第39話 記憶
寒い……。
あまりに寒くて、逆に意識が呼び覚まされる。例えるなら、そう……冬にコタツで居眠りをしてしまい、暑くていつの間にかすっかり抜け出しており、あんまり寒くて目が覚める……といった感じだろうか。
どうも辺りは真っ暗のようだ。確か以前にもこんな……ああ、そうだ〝理〟の空間を思い出すな……。ひょっとして俺はまた……ん? あれ、俺……なにしてたんだっけ……?
身体の震えが止まらない。まるで真横に冷凍庫でもあって、そこから冷たい風が吹き続けているような……などと、ぼんやりした頭で考えた瞬間──ギクリとし、冷えた身体の背筋がさらに寒くなった。
すぐ隣に……なにかいる……。
目が……暗闇に慣れてきた……。冷気のやってくる右の方へ、ゆっくりと視線を向ける。そこには──
位の高い貴族が座るような立派な肘掛け椅子が、深い黒を帯びた、赤紫色の炎を上げて燃えている。その火炎の中に、人が……いや、これは椅子からではなかった。炎は……まさにこの人物から噴き出しているのだ。
猛火の揺らぎでよく見えず、確かなことは言えないけれど、座っているのはおそらく男……。浅く腰掛け、上半身を前へ乗り出すような姿勢だが、その手は──食い込む音が聞こえそうなほどに爪を立て、肘掛けの先端を固く握り締めている。
顔は見えない。
前方に向かってなにかを叫んでいるようだが、声は一切聞こえない。けれど伝わってくる……冷たく、絶望的な感情が。
寒い……凍るようだ……。
ああ、そうか……どうりで……。
炎が……俺の足元からも立ち上ってきている。それはやがて全身を包み込み、意識は再び極寒の暗闇の中へと落ちていく──その時だった。
ッイィィィィィィィィィィィィン!!
────ハッ!? なんだ……今の……?
耳をつんざく、もの凄く甲高い、目の覚めるような音だった。おかげで頭がハッキリとはしてきたけれど、まだ、一歩も動くことが出来ない。自分が燃えているというのにこの凍てつくような寒さ。一体いつまで続くんだよ……。あまりの状況におかしくなりそうだ。
「コ……こ……ロ……?」
突然、隣の男が言葉を発した。
こころ……〝心〟って言ったのか?
そう思った次の瞬間────男が左手で俺の右腕をガシッと掴んできた。
「うわあっっ!」
思わず声が出る。振り解けない! 折られるんじゃないかと思うくらいに強く握られた腕は、たちまち痺れ出し──全身の力が抜けていく。
な……んだよこれ……今度は目の前が真っ白に……。
気がつくと、見知らぬ大きな部屋に俺はいた。
どこだ、ここは……。まるで豪華なホテル……というか、西洋の宮殿の一室みたいな……古風ではあるんだけど妙に近未来的というか……なぜかそう感じる……。 で、ここは寝室か? ──って、うわっ、身体が勝手に動く!
ツィ…… シャ──────
おお、なんだ!? 人差し指を横にツッと動かしたら、バカでっかいカーテンがひとりでに開いたぞ!? 魔法か!? ぅをっ、立ち上がったぞ、俺。そしてこれまたデカいベッドに向かって今度は……親指と人差し指を合わせた状態から広げると……ぬぬーっ! 触れてもいないのにベッドメイキングされたようなキレイな状態にぃ! なぜ!? なぜゆえに!? ──あ! なんかセンサーみたいなものがある! ひょっとしてアレに視線を合わせて決まったジェスチャーをすると今みたいにカーテンが開いたりとか、ベッドはさらに……布地が形状記憶とかだったりしたりして!?
ス……スゲェ技術だな……。ゲームとか仮想空間ならともかく、現実で目の当たりにすると……ちょっと感動しちまうぜ。
いや、待て……。これ、現実か? んなわけないっしょ? 大体、身体が俺の意思とは関係なく動いたりするし……。他人に憑依してしまったような……ああ、こう言った方が今の感覚にしっくりくる、かな?
え? あっ! ──うわわっ、場面が次々に変わっていく!
おおっ、広い庭園で乗馬、そして騎兵槍の訓練だ──っていってもこれ、本物の馬じゃない!? まんま実物みたいだけど、機械仕掛け……か? 自分の意思で動かして……ランスも手に持つ以外は宙に浮いてるぞ! しかも思うままに操れる! どうなってんだ、これ!? でも──楽しい!
おおうっ、次は剣術、でもって次は────これ、舞踏会!? うおおおおおおおおっっ 人が 多い! マ……マズい! ロンリーウルフ時代のきょ……拒絶反応がっ! 手が震え……この身体の手は震えてないけど、心の手は震えているっ!
なんなんだこれは……誰かの記憶のダイジェストなのか!? にしてもこの舞踏会はキツい! まだ俺には──早 す ぎ る!
──などと、そんな風にひとり悶え苦しんでいると、ありがたいことに再び場面が切り替わった。
一体、畳、何畳分あるんだというドデカい鏡面の前に立つ見知らぬ男──であり、今の俺……で、合ってるん……だよな? これ……。
鏡に映る姿が自分ではないという違和感はもちろん拭えてはいないが、それより何よりまず思ったことがある。
「うわ、なんだこのイケメン……ム カ つ く わ ぁ」
そう──俺ではない自分は大層な美男子なのである。これは俺の勝手な持論だが、古今東西、男というものはイケメンというものに対し、大なり小なり敵意を抱く生き物なのだ。
しっかし、この状況……やっぱ俺は今、この伊達男の記憶を見ている……のか? いやーいやいや、まさかな! 他人の思い出をこんな鮮明に見れるはずがないだろうに。こりゃあれだ、やっぱ夢だ。そうに決まってる。
ってことは俺、寝てるのか? さっきから遠くの方が妙に騒がしい気もするけど、どんなトコで寝入っちまったんだろう。たまにあるよなぁ……眠りが浅くて夢と現実がリンクしちゃうことって。夢の中で目覚まし時計の音が聞こえたら実際に鳴ってました、みたいなさ。
『 兄様 』
突然、可憐な乙女に声を掛けられる。
「に、兄様!? 妹──俺に妹が!? あ、これ夢か……ちぇーっ。いいよなぁ、兄妹かぁ……一人っ子としては憧れちゃうよなぁ……なんて」
おのれ、このナイスガイめ……ルッキンがグッドだけでは飽き足らず、こんな楚々とした妹さんまで御坐しますとは……。
この子、俺と同い年くらいだろうか。服装は綺麗なドレスで──って、そういえば俺である男も装いは貴族風だな……ゴホッ──ヴン゛ッ……ゴホッ……なんだか……息苦しいぞ……?
あ、また場面が変わっ………………な んだ……これ…………。
見渡す限り一面の炎。むせ返るような真っ黒な煙。
都市が──火の海だ。
俺は鎧を身に纏い、まるで戦場の真っ只中にいるようだった。今、片膝をつき、腕に抱き留めている人がいる。それは──ついさっき、太陽のような笑顔を咲かせていた女の子……。
妹さんが! ……どう して…………これ、まさか、死────
『父上ぇぇ! 母上ぇぇ! どこにおられるのですかぁぁぁ! 父上ぇぇぇぇぇっ!! 母上ぇぇぇぇぇっ!!』
この……台詞……
突如、なんの前触れもなしに黒い光に胸を貫かれた。
「 ガフッ……! 」
俺……血を吐いたのか……? すさ……まじく……リアルな 感覚……。
『おのれ……魔技使…………い』
魔技……そんな……今見ているこの光景は……全て魔技での仕業だっていうのか……!?
「魔技で……こんなこと…………ひでぇ……いったい誰が…………」
力なく見上げた先──黒煙が立ち上り、嵐のような風が吹き荒ぶ赤い空に人の姿が見える。
フードを目深に被ったその奥の瞳が──深夜、懐中電灯などの明かりに反射する動物の目のように輝き──しかしその色は暗く、異様な光を放っていた。
あれが……この惨状の元凶なのか……? 魔技使い、天魔導士……いや違う……あれはひょっとして〝終〟の────
そこで思考は停止し、意識は闇へと落ちていった。
気がつくと再び、俺は最初の場所に佇んでいた。すぐ隣には暗く燃え盛る椅子と、そこに座る憎炎の男。
間違いない……声なく叫び続けているこの人物こそが、今見ていた夢の……記憶の男だ……。
思い出した。俺は魔邪騎士に取り憑かれて、それで……。
さっきのがオマエの……憎悪の正体……なのか? だからあれほどまでに魔技を使う者を憎んでいるのか?
淀みの色を増していく炎は霧のような煙を発し──それをほんの少し吸い込んでしまっただけにもかかわらず──俺は、内側から暗く染められていくみたいな感覚に襲われる。
もう……考えるのも億劫になってきた……。なにもかも手放して、ただこの状況に流されてしまえたならどんなに楽だろう……。たったひとつの、この感情に身を委ねてしまえばもう……なにも考えなくて済むしな…………。
〝 心は光に 〟 だよ
……お……初……さん……?
「────っっ!」
バカか 俺は! お初さんが教えてくれたじゃないか! それに この憎しみは俺のものじゃないだろう! 飲まれてどうするんだ!
あるはずだ! 俺の光──俺だけの光は────
眩しい光
開いた扉……
あの日の玄関のドアが開いて────
そうだよ! 今 ここにいる理由──心から願ったあの光景こそが俺の光!
ダメだ! この男に付き合って、俺まであんな椅子に座っちゃダメなんだ! 立ち上がれ! 歩き出せ! 願った光に向かって────って、あれ? なんだか光が丸くなって……この大きさ、すっごく見覚えがあるんだけど……それどころか細い手足のようなものが生えて、ゆっくりと回転……まるで回し蹴りでもするみたいに近づいて来────
「いい加減に目を覚ませ! この──寝 坊 助 万 超 ッ ッ !!」
『 キ ュ ッ ピ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ン ! 』
よくはわからないけれど、きっと命とか希望──そんな元気が溢れ出すエネルギーを叩きつけられたような感覚──それが眉間から一瞬で身体中を駆け巡った。
ありがたい! おかげでバッチリ目が覚めた!
けれど、それはそれとして──
「痛 っ っ っ っ て ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ っ っ !!」
ドサッ!
大の字に倒れた俺の胸の上に仁王立ちのお初さん。
「 お か え り っ ! 」
「だ……だだい゛ま゛……?」
そこへ爪がシュタリとやってくる。
「爪刀! 首尾は!?」
爪はなにやら悔しそうに首をフルフルと振った。
「そっか、急所は外しちゃったか。でも見て! 寝坊助、起きたよ!」
「ニャッフ」
「お、おお……爪……」
ベシベシと、シッポで顔を何度も叩かれる。
「お゛、お゛お゛……爪゛……」
そんな手荒い歓迎を受けつつも、なんとかヨロヨロと起き上がると、魔邪騎士も同様に樹や岩の破片を拾うように寄せ集め、再び騎士の姿となって立ち上がった。
その大きさは六体に分裂した時と同じだが、今回、分身はおらず、代わりに騎兵槍が……あれは何本だ? 二十以上はありそうだ。
「あれ……? なんでこんなに……身体が重いんだ……?」
「吸気を度外視して絶技を使い続けたからね。万超、心を覗かれたんだよ。おかげで魔邪騎士、絶技を使って攻撃してきたんだから」
「そう、だったのか……。けど俺も……魔邪騎士の心……記憶を見たよ……」
「記憶……?」
「なぁお初さん、魔邪者を倒すっていうのは……未練や怨念、憎悪を打ち砕くっていうのはさ、アイツらの記憶を斬り落としちまうってことなのか?」
「……近い……かもしれない。でも、あくまで目的は──負の感情に囚われ、彷徨い続ける霊魂の開放よ」
開放……なんだろうか……。それってただ無理矢理に忘れさせるだけなんじゃ……。
アレを無かったことに……俺が……? そんなことをしていい資格も、権利だってあるわけでもないのに……?
「万超……?」
「………………っ」
「魔邪者の心を見たって言ったよね……」
「…………言った」
「私にはその経験がないからなにも言うことは出来ないけど……お師匠がね、そういう奴が悩んでたら言ってやれって言葉ならあるよ」
「……?」
「魔邪者の心を覗くと、大抵の人は闇に飲まれてしまうか、そうはならなくても……今の万超みたいに立ち止まってしまう者がほとんどだって」
「…………」
「でも……それでも前に進もうと思うのなら──」
「思うのなら……?」
「 背負うしかない 」
背負う……。
「背負って、進しかないんだって」
重い…………!
あの記憶を無かったことに……強制的に忘れさせるようなことをして……それを全部背負って進む……進めるのか……俺は……?
「逃げてもいいんだよ」
「──!?」
「もともと魔邪者をなんとかしたいっていうのは私が言ってたことなんだしさ、無理は……しないでいいんだよ」
そう言って──どこか哀しく、けれど優しくお初さんが微笑む。
俺……は……
ビ シ ッ ッ !
ケツを……シッポで引っ叩かれた。
「ニャーッ」
「爪……」
「ニャーッ!」
「おまえも……背負ってくれるってのか……?」
「 ニャーーーッッッ!! 」
一人じゃない……か。
覚悟は──────決まった。
「俺、やるよ」
「本当に……いいの?」
「ああ、頼りにしてるからな 爪!」
「ニャーーッ!」
背負って 進むんだ。
願わくは正しくはなくとも、間違いではないことを信じて──。
俺達は魔邪騎士と向かい合う。
空が白み始める。
夜明けは 近い────。




