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第二話 記憶:遠い将来

〈けあ視点〉



『グガアアア!』



目の前の敵は、そんな咆哮をあげる。

心臓が波打つように脈を打った。

呼吸をするたびに喉が痛くなり、背中に氷柱のような冷たいものを感じた。



「はやく……にげ、ないと」



すぐにその場から逃げ去ろうと背後に目線を向けた……が、そのルゴン族はすでに音もなく俺の逃げ道に移動していた。

視界でどうにか捉えようとしたが、その直後に白いオーブが目の前を通過する。



「カハッ!」



視界が歪み、肺の空気が全て吐き出された。鉄の塊が突撃してきたような衝撃だ。

俺はとんでもないスピードで殴られ、背後の壁に激突した。

衝撃を抑えきれず、一瞬宙を舞ったあとにその場で膝をついた。

背後から石の塊が落ちてくる。また、段々と自分の足元に赤い池が出来上がっていく。



すぐに立ち上がろうとしたが、足が動かない。

代わりに経験したことがないような痛みが襲ってくる。どうやら瓦礫に挟まれてしまったようだ。


せめて何か抵抗を……と思い、そいつに石を投げた。今出せるだけの全力を出して。


石はまっすぐにそいつへ向かっていき、空気を押し退けながら威力を増していく。

そしてすぐ、その白い身体へ当たった……のだが、効いている様子はない。


そいつはゆっくりと目を逸らさずにこちらへ歩み寄ってくる。

死にゆく獲物へとどめを刺す猛獣のように。



“ジャリッ、ジャリッ”



……と、重々しい足取りで、引きずるような音を出しながら、俺だけを仕留めようとしている。


隙だらけのように見えるが、俺を捉えている2つの目以外は別々の方角を向いており、決して油断はしていないと分かる。



──ルゴン族はここまで知能が高いのか。

俺の感覚だと、少し凶暴な虎くらいの認識だったのに。



もうそいつは目の前まで来ている。

だというのに、自分はまるで危機感を感じていなかった。

もう吹っ切れたのかもしれない。



しかしその気持ちも、次の瞬間には恐怖へ変わった。



急に距離を詰めてきたかと思えば、俺の視界はすぐに白毛で覆われた。

目の前で喉を鳴らしながら、血まみれの牙をむき出しにしている。



腹部に痛みを感じた。見てみると、そいつの爪が下腹部に食い込んでいる。



全力で抵抗しようとした。ただ、もう自分にできることなど何もなかった。

目潰しでもしようかと考えたが、2本の腕で6つの目を同時に攻撃することなど不可能だった。

それに、その程度の攻撃をしたところでこいつが倒れるとは思えない。



──いや、だとしても。



俺は、まだ生きたい。



『ギャゴ!』



口を大きく開き、牙をこちらに突きつけてくる……



食われる!



咄嗟に左腕を出し、とりあえず顔面が喰われることを防ごうと考えた。



そして左腕を犠牲に……



……あれ?



なぜか、そいつは右側に行き、何もない壁に向かって噛みついた。

そして、子犬のような情けない声で喚きだした。

岩は噛み砕かれたが、その破片は奴の血で濡れている。

牙が折れたのだろうか。



「どういう……ことだ?」



差し出したはずの左腕を見てみる。

……無傷。



あいつはなにしてんだ?



ふと目の前を見上げると、景色が多少異なっていることに気づいた。

なんというか、視界が左にズレてる気がする。


──いや、違う。


俺が、 “壊れた壁や瓦礫ごと” 移動したのだ。

それも、ルゴン族でも反応できないような速度で。

誰かが助けに来たのだろうか。

……もしくは、これも含めて何かの錯乱か。



いや、今はどっちでもいい。命を一時的に取り留めたのだ。

まだチャンスはある。

とりあえず……



「どこか、逃げられそうな場所は──」



そして立ち上がる。



──刹那。

呼吸が冷たくなり、足は凍りついたように動かなくなった。

いや、これ本当に凍って……



『グオオオ!』



っ、もう回復してる!

ルゴン族は再生能力も持っていたか……



対する人間の俺は、かなりまずい。

情けないことに、足の傷が思ったより深いからか、立ち上がることが限界だ。

というより、今までどうやって歩いたかすら忘れかけている。



“ジャドジャドジャド“と、大地を駆ける音が背後から聞こえる。

金属のような音も混じっているから、おそらく爪も出しているだろう。



俺は脚を引きちぎる気持ちで走り出す……が、やはり大した速度が出ない。

しかも、視界に白色のオーブがちらついて……



視界が途端に低くなり、気づいたときには地面が映されていた。

膝から上にかけての全身が激しく痛み出す。


どうやら転んでしまったようだ。

そしてそのすぐ……背中に冷たい何かを感じた。



金属のナイフを当てられているような、冷たさ。それが五本。

人質を取るかのように、押さえられている。



あ、これもしかして本当に死ぬかも──



「けあ!!!」



この世界で何度も聞いたことのある声が響いた。

いや、忘れる方がおかしいだろう。

彼が発生させたその空気の振動は、その街の空気ごと俺の鼓膜を揺らし、猛獣を鎮めた。



「父、さん……?」



もう俺に構っている暇はないと悟ったのか、背中に染み付いていた金属の冷たさは消えていた。

そして目の前には、背中に紅い夕日を纏った俺の父 “白夜 明紀” が立っていた。



『ギャガアアア!』



猛獣は、目にも見えない速さで突撃していく。


いや、ただ突撃しているわけじゃない。横にうねりながら父の攻撃を誘っているのだ。

カウンターを誘導しながら、爪でさらにやり返す……

どうやら相当、警戒しているようだ。


しかし、そんなやり方は父に通用しなかった。



「剛空刀(ごうくうとう)……」



父がそう言い放った刹那、手から剣が顕現した。


猛獣は一瞬出来た隙を見逃さず、爪で斬撃を喰らわせた……はずだったが



「空斬(くうざん)!」



爪と剣が交差したその瞬間、片爪はバラバラに砕け散り、右胸から左耳にかけて紅い斬撃が走っていた。

猛獣はそれを無視して、すぐにまわり込み父に二撃目を…

しかしそれが届くことなく、宙でねじれるような挙動をしたあとに吹っ飛ばされ、胴体が地面に倒れた。



「す、すごい……」



素直にそう思った。

あの戦闘の中、父の動きだけ理解することができなかった。


あれが、能力か!?

気になる……!



「父さん!今の、どうやったの!それ、能力だろ!?俺にもおしえ……ゴホッ!!」



「バカ、今は喋るな!今度教えてやるから、じっとしていろ!」



胸から熱い何かが込み上げてきたかと思えば、気づけば口内は鉄の味で満たされてた。

地面に赤黒い液体がゆっくりと広がる……。


興奮しすぎたな。

だが、父の言質はとった。“今度教えてやるから”……

ああ、楽しみだ。また生きる理由ができたな。


それにしても、父さんは治癒とかできないんだろうか。

そろそろこの傷を塞いで欲しいところなんだが……

まあきっと、あっちはあっちで必死なんだろう。

そりゃそうだ、だって向かった先に、血まみれの死にかけた息子がいるんだからな。


そんなことを考えながら、父に視点を向ける。

父はまだ、剣を握り続けていた。

まだ生きているのだろうか。

倒れた猛獣に目線を向ける。



「これは……」



思わず声を上げた。

なんと、さきほど父が与えた傷が、わずか十秒ほどで目立たない程度には治っていた。



「この回復速度……まさか王獣級か!」



父が吐き出すように言う。



『グガアアア!』



空気が凍てつく……

猛獣はまた攻撃を繰り出そうとしている。


だが、今度は違う。

凍てついた空気が奴の牙へ集まっていき、やがて青白く光る斬撃が形成された。


そしてそれは放たれる。

まっすぐと、父の方へ。



「虚斬空壁(きょざんくうへき)!」



父の正面に壁が形成された。

何も無いように見えるが、よく見ると背景が揺らいでおり、それが壁のように見えている。

どういう仕組みなんだろう。

どの程度の衝撃に耐えられるのだろうか。


だが、その壁と光の球は衝突しなかった。


壁に当たる直前で、光の球は左右に分裂し、壁を乗り越えた。

白いオーブを出しながら、そして蛇のようにうねりながら、ほんの一瞬で父の背後へまわった。

剣の間合いに入ってはいるが、振り斬ると同時に身体が貫かれるだろう。

そんな距離だった。


そのまま、彼は防ぐことができず斬撃に直撃……



“ガキン!”



一瞬、光のようなものが父と斬撃の間を通り過ぎた。

それを気にする間もなく、同時に聞こえてきたのがこの音だった。


音を認識したのと同時に斬撃は消え、大打撃を受けると予想していた父の身体は、想像よりもずっと軽傷だった。頬にかすり傷ができた程度だ。

一方、猛獣はいつのまにか倒れており、あまり起き上がるような気配がない。死んだのか、それとも気を失っているだけか……


にしても、さっきのはなんだ。あれも父の技だろうか?


と、そんなことを思っていると…



「明紀さん……王獣級に対して単独で挑もうとするのは自殺行為ですよ?」



女の声。だが、俺の知らない人物だ。

その声の主は、父の目の前…とは言えないかもしれないが、別に距離をとっている感じでも無い、なんとも言えない位置に立っていた。



「それはそうだがキミカ、お前だって人のことを言えないじゃないか。さっきなんて、ルゴン族の群れに喧嘩売って死にかけてただろ。」



と、見た目の割に子供のようなことを言う父。最初に感謝とかはないのか。

一応こいつだってそれなりのとしを重ねているはずなんだがな……



「そ、それは!組織の手柄を全部横取りしたら可哀想だなと思って、あなたたちの方にあえて誘導しただけですって、さっき説明したじゃ無いですか!」



このキミカとかいう女も大概ガキっぽい。

まあ、見た目は確かに少女ではあるが。


白と金が混じったような色合いで、ワンピースのようなものを着ている。

腕の関節ほどまで伸ばされた髪は黄色に染め上げられていて、なんかいかにも“金持ち”っぽい。

いや、お嬢様と言うべきだろうか?

ただ……



「ふーん、“あえて”ねぇ……」



「ああ!大体あなただって、私と同じことをしでかしたんだから、これで同類ですよ、同類!」



こんなんに“お嬢様”という単語を使うのは勿体無い気がする。

だって、ガキだもん。

それを言うなら父もそうだが。



“ガラッ”



がらっ…?


その音がした方へ目線を向けた。

何もない。


そこには、相変わらず横たわった“王獣級”がいるだけだ。


だがこいつは……



いや、まて。

こいつが動かないなんて証拠、どこにあるんだ?



「あの、父さん、キミカさん。ルゴン族にトドメを刺した方がいいんじゃないんですか?」



もし、生きているなら。俺たちが完全に油断したところで襲ってくるだろう。

だったらここで確実に殺しておいた方が……



「けあ、避けろ!」

「っ!?」



視界を、ギラリと光る金属の爪が覆っていた。

それを見てすぐに腰を低くする……が、間に合わない。

怪我のせいもあり、ただでさえ動きが悪い。

要するに、これを避けろと言うのはかなり不可能に近い──



“ガキン!”



さっきも聞いたような音が響いた。

視点を上げる。

目の前には、黄色の髪を靡かせる“元ガキ”の姿があった。

やっぱりこれは……



「明紀さん。私が攻撃を誘導するので、裏にまわってください」



……なんだ、誰だこいつ。

印象が変化しすぎだ。急に頼もしくなった。



「光麗(ライト・ビュー)」



そして、目の前から姿を消した。



『グアア!!』



王獣級は虚空を薙ぎ払う……いや、多分違う。



恐らく、こいつには見えているのだろう。

四方八方で飛び回る、キミカの姿が。 



そして、気づいたときには、キミカは王獣級の顎の真下で弓を構えていた。



「幻弓(ルミナスレイ)!」



刹那、光る球体に乗って王獣級は宙を舞った。

父はそれに飛び乗り、剣を構えた。



「八烈(やえれつ)!」



その宣言が俺の耳に届くのと同時に、先ほどまで暴れ回っていた猛獣は、サイコロのようにバラバラになり、崩れ落ちた瓦礫に混ざって消えた。


そしてそのまま、光の粒子となり跡形もなく消えていった。



ーーーーーーーーーーーー



あの戦いが終わった後もなお、あの二人ははガキみたいなことばっかり言い合っていた。

本当に、いつ死んでもおかしくない。



途中、飽きてきた頃に俺が



「あの、できれば早めに俺の傷を治していただきたいのですが……」



と言わなければ、永遠に続いていただろう。

俺は割と、仲裁役が得意なのかもしれない。



その後は父におぶられ、何かの施設にまで送られた。

病院のようだが、何か違う雰囲気がある。

“刑務所の中にある医療棟”みたいな……いや、例えが悪いな。


まあとにかく、病院みたいで病院じゃない場所だ。

本当の病院なら、傷を治癒能力だけで治そうだなんてしないもんな。

応急処置に近いのだろう。


そんなこんなで俺は入院している。

といっても、明日には退院できるそうだがな。

だが、俺は今のところ病人。

おとなしく静かに過ごそう。

そう思い、目を瞑り始める……



「あ、けあさん!」



……ゆっくり、できなさそうだ。



「ええと、キミカさん、でしたっけ?何をしにここまで……」



「ああ、そう、そうなんです。実はいくつか話したいことが……」 



……長そうだし。



「はい、俺は構いませんよ」



「おお!明紀さんの息子とは思えない理解力!」



「ああ、どうも……」



喜んでいいのか?



「まあ、邪魔するのもアレなんでさっさと話しちゃいますね。まず一つ目。王獣級と戦ったときのこと、覚えてます?」



「ええ、もちろん。ただ、戦うと言っても、俺は見てるだけでしたが……」



「まあまあ、細かいことは気にしないの!それで、けあさんに一つお礼をしたいことが」



「お礼……?」



「はい。今回私たちが討伐できたのは、けあさんの協力のおかげなんです。正直、あそこでけあさんに“トドメをさせ”って言われてなかったら、あのまま放置するとこでした。本当に、ありがとうございました」



割とちゃんとした感謝で驚いた。



「二つ目。あなたのお母さんが、行方不明になりました」



「……はっ?」



突然すぎて理解ができない。

何を言っているんだ。



「……そのまま、です。今は明紀…お父さんが捜索に行ってくれていますが、まだ手がかりはつかめていない、と」



深刻そうな顔をして、言った。



「……そう、ですか」



それしか、答えられなかった。

あの、母さんが?


わからない。

父さんは……いや、無事で帰ってくるかが問題、だな。


指先がわずかに震えたが、気のせいだと思うことにした。



「最後です。あなたは、能力を解放したらどうしたいですか?」



「……ん?どうって、なにを?」



「ああ、ほら。色々あるでしょ。学校に行ったり、別の街でルゴン族を討伐したりとか」



「あー、考えてない、ですね。なぜそれを?」



正直、そんな気分ではない。そんなことより母さんと父さんが心配だ。

だが、彼女は俺のそんな心情に気づいてもないのか、それを言った直後、彼女の顔が少し明るくなった……ような気がした。



「そうですか!でしたらぜひ、“組織スマイル”に入っていただきたいのですが」



「そしき、すまいる……?」



聞きなれない単語に、そんな情けない回答をしてしまった。



ーーーーーーーーーーーー



「じゃあ、“また時間作れたら来るんで!”」



そう言って彼女は去っていった。

そしてその代わりに、謎の書類が置かれている。



「はあ……」



思わずため息をつく。

八つ当たりだとわかっているが、彼女の笑顔を少しでも見ると、苛立ちを覚えた。



母さんが行方不明……

どうして……?



いや、まだあいつが嘘をついている可能性だってある。

だが、それと同じくらい。それが本当のことだという可能性もある。




しばらく経ち。気がつくと、夜は深みを増していて、空は見渡す限りの“黒”だった。


結局、母さんのことも組織のことも、あまり話してくれなかったな。

母さんについての情報はまだ掴めてないって言ってたっけ。

組織については……ここの書類でも見たら、わかるかな。

とても見る気になれんが。



もう疲れた。



情報の整理は明日の自分に任せることにしよう。


そう考えて、俺は暗闇に身を託した。


ーーーーーーーーーーーー




「あれっ?」



気づくと、俺は知らない場所に立っていた。


いや、だが。

これはわかる。


行ったことはないが恐らく、この無駄に高い建物の感じは、あれに違いない。


蒼代都市ラナー……俺の住んでる街だ。



「夢か?」



こんなタイミングでか。

悪夢だろうか。この先の展開が怖くてたまらない。


空を見上げ、俺は違和感を感じた。



「なんだ、これ……?」



空は赤色に染まり、何かに斬られたように空間が裂けている。

これはなんだ。何が起きている。


風が吹き荒れており、街は崩壊していく。

空間ごと、壊れている?



“バキ、バキ”



と、不穏で不安になるような音を鳴らしながら、その裂け目は広がっていく。

広がった裂け目からは“黒”が漏れ出しており、それを見るたびに異常な恐怖心を感じた。



「なんなんだよ!」



そう捨て台詞を残して、俺は走る。


ただひたすらに、走る……


……何かに、足を掴まれた。


そして、そのまま。


裂け目へと引っ張られた。

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