第十八話 不穏の音3
氷雪は腰差しから刀を取り出す。
その間に、毛むくじゃらの太く尖った針のような土蜘蛛の足が、頭上から、振り降ろされた。
氷雪は、鞘からすらりと刀を引き抜き、振り落ちた土蜘蛛の足を、刀で、下から受け止めた。
どん。
と、その衝撃波で、火花が散り、眩しく光る。突風が巻き起こる。水場がちゃぷちゃぷと揺れた。
凄い力だ。
ぐぐっと押され。刀と土蜘蛛の足が交差して、圧し合う。
(なるほど、あちらさんも、なりふり構ってられないってところか)
氷雪は払いのけ、水池のなかを走った。
波紋がいくつか残る。土蜘蛛は氷雪の後を追い、三、四、と前足をあげ、攻撃をした。受け、払う。土蜘蛛よりも前に出る。
銀の髪を靡かせて、立ち止まると。氷雪は、水を蹴り、跳躍する。土蜘蛛よりも頭上高く飛ぶ。体が銀色に煌めく。皮膚が鱗に変化し、大きく膨れ上がる。土蜘蛛よりも大きく。高く渦を巻く大蛇。尾を地面に叩き付ければ、その衝撃で、地面の水が飛び跳ね、ゴゴゴと震動した。
「邪骨刀を使うほどでもない」
瞳孔を開き、舌をチロリと出し大蛇は言う。
邪骨刀は、神剣。己の骨で創った刀だ。
土蜘蛛は、すっかり小さく見える。その体に大蛇は巻き付いた。ぎゅうぎゅうと、奇妙な軋む音を立てながら、締め付けられ、土蜘蛛の体が、歪んでいく。
『蝶子……ちょう』
土蜘蛛から響く、か細い声が途切れる。と、ぶちゃ。土蜘蛛は潰れ、黒い霞へと変わり、水池に散乱した。
ぱしゃり、ぱしゃりっと池から、仙魚が跳ね出して、霞を吸い込み、むしゃぶり食い尽くす。
氷雪の体が再び、銀に光り、人間の姿に変わる。童子たちは鬼門を塞ぐために、手のひらを鬼門に向けていた。
銀色の雲が蛇状になり、鬼門をぐるりと渦を巻いて包む。そこから、浄化の雨が降る。はらはらと降る雨に鬼門は、徐々に薄れ、すっと消えて、閉じた。
氷雪は、がくりと膝をついた。
「雪」
氷雪の様子に、童子たちは顔色を無くし、駆け寄った。
「大丈夫だ」
「でも、このところ、邪物に触れすぎだよ」
童子たちは訴えた。
神様とて、邪に触れれば、ただでは済まない。最悪、死に至ることもある。
「大したことはない」
「雪。腕が」
童子たちは、ぎょっとする。氷雪の右手が、どす黒くなっていた。氷雪は硬い笑顔を童子に見せる。童子たちは傷ついたような表情を浮かべた。これは、なぜ土蜘蛛を刀で倒さなかったのか、悟られてしまったようだ。
「はは。しくじった。土蜘蛛の毒足が、掠めてな」
毒の回った右腕では刀は使えない。痺れ、力が入らない。そのうえ、大蛇になって、土蜘蛛に巻き付いたことで、全身に土蜘蛛の剛毛が刺さり、そこから毒が回っている。言えないが。
格好つけて、平気なふりをしているが、痛みが全身に駆け巡っていた。
この失態は己の過信からだ。
こんなに手こずるはずではなかったのだが。
こんなところを蝶子に見られたくは無い。それに蛇の姿も二度と見せたくない。
あの怯えきった顔を見ると、こんな化け物の姿を醜く思える。
童子たちは目にいっぱい、涙を溜めて氷雪を囲った。安心させてやりたいけれど、余裕がなく、氷雪は背を丸めた。
「くっ」
力が、ますます入らなくなってきた。だから、邪物は厄介なのだ。
「雪。揺り篭に行こう」
揺り篭に入れば明日には、黒くなった腕や体は綺麗に元通りになっているだろう。
「あそこは、寒い。寒くて、朝が辛いんだが……」
体が冷えて、動くのがままならない。あまり入りたい所ではない。
童子たちは、小さな手を伸ばして、氷雪の服を、ぎゅっと掴んだ。
「蝶子に、言っちゃうよ」
脅しのような叱咤に、氷雪は「わかった。蝶子には言うな」と釘を刺した。
水辺は静まり返る。氷雪は溜め息を吐いた。
のろのろと重い足を引きずって、東の門の鳥居を潜り、屋敷のなかに入って行く。
童子たちに促されて、屋敷の奥にある、奥の間の、揺り篭へと向かった。
氷雪は皮肉めいた笑みを零す。
また、明日は日向ぼっこをしないと、まともに動けないな。氷雪は、ぼそりと呟いた。




