第六話 温もり1
「疲れちゃったのね」
「ここは神域だから、悪い物が抜けたんだよ」
「ずっと。張り詰めてきたもんね」
「おい。にーに。ねーね。あまりぺちゃくちゃ喋るな、蝶子に障る」
「はーい。本当に蝶子のことになると」
「黙れ」
高熱に浮かされながら、朧気にそんな幻聴を聞いた気がした。ときどき、額に冷たさを感じ、気持ちが良かった。水に浸した布を額に宛がわれている感覚がする。
「布団をさらに」
「これ以上乗せたら蝶子が潰れちゃうよ」
「うっ」
「いいから、雪は、そこに座っていて」
夢幻で氷雪は童子たちに叱咤されていた。
(ふふ)
熱で浮かされながら、嫁いだことも夢だったのではないだろうかと思う。
しだいに、深い睡魔が襲ってくる。
「すまない蝶子、熱が出たのは、俺のせいだ」
「仕方ないです。──を抑えるためだもの」
の声が、掠れ掠れに聞こえ、蝶子の意識は、闇に手放した。
*******
「とと様。わたしも大きくなったら、とと様のような鷹匠になりたいです」
九歳の蝶子は目元を潤ませながら、帰って来たばかりの父に訴えた。
昨日から蝶子は熱を出した。
父は気が気ではなかったのか、仕事が終わるなり、息せき切って、すっ転びそうになりながら襖を開けた。駆け寄ったところで、蝶子が、唐突に言ったのだった。
父は蝶子の額に手を置くと、熱を測る。すでに熱は下がり、父は安堵したようだった。が、眉をハの字にした。
「蝶子。何度も言っているであろう。女では、鷹匠になれないと」
「むむ。でもなりたいのです」
昔、父は鷹匠で、御家人だった。
御家人といっても、雨漏りをするような古びた武家屋敷である。それでも蝶子はそれなりに幸せに暮らしていた。
蝶子は潤んだ目で頬を膨らませると、父は溜め息を零し、聞き分けの無い我が子の脇に手を差し込み「よっこらせ」と言って、持ち上げ膝に乗せた。温かくて大きな体が、すっぽりと包み込み、蝶子は、ほっとする。
鷹匠は将軍が鷹狩りをする際に、調教された御鷹を、何不自由なく狩りが出来るように、鷹を訓練する役職だった。鷹は猛禽類で生きた雀などを食す。
生きた獲物を捕らえ、血肉を貪る。その姿は女である蝶子には堪え難い物だと、父は殺生について語った。蝶子には、よくわからない。
父の言い分は、残酷でもあり、そんな簡単な仕事では無いと言いたかったようだ。
そこに「まぁまぁ、なんですか」と言いながら、母が部屋に入って来た。
「まったく。子供に殺生など、血肉など語らないでください」
「あ、いや、その。だって」
「だって。ではありません」
ぴしゃりと言う美人な母は、眉をつり上げて、いつもの様に父を叱りつけた。
「それに、また妹君に、お金を貸しましたね」
父はビクリと肩を跳ね上げ、もごもごと口ごもる。ちょいちょい見かける風景に蝶子ですら呆れてしまう。人の良い父は、嫁いだ妹に、こっそりお金を貸してやっているようなのだ。
その嫁いだ先の武家任は借金だらけで「妹は苦労していて」と父は言い訳をする。それだけではなく、父の甥っ子にも、同じことをしていて、母は切り盛りするのに困っていた。これも、父の言い訳は、亡くなった弟の子供を助けてやりたい。だった。
「まったく。あなたは──仕方のないかたね」
母は慈愛を込めた目で、ふふっと笑った。厳しいことを言うが、母は、こんな優しい父を好いていた。
「すまない」
「とと様。かか様。子供の前で、喧嘩は駄目だと、わたしは思うのです」
蝶子はかしこまって言うと、ふふふっと家族三人で笑いあった。
こんな父だが蝶子は知っていた。
父が鷹匠見習いから鷹匠になったとき、蝶子は、こっそり父が御鷹を訓練している姿を見に行ったことがあった。
水鳥の生息する湖に父は凜と立ち、右腕を垂直に構え、鋭い目付きの綺麗な御鷹を乗せていた。父が御鷹を促すと、御鷹は湖に真っ直ぐに飛び立ち、尾っぽに装着された鈴が、ちりちりと涼しげに音を立てていた。
父と御鷹に、日差しがさんさんと降り注ぎ、蝶子は、その美しさに見とれたものだった。
普段とは違う父の凜々しい顔が、誇らしくもあった。
「わたしは鷹匠になりたいのです」
「だーかーら。蝶子。頼むから、やめてくれ。いいか、蝶子は良いところに嫁ぐんだ」
「そうですよ。蝶子を大事にしてくれる殿方と結婚するのが、蝶子の幸せですよ」
「んんん。まて、まて、蝶子には幸せになって欲しい。だが、だが、他の男にくれてやるのは嫌だ。嫌だったら、嫌だ」
父は駄々っ子のように蝶子に擦り寄って、喚いた。母は呆れ、蝶子も呆れた。
******
両親の声が遠くなっていく。視界が暗がり、喉が苦しく窒息しそうになると、朧気に遠くから声が聞こえた。
幻聴だろう。
「蝶子。早く元気になって」
「もう、何も心配ないよ」
布団をぽふぽふと叩かれるような感覚がした。
「こら、蝶子の寝る布団に乗るな」
これは幻聴だ。蝶子を心配してくれる人などいるはずもない。けれど、蝶子は喉の苦しさが、和らぐのを感じていた。
(そういえば、病気をしたとき、父と母が、いつも側にいてくれたな)
幻聴だとわかっていても、あの夢と今が重なるようだった。
もう、戻る事もできない。
こうして夢で見ることしか、もう蝶子にはできない。
久しく見なかった、両親がいたころの温かな夢を垣間見て、蝶子はうつら、うつらとした。
優しい手が蝶子の頭に触れ、何度も往復した。気持ちよさに、ほっとする。
(懐かしい感覚)
蝶子は温もりに安心して、ぐっすりと眠った。




