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呪い。そんなものは、聞いたことがない。
いや、より正確に言えば、言葉の意味は分かる。物語で悪い魔女が人を呪うだとか、そういう、概念としては理解できる。
でも、人を呪うだとか、直接悪影響を及ぼすだなんて話、聞いたことがない。
あの魔物だって、魔力を持つ人間以外の生き物をそう呼ぶだけ。『障り』の影響で、動物が魔物になるわけではない。
『障り』は人間どころか、生き物全てに直接の影響を与えないのに。
そんな現象が起きていれば、聖女を勤めていたわたしの耳に、入ってこないわけがない。
しかし、ストインさんは笑っている。
「聖女たる貴女に知らせるわけがないでしょう? これはあくまで人工地の国が、神与地を奪うための――っと!」
ギィン、と金属がぶつかりあう音。マグラルド様が、ストインさんに切りかかった。しかし、普段のマグラルド様のような動きの切れはなく、ストインさんは余裕そうに、短剣一本でマグラルド様の剣をはじく。
「余計なことを……ディアンに聞かせるな……ッ!」
「まだその設定引っ張るんです? いいではありませんか。最期に、惚れた男がどうしてこうなっているのかを、教えてさしあげても」
この先を、聞けばわたしは、きっと生きて帰れない。そんな、裏の話を、マグラルド様はわたしに聞かせたくないのだろう。
それでも、ストインさんの中では、わたしを処分することはすでに決定事項なのか、話を続けようとしている。
「――ぐっ!」
ストインさんに蹴り飛ばされたマグラルド様は、床にたたきつけられた。マグラルド様の素性を知り、これだけの身のこなしをしている彼のことだ。ただの、一つの街に住む税管理者では絶対にないだろう。というか、もはやその肩書すら怪しい。
「その技術は、人工地の国が、神与地を奪うため、その地に住まう人間に対して、疫病や呪いと称して流行らせる予定のものなんですよ」
「――は? そ、そんなことしたら……」
今のマグラルド様を見れば、どれだけの苦しみが、人を襲うか明白である。しかも、命にかかわってくるような。
人工地と違って、神与地は聖女の価値が酷く低い。つまり、国土が全て神与地だから、聖女が一人もいない、なんて国もあるくらいで。
そんな国に、『障り』を持ち込まれたら、対応できずに人が――、いや。
それこそが、人に『障り』をため込み、病気や呪いとして広める人の目的なのか。
あまりのおぞましさに、吐き気がする。
――と。
「なあ、さっきからすごい音してるけど、大丈夫か?」
部屋の扉の向こうから、ザフィールの声が聞こえてきた。
たいして扉も壁も厚くない宿。これだけ騒いでいれば、気になって声をかけてくるのもおかしくない。いや、むしろ当然のことだろう。
しかし、今はあまりにも間が悪すぎた。




