86話 瀬里沢邸 グラム五十円
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瀬里沢家の守護者と名乗る奴が出てきたけど、本当か? 確かめる方法が全然浮かばない。
手っ取り早いのは瀬里沢本人に聞くのが早いのは勿論だが、隣を見れば……突然現れた祖父の『殻』を破って出てきた自称守護者に驚いたまま、ワナワナと震えて満足に話せそうもないので、珠麗さんに視線をずらすと口に手を当て驚いている。
だがその表情は瀬里沢と違い恐怖と言うよりは、困惑と言ったものが表れているように感じた。
「あの顔は……あれは『伊周』さん? けど何故あなたが……」
《ん? ああこの顔か。こいつは随分と梃子摺らせた者よ。多少なりとも知己で在ったか……まあ問題は無い。直ぐに別のこれより器の大きい体を得るからのう。そこの若僧を取り込めれば、もっと瀬里沢の家をより大きく出来る。良くぞ引き寄せた、褒めて使わずぞ》
そう言って宇隆さんと切り結んだまま、珠麗さんを見た後で伊周と呼ばれた守護者は俺の方を向いて歯を剥き出し、顔を笑みに歪める。
冗談では無い! なんで俺が体を取り込まれなきゃアカンのだ!!
さり気なく俺がねちっこくターゲッティングされていて、非常に気持ち悪い。
舌なめずりはヤメテ! あんたみたいな野郎の物の怪に好かれても、全然嬉しくないわ!
「……伊周さんって確か、御婆ちゃん?」
「私を前にして余所見をするなど!」
「えっ? もしかして瀬里沢さんのお婆さんじゃなくて、あの男の人って石田の体を狙っているの?」
「秋山さん、ダメ下がって」
既にこの場は混沌と化して……秋山、お前の言い方間違ってはいないけど、聞いていて何か言い知れぬ怖気がする。
黒川頼むから、お前は確りと秋山を押さえていてくれ。
宇隆さんは相手にされてないと感じたのか、気勢を声に込め攻勢に出たが相変わらずの突撃思考だな、……刃物を持った相手以前に幽霊とか怪談は平気な口か?
宇隆さんはその勢いのまま、左手に持つ得物で刀を受け流しつつ右手を繰り出し、それに続き少し時間差で左横からも静雄が攻める。
が、それでも伊周と珠麗さんに呼ばれた守護者は、よくもまああれ程の動きが出来る物だと、感心してしまうくらいの剣の腕。
俺には目で追うのが精いっぱいだが、受け流された刀を素早く引き寄せると、繰り出された右手の内側を斬る様に攻撃を弾き、そのまま半歩下がりながら左から来た静雄を見もせずに薙いだ。
さっきまでの瀬里沢の祖父である守弘の時とは違ってあきらかに『楽しんでいる』ように見える。
「くっ、我らなど眼中にないと言うのか!」
《カカカッ、仮に当たったとしてだ。小娘よ? 貴様はそんな玩具で、本当に儂が傷つくとでも思うたか?》
そうだ! 奴はこっちを斬れるくせに、こっちは普通の物じゃ防げはしても攻撃がすり抜ける筈、だからあんなに余裕なのか!!
幾ら効果があるとしても流石にこの乱戦で、風の要素を二人に当てず相手だけに命中させられるほど、俺の狙いは正確でないので使うに使えない。
一瞬でもいいから、奴の動きを何とか止める事は出来ないだろうか。
「ダメね、残念だけどあまり良く聞こえないわ。瀬里沢さんの携帯と繋がっているとは聞いて預かったのに、肝心の音が拾えないなら何が起きているか分からないじゃない。……皆は無事なのかしら」
「ああ、今は何とか無事みたいだね。だけど少しばかり相手の方が力を持っているかもしれない。今宇隆さんと背の高い……いや凄いね、刀を扱う相手に素手で挑むなんて中々出来る物じゃないよ。彼は何者なんだ?」
秋山さんから連絡用と預かった携帯電話だけど、真琴の声が何度か聞こえたけど、スピーカーから距離が在るのか上手く音を拾ってくれない。
まるで握り締めたままか、何かを間に挟んでいるようにくぐもって聞こえる。
あら、素手で戦うなんてやはり安永君は真琴が言っていた様に、無手で最高峰の武の家と言うのは伊達じゃないのね。
「そう、真琴と安永君は頑張っている……ってどうして菅原さんは中の様子が分かるのかしら? それもさっきの不思議な力のお蔭?」
「ん? ああ、そうだね。ちょっと種明かしをするとさっき送込んだ『式』を通して『視ている』んだ。簡単そうに見えるかも知れないけど、結構難しいんだよ?」
私はこの時、この方が言っている事は嘘では無いとは思ったけれど、『本当』かどうか確かめる為に覗き込むように瞳を合わせた。
一瞬、ほんの一瞬菅原さんは悲しそうな表情を浮かべたが、直ぐに笑みに戻し親指と人差し指を繋げた円を覗くように促す。
高野宮の叔父様と友人だと言う事を、私は少し忘れていた。
「……失礼致しました。折角善意でお力添えして頂いていたのに、ごめんなさい。ですが、私は真琴も仲間の皆も守る為には人を疑う事も必要なのです。はっきり言えば、どうして此処までしてくれるのか疑問が湧いたため申し訳ありません」
「気にして無い、と言えば嘘だけど。まあ仕方が無いのかな。残念だけど、本当に今ここから動くことは出来ないんだ。見ているだけって言うのはもどかしいけど、見守ってあげるといいよ」
菅原さんは再度、気遣うように促す。
私はそんな菅原さんに深々と頭を下げた。
この方、菅原さんに『嘘』は無かった。
大勢の居る前では警戒しても、私一人ならそれも下がり何か含む事が在れば少しは分かると思っけど、本当に単なる善意と……後は興味かしら?
少しだけ楽しんでいる気持ちもあるけど、心配しているのも間違いない。
私は「ありがとう」と言うとそれを覗き込んだ。
「瀬里沢! お前の家には化物以外に、何か他に役に立ちそうな物は無いのかよ! こう……アレを封じ込めるような壺とか!」
「壺はさっき君が割ったじゃないか……、それにそんな便利な物があれば真っ先に使ってるよ!」
そうだよな、そんな物がありゃさっさと使って俺達がこんな事に巻き込まれる事も無……って待てよ、確かさっき封じられたって自分で言っていたよな?
伊周はいったい何に封じられていたんだ? それに封印が解けたのが本当に二カ月前だとすれば……!?
頭の隅に引っ掛かったそれと符合するのは、瀬里沢さえ知らなかった珠麗さん達が、二カ月前に中の物を陰干ししたと言っていた事だ。
俺は珠麗さんに近寄ると、その時の状況を話して貰う。
「くっ、何とか隙が出来れば!」
「宇隆、焦るな。明人に何か策が在る筈だ」
明人を窺えば、瀬里沢と何か話した後瀬里沢の婆さんの方へ言った。
何か確信があっての事だろう、明人は無駄な事はしない。
まだ俺達で持ちこたえる事は出来る。
爺さんから渡された、この『火鎖』の手袋と鎖帷子が俺に力を貸してくれているのだから。
「こんな事も在ろうかと! って、一度言ってみたい台詞よね。舞ちゃんバッグ開けて、中から紙袋出して貰える? 右手塞がってるから上手く開けられないのよ」
「分かった。……これ?」
む? 秋山と黒川の二人は何をしているんだ? こんな事が在ると想定しているなど、秋山の智謀は凄まじいな。何時も何処からか情報を仕入れていつの間にかそれで有利に立ち、明人をもその拳で沈める。
やはり、夏休みを利用した爺さんとの猪退治には誘わねばな。
「そう、それ! ありがとう。ここに取り出したるは霊験あらたかな、一袋二百グラム一万円の水鏡神社特性! 護摩焚き御塩よ! これでも食らえー!」
「それ、封開けて無い」
秋山が投げた袋は伊周と言った霊に飛んでいくが、アレでは当たらないどころか意味が無い。
避ける必要も無いとばかりに、宇隆が両手で受けた刀に力を込めるのが分かる。奴は口を歪ませ嗤い片手でそれを成し、宇隆を圧倒している。
今すぐ助けに入るにも簡単には隙を見せないだろう、ここは秋山が考えた策に乗るのも一興。
俺は飛んできたそれを手刀で破き、途端に宙に無数の塩が広がると辺り一面に飛び散った。
《ぐわぁあああぁっ! おのれ小賢し「はああああっ!」……むごぉっ!?》
ばら撒かれた塩は伊周の体を焼き音は聞こえないが、蒼白い炎を上げて嘗める。
……確かに秋山の言うように霊験あらたかなそれは効果をあげ、宇隆に渾身の一撃を繰り出す隙を作る事に成功し、見事役割を果たす。
伊周は驚愕と苦悶の表情と浮かべ、宇隆の持つ得物を睨んでいた。
これは俺も驚いたが、宇隆の持つトンファーには俺の持つこれと同じような効果が在るのだろうか?
「やったわ! 凄い効き目ね。一グラム五十円するだけはあるわ。後で確りと石田に請求しなくちゃね」
「酷い」
つづく