第三十七話 氷雪の幼き過去1
廊下を渡る。書院、氷雪の居間、廊下から見える池の庭を通ると、屋敷の中に門があった。
「開け」
と大鷹が言うと、重い門扉がギィと開く。門の先は屋根付きの渡殿になっていた。
(屋敷の中にこのような所があったのですね)
蝶子は屋敷の奥までは足を踏み入れたことが無かった。廊下などの掃除はすべて童子がしている。
蝶子は生唾をひとつ飲んで、躊躇いがちに渡殿に足を踏み入れる。木造の廊下がキシリと軋んだ。渡殿の先には円状の穴があった。繭玉のような穴は、腕ほどの太さの幹が絡み合い、別世界の入り口に思えた。とはいえ、すでにこの屋敷は人間界ではないのだが。それでも、不思議な繭玉は別次元に思えた。
「蝶子」
つい、足を止めてしまい、童子が心配げに促した。
「行きましょう」
蝶子は身を引き締めて、薄暗い繭玉の中へと入っていった。
「ここが、揺り篭」
繭の中は、木々や花々に囲まれていた。桜にユキヤナギ、椿や木蓮。狂い咲きのように四季を無視して開花していた。苔や緑色の木々に囲まれて、蝶子は目を見張る。現実離れした風景に息を飲む。
揺り篭の中心には祭壇があり、大鷹は軽々とそこに氷雪を横たえた。
まるで眠り姫のように思えた。
木々の枝には沢山の鈴がぶら下がり、それが、ちりちりと澄んだ音を響かせる。と、銀色に輝く粉が、ふわふわと漂い、渦を描き氷雪の体の中に吸い込まれていった。
「あの光はなんですか」
蝶子が聞くと、大鷹は「ふむ」と答えた。
「自然の精力とでも言うかのぅ。大地には神秘的な力を宿しておる。それを使って治癒力を高める。そんなところだ」
「では、氷雪様は」
「うむ、とりあえずは一安心だ」
大鷹が余裕の笑みを浮かべる。安堵して、皆が、ほっと胸を撫で下ろす。
蝶子は急に足に力を失い、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「だらしない奴よ。ところで娘子。よく見ると、とんでもない格好しているではないか、そんな姿を我が見たと知ったら、雪は不機嫌になるぞ。さっさと風呂に入り、着がえて、怪我の手当をせよ」
蝶子は、はっとする。着物は乱れ、座り込んだ太股が丸見えだったのだ。蝶子は慌てて着物を合わせた。
「いえ、わたしはこのままで」
「風邪を引くであろう。雪も着がえさせる。娘子、こやつの裸体を見ていたいのか。それとも娘子が着替えをさせるか? それも良いか。雪が起きたとき娘子が着替えさせたと知れば。ふふ。見物じゃな」
蝶子は真っ赤になって、ぶんぶんと顔を振った。
「あの、大鷹様。お願いします」
「なんじゃ、つまらん。雪をからかって遊ぼうと思うておったのに」
からかいさえなければ、大鷹は頼れる神様なのだが。これがこの神の性分だ。
大鷹は「小童ども、支度をいたせ」と手を叩いて命令した。
童子たちは、ぽんっと音を立てて、子蛇から人間の姿に変わる、が、下半身は蛇のままだった。
「うう。中途半端です」
童子たちは格好悪いと言いたげに嘆く。童子たちは、水桶、タオル、氷雪の着物などの支度に取りかかった。
蝶子は言われた通り、湯殿に行く。お風呂は温泉になっていて沸かす必要はない。怪我した足に染みるが、ざっとお風呂に入り、着がえる。
「蝶子、足の手当しなくちゃ」
童子が持って来た薬箱で手当をしようとした。蝶子は「自分でやります」と言い、怪我を見る。いまさらながら、擦り傷だらけだと嘆きたくなる。風呂に入ったことで血行が良くなり、爪が剥がれた親指が、余計にズキズキした。それも疎かに立ち上がると、怪我を庇いながら廊下を歩く。
自分のことよりも、氷雪の側に行きたかった。
「上手い」
氷雪のいる場所に向かっている途中、大鷹の大声が食事をする料理の間から、聞こえ、いったん、蝶子は足を止めた。
大鷹が酒を呷りながら、御膳に置かれた、煮豆を箸でつまみ食べていた。
「お前も食うか? 酒が美味であるぞ」
「いえ、結構です」
食事をする気にもなれない。蝶子は眉を顰めながら、丁重に断り、揺り篭のもとへと向かった。
氷雪は未だに意識を取り戻さない。濡れた衣も替えられ、顔の汚れも拭かれ綺麗になっていた。
このまま目を覚まさないのではないか。
蝶子が近くに寄っても、氷雪は起きる気配がない。
遠くから大鷹の笑い声が聞こえる。大鷹には氷雪を運んでいただき、感謝はしているが無神経な態度に、少々、苛つきを募らせる。
蝶子はしゃがみ込み、そっと氷雪の右手を握った。温かい。先ほどまでは、このまま冷たくなってしまうのではないかと気を揉んでいたが、こうして手を握っていると安堵する。
「氷雪様」
蝶子の手に力が籠もる。
「もう、酒を飲むと笑い上戸なんだから。ぷんぷん」
と、そこに、にねが嫌みを言いながら揺り篭に入ってきた。そのあとを、童子たちが全員、続く。
相当、大鷹の態度にご立腹なのか、童子たちの蛇の尾はペシペシと苔むした床に荒々しく叩きつけられていた。
どうやら、大鷹は遠慮なく酒を飲み、童子たちにも絡んでいたようだ。
童子たちは可愛らしい眉をつり上げていたが、氷雪を見下ろすと心配げにした。しばらく、もじもじとしてから、蝶子を見て、傍らに、ちょこんと座った。




