第19話 大剣
合同討伐から戻った翌日。
俺は王立図書館にいた。
目の前に開いているのは、火属性の魔法について書かれた本だ。
昨日の帰り道で決めた通り、まずは《イグニス》の次――E級魔法を覚えるつもりだった。
「《ファイアボール》……」
火球を飛ばす、初歩的な攻撃魔法。
説明だけ読めば単純だ。
《イグニス》がその場に小さな火を生み出す魔法なら、《ファイアボール》は生み出した火属性の魔力を球状にまとめ、それを前方へ放つ。
問題は、その「まとめて放つ」という部分だった。
「簡単に書いてるけど、これ絶対難しいだろ」
本を読みながら、昨日の戦いを思い返す。
もし《ファイアボール》が使えていたら、俺もハウンドウルフを倒せただろうか。
少なくとも、《イグニス》で驚かせるだけよりは役に立ったはずだ。
だから覚えたい。
……のだが。
「魔法だけでいいのかな」
昨日の戦いでは、ガイウスたちは武器を使っていた。
特にガイウス。
あの大剣。
飛びかかってきたハウンドウルフを、ぎりぎりまで引きつけて一撃。
俺なら避けるだけで精一杯だった。
それを、避けながら攻撃していた。
もちろん経験が違う。
分かっている。
でも、俺だっていつまでも後ろから《イグニス》を出しているだけというわけにはいかない。
「武器か……」
昨日の帰りに言われたことを思い出した。
できないことは覚える。
知らないなら教わる。
「……ガイウスに聞いてみるか」
本を閉じた。
◇
問題は、ガイウスがどこにいるのか知らないことだった。
「そういえば連絡先とかないんだった」
ギルドへ向かいながらスマホを取り出し、すぐにしまう。
癖で触ってしまった。
もちろん圏外。
バッテリーもほとんど残っていない。
「電話って便利だったんだな……」
こっちへ来てから何度目か分からない感想を呟きながら、ギルドへ入る。
受付で聞けば分かるかもしれない。
そう思ったのだが。
「あ」
「おう」
いた。
普通に。
ガイウスは仲間たちとテーブルを囲んでいた。
「ちょうどよかった」
「何だ。俺に会いに来たのか?」
「うん」
「気持ち悪いな」
「何でだよ」
昨日も似たようなことを言われた気がする。
「聞きたいことがあって」
「金なら貸さねえぞ」
「違う」
「酒なら奢らねえ」
「それも違う」
「女の口説き方なら――」
「絶対聞かない」
周りの《ブレイヴ》の面々が笑う。
昨日一緒に戦ったことで、少しだけこの輪に入りやすくなった気がした。
「で、何だよ」
「武器」
ガイウスの目が少し変わった。
「使えるようになりたい」
「ほう」
「昨日思ったんだ。《イグニス》だけじゃ、できること少なすぎるし」
「そりゃそうだ」
「魔法も覚える。でも、それとは別に武器も使えた方がいいかなって」
「で?」
「教えて」
「何を」
「武器」
「広いな」
「じゃあ……」
視線が自然と、ガイウスの大剣へ向かう。
「それ」
「これか?」
「うん」
ガイウスが大剣を軽く叩いた。
「大剣使いたいのか?」
「昨日見てて、強そうだったから」
「理由がガキだな」
「十七なんだけど」
「十分ガキだろ」
「八歳しか変わらないじゃん」
「その八年で何回死にかけたと思ってんだ」
「そんなに?」
「数えてねえ」
笑っている。
でも、たぶん冗談ではない。
「まあいい」
ガイウスが立ち上がった。
「ちょっと持ってみろ」
「ここで?」
「振らなきゃいい」
背中から大剣を外し、俺へ差し出す。
「ほら」
「……高そうだから落としたらごめん」
「落としたら殴る」
「先に言わないでよ」
両手で受け取る。
「――重っ!」
腕が一気に下がった。
「ちょ、待って!」
「落とすなよ」
「無理無理無理!」
慌てて持ち直す。
重い。
武器屋で触った剣とは全然違う。
こんなものを昨日、あの速度で振っていたのか。
「これ何キロあるの?」
「知らん」
「知らないの!?」
「武器の重さ量ってどうすんだよ」
「いや気になるだろ普通!」
「俺は気にならん」
筋肉の差か。
「これ振るの?」
「俺はな」
「無理だろ……」
「じゃあやめるか?」
そう言われると。
「……やる」
「どっちだよ」
「やってみてから決める」
「よし」
ガイウスが笑った。
「そういうのは嫌いじゃねえ」
◇
王都の外へ出た。
討伐へ向かうわけではない。
今日は大剣の扱いを教わるだけだ。
ガイウスが用意した大剣を持って歩くだけで、すでに腕が疲れている。
「これ、本当に初心者向け?」
「大剣自体が初心者向けかどうかなんて知らん」
「そこ考えてよ」
「使いたいっつったのお前だろ」
「そうだけどさ」
開けた場所まで来ると、ガイウスが止まった。
「じゃあ振ってみろ」
「いきなり?」
「お前が今どう振るか見ねえと教えようがない」
「なるほど」
言われた通りにする。
両手で柄を握る。
持ち上げる。
「……っ」
重い。
でも持てないほどじゃない。
頭の上まで持ち上げて。
「ふっ!」
振り下ろす。
刃が地面へ落ちる。
「…………」
「…………」
「どう?」
「ひでえな」
「知ってた」
ガイウスが笑う。
「腕だけで振ってる」
「だって剣って腕で振るもんじゃないの?」
「その大きさを腕だけで振ってたら、十回もやらねえうちに動けなくなるぞ」
「じゃあどうするの」
「見てろ」
ガイウスが自分の大剣を抜く。
構える。
俺は黙って見る。
「大剣は重い」
「うん」
「だから重さを邪魔だと思うな。使え」
「使う?」
「自分で全部動かそうとするから疲れんだよ」
ガイウスが一度、大剣を振った。
風が鳴る。
「……速」
昨日の戦闘でも見た。
でも今は、敵がいない。
だから動きそのものを見られる。
腕。
肩。
腰。
脚。
「もう一回やって」
「あ?」
「今の」
「いいぞ」
二回目。
見る。
腕からじゃない。
足。
踏む。
腰が動く。
そのあと肩。
腕。
剣。
「……もう一回」
「おう」
三回目。
同じ。
いや。
少し違う?
剣を持ち上げる時と、落とす時。
全部に力を入れてるわけじゃない。
「……なるほど」
「何か分かったか?」
「たぶん」
自分の大剣を持つ。
さっきと同じように構える。
「足」
地面を踏む。
腰。
回す。
腕は。
最後。
「ふっ!」
振る。
さっきより。
速い。
「お?」
でも止められない。
「うわっ!」
剣に身体を持っていかれた。
よろける。
「危なっ!」
どうにか踏ん張る。
ガイウスが笑い出した。
「何だよ!」
「いや、悪い悪い」
「絶対悪いと思ってないだろ」
「でも今の方がずっとマシだ」
「本当?」
「ああ。ただ剣に振られてる」
「それ駄目じゃん」
「最初よりはな」
ガイウスが近づいてくる。
「足広げろ」
「こう?」
「広すぎ」
「じゃあこれ」
「今度は狭い」
「めんどくさ」
「帰るか?」
「やります」
「よし」
足の位置を直される。
「膝固めんな」
「うん」
「腰落とせ」
「これくらい?」
「もうちょい」
「きつい」
「弱音早えな」
「初心者なんだから優しくしてよ」
「戦ってる時に敵が優しくしてくれんのか?」
「それ言われたら何も言えない」
「ならやれ」
「はい」
もう一度。
振る。
失敗。
また。
振る。
今度は剣先がぶれる。
「握りすぎだ」
「握らないと飛んでいきそうなんだけど」
「ずっと全力で握るな」
「難しいな……」
もう一度。
何度か繰り返すうちに、手のひらが痛くなってきた。
腕も重い。
息も上がる。
「ちょっと休憩」
「早いぞ」
「うるさい」
地面に座り込む。
ガイウスは平然としている。
「これ毎日やってんの?」
「まあな」
「化け物じゃん」
「慣れだ、慣れ」
「俺もそうなる?」
「続けりゃな」
「何年?」
「知らん」
「適当だなあ」
水を飲みながら、さっきの動きを思い返す。
ガイウス。
俺。
違い。
腕の力だけじゃない。
足。
腰。
重心。
剣の重さ。
「…………」
何となく。
もう一回やりたくなった。
「休憩終わり」
「早えな」
「今ちょっと分かった気がする」
「そうか?」
立ち上がる。
大剣を握る。
今度は振る前に、自分の身体を確認する。
足。
膝。
腰。
肩。
腕。
それから剣。
「…………」
全部を一緒に動かそうとするから駄目なのか。
順番。
地面から。
力が上がってくる。
それを。
剣へ。
「ふっ!」
振り下ろす。
風。
鳴った。
「…………」
自分でも分かった。
今までで一番いい。
「どう?」
ガイウスが黙っている。
「ガイウス?」
「……もう一回やってみろ」
「え?」
「いいから」
もう一度構える。
同じ。
足。
腰。
肩。
腕。
「っ!」
振る。
さっきほど綺麗じゃない。
「あ、失敗した」
「いや」
ガイウスが腕を組む。
「もう一回」
「何?」
「やれ」
「はいはい」
三回目。
振る。
「…………」
ガイウスが妙な顔をしている。
「何?」
「お前、本当に武器触ったことねえんだよな?」
「ないよ」
「剣道とかは?」
「ない」
「大剣は?」
「日本にこんなの持ってる高校生いたら怖いだろ」
「ニホンってのは知らんが、そりゃそうだな」
「でしょ」
ガイウスが顎を掻く。
「……まあいいか」
「何が?」
「覚えが早い」
「本当?」
「ああ」
嬉しい。
素直にそう思った。
「俺、才能ある?」
「調子乗んな」
「早いって言ったじゃん」
「三回まともに振れただけだ」
「じゃあ三回分の才能」
「何だそれ」
笑われる。
でも。
できなかったことが、少しできるようになる。
それが楽しい。
「もう一回やる」
「好きにしろ」
構える。
振る。
失敗する。
直す。
もう一度。
さっきガイウスがやっていた動きを思い出す。
足の向き。
腰の回り方。
肩の位置。
剣が落ちる軌道。
真似する。
違う。
直す。
また振る。
「…………」
ガイウスの声が、少し減った。
最初は一回振るたびに何か言われていた。
でも今は。
「そこ、腰だけ気をつけろ」
それくらい。
「分かった」
直す。
振る。
「……そうだ」
できた。
「次は?」
「待て待て」
「何?」
「今日は基本だけだ」
「まだいける」
「手ぇ見ろ」
「手?」
見る。
「あ」
皮が剥けていた。
「痛っ」
「今気づいたのかよ」
「集中してた」
「馬鹿」
「酷くない?」
「今日は終わり」
「もうちょっと」
「終わりだ」
「まだ――」
「明日、大剣握れなくなってもいいなら続けろ」
「……やめます」
「素直でよろしい」
大剣を置く。
急に腕が軽くなった。
「うわ。身体変な感じ」
「最初はそんなもんだ」
「ガイウスも?」
「俺なんか初日に腰やって二日寝たぞ」
「人のこと馬鹿って言えないじゃん」
「だから止めてんだよ」
「ああ」
経験。
って。
そういうことなのかもしれない。
最初から何でも知っていたわけじゃない。
失敗して。
怪我して。
覚えた。
その失敗を。
今。
俺に教えてくれてる。
「ありがとう」
「あ?」
「教えてくれて」
「急に気持ち悪いな」
「もう二度と言わない」
「冗談だって」
ガイウスが笑った。
◇
帰り道。
俺は自分の手のひらを眺めていた。
痛い。
じんじんする。
「これ、明日絶対痛いやつだ」
「明日どころか今痛えだろ」
「今も痛い」
「なら今日は魔法の練習もほどほどにしとけ」
「何で分かったの?」
「やる顔してた」
「どんな顔だよ」
「馬鹿の顔」
「殴るぞ」
「大剣もまともに振れねえ奴に負けるか」
「半年後覚えてろよ」
口にしてから。
少しだけ止まった。
半年後。
「……俺、半年後もここにいるのかな」
ガイウスが俺を見る。
「知らん」
「だよね」
「でも明日はいるんだろ?」
「たぶん」
「じゃあ明日のこと考えろ」
「……そうする」
先のことなんて分からない。
日本へ帰る方法も。
いつ見つかるのか。
本当に見つかるのか。
何も分からない。
だったら。
今は。
明日。
大剣をもう一度握る。
《ファイアボール》も覚える。
依頼も受ける。
金も稼ぐ。
飯も食う。
「……忙しいな、冒険者」
「今さらかよ」
ガイウスが笑った。
◇
それから数日。
俺の生活に、大剣の練習が加わった。
依頼がない日。
依頼から早く帰った日。
ガイウスたちと時間が合えば、少しだけ教えてもらう。
最初は持ち上げるだけで腕が悲鳴を上げていた。
それが。
少しずつ変わる。
「違う。そこは踏み込む」
「こう?」
「深すぎ」
「じゃあこれ」
「そうだ」
振る。
「今の?」
「悪くない」
「よし」
また。
「敵だけ見るな。周りも見ろ」
「難しいって」
「だから練習すんだよ」
「はいはい」
また。
「重心後ろすぎ」
「これ?」
「そう」
また。
また。
また。
覚える。
失敗する。
直す。
もう一度。
その繰り返しが。
思っていたより楽しかった。
そして数日後。
「……お前」
俺の一撃を受け止めたガイウスが、妙な顔をした。
「何?」
「いや」
「またその顔」
「どの顔だよ」
「何か言いたそうな顔」
「…………」
ガイウスは俺を見る。
次に、大剣を見る。
そして。
「もう一回」
「また?」
「ああ」
「いいけど」
構える。
踏み込む。
腰を回す。
剣の重さに逆らわず。
そのまま。
振る。
金属がぶつかる音が響いた。
「…………」
ガイウスは。
今度こそ。
はっきり首を傾げた。
「朝陽」
「何?」
「お前、本当にこれ初めてなんだよな?」
「だからそう言ってるじゃん」
「……そうか」
「何なんだよ」
「いや」
ガイウスはそれ以上言わなかった。
俺も。
深くは考えなかった。
初めての異世界。
初めての魔法。
初めての冒険者。
だから。
これくらいのことは。
きっと。
異世界に来たから起きる、よく分からない何かなんだろう。
その時の俺は。
本気で。
そう思っていた。




