第三話 組織スマイル:前編
〈けあ視点〉
俺を掴んできたのは、手だった。
細く、黒を纏った歪な手。
よく見えないが、空から無数に生えているみたいだ。
次々と俺の方へ向かってくる。
まずい!
直感でそう思った。
なぜだか知らないが、夢であるにも関わらず、俺の本能が“逃げろ”と言っている。
あれに掴まれると、今後の人生に影響するような、そんな感じ。
遥か遠い未来で、厄介になる気がする。
どうにか、逃げないと……
だが、その手は無数に俺に群がってくる。
そしてそのまま、空にある黒い裂け目に引き摺り込まれる……
もう逃げるのは不可能だ。それに、仮にこの腕を振り払えたとしても、落下して死ぬ。
だったら、この夢をどうにかしないと。
と言っても、俺は声を上げることしかできない。
……いや、もうそれでいい。
全力で叫んで、取り込まれる前に目覚めるのだ。
大丈夫、まだあそこまで届くのには時間がある。
覚めろ……
覚めろ……
覚めろ!!
はやく
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「醒めろ!!!」
「ひやっっ!!」
……よし。思ったより早く戻って来れたな。
「ああ、すみません」
一応、さっき驚かせてしまった看護師みたいな人に謝罪する。
“看護師である”と確信できなかったのは、装備のせいだろう。
白衣は着ているが、杖のようなものと剣のようなものを持っている。
能力者の類だろうか。しかも両刀。
「あ、いえ、大丈夫です。私の方こそ勝手に驚いてしまって……」
「いえいえそんな謝ることは……ところで、俺になにか用があってここに?」
「あ、はい。退院されるかを伺いに。どうされますか?体調が優れないようでしたらまだ──」
ああ、退院。そういえば一日で治るんだったな。
窓の外を眺める。
そこには、さきほどの闇とは正反対の、青空が満遍なく広がる世界があった。
多少は寝れただろうか。あの夜のことが、ほんの数分前に起きたことのように思い出せる。
「あの、顔色が悪いです。大丈夫ですか?もう少し休んでいかれても──」
「ああ、もう平気です。ありがとうございました」
そう言って、俺は逃げるように病院をあとにした。
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病院から出たはいいが、帰る場所がなかった。
一度、家に帰ろうかと考えた。だが、父さんも母さんもいない、そんな家に帰る必要は皆無と言って良かった。
「どうしようか……」
そう呟いた。
とりあえず俺は、街の中心へ行ってみることにした。
コンクリートの道を歩く。目の前には、この街唯一の学校がある。電気がついており、生徒たちは授業を受けていることが明確にわかった。
川沿いへ移動する。水がゆっくりと流れ、不思議と見入ってしまうような魅力を感じた。
すでに日は傾いてきていて、淡い赤の光が右腕を照らす。
ん?右腕……
あ、あれだ。
俺の右腕には、キミカが置いていった分厚めの書類がある。
表紙には“組織スマイル”と書かれており、その組織のロゴらしきものがデカデカと印刷されている。厚さは大体三センチほどだ。
これを読めば、少しは時間も経つだろう。
「どこか座りたいな」
見渡すと、ちょうど近くにベンチがあった。
誰かが俺のために用意してくれたのか?
駆け足でそばに行き、腰掛ける。
ふぅ、と一息つき、それを読み始めた。
どうでもいい細かい字まで、何度も繰り返し読んだ。
縋るように、何かを求めるかの如く、無心で。
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組織スマイル推薦書類[特例]
【 担当: 久那虹 輝美香 】白夜 恵亜 様へ
………
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……読み、終わった。
気づけば辺りは暗くなっており、学校の明かりも消えていた。
少し、気持ちの整理もついた気がする。
書いていた内容をまとめると、こんな感じだ。
組織スマイルに入る場合は、この書類を持って行くこと。
能力については組織側が指導してくれること。
入るなら、それ相応の責任を持つこと。
これを受け取った時点で、別組織とは関わらないこと。
大体この四つだ。
ちなみに、これらのことはたった四ページほどで終わった。
残りの数百ページは、謎の記号や数字が並んでいるだけだった。最初こそ驚いたが、眺めているうちに少しずつ魅入っていたような気がする。なぜか、それが懐かしく感じた。まあきっと気のせいだ。自分には何も関係ない。そう考えておく。
今になって気づいたことだが、裏表紙には組織スマイルの場所が記された地図が書かれていた。
“ここに行け”という意味も勿論だが、それに加え別のものもある気がする。
俺の意思で“行かなければならない”と思わせるような、何かが。
……ここに入れば、能力について聞けるだろうか。
父さんは母さんを探している。その手伝いができるだろうか。力になれるだろうか?
──少しでも。その可能性があるのなら。
喜んで入るだろう。
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その地図を見て驚いたのは、そこに既視感があったからだ。
地図に“組織スマイル医療棟”と書かれている場所と、さきほど入院していた病院のような施設の場所。
それらが一致していた。
つまり俺は、かなりの遠回りをしていたということか?
……もっと早く資料を見るべきだったな。
そうすれば、こんな無駄な移動時間もなかったのに。
そう考えながら、入り口を探す。
ええっと、医療棟を右に曲がって二つ目の角……
そして数十分間同じ道を彷徨い、ようやく見つけた。
まさか路地裏にあるなんて思わなかった。
影と同化するレベルで黒い、小さな両扉。身長がある程度高かったら、かがんで行く必要がありそうだ。
それに、“ここが入り口ですよ”という目印もない。
ではなぜそれがわかったのか。
それは、さきほどの“謎の記号と数字の羅列”にある。
どうやら、あれは入り口までの道のりを案内していたらしい。
だったら説明してくれよ……と文句を垂れながら、そこへ向かう。
扉は認証制らしく、組織スマイルに入るための許可証的なものが必要らしい。
ためしに推薦書類を掲示してみる。
ゴゴゴという、その見た目からは想像もできないような重々しい音を立てて扉が開いた。
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「こんにちは。ええと……失礼、君の名前をお伺いしても?」
目の前にいた案内スタッフのような人に、すぐに声をかけられた。
「はじめまして、白夜恵亜と申します。推薦書類の件についてお話しさせていただきたいと考え、こちらを訪ねました」
「ああ、久那虹輝美香さんが話していた方ですね!こちらでお待ちください」
俺は左側にある灰色のソファーに案内された。
腰掛けてみると、座り心地がとても良い。我が家のベッドよりフカフカかもしれない。
辺りを見渡してみると、同じソファーが奥へ向かって等間隔で置かれている。
俺以外にも座っているやつらはいるが、そのほとんどは組織に加入している人間だろう。
壁は黒色で統一されており、所々にある照明は、この場所を照らすには十分すぎるほどの光を放っている。
そして俺の向かい、玄関から見て右側には、武器屋や鎧屋、本屋などが揃っている。
こうして見てみると、かなり広いんだな。
「あ、けあさんけあさん!」
どうやら来たようだ。
「キミカさん、先日はありがとうございました」
「あなた、やっぱり明紀さんの血を引く者とは思えないんですよね…。入院中に“時間作れたら来るんで”って言ったのに、自分の方から来てるし」
「あはは……そうですかね」
確かに明紀の血を引いてるかもしれないが、結局意識にいるのは“前世の俺”……。
つまり、白夜恵亜としてではなく、正義の死神の意識で会話してるようなものだから、そういう疑問を抱くのもしょうがない……か。
「まあ、そんなことより本題に入りましょ!話せてない部分も多いですから」
そう言って、俺はとある部屋へと連れて行かれた。
歩くこと、五分。
周囲の雰囲気が一変し、壁が白色基調のものになった。
途中に階段も上ったから、ここは四階らへんだろう。
「それにしても、本当に広いな」
思わずそう尋ねる。
やっぱりそれなりに人も多いんだろうか。まあ俺の父が加入してるくらいだし、それなりの地位があることは確かだろう。
「まあ、本部ですからね。真ん中がデカくないと、救えるものも救えないですよ」
“本部ですからね”……ということは、他にも拠点があるのか。
通りでここまで広げられるわけだ。
なんていうか、組織感があんまないもん。
「着きましたよ」
そう言われ、現実へ帰ってくる。
「着いたって……え?部屋?」
「ん?はい、そうですよ。 “けあさんの” 部屋です」
“けあさんの部屋です” と、当然の如く言われた。
よくわからない。
「えっと、なんでこんなものを用意してあるんです?」
「え?なんでって言われても……ほら、けあさん、組織に少しでも興味持ってくれたでしょ?」
「はい」
「お母さんを探すんでしょ?」
「はい、探しますね」
「で、帰る家がないんでしょ?」
「帰れないってわけではないですが……あんまり帰る価値はないかなと」
「そうそう。だから、部屋を用意したんです」
だから、部屋を?
いや、理解できないわけではない。
理解できないわけではないんだが、逆に俺が “良いの?” ってなるな。
「ええっと。ありがたいんですが、俺はまだ組織には入っていないわけです。それなのに部屋なんか与えてもらっちゃって……許されるんですか?」
「ああ、けあさん。そんなことを心配してたんですか?大丈夫ですよ。だってほら、ボスから直接言われてるわけだし」
ボス……?
なんだ、ボスって。この組織のか?
「あの、ボスって──」
「まあまあけあさん、今日はもう遅いんだし、遠慮せずに休んでくださいよ!」
「いや、押さないで」
「おやすみなさーい」
無理やり部屋に入れられてしまった。
六歳に、この仕打ちか。
俺はため息をつきながら、扉に肘をつく。
「結局何も話せてねーじゃねぇか……」
まあ、それは明日聞けることではあるが。
部屋は灰色基調で、少し豪華なアパートのような感じ。
水場も寝室も揃っており、人間一人が暮らすには十分だ。
とりあえず、窓が開いているので閉めようと思った。
──本当に、何気ない動作だった。
ふと、外のコンクリートの道からこちらを見てくる人影が見えた。
俺は“そいつ”をたまたま見た。
その影は、俺よりも少し背丈が高いように見えた。
だが……
そいつを視界に入れてから、心臓の鼓動がうるさくて仕方がなかった。
目が合った瞬間、やつは背を向けてどこかへ去っていった。
なんだったんだろう。
ただ、不穏で不気味な時間だった。
そんなにも、その影に恐怖した理由は。
おそらくそれが、“未来の俺”を連想させるものだったからだ。
いや、そうとしか言えない。
今日は、もう寝よう。
無駄にでかいベッドに横たわり、目を瞑った。
窓から風が吹いてきていたが、何も知らないふりをして眠りに落ちた。




