第三十八話 氷雪の幼き過去2
「蝶子……雪のこと」
「嫌いにはなりません」
先ほどの約束を口にすると、童子たちは、あからさまに安堵してから、ぎこちなく笑った。蝶子もつられて、笑う。
どんなことがあっても、もう、氷雪を嫌いにはなれない。
童子たちは、しばらく躊躇っていた。氷雪のことを聞いてと言っていたが、まだ決心がつかないのだろう。
長い沈黙のあと、おもむろに、ぽつり、ぽつりと話し出す。
「雪はね。人間として、この地で産まれたんだ」
「母は村でも噂になるほどの美人で、雪の父は女にだらしなくて、母を見初めたんだよ」
「雪の母親は五人目の愛人だったんだって」
いちね、にね、さんねでひとつの言葉を繋げる。蝶子は驚いた。
(初めから氷雪様は、神様だったわけではないのですね)
神とは人なざる者。
蝶子は蒼白な氷雪の顔を見つめた。
人であったならば、人神様なのだろうか。
人神様は死後に神として、祀られた者のこと。それは功績からなる者や、怨霊として鎮めるための者など、様々だ。
ふたにが言う。
「父は村一番の富豪で、村長をしていたんだ。村の人たちに逆らえる者は、誰もいなかった」
蝶子は眉を顰めた。
童子たちの語り口調と、父親の立場、氷雪の母が愛人だったことから、氷雪があまりいい待遇をされていなかったのではないかと、蝶子は心を痛めた。
「一年もすると母は身ごもり、雪を産んだんだ。父は一切、子供を可愛がりはしなかった」
「雪は生まれつき、髪が銀色で、村人たちから迫害を受けていたんだって。慈愛は、母しかしらなかったはずだよ」
蝶子は氷雪の冷たい手を両手で包み込んだ。
『俺の側に……いてくれ。頼むから。今は、今だけは』
氷雪は啓太との戦いで、そう言った。
その言葉の意味に含まれる、寂しさや孤独を考えると、この優しい神は、どれほど心に傷を負っていたのだろうか。
愛情を母以外、受けることがなかった。
「あのころ、雪の母も虐げられていたんだって。嫉妬からなのか、憂さ晴らしなのかはわからないけど、正妻と、その子供から、酷いことされていたみたい。雪は、その辺のことは詳しく教えてくれなかったけど。父は見ない振りをしてた。あの人にとって大事なのは、雪でも、雪の母親でもない。正妻と、その正妻の子だけだったから、彼らには贅沢させて好きなようにさせてたみたい」
ぎりりっと、いちねが唇を噛みしめた。
──そんなある日「この村がどうやって繁栄しているのかわかるか」と父が氷雪に聞いてきたと言う。氷雪が知るはずがなかった。父の性格を考えると、どうせ汚いことに手を染めて得た栄華だろう、と十歳の氷雪は思った。すでに父親に愛情などなかった。荒みきった心を剥き出しに氷雪は父を睨みつけると、父は卑しく笑って、こう答えたそうだ。
「この村は呪物を祀って繁栄しているのだ」
と。この村は山に囲まれた土地がらで、風通しが悪く、日当たりも良くなく、作物が育たなかった。
度重なる開拓を続けていても、水に恵まれず、貧困な生活が続いていた。村人たちも貧しさから死人が絶えない。
ひとつ山の向こうでは鷹の生息地で豊かだというのに、聖地を荒らすことを将軍に固く禁じられ、山に踏み込むことが出来なかった。
どこぞの村に移り住むことも許されず、この村は孤立していたのだ。
このままでは村は滅びる。
そんな土地で繁栄するために、父の一族は、呪物を祀った。
塚を建て、白蛇を捕らえ閉じ込めた。白蛇には富と財産をもたらす。脱皮を繰り返す蛇は再生と死を意味し、一族はそれを利用し、死をもって村の再生を得ようとした。そうして作り上げた魔物を飼ったのだ。
そして村を繁栄させるために必要なのは死。
「それには贄が必要だった」
そこで考えた、おぞましい、一族の規定。
我が子を贄とする。
村の子供を贄にしていては、いずれ反発心が生まれ暴動へと発展する。先祖は考え、身分の低い娘を見初め、子を産ませ、贄とした。そうして雨の恩恵を受けることになったのだ。
氷雪は、その日、祀っている蛇塚に無理矢理連れられた。母は必死にそれを止めようとした。
「氷雪を離して。あの子がなにをしたのです。お願いです、酷いことをしないで」
悲痛に叫ぶ母を父は高笑いした。
母は我が子を助けようとするが、その度に、父と従者によって、突き飛ばされ、蹴られ、氷雪と引き離された。
非力な女になにが出来ただろうか。
氷雪も必死で抗った。母親のためならいい。しかし、父親のために我が身を捧げる気など無かった。
しかし、小さな子供の抵抗など大人に勝てるはずが無い。
「くそったれ」
汚い言葉を父と従者に浴びせる。彼らは悪意の目を向けて笑う。氷雪は、凄まじい怒りを覚えた。
所詮、父にとっては愛人の子など供物でしかなかった。
氷雪は憎しみを込めて父を見上げる。
ぽんっとゴミでも放るように氷雪は、蛇塚の下にある地下洞窟に投げ込まれた。
蠢く邪物。ぎっしりと埋め尽くされた蛇。
誰も助けてはくれない。
「母さん」
母を恋いしがりながら、氷雪は蛇に首を絞められていく。そうやって氷雪の命は十歳で絶たれた。




