第四話 蛇神様の住処2
「いきゃっ」
いちね、が畳の下に置かれた紙を踏んで、ずるりと滑った。
「だいじょ……」
「もうもう。誰ですか。こんなところに土地神新聞を置いたのは」
蝶子は言葉を詰まらせ、いちねは握り拳を掲げ、頬を膨らませた。
「まったく、もう」
ばしばしと新聞を打つ。しかし、おもむろに新聞をぺらりと開きだした。それを見た童子たちが、わらわらと集まり、円陣を囲って、新聞を読み出した。
(えっと。土地神新聞ってなんだろう)
蝶子が首を捻っていると、さんねが教えてくれた。
「あのね。これは高天原の新聞なの。高天原のことも載ってるけど、おもに、人間界の様子が載ってるのよ」
「高天原?」
「神様が住む場所だよ」
(神様……)
やはり、ここはもう、蝶子のいた人間界ではないのだ。
さんねは、新聞が気になるのか、そわそわして目を落とした。
(字が読めるのかしら)
蝶子は興味津々に童子たちを見た。
いったい人間界のことを知って、どうするのだろうか。
それに、どうも童子たちの言葉に違和感を覚えた。
「将軍、徳川家治死去。田沼意次老中を免ずる」
「ふぅん。次、次を開いて」
「人間界は凶作が続く」
「四年前から東北地方から冷害が相次ぐ」
「冷害があったり、干ばつがあったり人間界は忙しいねぇ」
「一揆でも起きそうだね」
「ねぇ」
胡座を掻きながら、童子は顎を擦る。蝶子は瞬きを、二、三した。
小さな子供が、ご時世について語っている。それに、難しい漢字をすらすらと読み上げていた。
「そう言えば、三年前も山が噴火したんだったわね」
「そうだった。あそこの山神様は、怒ると手が付けられないから」
「どっかーん、ってね」
ははっと笑う童子。その聞き捨てならない言葉に蝶子は驚愕する。いっさい顔には出さず。
(三年前の大噴火って……確か、千五百人ほどの犠牲者が出たと耳にしたけど)
それが神様が怒っちゃった。程度のことなのだろうか。
各地の天変地異を、完結に済ましてしまうとは。蝶子との感覚とは大きく違う。
しかし、そんなことを考えたところで仕方がない。
(世の中がどうなろうが、わたしの生は、もうここで終わるんだ)
目を瞑って今までのことを思い返すが、ろくなことはなかった。どこか終焉を迎えることに安堵している。
(贄としての役割が自分の価値)
それ以上のことを考える必要はない。すっと腹の底が冷える。
ぱん。と漂う最後のシャボン玉が、弾け消えた。
そこまで考えていると、襖の先から、凜とした低い声が聞こえてきた。
「にーに。ねーね。誰が勝手に蝶子と会っていいと言った。それに部屋の中でシャボン玉をやるなと、何度も言っただろう」
(この声は)
蛇神様の声に気が付き、蝶子は身を固めた。
「うわぁ」
「ばれた」
童子たちは、あちこちと駆け回り、襖が少し開くなり、ポンと音を弾き、消散する。
「ちっ。逃げたか」
襖が開ききり、眉をつり上げた人間姿の蛇神様が、入り込む。
蝶子は青ざめた。
死ぬとわかっていても、鼬妖怪の末路を思い浮かべ、全身に恐怖が這い上がった。
蛇神様は蝶子を一瞥する。咄嗟に、蝶子は目を俯かせた。
(どうしよう。目をそむけてしまった)
きっと、心を害されているだろう。一瞬で死なせてくれないかもしれない。
恐怖で小刻みに震えていると
「んっ」
と頭上から声が降ってきた。
目の前には、蛇神様の大きな手。蝶子が好む手鞠の絵柄の懐紙。
(えっと。これは)
蝶子が目をぱちくりさせていると、蛇神様は首をしゃくらせる。すっかり存在を忘れていた金平糖を刺していた。むっとした様子で、そっぽを向かれた。
(えっと、この懐紙で、金平糖をくるめとゆうことかしら)
蝶子は、怖々と懐紙を受け取り、頂いた金平糖を、くるみ、そっと寝床の隅に置いた。
顔をあげて、じっと蛇神様を見つめる。
横顔といえど、やはり美しい。恐ろしい大蛇だとは信じがたい。
寡黙する蛇神様に、蝶子は意を決して正座をし、三つ指をつく。
「蛇神様。わたしは贄です。どうか、村に雨を降らせていただけませんか」
蝶子は深々と拝礼する。
(忘れてはいけない。わたしのやることは、蛇神様に身を捧げて、喰われること)
ところが。
「よせ」
蛇神様は蝶子の肩を掴み、顎をとらえる。ぐいっと上げさせられた。
蝶子の唇が微かに震える。
反論しなければ、きっと、痛めつけられることはないだろう。
蛇神様の鋭い眼が、奥深くまで見透かすような気がした。窮屈で息苦しさを伴った。
「村の奴に、そう言えと仕込まれたか」
冷酷に問われ、蝶子の瞳が陰った。蛇神様は手を離す。
どうやら、癇に障ることをしてしまったようだ。
(折檻される)
出来るなら、そうされずに死にたかった。
否、折檻よりも酷く、蝶子を生きながら、絞め殺すかもしれない。雑巾を絞るように。そうやって死ぬのが、蝶子の価値なのだろう。
身を引き締め、最後の瞬間を待った。
ところが、蛇神様は歯切れが悪く
「贄などではない」
と言った。
(贄ではない?)
蝶子は硬直した。蛇神様は両手を軽く握り締め、抑えるように、こちらを見た。
目が、かち合う。蝶子の心臓が、とくとくと打つ。
「嫁だ」
蛇神様は予想外の言葉を、ぼそりと口にした。しばし、沈黙する。蝶子は首を傾いだ。
「嫁とは贄だと、村の方々が言っていました。なにが違うのでしょうか」




