第十五話 仙天横丁4
店はこぢんまりとした瓦屋根の店だった。紺の暖簾の商標は蝶の絵柄で、屋号には『かはひらこ』と書かれていた。
「他にも店はあるが、ここを中心に商いをしている」
「他にもあるのですか」
多店舗もあるとは、どうりでお金を湯水ように使われるわけだ。氷雪は何でも無いように頷く。
「蛇神の森の特産物を多店舗で売ったりもしているが、そんな物は、ここいらにはゴロゴロあるからな、今から入る店は独自に開発した物しか売っていない。さぁ、入りなさい」
「はい」
蝶子が頷くと、氷雪は蝶子が通りやすいように暖簾を押さえてくれた。その自然な動きに、蝶子はくすぐったさを感じた。蝶子が暖簾を潜ると氷雪も手を離し、あとに続き、店内に入る。
明るい外から、薄暗い店内に目が収縮をする。
店内は、点々と散りばめられた照明があり、瞬く星々の中に身を投じているようだった。
落ち着いた雰囲気の店は、氷雪らしさを醸し出している。
目をこらすと、店内の明かりは、幾つかの透明な水の球体で、ふよふよと飛んでいた。
蝶子は当惑した。
明らかに蝋燭や行灯の光とは異なっていた。
傍らに立つ氷雪は袖のなかに両手を突っ込み、首をしゃくって球体を差した。
「あれは、蛇神神社の、ご神木の木霊たちだ」
「木霊様ですか」
どうやら水の球体は精霊だったようだ。
初めて蝶子は木霊の存在を確認し、少し、嬉しくなった。
(このような、お姿をされているのですね)
可愛らしい木霊に、蝶子の頬が緩む。
木霊は、掌サイズの球体で店内に無数に飛び交っていた。ほんのりと黄緑に発光し、まるで蛍火のようだった。
(綺麗)
蝶子は、その優美さに、しばし見入った。
『イラッシャイマセ』
突如、頭の中で子供の片言が響いた。驚いていると、ひとつの木霊が蝶子の目前まで、ふよふよと飛んで来て、体をくねらせる。
どうやら、お辞儀をしているようだ。
ふふっと蝶子は笑い、同じ様にお辞儀をした。
先ほどの甲高い声は木霊のものだろう。
と、ぽろんっと琴の音色が聞こえて来た。店の片隅に置かれた琴の玄が弾かれる。五玉の木霊が、飛び跳ねて、楽しそうに琴を奏でていた。
他の木霊は机のうえをコロコロと転がっているものもいる。机は何脚かあり、竜や朱雀、花の柄等の立派な香炉が、たくさん置かれていた。
壁の棚には高価そうな香木が瓶に詰まれて並ばれ、他にも、細長いお香や、三角の形のお香もあった。
お店に入った瞬間から、いろいろな香りがしたが、どうやらここは、お香のお店のようだ。
そこに、ふわっと急に、甘く優しい香りが一段と匂い立つ。蝶子はそちらに目を落とす。二玉の木霊が、香炉を頭に乗せて、ふわふわと蝶子の近くまでやって来た。嗅いだことのある香り。そうだ。
(氷雪様から香る匂いだわ)
原料が気になって蝶子は木霊に聞いた。
「この香りは、なにを使われているのですか」
『ぽけけけ』
『ぱぺぺぺ』
木霊からは不明瞭な言葉が返えってきた。
(言葉がわからなかったかしら)
蝶子は戸惑う。と、裾をつんつん捕まれて、蝶子は目線を落とした。
「蝶子。練り香水もあるよ」
木霊との会話を遮られ、童子の、ろくねが手のひらの陶器を蝶子にかかげた。
どうやら、匂いを嗅いで欲しいようだ。
店の奥には、多種多様の陶器が並ばれている。練り香水も売っているようだ。蝶子はしゃがんで、ろくねの持つ陶器に鼻を近づける。
「あれ、この香り」
お香よりも少し甘い香りだが、またしても、氷雪から香る匂いと同じだった。
「あの、この香りは、いったい……」
ろくねは黙ったまま、にこにこしている。
「えっと……」
答える気が無いのか、ろくねは笑顔を絶やさない。
なるほど、きっと企業秘密なのだろう。
蝶子は納得し、ろくねに微笑んだ。
蝶子がろくねの笑顔に和んでいると、背後を覆うように、氷雪が身をかがめ、蝶子の肩に、そっと触れた。
「その香りでいいか」
間近で聞く、吐息混じりの声に、蝶子の首筋がぞわりとした。
体温で香水の匂いは変わると聞くが、氷雪からは、さらに甘い芳香がした。さらさらの銀髪が蝶子の頬を掠める。
氷雪は、ろくねの持つ練り香水を、すっと受け取ると、体をあげた。肩から手が離れた。体温が遠のく。蝶子は、なぜか、かっと体が熱くなった気がした。
どうしたのだろうか。
まともに氷雪の顔を見られない。そわそわする。
感じたことの無い感情に蝶子は困惑した。
「この練り香水を蝶子に」
しかし、氷雪の言葉に一瞬で我に返り、蝶子は立ち上がった。
氷雪は、あろうことか、高価な練り香水まで贈り物として蝶子に渡そうとしていた。
「そんな、これほど沢山の物を買って頂いたのに、こんな高価なものなど」
「夫からの贈り物だ。不服か」
少し口を尖らせてみせる氷雪が、拗ねているように思えた。蝶子は目をぱちくりさせ、意気込みがすっかり萎えてしまう。
「いえ」
「そうか」
嬉しそうに口の端で笑う氷雪に、蝶子は足の力が抜けそうになった。
木霊が練り香水を、蝶柄の紙で包装する。氷雪は木霊から練り香水を受け取ると、蝶子に手渡し、蝶子は「ありがとうございます」と言って受け取った。
紙に包まれていても、仄かに香る練り香水。氷雪と同じ香り。血潮がざわめく。
(なぜ、氷雪様は、ここまで良くしてくださるのでしょうか)
忌み嫌われきた蝶子に、ここまですることはない。
不思議に思いながら、蝶子は店を出た。
「金平糖」
「金平糖」
「わかったから、喚くな」
店を出るなり、童子たちは氷雪の周りをうろついて、一斉に金平糖を要求する。氷雪は面倒くさそうにあしらい、シッシッと手で追い払う動作をした。
童子と氷雪を見ていると蝶子は幸福な気持ちになる。
「早く、早く」
さんねが蝶子の左手を握り、引っ張る。ななにが蝶子の右手をとって、ぶらぶらと振る。数人の童子たちが氷雪と蝶子の背を押した。
お店に着くなり、童子たちは一目散に金平糖に集まった。
「まったく」
そう言う氷雪の眼差しが憂いを帯びていて、蝶子は胸が温かくなる。
金平糖は透明な丸い瓶に収められて、色鮮やかな宝石のようだった。
童子たちは金平糖を買って貰うと、大事そうに抱えた。ついでとばかりに「ぽっぺん」と、ガラスの玩具を見つけ、氷雪に「欲しい」と言っていた。
「買わない」
「むー」
蝶子は笑いたくなるのを抑えた。
ふと、蝶子は氷雪の優しい眼差しを横目で見上げる。
初めこそ、蛇の姿に戦慄いたし、今も、あの姿を見ればきっと怖い。
(氷雪様は、いったいなぜ、わたしを嫁にしたのでしょうか)
蝶子など嫁にして、なんの得にもならないのに。
もしや、くじ引きでもして当てたのが、たまたま蝶子だったのだろうか。
稚拙な発想だとは思う。しかし、それ程までに、不思議でならなかった。
村にお告げがあったと聞いたが、真実はわからない。
蝶子は、じっと氷雪を見る。
「ん? どうした」
「いえ」
食い入るような視線に、氷雪は不快に感じたのかもしれない。蝶子はさっと目を逸らす。
「危ない」
よそ見をしたいたことで、蝶子は正面から向かってくる猫娘の出で立ちをした者とぶつかりそうになる。氷雪は蝶子の肩を掴み、強く抱き寄せた。
「気を付けなさい」
「はい」
布越しでも分かる体温。
どうして、ここまで良くしてくれるのだろうか。
これほどまでに親切にしてくれた人など、両親以外に誰もいなかった。
(なにか、氷雪様の役に立つことをしたい)
蝶子は、心からそう思えた。




