第17話 冒険者らしい仕事
Eランクになった翌日、俺は依頼板の前で十分近く立ち尽くしていた。
別に、受けたい依頼が見つからないわけじゃない。
むしろ逆だった。
「……あるなあ」
昨日まではほとんど見ることのなかった一角に、討伐依頼が並んでいる。
家畜を襲う魔物の駆除。街道付近に現れた魔物の討伐。農地を荒らす小型魔物の間引き。
どれもEランクから受けられるものだ。
つまり、今の俺にも受注資格がある。
資格だけは。
「…………」
依頼票を一枚取ってみる。
読む。
戻す。
別の一枚を取る。
読む。
戻す。
「何してんだ、俺」
さっきからこれを繰り返していた。
討伐。
文字で見るだけなら簡単だ。
魔物を探して、倒して、帰ってくる。
ゲームなら何度もやった。
でも現実は、当然ながら違う。
失敗しても画面が暗くなってやり直せるわけじゃない。痛いものは痛いだろうし、下手をすれば死ぬ。
そう考えると、どうしても依頼票を受付まで持っていけなかった。
「……今日はやめとくか」
無理して戦う必要はない。
受付の人もそう言っていた。
俺は討伐依頼から離れ、見慣れた採取依頼の方へ移動した。
その時だった。
「おい! グラシア方面に出る奴、いるか!」
ギルドの奥から大きな声が飛んだ。
何事かと振り返る。
職員らしき男が、何枚かの依頼票を手に立っていた。
「ローネ近郊で魔物の目撃が増えてる! 討伐依頼を追加する。低ランクは指定区域から外れるなよ!」
ざわり、とギルド内が騒がしくなる。
何人かの冒険者が集まり、職員から話を聞き始めた。
ローネ。
名前だけなら知っている。
王都ルイと同じグラシア地方にある、農業や牧畜を中心とした村だったはずだ。
気になって少し近づくと、冒険者たちの会話が聞こえてきた。
「またか?」
「最近多いな」
「季節の変わり目だからじゃねえの?」
「知らん。どうせ俺らは倒して金もらうだけだ」
軽い。
少なくとも俺にはそう聞こえた。
魔物。
討伐。
そんな言葉を、今日の昼飯でも相談するみたいに話している。
当たり前か。
この人たちは冒険者だ。
俺よりずっと前から、こういう仕事をしている。
俺だけが特別怖がっているような気がして、少し恥ずかしくなった。
けれど。
『冒険者の仕事は、依頼を達成することだけではありません』
あの人の言葉を思い出す。
『帰ってくることです』
別に、恥ずかしがる必要はない。
怖いなら怖いでいい。
問題は、その上でどうするかだ。
「……よし」
今日は予定通り、採取にしよう。
そう決めて依頼票を一枚取った。
◇
王都を出てしばらく歩くと、街の喧騒は嘘みたいに遠ざかった。
グラシア地方。
何度か依頼で足を運ぶようになって、少しずつこの辺りの景色にも馴染んできた。
遠くまで続く畑。風に揺れる牧草。街道を進む荷馬車。
さらに遠くには森が見える。
あの森の向こうにも村や町があって、そこにも人が暮らしている。
王都に来たばかりの頃は、ルイだけで世界が急に広がったような気がしていた。
でも、違う。
あそこは世界のほんの一部だ。
「……広いな」
この道をずっと進んだら、どこに着くんだろう。
ベルナ。
ローネ。
その先は?
さらに国境を越えたら?
アルヴェンで初めて聞いた、獣人や魔族やエルフが暮らす場所も、本当にどこかにある。
「行ってみたいな」
口に出してから、自分で少し驚いた。
日本へ帰りたい。
その気持ちは変わっていない。
帰る方法だって探さないといけない。
それでも。
せっかくここにいるなら、この世界をもっと見てみたい。
そんな気持ちも、いつの間にか生まれていた。
「……帰る方法探す方が先だろ」
自分に言い聞かせながら歩く。
でも。
ちょっとくらいなら。
見てもいいだろ。
たぶん。
◇
今日の依頼は、薬草と魔物由来の素材の回収だった。
といっても、魔物を倒す必要はない。
グラシア地方には小型魔物が巣を作った跡や、抜け落ちた外皮なんかが残されていることがあるらしい。
今回必要なのも、そういうものだった。
「これか?」
林の浅いところで、木の幹に張り付いた硬い殻を見つける。
依頼票に描かれた見本と比べる。
色。
形。
大きさ。
「……たぶん、合ってる」
慎重に剥がし、袋へ入れる。
一つ目。
もう一つは薬草だ。
最近、採取は少し得意になってきた。
葉の形だけじゃなく、日当たりや土の湿り方を見ると見つけやすい。
最初は全部同じ草に見えていたのに、不思議なものだ。
「この辺なら……」
しゃがんで周囲を見る。
一本見つける。
その近くに二本。
「やっぱり」
ちょっと嬉しい。
こういう小さな発見が、意外と楽しかった。
順調だった。
だから。
油断していたんだと思う。
低い唸り声が聞こえるまでは。
◇
「……え?」
身体が止まった。
風じゃない。
鳥でもない。
今のは。
明らかに、生き物の声だった。
ゆっくり顔を上げる。
少し離れた茂み。
何かがいる。
姿は見えない。
でも。
いる。
「…………」
心臓が急にうるさくなった。
逃げる。
最初に浮かんだのは、それだった。
袋を持ち直し、ゆっくり後ろへ下がる。
背中を向けるのが怖い。
一歩。
もう一歩。
茂みが揺れた。
「っ……」
出てきた。
四本足。
犬に似ている。
でも犬じゃない。
俺の知っている犬より一回り大きく、口元から太い牙が覗いている。
毛は汚れた灰色。
低く身体を沈めて、こっちを見ていた。
「……魔物」
初めて。
ちゃんと見た。
アルカ遺跡からアルヴェンへ向かう途中にも、知らない生き物はいた。
でも、あれとは違う。
見た瞬間に分かった。
こいつは。
俺を襲う。
「…………」
どうする。
走る?
逃げ切れる?
距離は。
街道まで。
どれくらい。
魔物の脚。
速そう。
俺。
普通の高校生。
「無理だろ……」
小さく漏れた。
魔物が一歩近づく。
俺は一歩下がる。
また一歩。
下がる。
足元に枝。
踏む。
ぱきっ。
「――!」
魔物が飛び出した。
「うわっ!」
考えるより先に右手を突き出した。
「《イグニス》!」
火が生まれる。
いつも練習している、小さな炎。
魔物の目の前で燃え上がった。
「ギャッ!」
驚いた魔物が身体をひねる。
「効いた!?」
いや。
違う。
当たってない。
驚いただけだ。
魔物はすぐに体勢を立て直した。
「まずい」
もう一度。
「《イグニス》!」
炎。
小さい。
これじゃ倒せない。
分かっていた。
F級魔法。
生活にも使われる程度の魔法。
俺はまだ、それしかまともに使えない。
「くそ……!」
魔物が距離を詰める。
火。
駄目。
水。
もっと駄目。
風。
土。
光。
闇。
木。
全部使える。
でも。
全部F級。
使えることと、戦えることは違う。
その意味を。
今。
嫌というほど理解した。
「逃げ――」
魔物が地面を蹴った。
速い。
「っ!」
横へ飛ぶ。
牙。
目の前。
通る。
転ぶ。
「痛っ!」
手。
擦った。
でも。
立て。
立て。
次。
来る。
魔物が振り返る。
「…………」
怖い。
本当に。
怖い。
脚。
震える。
でも。
見る。
相手。
さっき。
飛びかかった。
一直線。
牙。
噛む。
「…………」
次も。
同じ?
分からない。
でも。
見るしかない。
魔物が低くなる。
「来る」
地面を蹴る。
「今!」
横へ。
さっきより早く動く。
魔物が通り過ぎる。
「……っ!」
避けた。
でも。
そのまま。
走る。
街道。
方向。
「逃げろ!」
全力。
後ろ。
足音。
来てる。
「速っ……!」
追いつかれる。
どうする。
どうする。
火。
驚いた。
最初。
火を見て。
一瞬。
止まった。
「だったら!」
振り返る。
「《イグニス》!」
炎。
魔物の顔の前。
ひるむ。
「今!」
走る。
倒す必要はない。
勝つ必要もない。
帰ればいい。
「はっ……はっ……!」
走る。
後ろ。
足音。
「…………」
ない。
振り返る。
魔物。
遠く。
止まっている。
「…………」
来ない。
「…………」
逃げ。
切った?
「…………」
まだ。
安心するな。
街道。
出るまで。
走る。
◇
「はぁ……はぁ……」
街道。
人。
荷馬車。
「…………」
助かった。
その場に座り込みたくなった。
でも。
道の端。
移動。
しゃがむ。
「…………」
手。
震えてる。
「こっわ……」
声。
出た。
「何だよ、あれ……」
魔物。
初めて。
襲われた。
殺される。
かもしれなかった。
「…………」
冒険者。
こんなの。
相手に。
してるのか。
毎日。
「…………」
無理だろ。
俺。
剣。
使えない。
戦い方。
知らない。
魔法。
使える。
でも。
さっき。
ほとんど。
何もできなかった。
「…………」
七属性。
使える。
それが。
すごいこと。
だと思ってた。
実際。
珍しいんだろう。
でも。
「意味ねえじゃん……」
使い方を。
知らない。
戦い方を。
知らない。
だったら。
意味がない。
「…………」
右手。
見る。
擦り傷。
血。
少し。
「…………」
痛い。
でも。
生きてる。
「…………」
帰ろう。
ギルド。
戻る。
◇
「魔物に遭遇した?」
受付の女性の声が、少しだけ低くなった。
「はい」
戻ってすぐ、俺は起きたことを全部話した。
採取場所。
茂み。
灰色の毛。
大きさ。
牙。
動き。
できるだけ。
覚えている範囲で。
「場所は?」
「依頼の指定区域の、東側です。林に入ってすぐくらい」
「単独でしたか?」
「俺が見たのは一匹だけです」
「怪我は?」
「転んだ時に手を擦ったくらいです」
「噛まれていませんね?」
「はい」
職員が呼ばれ、俺の話を書き留めていく。
思っていたより大事になった。
「たぶん、グラシアで増えてる魔物と同じだと思います」
「可能性は高いですね」
「…………」
朝。
聞いた話。
ローネ周辺。
魔物。
「王都の近くまで来てるってことですか?」
「現時点では何とも言えません。確認が必要です」
「そうですか」
受付の人が俺を見る。
「それで、どうやって逃げたんです?」
「あ」
魔法。
「火を」
「《イグニス》ですか?」
「はい。顔の前に出したら一瞬怯んだので、その間に逃げました」
「なるほど」
「倒せはしませんでした」
「倒す必要はありません」
即答だった。
「でも俺、Eランクになったんですよね」
「はい」
「討伐依頼も受けられる」
「受けられます」
「なのに、あんな一匹相手に逃げるしかなかった」
「それで?」
「…………」
それで。
言われると。
困る。
「情けないなって」
「昨日まで一度も魔物と戦ったことのない人が、突然上手に戦える方が不思議ですよ」
「…………」
そりゃ。
そうだ。
「朝陽さん」
「はい」
「Eランクになったから強くなったわけではありません」
「…………」
「できる仕事が増えた。それだけです」
痛い。
でも。
その通りだった。
「冒険者カードの文字がFからEに変わった瞬間、剣が上手くなるわけでも、魔法が強くなるわけでもありません」
「はい」
「必要なら覚えるんです」
「…………」
覚える。
「戦い方を?」
「それも含めて」
俺はしばらく黙っていた。
怖かった。
もう一度。
あれをやれ。
と言われたら。
嫌だ。
普通に。
逃げたい。
でも。
このまま。
ずっと。
採取と荷運びだけ。
「…………」
それも。
何か。
違う。
「どうやって覚えるんですか?」
「色々ありますよ。訓練を受ける。経験者に教わる。複数人で依頼を受ける」
「複数人……」
「新人が一人で魔物相手の経験を積まなければならない決まりはありません」
「…………」
そうか。
俺。
何となく。
一人で全部やるものだと。
思ってた。
「近いうちに、低ランク冒険者を含めた合同討伐が組まれるかもしれません」
「合同討伐?」
「グラシア方面の魔物が増えている件です。まだ正式には決まっていませんが」
朝。
追加されていた討伐依頼。
ローネ。
「経験者も参加します」
「…………」
「興味がありますか?」
「…………」
怖い。
即答。
頭の中では。
それ。
でも。
「あります」
口から出た。
自分でも。
ちょっと驚いた。
「怖いですけど」
「それでいいと思います」
「…………」
俺。
何で。
やろうとしてるんだろ。
日本にいたら。
絶対。
こんなこと。
しなかった。
「正式に決まれば掲示します」
「分かりました」
俺は頷いた。
◇
その日の帰り。
いつもの道を歩いていると、武器屋の前で足が止まった。
王都へ来た初日にも見た店だ。
あの時は。
剣なんて使えない。
そう思って。
通り過ぎた。
「…………」
今も。
使えない。
何も。
変わってない。
でも。
今日は。
店の中。
見る。
剣。
槍。
斧。
盾。
防具。
知らないもの。
いっぱい。
「…………」
入る?
いや。
買わない。
金。
もったいない。
「…………」
でも。
見るだけ。
なら。
「…………」
いや。
店の人。
嫌かな。
「…………」
何やってんだ。
俺。
「入れよ」
自分で言って。
扉を開けた。
◇
「いらっしゃい」
店の中は、外から見るより広かった。
壁一面に武器が並んでいる。
「……すげえ」
「何探してる?」
「あ、いや」
店主らしき男。
俺を見る。
「見るだけでも大丈夫ですか?」
「壊さなきゃな」
「壊しませんよ」
「なら好きに見ろ」
「ありがとうございます」
近く。
剣。
見る。
「…………」
本物。
当たり前。
刃。
ある。
「触っていいですか?」
「それならな」
一本。
指された。
持つ。
「重っ」
思ったより。
重い。
「片手で振り回そうとすんな。腰使え」
「腰?」
「買うのか?」
「いや、まだ……」
「なら無理に振るな。商品だ」
「すみません」
戻す。
次。
短い剣。
槍。
盾。
「…………」
どれが。
いいんだろ。
俺。
何も。
知らない。
「兄ちゃん、冒険者か?」
「はい。昨日Eランクになりました」
「駆け出しか」
「めちゃくちゃ」
「武器経験は?」
「ゼロです」
「なら最初から格好つけて高いもん買うなよ」
「買えません」
「それもそうか」
笑われた。
でも。
嫌な感じはしなかった。
「使い方も知らねえ武器は、持ってるだけで邪魔になる」
「…………」
「先に教わってこい」
「はい」
「それから来い。金持ってな」
「最後が本音ですよね?」
「当たり前だ」
ちょっと。
笑う。
「また来ます」
「金持ってな」
「はいはい」
店。
出る。
◇
夕暮れ。
王都。
人。
多い。
屋台。
匂い。
誰か。
笑ってる。
子供。
走ってる。
冒険者。
酒場。
入っていく。
「…………」
魔物に。
襲われた。
怖かった。
逃げた。
手。
痛い。
でも。
その帰り。
武器屋。
入った。
「…………」
何か。
変なの。
怖かったはずなのに。
もう。
次。
考えてる。
「…………」
戦えるように。
なりたい。
強く。
なりたい。
っていうより。
次。
同じこと。
起きた時。
何もできないのが。
嫌だ。
「…………」
俺にも。
できること。
増やしたい。
魔法。
もっと。
覚える。
戦い方。
知らないなら。
教わる。
「…………」
合同討伐。
頭に浮かぶ。
怖い。
まだ。
怖い。
でも。
経験者。
いる。
なら。
「…………」
やってみるか。
俺は夕暮れの王都を、宿へ向かって歩き出した。
昨日までなら避けていた討伐依頼が、今は少しだけ違って見えていた。




