第四十七回
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、このときまだ存命している。三一歳だった。すなわち、かれの余命はあと四年。もちろん、神のみぞ知る「運命」である。
ルードヴィッヒは、ウィーンにもっとゆっくり居るつもりだったろう。けれどもこの時は、優しい母親の危篤が知らされ、急遽、故郷へ引き返している。結果、たった二週間ほどの滞在となった。
ベートーヴェンとモーツァルト。
音楽室の壁に隣り合って肖像画が並ぶ、偉大な二人の邂逅は、果たしてあったのか? 次にルードヴッヒがウィーンの地を踏んだとき、モーツァルトはすでに他界しているので、この短い旅行の間にしか、チャンスはなかったのだが……「伝説」はこう伝えている。
紹介者があって、ルードヴィッヒ少年は、モーツァルトの前でピアノを弾く機会に恵まれた。何を弾いたのか判らないが、モーツァルトはいかにも気のない素振り。そこで「主題をください」と求めると、それをもとに、才気溢れる即興演奏を行った。
モーツァルトは途中で席を立った。
失意のルードヴィッヒを置き去りにしたまま、先輩作曲家は隣にいる友人に、こう耳打ちしたという。
「いまに見給え。かれは世界を擒にするだろう」
真偽のほどは判らない。例えは乱暴だが、グレン・ミラーの前にマイルス・デイヴィスが現れて、ハードバップを吹きまくったような具合か。古典音楽のスタイルを極限まで追求し、高めた男と、後にそれを徹底的に破壊してゆく男。芸術は破壊の集積だと云ったピカソの言葉を信じるならば、初めて音楽を、芸術という名の、呪われた神の手に委ねた男と云えるだろうか。
天使と悪魔が出会ったのか。
モーツァルトが死んだ翌年、ベートーヴェンは再びウィーンに現れ、二度と生まれ故郷へ帰ることはなかった。
「ようやくかれの上に、話が戻って参りました」
蒲良の切り口上に、もったいぶってうなずきながら、堀川が後を受けた。
「少々、大仰な役廻りだが、例の書簡によるとR大公という人物のために、L・V・B氏……そう、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、『ウンディーネの嘆き』を作ったことになっております」
「……ナポレオンを暗殺するために」
明子の硬質な声が、堀川の言葉に冷たい装飾音を付した。有坂美月は依然として、彼女に寄り添ったままだ。冷ややかな女帝の微笑みは、意外に美月との共通点が多いようだ。
「ルドルフ大公まで出てくるとはね。ちょっと役者が揃い過ぎている嫌いが、なきにしもあらずだけれど。もちろん大公と作曲家との間で、音楽によるナポレオン暗殺計画が囁かれたなんてエピソードは、かつて一度も書き留められてはいませんよね」
「世間に知れ渡っては、暗殺になりませんから」
京林が無遠慮に云い放ち、私ははらはらしたが、女帝は笑みを浮かべたまま。
「なるほど。でもベートーヴェンは少なくとも一度、ナポレオンを抹殺しています。これは有名なお話でしょう?」
「交響曲第三番、『英雄』ですね」
髪を掻き上げて、京林雅晃は女帝を見つめた。
革命的とも云えるこの交響曲を、ベートーヴェンは最初、ナポレオンに献呈するつもりだった。「ボナパルトに捧ぐ」と表紙に書いたけれど、当人が皇帝の座についたことを耳にして、
「所詮、単なる俗物であったか!」
表紙を破り捨てたという。だいぶ脚色された伝説であり、鵜呑みにはできないにせよ、作曲家が一時、ナポレオンを尊敬していたのは確からしい。
これはちょっと理解に苦しむ感情に思える。フランスは革命後、全ヨーロッパを敵に廻した。スペインやプロイセンとは一時的に和睦したが、依然、イギリスとオーストリアとは敵対したまま。イギリスとはジャンヌ・ダルクの時代から犬猿の仲であるし、女帝マリア・テレジアの娘であるマリー・アントゥワネットの首を切り落とされたオーストリアもまた、決して、決してフランスを許せなかった。
フランス軍最高司令官「ボナパルト将軍」はイタリアへ攻め込み、おおいに名を上げるのだが、当然ここでオーストリア軍もこっぴどく叩かれている。いわば、ベートーヴェンの住む国にとって、宿敵にほかならない。
祖国愛という、一見古めかしい思考は、案外近代的なのかもしれない。当初、ナポレオンが背負っていたものは、自由・平等・友愛から成る革命の理念だった。かれが率いるのは「解放軍」であり、ヨーロッパを王侯貴族による搾取から解放し、自由をもたらすのだと謳われた。
建前上は。
それはかつて、大東亜共栄圏の美名のもと、アジアへ侵攻した日本の建前と似ていなくもない。
いずれにせよ、ベートーヴェンが一市民として、ハプスブルク家の皇帝よりも、自由の翼を背負って現れた男に共鳴する余地は、おおいにあったのだろう。ところがナポレオンもまた自ら戴冠した。独裁者となり、世襲の手垢で世界を汚し、欲望の牙を剥き出しにして、作曲家の住むウィーンに襲いかかってきた。




