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第九話 申し訳ない1

 一週間が経った。

 経ってしまったと言う方が正解かもしれない。熱は二日で引いたのだが、念のためと言われ、布団から出ることを許されなかった。大丈夫だと何度も訴えたのに。


 蝶子は上布団を折り曲げ、上体を起こした。窓の襖からは、朝日が優しく差し込んでいる。


「今日こそは」


 蝶子は意気込み、ぱんっと軽く両頬を打った。


(わたしってば、ここに来てから何もしてない)


 やったことは、寝ているだけ。休んでいるだけ。ただ飯を食べているだけ。ただの穀潰しでしかない。このままではいけない。


 蝶子は己の手を見た。働き詰めだった手が、綺麗になってきた。


 水仕事で常にカサカサに荒れていた手。爪の中は、夏子お嬢様が好きなヤマグワの実を摘み、赤く染まっていた。枝や薪を獲りに、竹籠の背負子を担ぎ、山に登り縄が肩に食い込み、いつも肩は赤黒く痣になっていた。それもずいぶんと綺麗になっていた。


 蝶子は腰まである髪を、すっと撫でた。

 ここに来てから、童子に櫛で髪を解いてもらい、ぱさぱさだった髪が、艶やかになっている。


「今日こそは」


 気合いを入れて蝶子は立ち上がると布団を畳み、元結(もっとい)(和紙のひも)で髪を結い、借り物の服を着て、部屋を出た。




 ******



「そーれ」


 渡り廊下を通ると、童子たちが桃のようなお尻をあげて、競争しながら、廊下の水拭きをしていた。ふりふりと揺れる小さなお尻が、なんとも愛らしく、蝶子の心がほっこりした。


「あっ。蝶子、起きてきた」

「もう、いいの」

「まだ、寝ててもいいのに」


 童子たちは蝶子に気が付くと、拭き掃除を止めて、わらわらと集まり、蝶子を囲んだ。


「はい。もうすっかり大丈夫です。あの、廊下のお掃除、わたしもお手伝いを」


 と蝶子が言いかけると、童子たちは揃って、右手を歌舞伎役者のようにしてあげ、制した。


「蝶子は、なにもしなくていいよ」

「雪のお嫁さんなんだから」

(えっ。でも、お嫁だからこそでは)


 蛇神様に食われないのならば、蝶子のすべきことは、家事全般をこなすことのはず。けれども、童子たちは頑なに、それを拒んだ。


「蝶子にそんなことさせたら、雪に、ぼくたちが怒られちゃうよ」


 童子たちが叱られるのは、よろしくない。童子たちには童子たちの使命があるのだろう。来たばかりの蝶子が出過ぎたことをしてはいけない。

 では、何をすればいいのだろうか。

 蝶子が悩んでいると


「起きたか」


 と、縁側の外から声が降ってきた。


(氷雪様のお声。あれ、でも、どこにいらっしゃるのかしら)


 蝶子は中庭に目を向けた。

 中庭は小池と剪定された松の木、紅葉の木が植えられていた。しっかりと朝日が差し込み、眩しさに蝶子は目を細めた。


 かさり、と青葉の紅葉が一枚ひらりと舞い落ちる。その紅葉の木を見上げると、氷雪が太い幹に、またがり背中を凭れ、器用に本を読んでいた。


 朝日に銀の髪が煌めく。かた足をだらしなく幹から下ろし、着物が少し乱れていて、艶やかだった。


「氷雪様。なぜ、そのような場所で、ご本を読んでいらっしゃるのですか」


 つい、ぽろりと本音がでてしまい、蝶子は慌てて口を押さえる。


「あのね。雪はね、朝が弱いの」

「冬も弱いね」

「それ、言ったら、わたしたちも冬は苦手」


 童子たちが、くいくいと蝶子の袖をひっぱった。

 しかし、それと木の上で本を読むことと、何が関係しているのか理解が出来ず、蝶子は目を丸くした。


「雪は蛇だから、寒さに弱いの」

「だから、ああやって朝日を浴びて、体を温めているんだよ」

「低血圧? なんだよ」


 蝶子の脳裏に、大蛇姿の氷雪が浮かび、背筋がすっと冷えた。それに朝とはいえ、葉月(八月)。暑くはないのだろうか。


「ぼくたちは、身を寄せ合って寝てるから平気」

「「「ねー」」」


 声を揃えて童子たちは言った。


「うるさい」


 氷雪はぴしゃりと言うが、童子たちは、へっちゃらの様子で、どうどうと言う


「雪は、朝は機嫌悪いよ」

「気を付けてね」

(えっと……どうやって気を付ければよいのでしょうか)


 童子たちは言うだけ言って、散ると掃除を再開した。


「蝶子。体の調子は」


 氷雪は軽々と木から飛び降りると、蝶子のいる方へと足を向けた。蝶子は少したじろぐ。


「もう、大丈夫です」

「そうか」


 ふうっと氷雪は眉間に手を添えて、息を吐いた。どうも気怠そうに見える。それに顔が白い。


「あの……お加減が、お悪いのでは」

「いや。昨夜は、あいつが、しつこかったから、少し体調が優れないだけだ」

(あいつ……しつこい)


 蝶子は僅かに左頬を引き攣らせた。


「お馬鹿ですね」

「お馬鹿ね」

「阿呆ですね」


 廊下をたたたっと水拭きしながら、童子たちが口々に言うと、ようやく、氷雪は、はっとした。



「まて、何か勘違いをしていないか」

「いえ、わたしごときが氷雪様の生活に、口出しはいたしません」

「まて、まて、違うからな。言っておくが、蝶子以外に成人の女人は、ここには、いないからな」

「はぁ。そうなのですね」

「……それだけか」

「? はい。なにか」

「……嘘をついて、女がいるかもとか、腹が立つとかないのか」

「いえ、そのようなこと、思いもしませんし、いらっしゃるなら、わたしがお世話をしたほうが」

「いない」


 ふいっと、ふて腐れたように、氷雪は顔をそむけると腕を組んだ。

 やはり、朝は機嫌が悪いようだ。


「朝食は食べたのか」

「いえ、ですが」


 普段、日に一食だけか、食べられない時がほとんどなので、働きもしないで朝食を頂くなど恐れ多い。しかし、言葉を出す前に氷雪は、童子たちに蝶子だけのために朝食を用意しろと命令した。申し訳なく必要ないと訴えたが、ちゃかちゃかと童子たちは「運ぶだけだから」と言って、お膳を運んで持って来た。


「雪もわたしたちも食べ終わったから、ゆっくり食べてね。蝶子」


 と童子は言うと、仕事に戻った。

 蝶子は、ちょこんと通された部屋に座り、お米をぱくりと食べた。


 こんな役立たずではいけない。

 味噌汁を啜り、漬け物に、小魚。残さないように、お腹いっぱいになりながら食べきった。


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