第九話 機雷
「2044年 息子が学校に行っていないようだ まったく困った長男である
何か面白いことでも見つけたのだろうか? しばらく様子を見よう
ちなみに長女は非常に賢い もう高校レベルの問題を解いている」
「2039年 大好きな娘が学校に行きたくないと言い出した
どうして? 私が間違っていたの?」
――ある母親の日記
「はあっ! はあっ!」
連続で気功波を撃ち込む。それでも禍々しい闇の結界は壊れはしない。
あの2人――中で殺し合っているのだろうか。なつみを悲しませないと、もう迷わないとそう決めていたはずなのに、俺は彼女の前にすら立てていない。
こんなんじゃダメなんだ、早く――!
「いつまで手こずっている?」
背後から聞こえた声。振り向くと、官能的に潤う緑色の唇があった。
「ニュクス!? でもお前は――!」
「よく術の性質を見極めろ。闇雲に攻撃して壊れる性質のものじゃない。これは――高度な闇のエネルギーが複雑に絡み合っている」
俺の質問を無視し、結界にそっと触れたニュクス。その手は前にもまして若返っているような気がした。
「おそらく《絶望》を錬成してつくられた結界だ。これを破壊するには、相性のいい植物の《力》をぶつけるしかない」
「だけど、なつみは中に――」
「分かっている。草薙もそれを計算してなつみを中に入れたはずだ。つまり、お前だけではこの結界を破壊することは不可能」
「じゃあ、どうすれば?」
フッ、と小さく笑うニュクス。その瞳の奥には、すべてを包み込んでくれる宇宙のような黒が広がっている。
「お前だけでは、と言ったろう。同じ闇なら何とかなるかもしれない。手を貸すよ」
そう言うとニュクスは結界に触れたまま、眼を閉じた。
「でも、どうして――? この世界に帰ってきた時、確かに石になっていたはずだ」
「なつみやエアから聞いていないか? 魔王を倒した時、石化した人々は元に戻る」
「なんだって!? じゃあ咲夜が――」
結界の表面が水面の波紋のように蠢いた。
「いや、魔王はまだ倒されていない。それはお前の役目だ」
慌てて咲夜のパワーを探る。感じられない――咲夜は負けてしまったのか!?
「心配することはない――お前は勝てる。お前が築き上げてきたものをよく考えるんだ」
「俺は、特別強いわけじゃない――今までだって今だって、仲間がいなければ俺は――」
そうだ。俺は昔から何も変わっていない。1人では何も――。
「自虐はよせ」
「自虐なんかじゃない! 俺は――みんなに助けられなければ、ここまで――」
「それだよ。それこそが、朔が築き上げてきた何にも代えがたい財産だ」
「ニュクス……」
結界の暗黒が、徐々に薄まってきていた。向かい合うなつみと父親が見える。
「……この結界は、同じ性質の《力》をぶつければ膨張してしまうものらしい。見ろ」
本当だ。せっかく解除しかけたというのに、また黒い霧が表面を覆った。それだけじゃない、結界は縦に横に、膨張していく。
「……!」
「だが、植物の《力》がない以上、闇の《力》でどうにかするしかない。答えは1つだ。悪しき闇と、正しき闇」
どこかで聞いたことがある気がした。あれは――。
**
『「――君は、《悪魔》と聞いて、私の方が『悪』だと――彼らの方が正しいことをしていると思っているのかもしれない――しかしややこしいことに、『闇』にもいろいろと種類があってね。例えば、『正しき闇』と『悪しき闇』」』
**
そうだ! 最初にこの世界に来る前、エアが書き換えた魔法の教科書――!
「あの時、私は自分が正義であると信じて疑わなかった。自分が君のおじいさんの弟子であると、正義の使徒であると。だがネクローの手に堕ち、――本当に『洗脳』だったのかすら覚えていないが――結局『悪しき闇』へとその身を堕とした。私をまた君の隣に立たせてくれたのは、君自身だ」
急速に結界にヒビが入っていく。大きな破裂音がしたせいで、ニュクスの言葉は聞き取れなかった。
「これは、君がくれた《力》だ」
「え? 今なんて――」
そばにニュクスの姿はなかった。その代わりに。
「英雄さーん!」
「エア! 無事だったのか!」
「無事なんかじゃないよ。でも、なんとかね。……なつみは?」
「あそこで闘ってる。結界が破れたことにも気が付いていないみたいだ。行かなきゃ」
「ねぇ」
エアの笑顔。久々な気がした。
「久しぶりに、ちゅーしよっか」
「は?」
「いいからいいからっ!」
強引に顔を引き寄せられ、口の先に小さな唇が触れた。白い光に包まれながら、俺は訊いた。
「ニュクスを見なかったか?」
「私、大人になったでしょう?」
「え? ……ああ、そうだな」
「まったく、人前でよくやるよね……」
栗原の無事も確認できた。今度は俺が、運命の闘いに爆風を巻き起こす――!
**
漆黒、邪悪、失望。
この黒を表現するのに、そんな言葉が似合うのかなぁ、なんてひとりで思っていた。よけようともしないで私の気功波を真正面から受けた草薙は。みっともない声を出してバリアの端まで吹っ飛んでいった。
「ぐ、ぐふ……なかなかやるじゃないか。想像以上だ」
むくり、と起き上がるその顔はひょうひょうとしている。その薄ら笑いを、今すぐ消してやりたかった。
「私は、待っていた……」
今考えれば、私を捨てた親の帰りを待つなど、最初から無理な話だったのかもしれない。でも当時の私は幼く、それしかすがるものがなかった。
「いいぞ、《力》が増幅されていく」
子供だった私を、慰めてあげたいと思う。それは英雄の血とか魔王とか、そういう次元の問題よりはるかに現実的で、根本的な問題だ。
家族と、一緒にいたい。
私の心を支配していたのは、それだけだったのに。
「私は、私はずっと――」
身体が重い。どんよりとした何かに囚われている気がした。それがなんの《力》かなんて、関係なかった。
未だ仰向けの草薙に、馬乗りになった。
「ずっと待っていたのに! あの孤独な施設で、ずっと、ずっと!! 手紙をくれたじゃないか! いつか、いつか迎えが来るって、なのに、なのにあんたはッ……!!」
草薙の頬を殴る。何度も、何度も。抵抗はしてこない。
「最後にはこの星と、おじいさんの資金援助をほのめかしただけだった! あんたは結局私を捨てたんだ! 私を大学に入れてくれたのは、遠い星のおじいさんだった……それをあんたは」
「見ろ、結界が膨張していく! かつてない《力》だ!」
「殺したんだ!」
「ぐっ」
草薙の太い首を握り、締め上げる。さぁ、苦しめ。私の受けた苦しみの、ほんの一部だ!
「そう熱くなるなよ……もう昔のことだ」
するり、と瞬間移動で私の拘束から逃れる。私はただ、空虚をつかんでいただけだった。
「なつみ! どこまで膨張するか見ようじゃないか!」
上空高く草薙が叫ぶ。結界は上へ上へと際限なく膨張している。
「逃がすか」
腐敗した植物が草薙を追う。だが追いかければ追いかけるほど、結界も草薙も遠くへ逃げていく。
「……」
たまらず私自身が植物の先端まで登り、手を伸ばして少しでも距離を稼ぐことにした。私はずっと、こうして追いかけていた。
家族を。
「うおおおおおおおおおっ!!」
「……性懲りのない奴だ。俺には瞬間移動があるんだぞ」
いや、違う。
私がずっと追いかけていたのは――。
**
「あ、あの……もう帰っちゃうんですか? こ、このままじゃ留年じゃ……」
「あ? ああ――僕、もう自分のことなんてどうでもいいと思ってるんだ。どうせ留年は避けられそうにないし。じゃ」
「ちょ、ちょっと待って! だったら、私たち2人で作戦会議をしませんか?」
「作戦会議?」
「どうやったら時々サボりながらも、卒業できるか! ――どうです?」
「……大学楽しい?」
「え? い、いえ……。だけど、でも、せっかく入れてもらったから……」
「真面目なんだなー。僕はもういいかなって。やりたいこともないし。いや、一応あるか」
「なんなんです?」
「笑わない? ――」
**
その答えを、昔聞いたような気がした。気のせいじゃなかった。あの日、夜の海で出会った兄妹。それが彼らだと気づくのに時間がかかった。大切な思い出だったのに。
魔法のような体験は、退屈な非日常に忙殺される。いつでも、誰でも。
私は、彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。彼と一緒にいたい、いろいろなものを共有したい。笑い合いたい。
私は彼と約束した。だから、この男を倒して――!
奴の足首をつかんだ。が、またすり抜けられる。
「若い奴は単純でいい。そうは思わないかい?」
その程度、読めている!
「なんだ……? 地面がぎらついて……! こ、これは起爆性の――」
奴の足が地面に触れた瞬間、大きな爆発音が鳴り響いた。私はニュクスとの戦闘を思い出しながら、仰向けで焼け焦げている草薙にまた馬乗りになる。
「私の、勝ちだ」
「……お前は祖父であるダグラを殺した俺に怒りを抱いている。それはごもっともだ。だが、その過ちをお前自身が繰り返そうとしているんだぞ」
首をつかみかけた私の手が止まる。
「違うっ、私は――」
「違わないさ。歴史は繰り返す、その通りだ! だからこそどこかで終止符を打たねばならない!」
油断した隙に、私が仰向けに押し倒されてしまった。奴が私の首をつかむ。
「悲しみの歴史は終焉を迎えるのだ! 俺たちは理想郷へ旅立つ!」
息ができない。苦しい。結局私は最後まで、父親という存在に勝つことができなかった。
「これは、君がくれた《力》だ」
誰かの声が聞こえた。ああ、朔――。残念だけど、私はここまでみたいだ。
約束、守れなくてごめん――もっとも、覚えているのは私だけかもしれないけれど。
視線は無意識に結界の向こうの朔を追う。私は眼を見開いた。
結界が壊されている――! さっきの爆発? 違う、あの程度じゃこの結界は壊れない。だったら――。
「なつみを離せ」
厳かで、でもどこか優しい声。その瞳の中には、私をここへ連れてきた始まりの緑が宿っている。
「これは驚いた。まさか君にこれを壊せるとは思わなかったよ」
「……俺1人の力じゃない」
「……どうやらそのようだな。それで? 今更何しに来た」
死を目前にして、冷えかけた身体が急速に温まっていく。心臓がバクバクとうるさい。窒息しかけているからじゃない。
「あんたを、倒しに来た」
私の大好きな人が、そばに来てくれたから。
読んでいただきありがとうございました。キリがいいので、次回は視点をハーノタシア図書館に戻したいと思います。
咲夜の想い、残された者たちの行動とは!? 次回、第十話「クライ」。お楽しみに!!




