第二十話 ひだまり2
「あの、氷雪様」
「なんだ」
(なんだって)
氷雪は、ごろりと寝っ転がって、蝶子の膝を枕にして寝転んだ。
生温かな体温が、じわりと広がる。
あろうことか、氷雪は蝶子に縁側に座れと命じた。先ほどの失態で、やはり、激怒されているのだと思い、蝶子は折檻されることを覚悟した。すっかり綺麗になった痣も、また増えるのかと気落ちしていると、膝にずっしりと重みが乗る。まさか、膝枕をご所望とは理解ができなかった。
「えっと。これが、わたしに出来ることなのでしょうか」
「そうだ。俺は朝が弱い、こうして日向ぼっこをしなくてはいけない」
日光浴に膝枕は不必要なのではないだろうか。蝶子は慣れない行為に緊張して、体を強ばらせた。
「うたた寝をされるのでしたら、枕を持って来ましょうか」
「これが、温かくていい」
間髪入れずに氷雪は言い、子猫の様に蝶子の膝に擦り寄った。これは、蝶子を困らせて、楽しんでいるのではないだろうか。膝に温もりが伝って動揺が隠しきれない。
「……やっぱり、怒っていらっしゃいますか」
氷雪は意地悪そうに「くっく」と笑うと、さらさらの銀髪が揺れて、蝶子の手を掠め、こそ痒かった。
「ならば、罰だと思いなさい。それなら甘んじて受け入れるだろう」
「これが、罰ですか」
氷雪の考えることは、よくわからない。こんなことが罰になるのだろうか。
どうにも、お尻の辺りが、そわそわして落ち着かない。
ぽかぽかと柔らかな日差しが二人に降り注ぎ、頭が、のぼせそうだ。
しばらく、沈黙が続く。氷雪は、ぽそっと呟いた。
「初めてか」
蝶子は、きょとんとして首を傾げた。
「何がですか」
「膝枕をするのは」
蝶子は、上を向いて記憶を巡った。そういえば。
「昔……」
瞬間、氷雪の目が、細く鋭くなった。
「昔、なんだ」
氷雪の冷たい声に、蝶子はたじろいだ。叱られているようだ。
「えっと。村に住む啓太に」
「ほう。したのか」
蝶子は、氷雪の責めの言葉と視線から逃れようと、目を彷徨わせた。背に、じわりと嫌な汗が流れる。
どうされたのだろうか。
氷雪の眉間に皺がより、あからさまに不機嫌に見えた。
不愉快になるようなことを、言っただろうか。
「耳かきが下手だと聞いたので、やってあげただけです。子供の頃です」
「ほう。したのか」
「えっと。はい」
「したんだな」
なぜ、こんなにも、しつこく聞かれるのだろうか。蝶子は原因がわからず困惑する。
氷雪の機嫌を戻すには、どうすればいいのだろうか。人と接してこなかった蝶子には、氷雪の扱いがわからない。
氷雪は小さな溜め息を零し、おもむろに拳を額に当て、とんとん、と二回、軽く額を叩くと身動ぎした。ゴロリと氷雪は反転し、顔を蝶子の帯に向けた。と、両腕を広げ、蝶子の腰に手を回す。
「わぁ」
蝶子は驚いた。
氷雪は寝たまま、ぎゅうっと蝶子の腰を引き寄せて、あまつさえ、ぐりぐりと蝶子に、擦り寄ってきた。これはすでに膝枕ではない。蝶子のお腹に氷雪が顔を埋められ、蝶子は頬を染めた。
(近い、近い、近い)
「なんですか。えっええ」
氷雪の行動に蝶子は酷く心を乱した。
(なんでしょう。今日の氷雪様は、そうとう寒がりなのでしょうか、やたらと……)
殿方は寒いと、このように甘え、擦り寄って来るのだろうか。何度目かの、擦り寄りに蝶子は狼狽する。
氷雪は、ますます、手に力を入れて抱きしめる。ずしりと氷雪の重みを膝に感じ、蝶子の鼓動が早くなる。
「氷雪様」
「ふふ。補充ぐらいさせろ」
「補充とは、何か欠けていらっしゃいましたか」
「はは。欠けている。自分で考えろ」
(いったい、何が足りないと言うのでしょうか)
温もりが足りないってことでしょうか。
それならば、湯殿を湧かすのに。温かな茶を用意するのに。
なぜに、嬉しそうに抱きつかれているのだろうか。
これが補充になるのだろうか。
蝶子は走り出して逃げたい衝動に駆られた。
氷雪の息遣いが近い。氷雪の温もりが暑い。氷雪の腕が力強い。
蝶子は息苦しさを感じて、呼吸がしづらかった。
氷雪は寒いのかも知れないが、蝶子には日向が暑すぎる。だから、のぼせて頭が回らないのだ。
(うう。うう。今日は凄く、暑くなりそう)
じりじりと日差しが焼け付いて、蝶子は、ぱたぱたと手で顔を仰いだ。葉月(八月)も中旬に入る。朝方は少し肌寒いが、日中は葦簀を、窓辺に掛けた方が、いいのかもしれない。
「あの、氷雪様、なにか、食べたい物はありますか」
話題を変えるように蝶子は言う。
「揚げ出し豆腐」
ぼそりと氷雪は言った。その後、童子が朝食に招くまで、氷雪は蝶子を離すことはなかった。




