2-1.山口県下松市
山口県下関市〜下松市
門司港レトロ観光線という遊園地の汽車のような可愛らしい電車に乗り終着点、関門海峡めかり駅へ。ここは関門トンネル人道の最寄り駅だ。海を見ながら歩いてしばらく、関門トンネル人道入口に到着した。歩行者は通行無料、エレベーターで地下に降りる。この先は関門海峡をまたぐ海底トンネルだ。歩ききるとその先は山口県下関に出る一本道となっている。
山の中の長いトンネルも、土の中だから窓などないが、この海底トンネルも当然窓は無い。人は少なく、800m弱の距離をただ歩く。人が歩くのに十分な空間だが、ただ静かに重い。はしゃいでいる小学生の声もするのにどこか遠い。トンネル内を満たす見えない水の圧に消されているかのようだ。助けて芳一。芳一を掲げて道途中で写真を撮った。リミナルスペースにいる芳一が撮れた。あとは歩くだけだ。
粛々と歩いていれば、県境の標示や中間地点でやや浮ついた所に差し掛かる。もちろん芳一と撮る。
エレベーターで地上へ出ると感じていた圧が消え、清々しい広場に繋がっていた。壇ノ浦古戦場だ。
海辺の公園として整備され、今はみもすそ川公園と言うらしい。ここで八百年以上前に合戦があったのだと言われても見える対岸は現代建築、関門橋の良いフォトスポットになっており当時を偲ぶのはなかなか難しい。平知盛と源義経の銅像が展示されているが、躍動感がありすぎてむしろ巌流島の戦い感。
耳あり芳一ファンがそこそこ居て芳一とアンのぬいぐるみやアクスタを持って写真を撮る姿がそこここで見られた。もちろん道承も写真を撮りに撮った。千拓に送る。聖地ぬい旅行の画像で免疫が上がってくれたら良いと思う。
「おお……大砲……。」
壇ノ浦の戦いとは関係ないが、天保時代に砲台が設置された跡地でもあるという。天保と言うと江戸幕府徳川の世、異国船打払令当時の大砲のレプリカが数門展示されていた。お金を入れると大砲の音が鳴るらしい。やらざるを得ない。
チャリン
――― ガ、ガガッガリガリガリガリ
リアルに再現されたのか、音声データの破損か解らないが、とにかく何かに引っかかる音がした。これで終わりらしい。同じ音を聞いていた観光客が爆笑している。君の笑いの一助になれたなら幸いだ。
しょっぱい思いを抱えて再び海を眺める。
「当時の怨念どんだけ残ってんだろうな……。」
八百年前だ。怒りが三日と持たない道承には想像もつかない。まだ怒っている亡霊はいるのだろうか。見えもしない道承には空っぽで爽やかな公園が見えるばかりだ。
海を見ながら歩いて次の目的地、赤間神宮に向かう。戦乱で命を落とした唯一の天皇、安徳天皇を祀った神社だ。
赤間神宮は龍宮城の佇まいだった。朱塗りが目に鮮やかで、海の底にある都、その城のようだ。この建物自体が安徳天皇を慰めるための物のようだ。新しさに建造時期を調べたら戦後の竣工だった。感性が近代なのも納得である。水天門自体の歴史は浅いが、その理由も戦火による焼失と知れば胸に迫るものがあった。読んだばかりの漫画の聖地であれば尚更だ。
ここにも芳一とアンのファンが多数居た。古戦場にいたファンと同じようにぬいやアクスタと写真を撮っている。道承も倣って写真を撮る。原作を読んだ今、アンのぬいも欲しくなってきた。今持っている芳一も別に道承のものではないが既に愛着が湧き始めている。
ファンの流れと同じ方向に境内を歩くと耳なし芳一の像を祀った祠があった。ナイスオタク。オタクはオタクの後を歩いて行くと目的地に着くのは自明の理、それを知らない道承にも理は適用された。
そのまま流れに乗って平家一門の墓と安徳天皇御陵も詣でて、なかなかの枚数が撮れた。平家一門の墓だけは何となく撮りがたいものを感じて撮影しなかったが千拓に怒られるかも知れない。
撮った写真を千拓に送るが朝の分からいまだに今日の写真に既読がつかない。まだ寝ているのか?腹の中に薄く黒い靄がかかる思いがする。母に千拓の様子をうかがうメッセージを送信して、安徳天皇に妹の健康祈願をした。
これだけ距離が離れていると直接的に出来ることはない。今は妹を楽しませる写真を粛々と撮り続ける事と、母と祖母の気がかりをなくすために当初の予定通り初盆の手続きをするのだ。
そうと決めたら赤間神宮を離脱して、フグで有名な唐戸市場で昼食にする。寿司が有名らしくぜひとも一貫一貫選んで賞味したいところだったが時間がかかりすぎる。フグも昨日吉井家でご馳走になったので、ここは手堅く海鮮丼を選択した。買ったら唐戸のバス停に走る。外が暑すぎるためかバス停に人はおらず堂々とベンチに座って購入したての海鮮丼を食べる事にした。時間が経てば傷む一方なので急ぎ食べてしまうに限る。ちょうどバス停近くに重要文化財の旧下関英国領事館も見えることだし赤レンガの建築様式を眺めながら割り箸を割る。斜めに割れた。
腹に不安を抱えていても海鮮丼は美味かった。販売していたブースの掲げている看板絵がアニメ風でちょっと疑っていた、申し訳ない。切り身は肉厚でぷりぷりしており歯ごたえも抜群だった。もっとゆっくり味わいたかったし市場内も見て回りたかった。残念だが食べ終わるタイミングでちょうどバスが来た計画運用成功の達成感に全てがチャラだ。胸を熱くしながら道承はベンチを立った。
バスで下関駅について山陽本線に乗車、新下関で山陽新幹線に乗り変えて、徳山駅を目指す。
徳山駅をのぞみは通過するので、こだまかひかりでなければならない。みどりの券売機で道承は知見を得た。何なら東京から小倉に行くまでの新幹線で通過しているはずだがその認識はなかった、何せ通過しているので。
さわが門司港観光するならと持たせてくれた小遣いで指定席にした。申し訳ない気持ちがなくもないが、好意は遠慮なく受取るスタイルの道承は気にしない。このメンタルがなければ初対面の親戚宅に泊まる事など出来ようもなかった。
ギリギリの乗り換えを経て徳山に到着した。あとはJR山陽本線岩国行に乗り換えれば下松に到着する。乗り換え検索のアプリから顔を上げると、ガラスかアクリルか、とにかくホームの透明な壁の向こうに一面海が見えた。
「おぉ……。」
新幹線のホームから海が見える駅として名を馳せているというのは後になって知った。海と、その向こうに見えるのは島か、湾か、とにかく山のような陸地が見え、その手前の海には大型船舶が止まっているのが見える。門司港で見たのとは規模の違う海で思わず眺めてしまったがまだ本日最後の乗り換えが待っている。在来線との乗り換え改札に急いだ。
ホームにはちょうど黄色い車両が入り込んでくるところだった。乗り込めば人はいるがまばらで、関東との違いに異界の車両の乗ってしまったような気になった。また乗っている人達も携帯を見ている人が居ない。皆窓の外を見たり、本や新聞を読んだり、連れ合いと話したりしていて、そこもまた道承を落ち着かなくさせた。
下車駅の到着予定時刻だけ確認してスマホをボディバッグにしまう。そこで赤間神宮からしまいっぱなしにしていた芳一ぬいと目があった。手持ち無沙汰で取り出して、スクイーズのように握りながら窓の外を見る。
「そうか、山があるんだ。」
常に視界に山が見える。富士山のような遠景ではなく多少の移動でたどり着く生活に根差した山だ。
考えてみれば関東平野が特異な土地なのだ。高低差はもちろんあるし急な坂もあるが山と言えるものは山梨方面にでも行かなければ見当たらない。
日本は大抵山がある。そしてこの景色こそが大多数の日本の景色なのだ。その事がようやく腹落ちした道承はそこからずっと稜線を眺めていた。すると時折煙突や何やら機械的な施設がちょくちょく見えるようになったかと言う所で、車内アナウンスが下松駅到着を告げた。
『新幹線が生まれる街 下松にようこそ!』
駅舎を出るなり出迎えてくれた看板に新幹線の絵と書かれていたキャッチコピーだ。
下松駅は半刻から一時間に一本しか電車が無い。駅近くにビルもあるがさして店もなく繁華な雰囲気は欠片もない。都心から離れた千葉や埼玉にも同様の地域は存在する。『都会の人が言うところの田舎』然としていた。工業が発達している点以外は、車社会の静かな町だ。
観光地でもないのでここは一旦曾祖父宅に荷物を置く事にする。ビバークの手配は大事だ。
時は夕方の四時をまわっている、普通この時間から布団を干すことはないが今夜の寝床だ、早急に整えなければ。関東よりは日も長いしこれだけ暑いのだから二時間でも外に出せば良いだろう。
母が聞いたら説教を受けそうな事を考えながら、ぬいと交換でスマホを取り出す。地図アプリを見ながら、早足で指示ルートを辿った。
到着した曾祖父宅はこまめに掃除されていたのか、思っているほど埃はなかった。庭もこの夏場において何故か想定より雑草が少ない。誰かが途中で手入れをしてくれたようだ。親戚の誰かか、ご近所さんかは解らないがありがたい限りだ。
事前に母に指示されていた押し入れから布団を引っ張り出して布巾で物干し竿をぬぐってからかける、エアコンを稼働させてから窓を十五分程度全開にしてカビ臭い空気を換気する。この間に軽く掃除機をかける。使い捨ての新しいハンディモップで神棚と仏壇の埃を取る。ある程度片付いた所で母に到着報告をした。
>ひいじいちゃんち着いた。庭割ときれい。誰か手入れした?
メッセージと一緒に庭画像を送信すると瞬時に既読がついた。
>>知らん
>>ちひろ入院するかも
>>返信遅れる
短文の連投に、背中を冷たい汗が伝う、エアコンの冷風がいやに寒い。腹に抱えていた黒い靄がゾロリと動く心地がした。
入院なんてよくある事、命に別状は無くとも入院するケースはざらにある。しかし一週間継続する不明熱に不安はいや増す。
今はもう夕刻で、これから暗くなる一方だ。埼玉までの終電も終わっているだろう。しかし知らない家でまんじりとせずじっとしているよりは、何かをしたかった。
自分にできるのはぬい撮り。この家から行ける名所、景勝地、どこかないか。地図を検索してルート確認、曾祖父宅の自転車を借りて出発する。困った時の神頼み。目指すは降松神社だ。
降松神社は到着してみればそこそこに立派で、初詣や祭の時には地元民で賑わうのだろうと思われる規模感だった。木肌剥き出しの社殿が、赤間神宮とのギャップでどちらも神社なのかと不思議な気持ちになる。
縁起は推古天皇の時代、松に星が降った(下った)事から下松と名前がついたと言うが、それも千八百年ほど前。壇ノ浦の戦いからさらに千年も昔、百済の王子の来訪を予言したと言うほどだ。知識のない道承には面影の感じ取りようがないけれど、何となく由緒正しく神聖な気がする。千年も違えば社殿の建築様式も変わるはずだ。
ぬい撮りも鳥居で一枚、社殿の遠景で一枚。流石に近くで撮るのは止めておく事にする。
スマホで縁起を見ながら拝殿に向かう。御祭神は天之御中主尊。
「アメノミナカヌシ……?知らんなぁ」
御神徳は創造。
あまりに壮大で一瞬宇宙猫になったが厄除開運とも書いてあったので、社殿正面、階段を登った先の賽銭箱に硬貨最高額の五百円を入れて二礼二拍手一礼。千拓の健康を祈る。
神様、妹の熱を下げてください。今、入院するかも知れない状態です。原因は解りません。でも何かが悪いのは確かです。何も悪くなくて逆に良くて熱が出ているとしても、それは辛いはずなので平熱に下げてやってください。原因があるならそれをハッキリさせて下さい。その解決方法を教えて下さい。取れる解決方法でお願いします。アメリカで数億かけて移植が必要とかそういうハードル高すぎる奴は止めて下さい。一日にりんご一個食べたら治るとかそういう……いや季節によってはりんごも難しいので、米とか豆腐とか、とにかくやりやすい方法で妹が元気になるようにしてやって下さいあめの……何だ、ちょっとスマホ確認失礼します、アメノミナカヌシの神様どうかどうかお願いします―――
五百円にかけるには多すぎる願いを込めて、激しい腹痛の時に神に祈るのと同じ真剣さで祈っている時の事だった。
「ん?」
背後が午前中のように明るくなったと思った寸の間。
――― ドッ
重く鈍い音と僅かな振動に風圧。振り返ると先程通りの明るさに、階段下の狛犬脇、石畳から逸れた土の地面が直径二メートル程度の範囲クレーターのように抉れている。中心部には何やら発光する石と芳一ぬいがあった。
……芳一!?
持っていたはずのぬいがない。ポケットにもボディバッグにも。あの芳一ぬいはうちの子だ。発光と衝撃で落としたらしい。
拾ってよいものか、触ったら何か不味いことがあるかが解らずまごついていると、社務所から神職が出てきた。終わった。これで誰にも見つからないうちに離脱する道が絶えた。ここで怪しい挙動をしたら通報されてしまいそうだ。大人しく神職が近くに来るのを待ち、あえてこちらから声をかける。
「あの、なんか隕石?落ちてきたんですけど驚いてぬいぐるみ落としちゃって。ぬいぐるみだけ拾っても良いですか?」
「ええ、隕石は私も見ちょりましたから大丈夫ですよ。ああ、ぬいぐるみでしたら私が拾いましょうか。」
「ありがとうございます。」
神職は袴の裾を少したくし上げてからクレーターに片足を入れ、隕石には触れないようにそっと芳一を救い出して手渡ししてくれた。隕石に触れていたからかちょっと熱い。ぬいを冷ましていると、少し神妙な顔をした神職がクレーターと隕石を指して言う。
「念のための確認ですけぇ、気ぃ悪うせんでほしいんですが、これをやったんは貴方じゃないんですよね?」
「無いです無いです!」
どれだけの怪力やどれだけの火薬があれば、これだけ凹むのか。道承には見当もつかない。
「拾得物として権利を主張されますか?人形の方じゃのうて、石の方を。」
「しませんしません!」
隕石を貰ってどうしたら良いか解らない。売るにしても販売ルートが解らない。飾るのか。石を。アクリルケースに入れたら見栄えがするか?それなら星降る神社で御神体として祀ってもらったほうが有意義だ。
何が起きるか解らないから念のため連絡先を教えて欲しいと請われて芳名帳に住所と名前、携帯番号を社務所で記載させられた。
「ほう、埼玉からですか。」
「山口で法事がありまして。こちらに伺ったのは妹が原因不明の発熱でちょっと神頼みに。」
母は妹の付き添いで連絡どころではないだろう。父は就業中で母以外と連絡どころではないはずで、友人に吐き出した所で困惑させるだけだ。
見知らぬ土地に一人、会話のできる第三者を相手に、不安がぽろりと口をついて出た。誰かに今の状況を話したかった。
「そうでしたか……妹さんの厄除けは、私からも神様にお祈りしちょきますね。」
「ありがとうございます、宜しくお願いします。」
当たり障りのない優しい回答に目頭が熱くなった。情緒が不安定になっている。
社務所を出る時、神職が今夜はペルセウス座流星群の日だと教えてくれた。
「先ほどは少し気の早い流れ星じゃったようですが、今夜も流星群はよう見られるそうですよ。願掛けにはもってこいです。何せここは、天の神様がおわす神社ですけぇね。」
星にまつわる神社として中国の北極星を司る妙見菩薩と習合し、神道における天の最高神、天之御中主尊が主祭神に祀られたのではないかと言われているそうだ。きちんと聞いていたのに道承は半分も憶える事が出来なかったが、類似の階位が混同されるくだりは趣深い話だと思えた。
記念に隕石落下地点の写真を撮ってから、参道の長い階段を降りる。今夜はどこかで晩飯を調達してこないといけない。どうしたものか。
(おい。)
コンビニでも有れば良いのだが。無いことも無いだろうが見かけた記憶もない。
(おい。)
「はい?」
やたら耳元近く重低音で囁かれて流石に返事をしない訳にはいかなくなった。しかし返事はしたものの参道の階段途中、前にも後ろにも人影はない。生ぬるい風が後ろ首を撫でる。
(今すぐ寺ぁ行け。)
「寺?」
どこの寺かは解らないが、現在六時をまわりどこももう閉まっている頃合いだ。降松神社だってこの時間まで人が居たのは隕石の何やかやがあったからだと思われる。やや無茶な指示だった。
しかしこの重低音、音源が解らない。人は居ない、特にイヤフォンをしている訳でもないから無線通信の混線の可能性も無い、スマホはスリープモードだ。
仮に幽霊だとして、寺であればお祓いを受ける事が出来るのではないか。そう考えた道承は、第三者に見られたとして独り言でもおかしくない呈で声に返事を試みる。
「この時間にやってる寺あるかな……」
(うちの菩提寺なら、この時期でもまだ受け付けちょるはずじゃ。)
地図アプリでぼだい寺を検索しようとしたら手のひらに違和感があった。虫のような動く何かを感じて思わず手を払うと、芳一ぬいを取り落としてしまった。落とした衝撃で石段を跳ねて、そのまま階段落ちをする芳一。
(菩提寺っちゅうんは、先祖代々世話になっちょる寺のことじゃぁぁぁぁ……。)
ぬいが落ちていくと共に出所不明の声も遠ざかっていく。そんな、まさか。恐る恐る落下停止したぬいに近づけば芳一ぬいはSNSでバズったダンシングツリーの如くビクビク震えて存在を主張していた。怖い。愛着が湧いた芳一ぬいだが失くしたことにして放棄したい。しかし千拓の物なので拾わざるを得ない。仕方なしに汗拭きタオルをボディバッグから取り出して、タオル越しに掴む計画を立てる。素手で触りたくない、何となく。
「こっわ……ちょっと失礼しますよ。」
(まったく失礼なやっちゃのう。わしは藤井実篤。道の曾祖父じゃ。聞こえるか道よ……今お前の頭ん中に直接話しかけちょる。)
「ネットミームも抑えてる……コンピューターおじいちゃんだ。」
そっと拾い上げ、芳一の腹部を抑えれば柔らかく、ぬいぐるみを動かすような機構は入っていない事が解った。
(ヴォエッ!汗臭いのう!)
ぬいぐるみと反対の手に持ったスマホで検索エンジンの音声入力を示すマイクアイコンをタップする。
「山口県下松市、寺、人形供養。」
(待て待て待て。まだ燃やすな。せめて先祖供養頼んでからにせい。)
そうは言うが地図アプリがあっても土地勘のない地域、調べなければ解らないような場所に、これから日が落ちる中向かうのは気乗りがしない。帰りは完全に日が落ちたあとだろう。街灯も無くはないが数が少なく暗い夜道を行くのは避けたかった。
(道案内くらいしてやるけぇ、とにかく行くぞ。これ以上のんびりしよったら千拓の体力がもたん。)
「行くぞ芳一。」
(誰が芳一じゃ。)
自転車の鍵をポケットから取り出しながら残り僅かの階段を駆け下りる。歩き通しのうえ長い階段に腿も脹ら脛もだるく重く余分に移動する気など全く無かったが、千拓の不明熱の原因が解りそうな今、いくら胡散臭くても無視することは出来なかった。
「千拓に何が起きてる?」
(言葉になった考えなら読めるけぇ、返事は声に出さんでええぞ。声に出したらお前、ただの独り言の多い変な奴じゃ。)
道承はぬいをタオルで自転車のハンドルに括り付けた。
(ヴォエッ!)
芳一ぬいのナビに従い自転車を走らせると、紺から橙の見事なグラデーションの空の下、曾祖父宅からほど近い小さな寺に到着した。
(門くぐってすぐ右が住職ん家じゃ。チャイムがあるけぇ、それ押して「藤井の新盆のお願いに来ました」ち言やぁええ。)
指示通りに進めば確かにひっそりと平屋が建っていた。住居と知らなければ何かしらの集会所のように見えるので、訪ねようとはしなかっただろう。インターフォンを押すと女性の声が返ってきた。
『はーい、どちらさんですか?』
「あーえ、と、遅くにすみません。藤井の新盆の供養お願いしたくて伺ったんですが……。」
『ああ、藤井さんの!はいはいはい。ほんならお堂の方へおいでくださいね。住職もすぐそっち行きますけぇ。』
「あ、はい。」
プツッと通信の切れる音がした。お堂、と言うのは正面の本堂らしいものだろうか。お参りをする賽銭箱の所は電灯で照らされているが、閉じられた扉の中は灯りもなく、暗闇のようだ。
(あのメイン建物で合ってる?)
(合うちょる。行くぞ。)
本堂の脇に自転車を停めた所で、堂内の電灯がついた。その漏れる明かりを頼りに芳一ぬいを自転車から外してボディバッグに押し込んだ。
「はい、こちらへどうぞ。」
本堂正面の大きな扉ではなく脇にある勝手口のようなドアが開いて、禿頭に作務衣姿の壮年男性が姿を現し声をかけてきた。彼が恐らく住職だろう。招かれるままドアを潜り堂内に入った。
お堂中央に鎮座する仏像を囲むように灯明や花が飾られ、今は焚いていないのに染み付いた香が薫る。
「こちらは初めてお越しになられましたよね。」
「あ、はい。普段は多分母や祖母が来させてもらってたと思います。」
「そうでしたか。ようお越しくださいました。今回は初盆供養でよろしいですか。」
「確認するので待ってもらえますか。」
道承がボディバッグを開けると少々恨みがましい芳一ぬいと目があったが、スルーして母に持たされていた封筒を取り出す。中にはお布施と申込用紙が入っていたはずだ。
取り出した申込用紙が記入済みであることを確認して、お布施の封筒と一緒に住職に手渡す。記入内容を確認した住職はお布施を確認してから脇の文机の上に置いた。
「藤井実篤様の初盆供養と、藤井家ご先祖代々のお盆供養ですね。棚経にされますか?」
「すみません、タナギョウって何ですか?」
「失礼しました。棚経いうんは、檀家さんのお宅へ僧侶がお伺いして、仏壇の前でお経をあげる供養のことですね。」
坊さんが家に来ると言う事か。
「今藤井の家誰も住んで居ないので。棚経じゃない先祖供養って出来ますか?」
「そうでしたか。ほんならこちらのお堂でご供養させていただきますね。ええと、実篤さんの……お孫さんですか?お近くにお住まいなんですか?」
「曾孫です。埼玉から来ました」
街頭インタビューの回答になった。ボディバッグが俄に揺れた気がするので軽く叩いておく。
「それはまた遠いところからようお越しくださいました。この後お時間があるようでしたら、今からご供養いたしましょうか。」
「え。どれくらいかかります?」
「新盆とお盆供養合わせて、小一時間ほどですかね。」
布団を干しっぱなしなのが気になるくらいで、何にせよこんなに暑い日は夜中であっても夜露とはあまり関係がなさそうなので構わないと言えば構わないが。
「こちらのご迷惑ではありませんか?」
「営業時間を理由に救いを求める方を追い返したとなれば、私が御仏に顔向けできませんけぇね。」
(やってもらえ。)
「……では、お願いしても宜しいですか?」
「もちろんです。着替えてまいりますので、少々お待ちください。お手洗いはここを出て廊下の突き当たりを左にございますので、今のうちにどうぞ。」
水分はほぼ汗で出ている気はしたが、勧めに従い念のため行っておく。ついでに水分も摂っておく。空腹の腹にスポドリが沁みる。糖分を含む飲料を摂取しているとは言え空腹感が無いのは心因性だろうか。
ふと思い至り、ボディバッグにしまったままの芳一ぬいに心の内で呼びかける。
(えーと、曾祖父さん、で合ってる?供養されて大丈夫?)
(大丈夫じゃろう。供養されて悪いことはなかろう。)
芳一改め芳一に宿る曾祖父 藤井実篤と落ち着いてコンタクトを取るのは今この時が初めてだ。隕石ショックからこちら勢いでやり取りしていたが、道承自身把握していなかった菩提寺に正確にたどり着くナビをしてみせたそれは、少なくとも道承の妄想ではなさそうだ。
(供養って何するの。)
(坊さんがお経あげるけぇ、後ろで聞いちょりゃええ。ご先祖様に願い事するんじゃないぞ。何かしたいなら仏様に先祖の安らかなることを祈っちゃれ。)
まださほど話せていないうちに、作務衣から黒いシースルーの着物に着替えた住職が戻ってきた。
「お待たせいたしました。それでは藤井実篤様の新盆供養ならびに藤井家ご先祖代々の盆供養を始めます。」
読経は道承が思ったのとは違った。何と唱えているのか聞き取る事も出来ないほど早口で、もはやちょっとした中国語のようにも聞こえる。当然意味をとらえることも出来ず、今日も朝から観光に次ぐ観光で疲れていた道承は気づけば意識を飛ばしていた。うとうとするとか寝落ちするといった優しいものではない、気絶に近い寝落ちの仕方だった。
途中の詩吟のように声を響かせる声明では意識が覚醒に近くなり、優しい夢の中で優しいものを受け取った気がした。
「これにて藤井実篤様の新盆供養ならびに藤井家ご先祖代々の盆供養を終わります。」
そう宣言されると同時に道承はすっと目が覚めた。住職は怒ることなく優しく道承を見る。寝ていた事は恐らくバレているが、読経中に寝る檀家達に慣れているのだろう。
「あの、ありがとうございました。」
「こちらこそ、生前実篤さんには檀家総代としてよう尽くしていただきましたし、藤井家の皆様をご供養するご縁をいただきまして、ありがとうございました。」
不思議な言い回しだと思っていると、よく解っていないのが顔に出ていたのか、住職が解説をくれた。
生前良い行いをすれば天国に、悪い行いをすれば地獄に。それぞれの環境にいるご先祖様が現世に一時帰宅するのがお盆期間。供養はご先祖へのおもてなし、天国から来たご先祖様には好きな食べ物やご馳走を提供し、地獄から来たご先祖様にはこの期間責め苦を休止する慈悲を仏様に嘆願する行いなのだと言う。
この供養、僧侶が頼まれていないのに勝手に行えない、頼まれて初めて行えるのだとか。
「お役所や警察と少し似ちょりますね。助けてほしいと言われてからでなければ動けんのです。そうでなければ越権になりますし、別の問題になりますけぇね。お盆供養に限らず、救いを求められる方しか救えんのですよ。」
「助けてが言えない人も居ますよね。」
「おられますね。そもそも救いがあること自体をご存じない方が。これは私ら僧侶の至らんところでして、救いがあること、求めてもよいのだということをもっとお伝えせんといけんのです。いかがですか、仏門。少しでもご興味はございませんか?」
「いやー勧誘には気をつけろって家訓でぇ。」
「そうでしたか。ほんなら、よろしければご検討ください。」
無事供養も終わったので、帰ろうと上がりかまちに腰掛けて靴を履いていると住職が封筒片手に声をかけてきた。
「もしご親族がどなたも山口におられんのでしたら、墓じまいをされるか、空き家のお仏壇をどうされるか、一度ご検討なさってください。お盆の時期でなければ、お電話でのご相談も承りますので。」
差し出された封筒を受け取る。中には今の話の案内が入っているのだろう。何も解らないまま、解りました!と元気よく挨拶をして封筒はボディバッグにしまった。
「遅くに本当にありがとうございました。あの、この辺で食事とれる所ありますか。なければコンビニでも良いんですけど。」
「小料理屋でしたらぽつぽつありますよ。下松はヒラメの養殖が有名ですけぇ、「笠戸ひらめ」と書いてあったらぜひ召し上がってみてください。もしファーストフードの方がお好みでしたら、藤井さんのお宅からでしたら、ゆうあいタウンが近いですね。ハンバーガーやフライドチキンもありますし、利用しやすいと思いますよ。」
「ありがとうございます。行ってみます。」
住職に見送られ菩提寺を後にする。門を出て自転車にまたがった所ではたと気がついた。
道が解らない。
ここまで自称実篤の指示に従って来たので道を覚えていない。覚えていたとて降松神社に通じる道順ではあるが、現在は完全に日が落ちている。町並みが全て変わって見えた。
「え、現在地からのルート検索で行けるかな……。」
古い戸建てが密集する住宅街の真ん中だ。地図アプリもこの細い路地までカバーしていない可能性があった。しかし他にすがる縁もないのでボディバッグからスマホを取り出そうとして芳一ぬいと目が合った。
(ゆうあいタウンなら右に進んで、突き当たりを右じゃ。大通りに出るけぇ左に曲がって、あとは真っ直ぐ行きゃええ。)
「祓われたんじゃねえのかよ。」
店の営業時間が心配されたので、取り急ぎ芳一ぬいをタオルで再度自転車のハンドルにくくりつけて出発した。
ゆうあいタウンは関東にも多いチェーン店が多数出店しており、疲れていた道承は慣れたフライドチキンのセットを買って実篤ナビで藤井家に帰宅した。確かに近かった。
干しっぱなしで暖かくうっすら湿気た布団を取り込んで、エアコンをつけた。居間を居室と定めて他の部屋は触らない。卓上にチキンの紙箱と芳一ぬいを置いてスプラウトを一気飲みしてようやく人心地ついた。
「シャワーと洗濯機使える?近くのスパとか探した方が良い?」
(知らんのう。水ぁ止まっちょるんやないか?)
「それは水道光熱費払ってるから生きてるって母さん言ってたから大丈夫。」
(そうじゃとしても、配管に溜まっちょった水ぁ捨てんにゃあいけんけぇ、しばらく水ぁ出しっぱなしにせんにゃあいけんのう。)
「そうだよなぁ。ちょくちょく誰かしら来て手入れしてるらしいんだけど……。」
長期不在から戻った時の水の処理はどうしたら良いか調べようとスマホを手に取るとメッセージアプリの通知に気がついた。母からだ。
>>ちひろ検査入院
>>熱下がった
>>問題なかったら明日退院
命に関わる何かがある訳ではなさそうで少し安心した。長く息をつく。
「千拓、入院はしたけど熱は下がったって。」
(たぶん徳美の方もようなっちょるはずじゃ。確認しちょいてくれんかの。)
「何で?なんかあんの?」
(これまでワシが毎年ご先祖供養を頼みよったんじゃが、今年は申し込みが遅れてしもうてのう。ほいじゃけぇご先祖様らが催促しよったんよ。)
「お祖母ちゃん頭痛で動けんし千拓の発熱で母さん来れんからって今回俺が来ることになったんだけど?体調悪くしたらそれこそ供養の申し込みどころじゃなくね?」
(溺れる人間ちゅうもんは、助ける者にしがみついて、いっしょくたに溺れるもんじゃ。)
「えぇ……。取り敢えず母さんに電話してみるわ。」
病院内に居る可能性も考えて三コールで切るとすぐに折り返しがかかって来た。
『あんた今どこよ。』
「山口の曾祖父ちゃんち。さっきお寺さんで供養してもらった。風呂とかどうしたら良い?配管の水流しっぱなしにした方が良いの?」
『あートイレは普通に使って良いけど台所の水は使わん方がいいね。でも次行った時のために数時間水流しっぱなしにしといてくれると助かる。風呂も一時間くらい水流したらいいんじゃない?』
「了解。」
『あんたお寺さんさっきって何て時間に行ってんのよ。』
「六時過ぎくらい……?その場でやってくれるって言うからぁ。」
『あ、千拓の熱が落ち着いたのその頃よ。』
「マジか。祖母ちゃんの頭痛は?」
『知らんけど。聞いとくわ。』
後は細々した事を話して終話した。思わず芳一ぬいを見てしまう道承だ。
(はよう食わんと冷めるぞ。)
「……そうだな。」
ここからはチキンをかじりコールスローを啜りながら実篤とぽつぽつと話した。
「何で祓われてないんだよ。」
(そりゃあ、仏様にご先祖への救済をお願いするんが盆供養じゃけぇ、主旨が違うわのう。)
「敬語使った方が良い?芳一から始まってるからついタメ口になっちゃったけど。」
(生意気じゃと思うかもしれんが、今は友達感覚いうんが主流なんじゃろう? その感じでええんやないか。ワシも年取ってから新しい友達なんぞとんと出来んでのう、久しぶりじゃけぇちぃとワクワクしちょるんよ。)
「おぉ感性が若い。」
「そもそも何でそんなぬいぐるみに憑く事になっちゃったの。」
(元々道の近くにおったんよ。徳美のこともあって心配じゃったしのう。ワシもよう分からんのじゃが、たぶん天之御中主神様のご神徳なんじゃろうなぁ。あのお方の神権は創造じゃけぇ、魂しかないワシと肉体しかないぬいぐるみが、あの隕石をきっかけに繋がったんじゃろうのう。)
「ジャムおじのアンパンじゃん」
水を出しておいたシャワーを浴びて、布団を敷いて横になる頃にはそろそろ日付が変わろうとしていた。芳一ぬいは枕元に居る。
「おやすみ。曾祖父ちゃんは寝んの?」
(分からんのう。眠うはないが寝れんこともない。じゃが寝たら魂が抜けるかもしれん。)
「まあ、どうするかは任せるよ。俺は寝る。明日は墓参りと草むしりで明後日福山行く予定。」
(分かった。お休み、道承。)
入院聞いた時点では終電はまだあった。
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方言の翻訳にAIを利用しています。プロンプトは以下の通り
〇神職
貴方は山口県下松市で生まれ育った50代男性で神社の神職をしています。以下の台詞を下松市の方言や訛りに翻訳してください。
〇藤井実篤
貴方は山口県下松市で生まれ育った90代男性です。以下の台詞を下松市の方言や訛りに翻訳してください。
〇住職
貴方は山口県下松市で生まれ育った40代男性でお寺の住職をしています。以下の台詞を下松市の方言や訛りに翻訳してください。
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