなる。
あの時は知らなかった。
何が危険なのかさえ分からないまま、森の中を何日も歩いた。
魔物がいることすら知らなかったのだ。
もし今の俺が同じ場所へ行けと言われたら、最低でも地図と食料を用意して、周辺にどんな魔物がいるのかを調べる。それでも一人で行くかどうかは迷うだろう。
知らないというのは怖い。
同時に、知らなかったからこそ歩けたのかもしれない。
俺は地図から顔を上げると、今度はエルダ禁域そのものについて調べ始めた。
ところが、これが思っていた以上に難しかった。
名前は見つかる。
地図にも載っている。
でも、中について詳しく書かれた本がほとんどない。
人が入らないのだから当然と言えば当然だ。
何冊かを行ったり来たりして、ようやく古い遺跡について触れている記述を見つけた時には、昼をかなり過ぎていた。
エルダ禁域の中に存在する古代遺跡。
そこに書かれていた名前を、俺は何度か目で追った。
「アルカ遺跡……」
俺が目を覚ました場所だとは書いていない。
当然だ。
真白朝陽という高校生が異世界から現れた、なんて本に載っているはずがない。
それでも場所は合っている。
古い遺跡という特徴も同じ。
周辺に他の遺跡があるという記述も、今のところ見つからない。
確証はないけど、おそらくここだ。
アルカ遺跡。
ずっと「あの遺跡」としか呼べなかった場所に、初めて名前がついた。
「アルカ遺跡、か……」
もう一度、小さく口にする。
名前を知っただけだ。
それなのに、急にあの場所が近くなったような気がした。
◇
それから数日、俺は依頼のない時間を図書館で過ごすようになった。
今までなら魔法の本を探していた時間の多くが、歴史を調べる時間に変わった。
アルカ遺跡について直接書かれているものは少ない。だからエルダ禁域について調べ、それでも分からなければ、さらに古い時代のバルカンについて調べる。
一つ知ろうとすると、そのために別のことを知らなければならない。
それを繰り返しているうちに、気づけば俺は遺跡だけではなく、この世界の歴史そのものを読むようになっていた。
今までにも、昔の出来事を聞いたことはある。
村の人から聞いたこともあれば、王都へ来てから耳にしたこともある。
ただ、その頃の俺にとっては、知らない人と知らない場所の話でしかなかった。
今は少し違う。
バルカンと書いてあれば、自分が暮らしている国だと分かる。
王都ルイと書いてあれば、毎日歩いている街が浮かぶ。
冒険者や魔物について書かれていれば、自分の経験と重ねて読むことができる。
同じ文章なのに、以前よりずっと頭に入ってくる。
「こういうの、結構面白いな」
日本にいた頃、歴史の授業が好きだったわけじゃない。
年号を覚えて、人物名を覚えて、テストが終われば忘れる。その程度だった。
でも今は、自分がその歴史の続きに立っている。
図書館を出れば、そこに書かれている世界が本当にある。
それだけで感じ方が全然違った。
ただ、面白がってばかりもいられない。
いくら調べても、一番知りたいことだけは分からなかった。
なぜ俺はアルカ遺跡にいたのか。
日本からどうやってムンドゥスへ来たのか。
あの遺跡と俺に、何の関係があるのか。
どの本にも、当然そんなことは書かれていない。
「まあ、そりゃそうだよな……」
期待していたわけじゃない。
それでも、少しくらい手掛かりが見つかるんじゃないかとは思っていた。
現実はそんなに都合よくいかないらしい。
俺は一度本を閉じ、凝った肩を回した。
窓の外を見ると、もうかなり日が傾いている。
「今日も依頼受けてないな」
最近、少し図書館に入り浸りすぎかもしれない。
冒険者として稼げているから、数日依頼を受けなかったくらいで生活に困ることはない。
でも俺は研究者じゃない。
明日は何か受けよう。
そう決めて、本を棚へ戻した。
◇
「最近お前、付き合い悪くねえか?」
翌朝。
冒険者ギルドへ入って早々、ガイウスに言われた。
「そう?」
「そうだよ。誘おうと思ったら図書館。飯食おうと思ったら図書館。何してんだ、あそこで」
「本読んでる」
「それは分かる」
ガイウスが呆れた顔をする。
「何の本だって聞いてんだよ」
「歴史」
「お前、そんな趣味あったか?」
「こっちに来てからできた」
「変な奴だな」
「ガイウスに言われたくない」
「俺のどこが変なんだよ」
「自覚ないの?」
「お前、最近遠慮なくなってきたな」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
そんな話をしながら掲示板を見る。
今日は最初から依頼を受けるつもりで来た。
いくつか確認していると、ガイウスが隣から覗き込んでくる。
「それにすんのか?」
「まだ見てる」
「最近慎重になったな」
「前から慎重だったよ」
「前は怖がってただけだ」
「似たようなもんだろ」
「全然違う」
即答された。
少し考える。
言われてみれば、そうかもしれない。
最初の頃は、戦闘がありそうな依頼というだけで避けていた。
今は違う。
危険だから受けないのではなく、自分に対応できるかどうかを考えている。
対象。
場所。
必要な人数。
帰還までにかかる時間。
その上で無理だと思えば受けない。
怖くなくなったわけじゃない。
ただ、怖いから逃げるのと、危険を見て引くのは違う。
ガイウスが言いたいのは、たぶんそういうことなんだろう。
「これにする」
「おう」
依頼書を一枚取った。
今日は図書館へ行かない。
冒険者として仕事をする日だ。
◇
そうやって、また日々が過ぎていった。
依頼へ行く日もあれば、図書館へ行く日もある。
大剣の練習も続けた。
魔法も続けた。
七属性を使えることは、相変わらず誰にも話していない。
人前で使うのは火属性だけ。
それでも、以前よりできることは増えていた。
魔物が飛び出してきても、最初の頃みたいに頭が真っ白になることは少なくなった。
相手を見る。
距離を見る。
周りを見る。
自分が何をするべきか考える。
ガイウスから教わったことを一つずつ繰り返しているうちに、考えてから身体を動かすまでの時間が少しずつ短くなってきた。
時々、自分でも驚くくらい上手く動けることがある。
でも、あの蒼牙狼の時みたいな妙な感覚とは違う。
練習したことが、ちゃんとできるようになっただけだ。
こっちの方が分かりやすくていい。
そうして気づけば、この世界へ来てからかなりの時間が経っていた。
スマホの電源が切れてから、日本の日付を正確に確認することはできない。
それでも季節の変化や、王都で暮らしてきた時間を考えれば、そろそろ半年になると思う。
半年。
自分で考えて、少し驚いた。
最初の頃は、一日が長かった。
明日どうするのか。
何を食べるのか。
どこで寝るのか。
そんなことばかり考えていた。
今は違う。
宿がある。
金がある。
仕事がある。
知っている人がいる。
ガイウスたちと飯を食うこともある。
王都のどこへ行けば何があるのかも分かる。
俺はいつの間にか、この世界で生活していた。
◇
「もうすぐだな」
ある日、依頼を終えて戻ったギルドで、ガイウスが俺のカードを見ながら言った。
「何が?」
「Cだよ」
「ああ」
「反応薄いな」
「いや、嬉しいよ」
嘘じゃない。
Fランクから始まった俺が、もうCランクを意識できるところまで来た。
半年ほどでここまで来るのは、十分早いらしい。
以前なら、もっと喜んでいたと思う。
「Cから一人前なんだろ?」
「そうだな」
「じゃあ俺もやっと一人前か」
「まだなってねえよ」
「もうすぐって言ったのガイウスだろ」
「調子乗るなって意味だ」
「厳しいなあ」
笑いながらカードをしまう。
嬉しい。
ちゃんと嬉しい。
でも最近、Cランクより頭の中を占めているものがあった。
「なあ、ガイウス」
「ん?」
「エルダ禁域って知ってる?」
ガイウスの表情が変わった。
「何でそんな名前知ってんだ」
「図書館」
「また図書館かよ」
「俺が最初にいた場所、多分そこなんだ」
ガイウスが黙った。
さっきまでの軽い空気が少しだけ消える。
「……本当か?」
「多分。地図で調べた。位置も合ってるし、その中にあるアルカ遺跡って場所が一番それっぽい」
「お前、禁域から一人で出てきたのか?」
「らしい」
「らしいって……」
「だってその時、そんな場所だって知らなかったんだよ」
今ならガイウスの反応も分かる。
俺自身、調べてから同じことを思った。
「よく死ななかったな」
「それ最近、自分でも思う」
「笑うところじゃねえぞ」
「分かってるよ」
ガイウスは少し考え込んでから、俺を見る。
「それで?」
「それでって?」
「調べてどうすんだ」
答えようとして、止まった。
どうする。
そこまでは、まだ決めていなかった。
「……分かんない」
「戻るつもりか?」
アルカ遺跡。
その言葉を聞いた瞬間、あの暗い場所が頭に浮かんだ。
目を覚ました時の冷たい床。
何も分からない恐怖。
出口を探して歩いた時間。
あそこへ戻る。
考えたことがなかったわけじゃない。
でも今は、あの場所が禁域にあると知ってしまった。
「まだ決めてない」
「なら、ちゃんと考えろ」
ガイウスはそれだけ言った。
「行くなとは言わないんだ」
「お前が決めることだからな」
意外だった。
止められると思っていた。
「ただし」
やっぱり続きがあった。
「何も考えずに突っ込むなら止める」
「……はい」
「今のお前は、最初にそこから出てきた時とは違う。危険だって分かってんだろ」
「うん」
「なら、分かった上で決めろ」
それだけ言うと、ガイウスはいつもの調子に戻った。
「で、飯どうする」
「急に戻るな」
「腹減ってんだよ」
「俺も」
「じゃあ行くぞ」
「はいはい」
並んでギルドを出る。
外はもう暗くなり始めていた。
いつもの王都。
いつもの道。
いつもの飯。
この半年で手に入れた生活だ。
それを捨てたいわけじゃない。
むしろ好きになっている。
だからこそ、簡単には決められなかった。
◇
その夜、宿へ戻ってからも考えていた。
アルカ遺跡へ戻るべきか。
今のまま王都に残るべきか。
ここにいれば、もうすぐCランクになれる。
依頼の幅も広がる。
もっと金を稼げる。
もっと強くなれる。
ガイウスたちと一緒に仕事を続けることもできる。
別に悪い未来じゃない。
むしろ、半年前の俺なら想像もできなかったくらい順調だ。
でも。
俺は何でこの世界にいるんだろう。
その疑問だけは、半年経っても何一つ変わっていない。
勇者は召喚されたらしい。
少なくとも、誰かが呼んだという理由がある。
俺にはそれすらない。
駅にいた。
何かが起きた。
次に気づいた時には、アルカ遺跡にいた。
それだけ。
帰る方法を探すにしても、まず自分がどうやってここへ来たのか分からなければ始まらない。
そして今のところ、その手掛かりになりそうなのはアルカ遺跡しかなかった。
俺は荷物の中から学生証を取り出した。
そこに写っているのは、日本にいた頃の俺。
真白朝陽。
十七歳。
高校生。
半年経っても、それは変わらない。
「……どうすればいい?」
答えは返ってこない。
当たり前だ。
結局、決めるのは俺だ。
すぐに答えを出すことはできなかった。
だから、その日は学生証をしまって寝た。
翌日は普通に依頼へ行った。
その次の日は図書館へ行った。
さらに次の日はガイウスと大剣の練習をした。
いつも通りの生活を続けながら、それでも頭の片隅ではずっと考えていた。
そして少しずつ、自分の中で答えが固まっていった。
Cランクにはなりたい。
冒険者も続けたい。
王都での生活だって好きだ。
でも、それは帰ってきてからでもできる。
アルカ遺跡に何があるのかは、行かなければ分からない。
最初の時とは違う。
今度は何も知らずに迷い込むんじゃない。
場所を調べた。
危険だということも知った。
装備もある。
魔法も使える。
戦い方も覚えた。
自分で準備して、自分で選んで行くことができる。
数日後。
王立図書館でアルカ遺跡について書かれた本を閉じた俺は、しばらくその表紙を見つめた。
もう調べられることはほとんど残っていない。
少なくとも、ここにある本だけでは。
「……行こう」
声に出してみる。
怖くないわけじゃない。
それでも。
知りたい。
俺が最初にいた場所に、何が残っているのか。
どうして俺は、そこで目を覚ましたのか。
その答えがあるかどうかすら分からない。
何も見つからないかもしれない。
それでも、自分で確かめたいと思った。
アルカ遺跡。
俺がムンドゥスで最初に目を覚ました場所。
今度は迷い込むんじゃない。
自分の意思で、あの場所へ戻る。




