第18話 合同討伐
翌朝、ギルドへ入って最初に目に入ったのは、依頼板の前にできた人だかりだった。
昨日まではなかった紙が何枚も追加され、その前で冒険者たちが話し込んでいる。
嫌な予感がした。
というより、たぶん当たっている。
「……出たか」
近づいてみると、案の定だった。
グラシア地方で増えている魔物への対応として、複数の低ランク冒険者を集めた合同討伐を行うらしい。
対象はハウンドウルフ。
ランクはE。
「昨日のやつ、これだったのかな」
灰色の毛。四本足。牙。
特徴は近い。
ただ、昨日の俺には魔物の種類なんて分からなかった。受付でも断定はされていない。
依頼書を読み進める。
単独での討伐ではない。
複数人で指定区域を捜索し、発見したハウンドウルフを討伐する。
経験の浅いEランク冒険者も参加可能。
その代わり、経験者の指示には従うこと。
「……これか」
昨日聞いた話、そのままだった。
参加する。
そう決めていたはずなのに、依頼書を目の前にすると指が動かない。
昨日の牙が頭に浮かぶ。
地面を蹴った瞬間の速さも。
あれが今度は、一匹とは限らない。
「怖えな……」
誰にも聞こえないように呟いた。
「そりゃ怖えだろ」
「うわっ!」
真横から声がして、思わず肩が跳ねた。
振り向く。
でかい。
最初に出てきた感想が、それだった。
筋肉質な身体に、背中には大剣。
俺より明らかに年上の男が、依頼書を覗き込んでいた。
「魔物相手にすんのに、怖くねえ奴の方がおかしい」
「……聞こえてたんですか」
「ばっちりな」
「恥ずかし……」
男は豪快に笑った。
「初討伐か?」
「何で分かるんです?」
「顔」
「また顔かよ……」
そんなに分かりやすいのか、俺。
「あと装備」
「あ」
言われて自分を見る。
まともな武器すら持っていない。
確かに、これで歴戦の冒険者ですと言われても無理がある。
「Eランクになったばっかりです」
「なるほどな」
「昨日、初めて魔物に襲われて。逃げるので精一杯でした」
「逃げ切ったなら上出来じゃねえか」
返ってきた言葉が予想と違った。
「上出来?」
「死んでねえだろ?」
「まあ……はい」
「なら次がある」
男はそう言ってから、依頼板に手を伸ばした。
俺が見ていたのと同じ合同討伐の依頼書を取る。
「これ、参加するんですか?」
「そのつもりだ」
少し迷ってから聞いた。
「強いんですか?」
「俺が?」
「はい」
「Dランク」
「おお」
「その反応やめろ。大したことねえぞ」
「いや、俺Eなんで」
「昨日なったばっかなんだろ?」
「はい」
「じゃあ一個上なだけじゃねえか」
「でも、戦えるんですよね?」
「そりゃまあ、お前よりはな」
その言い方が妙に普通だった。
自慢するでもなく、謙遜するでもない。
できることを、そのまま言っている感じ。
「俺はガイウス。パーティー《ブレイヴ》でやってる」
「真白朝陽です」
「マシロ?」
「あ、朝陽でいいです」
「じゃあ朝陽な」
早い。
会って一分も経ってないのに。
「お前、参加すんのか?」
ガイウスが合同討伐の依頼書を軽く振る。
「そのつもりで来ました」
「そのつもり、ねえ」
「……怖くなってます」
「だろうな」
否定されなかった。
それが少しありがたかった。
「まあ、受けるなら一つだけ覚えとけ」
「何です?」
「分かんねえことがあったら勝手に動くな。経験ある奴に聞け」
「はい」
「死にそうなら逃げろ」
「……はい」
「仲間が逃げろって言ったら逃げろ。格好つけんな」
「はい」
「以上」
「それだけ?」
「最初はそれで十分だ」
ガイウスは受付へ歩いていく。
途中で振り返った。
「で?」
「え?」
「来るのか、来ねえのか」
依頼書を見る。
昨日、何もできなかった。
怖くなって逃げた。
それは間違っていなかったと思う。
でも、次も同じでいいとは思わない。
「……行きます」
俺も依頼書を取った。
◇
合同討伐に参加する冒険者は、俺が思っていたより多かった。
何人かの集団に分かれ、それぞれ経験者を中心に行動するらしい。
俺が入ることになったのは、ガイウスたち《ブレイヴ》のいる組だった。
他のメンバーとも簡単に挨拶を交わす。
名前を聞いた気もする。
けれど緊張していたせいか、正直ほとんど頭に入らなかった。
「顔固えぞ、朝陽」
「そりゃ固くもなりますよ」
「昨日襲われたばっかだもんな」
「そうですよ」
「まあ、今日は一人じゃねえ」
ガイウスは背中の大剣を軽く叩いた。
「危なくなったら俺らの後ろに下がれ」
「それでいいんですか?」
「いいも何も、そのための合同討伐だろ」
なるほど。
どうも俺は、冒険者になったら全部一人でできないといけないと思い込んでいたらしい。
「朝陽は何使う?」
「魔法です」
「属性は?」
一瞬、詰まる。
全部。
とは言えない。
「火です」
最初に適性があると言われた属性。
嘘ではない。
「使える術は?」
「《イグニス》」
「……だけか?」
「だけです」
「そいつは戦闘用じゃねえな」
「ですよね」
分かっていたけど、改めて言われると少し悲しい。
「E級は?」
「まだ覚えてません」
「じゃあ無理に前出んな。今日は戦い方を見るだけでもいい」
「でも、依頼ですよね?」
「だから何だ?」
「俺も戦わないと」
「戦えねえ奴が無理に戦って怪我したら、助ける奴が一人取られる」
「……あ」
「そっちの方が迷惑だ」
はっきり言われた。
でも嫌味には聞こえなかった。
「できることをやれ。できねえことはやるな。できるようになりたきゃ、生きて帰って練習しろ」
「……はい」
「返事だけはいいな」
「まだそれくらいしかできないんで」
「ははっ、上等だ」
ガイウスが笑う。
俺も少しだけ肩の力が抜けた。
◇
王都を離れ、グラシア地方へ入る。
ここまでは何度も来た道だ。
でも今日は空気が違った。
前にも後ろにも冒険者がいる。
剣を持つ者。
槍を持つ者。
弓を背負う者。
杖を持つ者。
昨日まで一人で歩いていた道なのに、今日は妙に狭く感じる。
「ガイウスさん」
「さん要らねえよ」
「じゃあガイウス」
「おう」
「何年くらい冒険者やってるんです?」
「何年だっけな」
「覚えてないんですか」
「数えるのやめた」
「そんなもん?」
「そんなもんだ」
歩きながら、ガイウスが肩をすくめる。
「ずっとDランク?」
「悪かったな」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「分かってるよ」
また笑われる。
「上に行く奴はもっと早い。俺は何度も失敗して、怪我して、逃げて、今もDだ」
「……それでも続けてる」
「食わなきゃならんからな」
もっと格好いい理由が返ってくると思っていた。
「夢とかないんです?」
「あるぞ」
「何です?」
「うまい酒飲んで、腹いっぱい飯食って、次の日ちゃんと目ぇ覚ます」
「小さくない?」
「お前な、それを毎日やるの結構大変なんだぞ」
周りの《ブレイヴ》のメンバーが笑う。
「ガイウスは本当にそればっかりだからな」
「いいだろ。死んだら酒も飲めねえ」
「それはそうだけどよ」
くだらない話をしながら歩く。
合同討伐。
魔物。
命懸け。
もっと張り詰めたものを想像していた。
でも。
ずっと緊張していたら疲れる。
この人たちは、それを知っているのかもしれない。
「朝陽は?」
「え?」
「夢」
「俺?」
「何のために冒険者やってんだ?」
答えに詰まった。
日本へ帰るため。
そのために情報を集めたい。
生きるために金も必要だった。
最初はそれだけ。
「……帰りたい場所があるんです」
「そうか」
ガイウスはそれ以上聞かなかった。
どこだとか。
何があったとか。
何も。
「でも」
俺は自分から続けた。
「この世界も、ちょっと見てみたいです」
「なら冒険者は向いてるかもな」
「そうなんですか?」
「金もらって色んな場所行けるぞ」
「いい仕事じゃん」
「生きて帰れりゃな」
「そこ毎回付くんですね」
「一番大事だからな」
笑う。
少しだけ。
怖さが薄れた。
◇
目的地が近づくと、会話は自然に減った。
ガイウスの雰囲気も変わる。
さっきまで笑っていたのに、今は周囲を細かく見ている。
「ここから気ぃ抜くな」
声も少し低い。
「朝陽、俺らより前には出るな」
「分かった」
「あと足元ばっか見るなよ」
「え?」
「怖いと人間、足元見んだよ。敵は前から来る」
言われて気づく。
俺。
少し下を向いていた。
「見るなら相手の全体を見ろ。牙だけ見たら身体の動きが分からん。脚だけ見ても同じだ」
「全体……」
「どっち向いてる。どこに重心乗ってる。何しようとしてる。分からなくても見ろ」
昨日。
俺も。
少しだけ。
似たことをした。
飛びかかる前。
身体を低くした。
それを見て。
次が来ると分かった。
「……なるほど」
「いきなり全部分かるわけねえからな。まず見ろ」
「うん」
ガイウスの歩き方を見る。
大剣を背負っているのに、思ったより足音が小さい。
周りを見る時も、首だけを忙しく動かさない。
目。
身体。
歩く速さ。
「何見てんだ?」
「ガイウス」
「気持ち悪いな」
「違うって」
思わず笑いそうになった。
その時。
先頭を歩いていた冒険者が手を上げた。
全員が止まる。
空気が変わった。
「いたぞ」
声。
小さい。
俺も前を見る。
林の向こう。
灰色。
一匹。
二匹。
さらに奥。
「……三」
「まだいるかもしれん」
ガイウスが大剣を抜いた。
初めて見る。
大きい。
昨日、武器屋で持った剣とは比べものにならない。
あんなものを。
振るのか。
「朝陽」
「うん」
「下がれ」
言われた通り、一歩後ろへ。
ハウンドウルフ。
昨日の魔物とよく似ている。
たぶん。
同じだったんだ。
喉。
乾く。
でも。
昨日とは違う。
今日は。
一人じゃない。
◇
最初に動いたのは冒険者側だった。
二人が左右へ広がる。
ガイウスは中央。
「追い込みすぎんな! 散った奴を一匹ずつやるぞ!」
大声。
でも。
突っ込まない。
意外だった。
もっと。
大剣。
振り回して。
一気に倒すのかと思ってた。
違う。
距離を取る。
相手の動き。
見る。
一匹。
ハウンドウルフが飛び出した。
「来るぞ!」
ガイウスが半歩。
ずれる。
大剣。
構える。
魔物が飛ぶ。
「っ!」
速い。
昨日。
俺が避けた。
あの動き。
でも。
ガイウスは。
逃げない。
ぎりぎりまで。
待つ。
身体。
ずらす。
同時に。
大剣。
振る。
一撃。
鈍い音。
魔物の身体が地面へ叩きつけられた。
「……すげ」
「見惚れんな!」
「はい!」
怒鳴られる。
もう一匹。
横。
別の冒険者へ。
「右!」
誰かが叫ぶ。
剣。
受ける。
魔物。
跳ねる。
別の一人。
横から攻撃。
「…………」
連携。
一人が。
全部。
やらない。
攻撃。
避ける。
別の人。
攻撃。
「これが……」
パーティー。
俺。
ずっと。
一人だった。
採取。
荷運び。
魔法。
全部。
一人。
でも。
戦う時。
一人で。
全部やる必要。
ない。
「朝陽!」
「え?」
「左!」
声。
振り向く。
「――っ!」
茂み。
四匹目。
見落としてた。
俺の方。
来る。
「下がれ!」
ガイウス。
遠い。
間に合わない。
魔物。
走る。
「くっ……!」
右手。
前。
「《イグニス》!」
火。
魔物。
一瞬。
怯む。
昨日と同じ。
でも。
今日は。
逃げるだけじゃない。
「今だ!」
近くにいた冒険者が横から入る。
剣。
魔物へ。
当たる。
倒れる。
「…………」
俺。
何も。
倒してない。
でも。
「朝陽!」
ガイウス。
「今のいいぞ!」
「……!」
火。
小さい。
倒せない。
でも。
一瞬。
止めた。
その一瞬。
別の人。
倒した。
「できること……」
できることを。
やれ。
「……はい!」
もう一匹。
奥。
出てくる。
怖い。
まだ。
怖い。
でも。
見る。
全体。
どこ。
向いてる。
誰。
狙ってる。
「右に行く!」
「おう!」
俺の声。
誰か。
聞く。
動く。
魔物。
方向。
変える。
「《イグニス》!」
火。
顔。
逸らす。
「もらった!」
別の冒険者。
攻撃。
当たる。
「…………」
使える。
これ。
戦闘魔法じゃない。
でも。
使える。
倒すだけ。
じゃない。
「朝陽! 前出んな!」
「分かってる!」
「ならいい!」
ガイウス。
大剣。
振る。
魔物。
吹き飛ぶ。
「…………」
怖い。
でも。
さっきより。
周り。
見える。
足。
震えてる。
でも。
動ける。
「…………」
これが。
戦うってこと。
◇
戦闘が終わったあと、俺はしばらくその場から動けなかった。
「終わったぞ」
ガイウスに肩を叩かれて、ようやく息を吐く。
「……終わった?」
「おう」
周囲を見る。
倒れたハウンドウルフ。
武器を収める冒険者たち。
怪我を確認している人。
誰も。
死んでない。
「…………」
力が抜けた。
その場に座りそうになる。
「座るな」
「何で」
「まだ周りの確認終わってねえ」
「あ」
「終わるまで気ぃ抜くな」
「はい」
立つ。
脚。
ちょっと。
震えてる。
「朝陽」
「何?」
「初めてにしちゃ悪くなかった」
「俺、倒してないけど」
「誰が倒せっつった?」
「…………」
「お前の火で二回、動き止まっただろ」
「でも」
「それで十分だ」
ガイウスは倒れた魔物を見ながら言った。
「一人で全部やろうとすんな」
「…………」
「できねえことを他人に任せるのも、戦い方だ」
「……うん」
「まあ」
ガイウスが俺を見る。
「次までに、もうちょいマシな魔法覚えとけ」
「ですよね」
「《イグニス》だけで討伐来る奴、初めて見たぞ」
「言わないでよ」
周りから笑い声が上がる。
「本人が一番分かってるんで」
「ならよし」
俺も笑った。
戦った直後なのに。
さっきまで。
あんなに怖かったのに。
「…………」
不思議だった。
でも。
嫌じゃない。
「ガイウス」
「あ?」
「E級魔法、覚えようと思う」
「そうしろ」
「図書館行ってくる」
「そこからかよ」
「知らないものは調べるしかないだろ」
「変な奴だな、お前」
「よく言われる」
「そうか?」
「いや、今初めて言われた」
「適当じゃねえか!」
笑いながら。
帰る準備。
する。
初めての。
合同討伐。
俺は。
魔物を一匹も倒せなかった。
それでも。
昨日より。
できることはあった。
怖くても。
動けた。
誰かと。
戦えた。
それだけで。
少し。
前に進めた気がした。
そして。
帰ったら。
まず。
E級魔法を覚えよう。
《イグニス》だけで次も来るのは。
さすがに。
俺も嫌だった。




