第35話 心の椅子
卒業試練から三日後、お初さんが元気を取り戻した。
今回、俺と爪は寝込むほどのことはなく、魔技により大量の血液を消費したであろうお初さんが一番の重傷患者なのであった。
とはいえ、見てるだけで胃もたれしてしまいそうな量の食事を毎日五食喰らう──食べ方は身体へ押し当て、吸収するわけだが──その姿はまるで患者というより、底無し沼……いやさ、ブラックホールのようであったさ。
「私 完全復っっ活!」
昼を少し過ぎた頃、地下の部屋から出てきたお初さんが高らかに宣言する。
「おおー」
パチパチパチパチ。
「や、どもども」
「みぃー」
「よしよし爪ちゃん、キミはいつでも可愛いのぅ」
「もう、すっかり?」
「もう、すっかり! いやぁ、ちゃんと抑えてたつもりだったけど、やっぱ結構血を使っちゃってたみたいだね、あっはっは」
「笑ってるよ……。お初さんて、ずーっとあんな感じで今まで来たの?」
「あんな感じって、どんな感じ?」
「命懸けの綱渡りみたいなことばっかしてきたのかってこと」
「ま さ か。嫌よ、そんなの」
「じゃあなんでこの前はあんな無茶を……」
「はて……? うーん、なんでだろうね……わかんない!」
そう言ってニッコリと笑う。
その満面の笑顔とは対照的だった、少しダークな……卒業試練の時の様々な表情が頭をよぎり、少しの間まじまじと見つめてしまった。
「な に よ」
「あ、いや、その……お初さん、芝居が上手だったんだなって思ってさ」
「芝居?」
「だってホラ、卒業試練の時のお初さん、人格壊れちまったのかと……正直 俺、心配になったし」
「ああ、あれかぁ……あれは芝居……だったのかなぁ……」
「……?」
「あのさ、芝居を本気の本気でやったとしたら……それって芝居?」
「え……そりゃ……芝居……じゃないの?」
「でも本気なんだよ? 本気の本気なんだよ?」
「んん?」
「あの時、勾玉の反応を見るためってのもあったから 確かに、色んな感情を〝敢えて〟出した──その意味では芝居……ともいえるけど……けど、どれも本気で、全部本当の私だった──ってのもまた事実で、そうなるとあれは芝居? 芝居じゃない?」
な、なんか禅問答みたいになってきたな……。
「じゃ……じゃあ あの時、俺が見た全てが、お初さんの中に……実際に存在してるってこと?」
「そうよ? 無いものは出しようがないでしょ? ふっふ……」
「あ、今その邪悪なスマイルはいらないから」
「ちぇーっ。新たな私の一面なのに」
「でも意外だったな……お初さんはもっとこう……」
「もっと……なに?」
「あんま暗い感情とかに縁のない……なんつーか向日葵みたいな人だと思ってたから」
「おっ? それって褒めてるよね? 嬉しいこと言ってくれるじゃんか。でも私にだって当然、マイナスだったりとかそういう気持ちはあるよ。ただ、その椅子にはあまり座っていたくないなって思っているだけ」
「椅子?」
なんで突然、椅子?
「これはお師匠からの受け売りだから、あんま偉そうに言うつもりはないんだけど────心には、感情の数だけ椅子があるんだって。そこへ自分から座ることもあれば、後ろから不意にやってきて、膝がカクッとなって座らされることもある。嫌な気持ちだったりマイナスな感情が抑えられない時は、まずはその椅子から立ち上がることを意識するの」
「立ち上がる……」
「そう。それでトコトコ歩き出すの。それで完全に気が晴れることはなくても、そのきっかけにはなるって」
「歩くって実際に?」
「一応〝心〟の話だけど、実際に歩いたっていいんじゃない? 気分転換になるだろうしね」
なるほど……。
「ちなみに、嬉しかったり楽しかったりの椅子は?」
「そのまま座ってればいいんじゃない? なんなら座り直したっていいだろうし」
「おお!」
「でもお師匠は、どんな椅子も座り続けるのは良くないって」
「それはプラスの感情でも?」
「プラスの感情でも。心の足腰が弱っちゃうんだって。そうなると、たったひとつの椅子に依存しやすくなってしまう……例えそれが正の感情であっても」
そういうもの……なのか。
「じゃあ、あの時、お初さんは色んな椅子に座りまくってたってことか……」
「座りまくってはないわよ。なによ その一人椅子取りゲームは。立ち上がるのは最後の椅子だけでいいでしょ?」
「あ、そうか。気持ちを出すために座るわけじゃないのか。それじゃ本末転倒だ」
「万超の思考って、時々、真面目に捻挫するわよね」
「ほ っ と い て」
でも……心とか感情を、そんな風に考えたことなんて今までなかった──すごく新鮮だ。
「お師匠さんの教えって他には? もっと知りたい」
「なによ お師匠、随分と人気じゃない。他にって……そうだなぁ……あ、〝心〟と〝思考〟繋がりで……」
「なになに?」
コホン──と、お初さんはひとつ咳払いをして──
「〝思考は闇に〟〝心は光に〟」
「おお、なんかポエミー」
ズビッッ!
「痛たっ……くはなかったけど、なぜに脳天チョップを!?」
「当時の私と同じこと言ったから」
「そうなの!? ……え、ということは?」
「ええ、お師匠の隕石チョップときたらそれはもう……もんどり打ったわ」
「……お初さんの師匠って……」
「ふっ……今となっては、ほろ苦いけどいい思い出よ。よかったわね万超、相手が非力で……か弱い姿のこの私でさ……ふっ」
「ゴ、ゴメン真剣な話なんだな。だからお師匠さんもそんなに怒って──」
「ううん、本人もちょっとそうなんじゃないかなって思ってたらしくて、ズバリ言われた照れ隠しでつい──って言ってた」
「理 不 尽 な」
なんだろう……会ったこともないのに、それでこそお初さんの師匠だ! と、思ってしまう自分がいた。
「でも真剣な話ってのはその通りだよ。天魔導士が相手にするのは主に魔邪者──その存在は負の感情の塊。〝魔〟とか〝邪〟に相対する……その時間が長くなるほどに、思考は闇に染められていく。こと戦闘においては、相手の考えに同調することで機先を制することができる場合もあるからね」
「〝深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている〟──ってやつか……」
確か……ニーチェ。
「へぇー、興味深いわね、それ。万超の故郷の言葉?」
「え、ああ……故郷っていうか……」
元の世界っていうか……。
「闇に染まり過ぎた思考は当然、心にも影響も及ぼす……きっかけがひとつあれば一瞬で漆黒に塗り潰されてしまう。過去にそんな例があったこと、万超も知ってるでしょ?」
「…………あ! 二代目の……老マカフ……」
「そう。きっと〝終の魔導士〟みたいにならないために、〝心は光に〟なんだよ。万超も一回危なかったの、覚えてる?」
「え!? 俺が!?」
「そうだよ。巨水塊と戦った時、爪ちゃんが……」
「み?」
「あ……」
あの時……爪が殺されたと思った時……確かに黒いものが俺の内側を塗り潰していく感覚があった……。それに逆らうこともせず、自ら飲み込まれようとさえ思った……。
ゾクリと背筋が寒くなる。
「こ、〝心は光に〟ってどうすればいいんだ!? お初さんはどうしてんの!?」
「過去一ダリシャスだった食事を思い出す」
「ん な わ け な い っ し ょ !」
「あははっ、もちろん冗談──って やめっ チョップしようとすんなし!」
「コォォー フゥゥー」
「おぉ……万超……アンタまさか〝隕石チョップ〟に対抗して〝閃光チョップ〟とか編み出そうとしてるんじゃ……」
「んで!? お初さんはどうしてんの!?」
「どうって……私の場合は〝最初の記憶〟……今まで生きてきた中での、憶えてる限りで一番最初の記憶を思い出すこと……かな?」
「最初の……記憶……」
「うん。すごく眩しい光を見てた記憶……なんだよね……」
お初さんは静かに、でもどこか寂しそうに微笑んでいる……。
憶えている限りの、最初の俺の記憶……それは──
たぶん二歳くらい……まだオムツをしていたであろう時分の頃、風呂場でう○こがしたくなり、壁に手を当て、立ったまま力んでいたら、背中越しに母さんの「ちょっと待ってぇぇぇ」──という、慌てふためく悲鳴が聞こえた……
──っていうものなんだけど、この記憶で心は光に…… な る か ぁ !
「あ、万超もなんかいい記憶、あった?」
「な か っ た」
「えー、でも今、笑ってたよ?」
「笑ってた?」
「うん、笑ってた」
そうか……俺、笑ってたのか……でも、うん、そうだな、う○こはちょっと……違う気がするし……なにか別の記憶を当たってみよう……そうしよう……。
「それはそうと、その後どう? 〝閃光〟と〝時凪〟は」
「それがどうにも……。お初さんがあんだけ体、張ってくれたってのに不甲斐ねぇ……」
「ま、そうよね。あんな能力がそんな簡単に使えたら苦労はないし」
「え? そんなあっさりな感じでいいの? もっと発破をかけられるもんだとばかり……」
「いいよ。でも忘れないで。万超と爪刀にはスゴい力があるってこと。そしてそれは、いつかきっとアンタ達の助けになるんだってことをさ」
あれ? なんか前にも同じようなセリフを聞いたような……?
「万超?」
「あ、ああ。大丈夫、わかってる。爪も、たぶんわかってる」
「みぃ!」
「そんでもってあとは──例の魔邪者とのケリをつけたら、いよいよカーグカーデンへ! だな!」
「うん……。そうなれば私にできること もう無いし、そこでお別れ……だね」
「……お別れ?」
「み?」
「そう、お別れ」
「え なんで? 俺はてっきりお初さんも一緒に行ってくれるもんだと……」
「みぃ! みぃ!」
「あの場所は完全に魔素が尽きてる。そんなところへ魔技を使うこともできない私が行っても、足でまといにしかならないじゃない」
「いや……でも……」
「ひとつ聞くけど、万超はどうやってカーグカーデンへ行くつもり?」
「そりゃあ歩いて……」
「うん、私もそれがいいと思う」
「あ、今なら絶技で飛んでいくこともできるのか」
「あのね……そうやって飛んでって痛い目に遭ったアンポンタンが──ってそうよ私よ、指を差すな指を」
「でも絶技なら魔素は関係ないし、ひょっとしたら魔帝の城までだって直接──」
「行けると思う? 有爵者達が黙ってそれを許すと、本当に思う?」
「思……わない」
「だよね。で、私 考えたんだ。正規の……穏便な方法で入り込むってのもアリなんじゃないかって」
「穏便な方法?」
「なるべく戦闘を回避して、ひとつでも上の領地へ。そのためには……」
「品行方正でお行儀よく……」
「そう。それが堅実でより確実……だと思う。そうなると私は札付きの一頭身だし……一緒になんて行けないでしょ?」
「でも前にお初さん、魔帝へ辿り着くには有爵者を全員倒すしかないって──」
「それも方法のひとつだとは今でも思うけど……あくまでも最終手段よ。万超と爪刀には可能性がちゃんとある。だったら選択肢は少しでも多い方がいいに決まってる。それに今、あの国がどういう状況なのかを探るにしても私がいたら……ね?」
けど……。
「と は い え、これはまだ先の話。まだ大きな仕事が残ってる。魔邪者との決着、でしょ?」
「それは……もちろん……俺と爪だけで倒してみせるって……」
「良かった。あんな危険なヤツは放っておけないからね。頼むわよ!」
それからは──今までの特訓の総ざらいに加え、俺は閃光、爪は時凪の力を自分の意思で使えるよう試行錯誤に明け暮れる日々が続いた。
けれど、いまいち身が入らない。
思いも寄らなかったお初さんの言葉が、自分でも驚くほどショックだったみたいだ。ふと見る爪も、なんだか気が抜けている感じがする……。
今のこの気持ちは、なんて表現すればいいのだろう……。でもこの椅子から……立ち上がらなくては……。立ち上がって、トコトコ歩き出して……それで…………
「 おーっす! 今日もいい天気だね! 」
ぼんやりとしていた俺に突然、お初さんが元気良く声をかけてきた。手にはなにやら黒い布のような物を持っている。
「なに? それ」
「ふっふ、ちょっとその上着、貸して?」
そう言って俺の長ランを受け取ると、持ってきた布をチクチクと縫い付け始めた。
「じゃーん!」
フード付きの長ランになってしまった。
「特等席! 魔邪者との決戦の時は私、ここに入るからね! じゃっ!」
…… マ ジ で ?
日が沈み、満月の夜。
八百万樹の枝で夜空を眺めていると、爪がお初さんを乗せて登ってきた。
「なーにしてんの?」
「ここに来てからのこととか……色々考えてた……」
「そっか……」
静寂の中、時折心地良い風が吹き抜けていく。
「満月、綺麗だねぇ……」
確かに綺麗だなぁ……。
「まんまるで、美味しそうだよねぇ……」
「みぃぃ……♪」
あれは……食えんだろぉ……。
「万超さ……」
「んー?」
「髪……だいぶ伸びたけど、切らないの……?」
「自分で切って、上手くいった試しがないんだよね……お初さんの髪は、今、どうなってるのさ……」
「さぁ……五年間放ったらかしだし……そもそも一頭身で、髪って切れるのかなぁ……」
「やってみなけりゃ分からんでしょー……」
「………………」
「………………」
「「 切ったげようか? 」」
「「 いや、遠慮しとく 」」
「ふふふ……」
「ははっ……」
「見事に意見の一致を見たねぇ……」
「そりゃねぇ……お初さん、絶対俺の髪で遊ぶでしょ──
不意に 声が聞こえた──。今のは……勾玉から──!?
「万超、勾玉が──!」
明滅している────!
「ああ、降りて来いって声が」
地上に降りると……魔邪者が待っていた。
満月に照らされ、夜でもはっきりと浮かび上がるその姿は──まるで、鎧を纏った騎士のようで──剣に似たなにかを地面に突き立て、両手を柄頭の上に乗せ、悠然と佇んでいた。
いざ、決着の時──────!




