第22話 生きて帰る
「二か月でDか。早かったな」
翌朝、ギルドへ行くなりガイウスにそう言われた。
「昨日は何も言ってなかったじゃん」
「祝いの席で説教してもつまらんだろ」
「説教なの?」
「褒めてんだよ」
そうは聞こえない。
俺は空いていた椅子を引いて、いつものように《ブレイヴ》のテーブルへ座った。
「実際、二か月って早いの?」
「早い方だな」
「どれくらい?」
「そうだな……」
ガイウスは少し考えた。
「普通に優秀」
「おお」
「天才ってほどじゃねえ」
「そこまで聞いてない」
「調子乗りそうだったから先に言っといた」
「乗ってないって」
少しは期待したけど。
「依頼も真面目にやってるし、無茶もしねえ。討伐にも出てる。ギルドからすりゃ上げやすいだろうな」
「なるほど」
「だからって、俺より強くなったとか思うなよ」
「ランクは同じだけどね」
「お前それ気に入ったな?」
「しばらく使う」
ガイウスが嫌そうな顔をする。
昨日Dランクになってから、何度見てもカードの表示はDのままだ。
当たり前だけど。
それでも嬉しいものは嬉しい。
二か月。
こっちへ来たばかりの頃は、冒険者になることすら想像していなかった。
それが今では大剣を持って魔物と戦っている。
俺にしては、結構頑張ってるんじゃないだろうか。
「ちょうどいい」
ガイウスが立ち上がった。
「今日はお前も来い」
「依頼?」
「ああ」
見ると、《ブレイヴ》の仲間たちも準備を始めている。
「何の?」
「討伐。数が多いから他の連中も一緒だ」
「合同か」
「そういうことだ」
合同討伐。
その言葉を聞いて、最初に参加した時のことを思い出した。
あの頃の俺は《イグニス》しか使えず、武器すら持っていなかった。
今は違う。
大剣がある。
《ファイアボール》も使える。
Dランクにもなった。
「行く」
迷わず答えた俺を見て、ガイウスが少し笑った。
「返事だけは一人前になったな」
「返事だけって何だよ」
「行きゃ分かる」
「絶対認めさせる」
「そういうこと言ってる奴から死ぬぞ」
「縁起悪いなあ」
いつもの調子で返した。
ガイウスも、それ以上は何も言わなかった。
◇
グラシア地方へ向かう道は、もう見慣れていた。
最初に歩いた時は、王都の外へ出るだけで緊張した。
広がる農地も、荷馬車の列も、遠くに見える森も、全部が知らないものだった。
今では、すれ違う荷馬車を見てもいちいち足を止めない。
道の先に何があるかも、ある程度は分かる。
それでも、今日は普段と少し空気が違った。
参加している冒険者が多い。
俺たち《ブレイヴ》だけじゃない。何組かの低ランク冒険者が集まり、それぞれ役割を確認しながら進んでいる。
俺は《ブレイヴ》と一緒だった。
「なあ」
歩きながら、隣にいた一人へ声をかける。
「ん?」
「この前より人数多くない?」
「討伐範囲が広いからな。分かれて探すんだとよ」
「へえ」
「お前、昨日Dになったんだって?」
「何で知ってんの?」
「ガイウスが言いふらしてた」
前を見る。
「ガイウス!」
「ああ!?」
「余計なこと言うなよ!」
「めでてえことだろうが!」
「恥ずかしいんだよ!」
周りから笑い声が上がる。
隣を歩いていた《ブレイヴ》の仲間も笑っていた。
「二か月だろ? 十分早いじゃねえか」
「ガイウスには普通に優秀って言われた」
「最高の褒め言葉だろ」
「もっと褒めてくれてもいいと思う」
「調子乗るからだろ」
「みんな同じこと言うな……」
また笑われる。
この人とも、何度も一緒に依頼へ出た。
名前を呼ぶことはほとんどない。
《ブレイヴ》にはガイウスがいて、その周りにいつもの仲間たちがいる。
俺にとっては、それで十分だった。
「でも、最初より随分マシになったよな」
「本当?」
「ああ。最初なんか大剣持ってなかっただろ」
「武器使ったことなかったから」
「今じゃガイウスの真似して振り回してるもんな」
「真似って言うなよ。ちゃんと教わってるんだから」
「似たようなもんだろ」
「違うって」
そんな話をしながら歩いた。
本当に。
いつも通りだった。
◇
討伐は順調に進んだ。
複数の組に分かれ、魔物を探す。
発見したら無理に単独で仕掛けず、周囲と連携する。
俺も最初の頃のように、何をすればいいのか分からず立っていることはなくなった。
「朝陽、右!」
「了解!」
飛び出してきた魔物へ大剣を合わせる。
無理に倒そうとしない。
軌道を変えるだけ。
弾いた先へ別の冒険者が攻撃する。
仕留めきれない。
距離が開く。
今度は魔法。
「《ファイアボール》!」
火球が命中し、動きが止まる。
そこへ前衛が入った。
「よし!」
倒れる。
次。
周囲を見る。
戦っているのは俺たちだけじゃない。
少し離れたところでも別の冒険者たちが戦っている。
声。
剣がぶつかる音。
魔法。
魔物の鳴き声。
前なら、それだけで頭がいっぱいになっていた。
今は違う。
全部は無理でも、自分の周囲くらいなら見られる。
「朝陽!」
ガイウスが叫ぶ。
振り向く。
「前出すぎだ! 一回戻れ!」
「分かった!」
素直に下がる。
少し前の俺なら、せっかく戦えているのに、と不満に思ったかもしれない。
でも今は分かる。
自分では大丈夫だと思っている時ほど、周りから見た方が正しいことがある。
「息上がってんぞ」
「……本当だ」
「水飲め」
「うん」
大剣を下ろし、水を飲む。
「どうだ、Dランク」
「何が?」
「余裕か?」
「あるように見える?」
「見えねえ」
「じゃあ聞くなよ」
ガイウスが笑う。
「でも前よりはマシ」
「そうだな」
その一言が、ちょっと嬉しかった。
「お前は覚えが早い」
「また褒めた」
「いちいち喜ぶな」
「だってガイウスあんまり褒めないじゃん」
「褒めたら調子乗るだろ」
「乗らないって」
「今の顔見て言え」
笑いながら大剣を握り直す。
まだやれる。
そう思った。
討伐は、そのまま終わるはずだった。
◇
「――多い!」
誰かが叫んだ。
林の奥から、魔物が飛び出してくる。
一匹。
二匹。
その後ろにもいる。
事前に聞いていた数より明らかに多い。
「固まれ!」
ガイウスの声が響く。
空気が変わった。
さっきまでの余裕が消える。
冒険者たちが集まり、互いの死角を埋める。
「追うな! 来た奴だけ捌け!」
ガイウスが大剣を構える。
俺も隣で構えた。
「朝陽」
「うん」
「無理すんなよ」
「分かってる」
「本当に分かってんな?」
「分かってるって」
魔物が来る。
考える時間はなかった。
一匹目。
ガイウスが受ける。
二匹目。
別の冒険者。
三匹目が横へ回る。
「《ファイアボール》!」
当てる。
止める。
そこへ《ブレイヴ》の一人が入る。
「助かった!」
「まだ来る!」
返事をする暇もない。
次。
大剣。
振る。
外れる。
戻す。
牙を避ける。
魔法。
誰かの攻撃。
倒れる。
また次。
数が多い。
でも。
戦えている。
怖い。
それでも動ける。
見える。
周りも。
ガイウスも。
仲間も。
さっきまで隣を歩いていた《ブレイヴ》の一人も。
「朝陽! そっち頼む!」
「うん!」
右から一匹。
俺へ来る。
大剣を構える。
真正面。
受ける。
重い。
「くっ……!」
押される。
足。
踏ん張る。
横へ流す。
魔物の身体がずれる。
「今!」
隣から剣が入った。
さっき話していた《ブレイヴ》の仲間だった。
「よし!」
「助かった!」
「お互い様だ!」
笑っている。
俺も笑った。
本当に。
一瞬だった。
後ろ。
茂みが揺れた。
「――え?」
何かが飛び出した。
見えた。
でも。
遅かった。
「後ろ!」
叫ぶ。
振り向く。
間に合わない。
魔物が飛びかかった。
鈍い音がした。
「――っ」
さっきまで笑っていた人の身体が、地面へ叩きつけられた。
「……え?」
理解できなかった。
魔物がもう一度動く。
「朝陽! 動け!」
ガイウスの声。
身体が勝手に反応した。
大剣を振る。
浅い。
でも魔物がこちらを向く。
「《ファイアボール》!」
当たる。
怯む。
ガイウスが横から入った。
大剣。
一撃。
魔物が倒れる。
「…………」
俺はすぐに駆け寄った。
「おい」
返事がない。
「おい!」
さっきまで。
普通に。
喋ってた。
「朝陽、どけ」
ガイウスが来る。
「でも」
「どけ」
いつもの声じゃなかった。
俺は動いた。
ガイウスが膝をつく。
身体を見る。
短い沈黙。
「…………」
ガイウスの手が止まった。
それだけで。
分かった。
「……嘘だろ」
声が出た。
誰も答えない。
「だって、今……」
今。
喋ってた。
俺のDランクの話をして。
笑って。
一緒に戦って。
助けてもらって。
「……ガイウス」
「朝陽」
「何とかならないの?」
「…………」
「なあ」
「もう死んでる」
はっきり言われた。
「…………」
頭の中から。
音が消えた。
◇
「朝陽!」
肩を掴まれた。
顔を上げる。
ガイウス。
「立て」
「でも」
「まだ終わってねえ」
周りを見る。
戦っている。
まだ。
魔物がいる。
剣の音。
叫び声。
魔法。
「でも……」
「分かってる」
ガイウスの声が低い。
「分かってるから、立て」
「…………」
「今ここでお前まで死んだら、何にもならねえ」
大剣を見る。
手が震えている。
さっきまで。
普通に握れていたのに。
「……無理」
「なら後ろへ下がれ」
「…………」
「戦えとは言わねえ。下がって、生きろ」
ガイウスが俺の前へ出る。
その背中を見た。
大きい。
いつも通りに見える。
でも。
大剣を握る手に。
力が入っていた。
「ガイウス」
「何だ」
「……平気なの?」
聞いてから。
馬鹿なことを聞いたと思った。
ガイウスは振り返らなかった。
「平気なわけあるか」
それだけだった。
「だから、生きて帰んだよ」
大剣を構える。
「帰ってからだ」
その言葉を聞いて。
俺も大剣を握った。
震えている。
怖い。
さっきまでとは。
全然違う。
魔物が怖いんじゃない。
死ぬのが。
怖い。
自分が。
ガイウスが。
ここにいる誰かが。
さっきまで喋っていた人間が。
一瞬で。
いなくなる。
「……帰る」
声にする。
「帰る」
もう一度。
俺は構えた。
◇
その後の戦いを、俺はあまり覚えていない。
ただ。
無茶はしなかった。
前へ出すぎなかった。
ガイウスの声を聞いた。
周囲を見た。
危なければ下がった。
誰かが危なければ声を出した。
倒せる時だけ攻撃した。
それだけだった。
そして。
俺たちは王都へ戻った。
全員ではなく。
一人を。
連れて。
◇
ギルドは静かだった。
いつもなら誰かが笑っている。
依頼の話。
酒。
金。
失敗談。
くだらない話。
今日は。
何も聞こえなかった。
俺は椅子に座っていた。
目の前には冒険者カード。
D。
昨日。
あんなに嬉しかった文字。
「…………」
二か月でD。
早い方。
優秀。
昨日は嬉しかった。
今日も。
朝は嬉しかった。
でも。
Dランクでも。
人は死ぬ。
当たり前だ。
ランクが上がったからって急に強くなるわけじゃない。
昨日。
受付の人にも言われた。
分かっていた。
つもりだった。
「朝陽」
顔を上げる。
ガイウスがいた。
「……うん」
「帰るぞ」
「どこに?」
「宿だよ」
「俺一人で帰れる」
「知ってる」
「じゃあ」
「今日は送る」
「…………」
断る気になれなかった。
外へ出る。
王都は。
いつも通りだった。
店が開いている。
人が歩いている。
飯の匂いがする。
誰かが笑っている。
「……普通だな」
「あ?」
「いや」
俺は歩く。
「一人死んだのに」
「…………」
「普通にみんな生活してる」
「そりゃそうだ」
「……そうだよな」
分かっている。
俺だって。
日本にいた頃。
どこかで誰かが死んでいても。
学校へ行って。
友達と笑って。
飯を食って。
寝ていた。
でも。
今日は。
それが変な感じだった。
「ガイウス」
「何だ」
「慣れるの?」
少し間があった。
「何に」
「仲間が死ぬの」
ガイウスはすぐには答えなかった。
しばらく歩いて。
「慣れたくねえな」
そう言った。
「……そっか」
「でも、冒険者やってりゃ見ることはある」
「うん」
「だから俺は毎回言う」
ガイウスが俺を見る。
「生きて帰れって」
今まで。
何度も聞いた。
冗談みたいに聞いたこともあった。
しつこいと思ったこともある。
今日。
初めて。
本当の意味が分かった気がした。
◇
宿の部屋へ戻る。
大剣を置く。
ベッドへ座る。
静かだった。
荷物の奥から。
スマホを取り出した。
電源は入らない。
真っ黒な画面。
「…………」
日本。
瑞輝。
京介。
麗奈。
瑠奈。
みんな。
生きてるよな。
そんなことを考えた。
今までは。
会いたいと思っていた。
帰りたいと思っていた。
今日は。
少し違った。
「……生きててくれよ」
返事はない。
当たり前だ。
スマホを握ったまま、ベッドへ横になる。
目を閉じる。
あの人の顔が浮かぶ。
朝。
笑っていた。
二か月でDなら十分早い。
そう言ってくれた。
その数時間後には。
もういない。
「…………」
冒険者は。
生きて帰って。
初めて仕事になる。
何度も聞いた言葉が。
頭から離れなかった。




