第十四話 仙天横丁3
しばらく沈黙が続く。
ある果物店の前を通ると、長い白髭のお爺さんが、唐突に声を掛けてきた。
「風邪気味なら、桃がいいぞ。どうだ。買わんか」
どうやら、先ほどの会話を盗み聞きしていたようだ。
とんだ、地獄耳である。
人の良さそうな、しわくちゃな笑顔を老人はして「甘いぞ」と促す。
商売上手の老人は、答えを聞かずに、枯れ木のような痩せた指で「これが旨そうだ」と勝手にみずみずしくて大きな桃を差した。
氷雪は足を止めた。
「いるか」
覗き込むように蝶子を見て氷雪は聞くが、蝶子は首をフルフルと横に振った。
これ以上、買っていただくなどできない。
「いる」
ところが、横合いから、ピシッと垂直に小さな手が十三本あがり、真剣な面持ちで童子たちが、氷雪におねだりをした。氷雪の眉間に深い縦皺が刻まれる。
「お前たちに、聞いたんじゃないんだが」
「蝶子もいるって」
「言ってないだろう」
「欲しいよね。蝶子」
「ね、ね。蝶子いるよね」
蝶子は童子たちに答えてあげたいが、お金を持っていない。蝶子が買うわけではないので困り果てた。蝶子を見かねてか、氷雪は溜め息を吐いてから言葉を挟む。
「蝶子を困らせるな」
氷雪は蝶子の意見も聞かずに「店主、桃をくれ」
と言うと、美味しそうな桃を八個、買った。
「もーも」
「もーも」
童子は、声を揃えて桃が手に入ったことを喜んだ。
「桃は冷やして食べると美味しいね」
「甘くて、じゅわっと滴る蜜。早く食べたい」
「今から、ひとつ」
「食べるな」
次から次へと言葉が飛び交い、氷雪の一声で、童子たちは黙った。
老人から桃を童子の小さな手に、ひとり、ひとりに渡され、ひとにがほくほくとしながら、懐から風呂敷を出した。浅黄色の風呂敷をひらりと広げると、そのなかに童子たちは桃を、ひとつずつ置いていく。ひとには桃を包み、しっかり風呂敷を縛る。すると、どうしてか、膨らんでいた風呂敷が、ぺたんっと、ただの風呂敷になった。
呉服店でも驚いたが、風呂敷の中身は、転送されて屋敷に届くらしい。
「まいどあり」
老人は嬉しそうにしていた。まだ何かをねだりそうな童子に、氷雪は促した。
「行くぞ」
しかし、童子たちの嬉しそうな表情と裏腹に、氷雪の顔は堅かった。
もしや、お金が底を尽きてしまったのでは無いかと、蝶子はちらちらと不躾に氷雪を見て伺う。しばらく歩いてから、氷雪は、ぽつりと呟いた。
「さっきの老人は、元は名のある神様だったんだ」
蝶子は予想外の言葉に目を丸くした。
お金の心配をされていた訳ではないことに、少し安堵するが、先ほどの老人の素性に蝶子は驚いた。
どこからどう見ても、気のいいご老人だったが。
「神様だったんですか」
「ああ。あれは、神落ちをした者だ」
「神落ち……」
となると、すでに神ではない。
どんなことをされれば、神落ちをするのか、蝶子にはわからなかった。
氷雪は着物の袖に、両手を入れて組んだ。
「立派な、山の主だったんだが、人間が、銀金を発掘するために山を切り開き、汚染させ、山や川を壊してしまったんだ」
「そんな」
神落ちされた理由が、人間の利己主義の犠牲だと知り、蝶子は眉をひそめる。
「あの方は、荒神になることを拒んで、神落ちされ、ここで働いている。仙天横町は、人ならざぬ者の住み処でもあるからな」
「荒神様」
神落ちと荒神様の違いが蝶子にはわからなかった。
「荒神とは正気を失われた、神のことだ。神とは名ばかりで、やっていることは鬼と変わらない。すべての生き物を憎み殺す、殺戮の神になるだけ」
荒神の恐ろしさに、蝶子は自然と手のひらを握りしめた。
そんな恐ろしい神になどなりたくないだろう。
だから、老人は荒神になることを拒み、神落ちして、働いているのだ。
蝶子は、ちらりとうしろを見た。老人はふぉふぉふぉっと楽しげに笑って商売をしているようだった。その過去に、どれだけ辛い思いをされたのだろうか。
蝶子が老人のことを想像していると、氷雪は寂しげに言った。
「あの方は、俺の末路かもしれないな」
「えっ」
驚いて、蝶子は顔をあげた。氷雪は寂しげに微笑を浮かべた。
「いずれは蛇神の森も人間の手によって、無くなるだろう」
無くなる。
あの綺麗な山が。
蝶子は言葉を詰まらせる。
考えもしなかった。蛇神の森がなくなるなんて。
「そんな顔をするな。いずれだ。まだ、遠い先の話だ」
それは蝶子が生きている間なのか、死んだあとなのかはわからない。それでもいずれは、緑深い蛇神の森は失われる。
森が無くなっては氷雪の居場所がなくなる。あの老人の様に氷雪も、なってしまう。
慰める言葉すら浮かばず、蝶子は自分の不甲斐なさに恥じた。
無言で、てくてくと歩いていると、氷雪は「ここだ」と、足を止めた。
老人のことで忘れていたが、氷雪の店に向かっていたのだった。




