第20話 初めての一匹
大剣の練習を始めてから、俺の身体はだいたいどこかが痛かった。
朝起きれば肩が痛い。依頼で歩けば腰が重い。宿に戻って横になれば、今度は手のひらがじんじんする。
冒険者になる前まで、体育の授業くらいでしかまともに運動してこなかった身体だ。当然と言えば当然なのだが、ガイウスはそんな俺を見ても笑うだけだった。
「そのうち慣れる」
「そのうちっていつ?」
「そのうちはそのうちだ」
「一番信用できない答えじゃん」
そんなやり取りを何度したか分からない。
それでも、不思議とやめようとは思わなかった。
最初は持ち上げるだけでも苦労した大剣が、少しずつ自分の意思で動かせるようになっていく。
まだガイウスのようには振れない。
速さも、力も、何もかも足りない。
それでも昨日できなかったことが今日はできる。
それが単純に楽しかった。
そしてもう一つ。
魔法も同じだった。
◇
「……違うな」
王都の外。
周囲に人がいないことを確認してから、俺は右手を前へ伸ばした。
掌へ魔力を集める。
ここまでは《イグニス》と同じ。
火へ変える。
これもできる。
問題はここからだった。
生まれた炎を散らさず、一つにまとめる。
球状に維持する。
そして――飛ばす。
「《ファイアボール》」
掌の前に火球が生まれた。
「おっ」
成功。
……したと思った瞬間。
火球が前方へ飛び、地面に落ちた。
ぼっ、と乾いた草が燃える。
「うわっ、待って待って!」
慌てて踏み消す。
「危な……」
これだから火は怖い。
今まで使っていた《イグニス》とは明らかに違う。
火を出すだけじゃない。
飛ぶ。
当たる。
燃える。
初めて、ちゃんと人や魔物を傷つけるための魔法を使った気がした。
「でも……」
飛んだ。
狙った場所には全然行かなかったけど。
もう一度やってみる。
魔力を集める。
火へ。
まとめる。
形を維持。
前へ。
「《ファイアボール》」
今度は少し遠くへ飛んだ。
でも右に逸れる。
「真っ直ぐ飛ばすの難しいな」
魔法なんだから、唱えたら勝手に敵へ飛んでくれるものだと思っていた。
そんな便利なものではないらしい。
考えてみれば当たり前か。
大剣だって持てば勝手に敵を斬ってくれるわけじゃない。
魔法も同じだ。
出せる。
使える。
当てられる。
戦える。
全部、別の話なんだろう。
「……もう一回」
狙う場所を決める。
魔力を集めて、火球を作る。
飛ばす瞬間に腕を振る必要はない。
さっきは無意識に腕まで動かしていた。
たぶん、そのせいで軌道がずれた。
「《ファイアボール》」
飛ぶ。
今度は真っ直ぐ。
「よし!」
思わず声が出た。
こういう瞬間は好きだ。
できなかった理由を考える。
試す。
少し変える。
できる。
また失敗する。
もう一度考える。
大剣でも魔法でも、それは同じだった。
「もう一回――」
「やめとけ」
「うわっ!」
突然後ろから声をかけられ、危うく変な方向へ撃つところだった。
「危ないだろ!」
「撃つ前に周り見てねえお前が悪い」
「見たよ!」
「俺が近づいてんのに気づいてねえじゃねえか」
「……それは」
何も言えない。
ガイウスだった。
大剣を背負い、呆れた顔で立っている。
「何してんだ?」
「《ファイアボール》の練習」
「使えるようになったのか」
「一応」
「撃ってみろ」
「いいけど、当たったらごめん」
「俺に撃つな」
「分かってるよ」
少し離れた場所へ向き直る。
狙いを決める。
「《ファイアボール》」
火球が飛んだ。
狙った場所から少しずれたところに着弾する。
「どう?」
「使えるって言うには微妙だな」
「厳しくない?」
「敵は止まってくれねえぞ」
「それはそうだけど」
「まあ、初めてならそんなもんだ」
「初めてじゃない。今日だけで結構やってる」
「今日覚えたのか?」
「うん」
「…………」
まただ。
「その顔やめてよ」
「どの顔だ」
「最近よくするやつ」
「知らん」
ガイウスは頭を掻いて、それ以上は何も言わなかった。
「ちょうどいい。朝陽、暇か?」
「今?」
「ああ」
「依頼?」
「そんなとこだ」
「何?」
「ハウンドウルフの討伐」
身体が少し固まった。
ガイウスはそれに気づいたと思う。
でも、何も言わなかった。
「合同?」
「いや。俺たちだけだ」
「……俺も?」
「嫌なら来なくていい」
昨日までの俺なら。
たぶん迷った。
いや。
今も怖い。
あの牙を覚えている。
飛びかかってきた時の速さも。
でも。
俺は右手を見る。
《ファイアボール》。
それから、少し離れた場所に置いてある大剣。
「行く」
「即答か」
「今なら、前よりできることあるから」
「そうか」
ガイウスは笑った。
「なら行くぞ」
◇
今回の討伐は、前回ほど大人数ではなかった。
ガイウスたち《ブレイヴ》と俺。
それだけ。
グラシア地方へ向かう道は、もう何度も通っている。
最初に一人で歩いた時。
合同討伐へ向かった時。
そして今日。
同じ道なのに、そのたびに少し違って見えた。
「朝陽」
「何?」
「今日、大剣持ってけ」
「え?」
ガイウスが俺へ一本の大剣を渡してくる。
練習で使っているものだった。
「いいの?」
「そのために練習してんだろ」
「そうだけど……実戦で?」
「使わなきゃいつまでも練習だ」
受け取る。
ずしりと腕に重さが乗る。
何度も持った重さ。
なのに。
今日は違う。
これは。
魔物を斬るために持っている。
「怖いか?」
「……うん」
「なら正常だ」
ガイウスは前を向いたまま言った。
「前も言ったが、怖くなくなる必要はねえ」
「慣れろってこと?」
「違う」
意外だった。
「怖いから見る。怖いから考える。怖いから逃げる準備もする」
「…………」
「怖さをなくすんじゃねえ。使え」
大剣。
重い。
でも。
少しだけ握りやすくなった気がした。
「分かった」
「あと」
「まだあるの?」
「今日お前が一匹倒すとか、そういうくだらねえ目標は持つなよ」
「……ちょっと思ってた」
「馬鹿」
「だってせっかく武器持ったし」
「討伐は試験じゃねえ」
ガイウスが俺を見る。
「倒せそうなら倒せ。無理なら任せろ。危なきゃ逃げろ」
「はい」
「生きて帰ってから反省しろ」
「……はい」
「よし」
それだけ言って、ガイウスは歩き続けた。
◇
ハウンドウルフを見つけたのは、それからしばらくしてだった。
二匹。
まだ向こうはこちらに気づいていない。
ガイウスたちが足を止める。
声を落とす。
「二匹だな」
「どうする?」
「俺が一匹引く。もう一匹頼む」
短いやり取り。
誰が何をするのかがすぐ決まる。
俺は少し後ろ。
大剣を握る。
手のひら。
汗。
「朝陽」
「うん」
「最初から前出んな」
「分かってる」
「魔法使えるなら援護しろ」
「うん」
ガイウスが動く。
ハウンドウルフがこちらに気づいた。
一匹。
ガイウスへ。
もう一匹は横へ走る。
「来るぞ!」
《ブレイヴ》の一人が前へ出る。
俺も右手を上げた。
距離。
まだある。
止まってない。
走ってる。
「…………」
当てられるか?
いや。
撃たなきゃ。
「《ファイアボール》!」
火球が飛ぶ。
ハウンドウルフの横を通過した。
「外した!」
「気にすんな!」
相手は動く。
当然だ。
練習とは違う。
ハウンドウルフが前衛へ飛びかかる。
剣で受ける。
弾く。
体勢が崩れる。
「今!」
俺はもう一度狙う。
今度は止まっている。
「《ファイアボール》!」
火球が飛ぶ。
当たった。
「ギャンッ!」
「――!」
初めて。
自分の攻撃が魔物に当たった。
毛が焦げる。
ハウンドウルフが転がる。
「当たった……!」
「朝陽! ぼさっとすんな!」
「っ!」
起きる。
倒れてない。
怒ってる。
こっち。
見てる。
「……まず」
ハウンドウルフが走る。
俺へ。
速い。
昨日までなら。
逃げてた。
いや。
逃げてもいい。
でも。
今。
距離。
ある。
大剣。
持ってる。
「…………」
見る。
全体。
ガイウスに言われた。
牙だけ見るな。
脚だけ見るな。
相手の全部。
身体が沈む。
来る。
「――っ!」
飛んだ。
横。
避ける。
完全には無理。
大剣。
間に入れる。
衝撃。
「うっ……!」
重い。
腕。
痺れる。
ハウンドウルフが地面へ降りる。
次。
来る。
「朝陽!」
ガイウスの声。
「下がれ!」
下がる。
言われた通り。
一歩。
二歩。
ハウンドウルフ。
追う。
「右!」
別の声。
横から《ブレイヴ》の一人が入る。
魔物がそちらを向く。
俺から。
目が離れた。
「…………」
今?
いや。
距離。
少し遠い。
大剣。
届かない。
走る?
違う。
踏み込む。
ガイウス。
練習。
足。
腰。
剣。
「…………」
行ける。
たぶん。
怖い。
でも。
「――っ!」
踏み込んだ。
大剣を振る。
重さに逆らわない。
腕だけで振らない。
足。
腰。
肩。
腕。
刃。
順番。
ハウンドウルフがこちらへ振り向く。
目が合った。
「うおおっ!」
振り抜いた。
鈍い感触。
刃が魔物の身体へ入る。
「――っ!」
思っていたより。
硬い。
止まる。
「くっ……!」
浅い。
倒せない。
魔物が暴れる。
大剣。
抜けない。
「やばっ――」
「離せ!」
ガイウス。
声。
考える前に柄を離した。
後ろへ。
飛ぶ。
直後。
ハウンドウルフの牙が、さっきまで俺の腕があった場所を噛んだ。
「っ……!」
危な。
大剣。
魔物に刺さったまま。
「朝陽、下がれ!」
でも。
魔物。
まだ動く。
俺の剣。
「…………」
右手。
空いてる。
距離。
近い。
魔物。
傷。
そこ。
「《ファイアボール》!」
至近距離。
火球がぶつかった。
炎が弾ける。
ハウンドウルフが大きくよろめいた。
「今だ!」
《ブレイヴ》の一人が踏み込む。
一撃。
魔物が倒れた。
動かなくなった。
「…………」
俺は。
立ったまま。
見ていた。
「朝陽」
「…………」
「おい」
「……うん」
「怪我」
「え?」
「してねえか?」
身体。
見る。
腕。
脚。
腹。
「……してない」
「本当か?」
「うん」
ガイウスが近づいてくる。
「そうか」
「…………」
倒れた魔物を見る。
俺の大剣が刺さっている。
俺の魔法で焼けた跡もある。
「…………」
さっきまで。
生きてた。
「……俺」
「初めてか?」
「うん」
殺した。
そう言おうとした。
でも。
完全に俺一人で倒したわけじゃない。
最後に攻撃したのも俺じゃない。
それでも。
俺が斬った。
俺が焼いた。
その事実は消えない。
「…………」
嬉しい。
……とは。
ならなかった。
「気分悪い」
「吐くか?」
「そこまでは」
「なら水飲め」
ガイウスが水を渡してくる。
「ありがとう」
一口。
飲む。
「俺、もっとテンション上がると思ってた」
「何でだ」
「初めて魔物とまともに戦えたから」
「そんなもんだ」
「ガイウスも?」
「忘れた」
「そこ忘れる?」
「昔すぎる」
水をもう一口。
「でもな」
「うん」
「慣れすぎんなよ」
ガイウスは倒れた魔物を見る。
「怖いのも、気分悪いのも、別に恥じゃねえ」
「…………」
「何も感じなくなる方が俺は嫌だ」
少し。
意外だった。
もっと。
魔物なんだから気にするな。
そう言われると思った。
「……そっか」
「ほら」
ガイウスが大剣を指す。
「抜いてこい」
「俺が?」
「お前のだろ」
「借り物だけど」
「細けえな」
近づく。
柄を握る。
引く。
「抜けない」
「足使え」
「こんな時まで指導?」
「実戦だぞ」
「はいはい」
足を置く。
力を入れる。
大剣が抜けた。
血。
付いてる。
「…………」
少しだけ。
手が止まった。
「朝陽」
「うん」
「帰ったら手入れも覚えろ」
「……それも?」
「当たり前だ」
「やること増えすぎだろ」
「冒険者だからな」
「便利な言葉だな、それ」
「だろ?」
ガイウスが笑う。
俺も。
少しだけ笑った。
◇
帰り道。
大剣は朝より重かった。
身体が疲れているからかもしれない。
それとも。
別の理由かもしれない。
「なあ、ガイウス」
「あ?」
「俺、今日ちゃんと役に立ってた?」
「何だ急に」
「いや。結局一人で倒せてないし」
「一人で倒せっつってねえだろ」
「それはそうだけど」
ガイウスが面倒くさそうに頭を掻いた。
「最初の《ファイアボール》は外した」
「うん」
「二発目は当てた」
「うん」
「飛びかかられても固まらなかった」
「ちょっと固まった」
「大剣で受けた」
「うん」
「俺が下がれっつったら下がった」
「うん」
「斬った」
「浅かったけど」
「危なくなったら剣を離した」
「うん」
「最後に魔法も撃った」
「うん」
「十分だろ」
「…………」
「何が不満なんだ」
「いや」
不満。
ではない。
「なんか」
「なんか?」
「もうちょい、格好よくできると思ってた」
「馬鹿」
「また馬鹿って言った」
「初実戦で格好つけようとすんな」
「はい」
「泥臭くても生きて帰れ」
「はい」
「それが冒険者だ」
「…………」
前にも。
似たことを聞いた。
でも。
今日は。
少し意味が違って聞こえた。
「分かった」
王都が見えてくる。
大きな壁。
その向こう。
宿。
飯。
ギルド。
図書館。
いつもの場所。
帰れる。
「……腹減った」
「だろ?」
「めちゃくちゃ」
「じゃあ今日は食え」
「何を?」
「肉」
「昨日戦ったやつ思い出しそう」
「じゃあ魚」
「そうする」
そんなくだらない話をしながら。
俺たちは王都へ帰った。
◇
夜。
宿の部屋。
手入れの仕方を教わった大剣を眺める。
《ファイアボール》。
大剣。
どちらも。
まだ下手だ。
魔法は外す。
剣は浅い。
敵の動きも全部は見えない。
ガイウスに言われなければ危なかった場面もあった。
でも。
昨日までとは違う。
俺にも。
できることが増えた。
ベッドへ倒れ込む。
「……疲れた」
身体中が痛い。
明日はもっと痛い気がする。
それでも。
「また行きたいな」
自分で言って。
少し笑った。
怖かった。
今でも怖い。
それなのに。
もっと上手くなりたいと思っている。
この世界へ来たばかりの俺なら。
たぶん。
そんな自分を。
一番信じなかったと思う。




