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第101章

 暗闇から現れたのは、まさにヘマリスを襲ったネメシスだった。


 彼女の全身には名前がびっしりと刻まれていた――かつて復讐を果たした者たち、今まさに追い詰めている者たち、そしてこれから標的となる者たち。


 一つ一つの名前が皮膚の下で蠢いている。焼けた鉄の印のように。


 そして今、最も灼熱の痛みを伴うものが、彼女の胸に刻まれている――「戦争」。


 モーリガンは皆の前に立った。


「復讐に終わりはない、ネメシス。あなた自身がそれをよく理解しているはずだ」


「分かっている」


 ネメシスの声は低く、喉の奥から碾き出されるように、砂礫の擦れる粗い響きを帯びていた。


「だが、復讐がもたらす束の間の爽快感こそが、私を安心させる。今のように」


「ヘマリスを殺せばあなたは楽になるのか? なぜだ?」


「彼女だけではない」


 ネメシスの視線はその場にいる一人ひとりを舐めるように見渡す。まるで目に見えない負債を数え上げるかのように。


「あなたたち全員の間には、まさに深い情愛ゆえに、互いに暗がりに潜む――純粋な憎しみが存在する。愛が深ければ深いほど、憎しみもまた純粋になる。これはあなたたちが私に教えたことだ」


 彼女はモーリガンを睨み、口元を微かに上げる。しかしそれは笑みではなく、確認だ。


「特にあなた。私と対話しようとしてくれるあなたの憎しみは、私が見た中で最も面白い。あなたは全ての人を憎み、そして自分自身も憎んでいる。それどころか、全ての人の憎しみを合わせたよりもずっと強い」


 モーリガンは否定しなかった。


 彼女はただ静かにそこに立っていた。あまりに長い間風に吹かれ続けた木のように、その根は苦痛の深みにまで張り巡らされている。


「それが苦痛というものだからだ」


 彼女は言った。


「私は苦痛の中に生きるのがどんなものかを知っている。あなたはなぜ憎しみの中に生きなければならない?」


「それが私の望みだと?」


 ネメシスの声が突然高くなり、牢獄の鉄格子をブンブンと震わせた。


「それは全ての人の需要だ! 戦争は元より生きづらい生活に油を注いだ。あの憎しみを吐き出さなければ、それは心の中で腐り、決して埋まらない穴に爛れていく」


 彼女は長槍を握り締め、ポレモスの牢獄を指し示した。


「彼は戦争を長引かせた。彼は盤で無数の人間を碾き潰した。彼は死ぬべきだ」


 言い終わらぬうちに、彼女は飛び出した。


 カロンとステュクスは目配せを交わし、同時に牢獄を飛び出した。


 ステュクスの触手がネメシスの長槍に絡みつき、カロンは骨刃で彼女の攻撃を受け止めた。


 金属のぶつかる鋭い音が狭い廊下に炸裂し、火花が散った。


「私はディスコルディアに約束した」


 ポレモスの声が牢獄から聞こえる。死んだ水のように平静だ。


 彼は武器を抜こうとはせず、ただディスコルディアを背後に庇った。


「戦争は終わった。もしどうしても手を出したいなら、ご自由に。私はもう二度と手を出さない」


「ポレモスは既に罰を受けた」


 カロンはネメシスの長槍を弾き返し、流体の衣が彼女の腕に硬化した甲冑を凝らす。


「彼は死に値しない。どうか状況をよく見てほしい」


「憎しみは戦争を延々と続けさせるだけだ」


 ステュクスの触手が締まり、ネメシスの体を拘束する。墨綠色の吸盤がしっかりと彼女の皮膚に貼りつく。


「そしてあなたの身の痛みは決して癒えない。もう一度よく考えるんだ、小さな娘」


「戦争がもたらした教訓は心に刻み、反省すべきだ」


 モーリガンはこの機を逃さず、指先でネメシスの糸に触れた――彼女はますます慣れてきていた。あの灰黒色の糸は彼女の指の下で琴の弦のように震える。


「しかし憎しみを手放してこそ、より良い未来へと歩み出せる」


 ネメシスはもがいたが、モーリガンの接触の中で、彼女が背負う苦痛を見た。


 それらの苦痛は自分のものよりも数百倍も強い。


 一本一本の糸が、それぞれの欠片の絶望に繋がっている。


 ヘマリスの忘却、カリオペの孤独、スタシスの完璧への焦燥、オネイリの悪夢、ケーリスの種族絶滅ぜつめつ、パシュースの病、タナトスの死……そして無数の普通の人々の飢え、恐怖、喪失。


 そしてモーリガンは――無表情でそれらを受け入れ、いや、べている。


 彼女はこれらの苦痛を憎しみに変えず、むしろ繋がりに変えた。


 ネメシスには理解できなかった。


 なぜモーリガンは報復しなかったのか。


 しかし彼女が見たのは――報復しなかったモーリガンの周りに、ますます多くの理解者が集まっているということだ。


 それらの仲間たちは憎しみで結ばれているのではない。もっと柔らかく、もっとしなやかな何かで結ばれている。


 復讐……失敗した。


 長槍がネメシスの手から滑り落ち、地面に打ち付けられ、鈍い音を立てた。


 彼女はうつむき、自分の手を見た。名前が一つ一つ色褪せていく。


「私……は何だ?」彼女は呟いた。


 次の瞬間、彼女は手を上げ、一振りで自分の頭を切り裂いた。


 血はなく、悲鳴もない。


 ネメシスの身体は押し開かれた扉のように、その裂け目から別の人間が歩み出た。


 それは一人の少女だった。


 全身に赤いバツ印がびっしりと刻まれている。無数の消された誤答のように。


 顔にも二文字刻まれている:失敗。


 彼女は地面に縮こまり、膝を抱え、肩をびくびくと震わせている。


 彼女の髪は乱れて垂れ、顔の大半を覆っているが、それでもバツ印は隠しきれない。


「あなたは誰だ?」モーリガンはしゃがみ込んだ。


「うううう……」


 少女の声は膝の中にこもる。


「どうして復讐さえもできないんだ……私は本当に失敗ばかりだ……」


 ステュクスは素早くカロンのそばに退き、触手を不安げに揺らす。普段は気だるげな触手さえもピンと張り詰めている。


「どうしたんだ?」


 カロンが眉をひそめる。


「何をする気だ、ステュクス?」


「彼女こそ、旧神を陨落いんらくさせた存在だ」


 ステュクスの声は極めて低く、カロンにしか聞こえない。


「あなたたちは知らなかったのか?」


「!!!」


 誰もが呆然とした。


 廊下には水滴の落ちる音だけが聞こえるほど静かだ。


 旧神を陨落させたのが……この小さな娘だというのか?


「わ、私、私はアト……」


 少女が顔を上げ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。


「全部私のせい、全部私のせい……私は本当に失敗ばかりだ……」


 モーリガンはすぐには言わなかった。


 彼女はただ静かにそこにしゃがみ込み、アトの嗚咽が次第に小さくなるのを待った。


「あなたも神の欠片か?」彼女は尋ねた。


 アトはうなずき、また首を振り、最後には何も言わず、ただ手の甲で涙を拭い、顔を赤く白く染めた。


「私……私はずっと彼女の体の中にいた」


 彼女の声は途切れ途切れで、古びた機械がやっと動いているかのようだ。


「ネメシスは私の……もう一つの側面。彼女は復讐を担当し、私は……失敗を担当している。旧神が陨落した時、私は目を覚ました。私の力が暴走し、全ての反抗を無駄にした。彼らは……私を憎んだ。だから彼らは私をネメシスの体に閉じ込め、永遠に眠らせた」


「しかしあなたはもう目を覚ましてしまった」モーリガンが言う。


 アトは一瞬呆けた。


 彼女はうつむき、自分の全身のバツ印を見た。あの永遠に消えない失敗の印を。


「私……目を覚ましたくなかった」


 彼女の声はとても軽い。


「目を覚ますということは……また失敗したということだ。復讐さえもできない。私は何一つうまくやれない」


「私が最初に覚えたのは何だと思う?」


 モーリガンが突然尋ねた。


 アトは顔を上げ、涙でぼやけた目で彼女を見た。


「『痛い』だ」


 モーリガンは言う。


「私が生まれた日、最初に口にした言葉は『痛い』だった。『母さん』でも『父さん』でもなく、『痛い』。あの頃は、生きるとは痛いことだと思っていた」


 アトの目が微かに見開かれた。


「その後、私は一人の人間に出会った」


 モーリガンの声はとても軽く、視線は人混みを越え、廊下のたりの壁に寄りかかる影に向けられた――アマラートだ。


 彼女はモーリガンと一緒に地下牢に足を踏み入れたわけではなかった。しかしそれでも、勝手についてきて、遠くない場所の影に立ち、彫像のように静かにしている。


「彼女の名はアマラート。彼女は私の前に跪き、彼女の血も、骨も、全てのものが私のために用意された供物くもつだと言った。私は彼女を生贄いけにえだと思っていた。長い時間をかけてようやく理解した――彼女は生贄ではない。彼女は選択だ」


「何を?」


「私のそばに留まることを選んだ。命令だからでも、運命だからでもない。彼女自身が選んだのだ」


 モーリガンは一瞬間を置き、それからカリオペの腕の中のヘマリスを見た。


「もう一度ヘマリスを見てごらん。彼女はかつて、町中の人々に自分を忘れさせた。自分は災禍さいかであり、他人に不幸をもたらすと思っていたからだ。しかし後になって彼女は気づいた。彼らは彼女を憎んではいなかった。ただ……覚えていないだけだった。覚えていないから、憎しみもない。しかし彼女はいつまでも覚えている。彼女は忘れ去った一人ひとりを、消し去った記憶の一つ一つを覚えている。彼女はその記憶の中に生きている。長い年月を。今に至るまで」


 ヘマリスの霧が微かに震えた。


 カリオペは彼女を抱きしめ、何も言わなかった。


「そしてカリオペ」


 モーリガンの視線は、ヘマリスを抱くその影に移る。


「彼女は愛の欠片だ。彼女の愛は一人だけに注ぐことはできない。それは彼女の本能だ。しかし彼女は最も愛する人を傷つけた――裏切りではない。本能と約束の衝突だ。あの人は忘却を選んだ。覚えていることがあまりに辛かったから。しかしカリオペはいつまでも彼女を探していた。そして彼女は、ついに見つけた」


 アトはうつむき、しばし沈黙した。


「じゃあ、彼女たちは……何のために残ったの?」彼女は尋ねた。


「生きるためだ」モーリガンは言う。「自分たちにできることをするために」


 彼女はアトを見た。


「あなたも残ることができる」


 アトは長く沈黙した。


 廊下には水滴の音だけが響く。一度、また一度、何か古い時計のように。


「私……いいのか?」彼女はようやく尋ねた。その声は遠くから漂ってくるように小さい。


「私に尋ねる必要はない」


 モーリガンは手を差し伸べた。


「自分自身に問うだけでいい――あなたは生きたいか?」


 アトはその手を見つめた。


 その手は大きくない。皮膚には黒い紋様が刻まれ、指先には細かな黒い点がある。


 それは無数の苦痛を内包ないほうした手だが、しかしそれは引っ込められてはいない。


「でも……私は失敗ばかりだ」


 アトの声が震えている。


「私は旧神を陨落させ、ネメシスの復讐を失敗させ、全ての人を失望させた。私が生きていれば……ただ他人に不幸をもたらすだけだ」


「彼らに尋ねたことはあるか?」モーリガンが言う。


 アトは呆けた。


「あなたの『失敗』に影響を受けた人たちに、彼らはどう思っているか? 彼らは本当にあなたが消えてほしいと思っているのか?」


 アトは口を開きかけたが、声が出ない。


「彼らがどう思うかは私には分からない」モーリガンは言う。「しかし私には分かっている。もしあなたが消えても、その失敗は成功には変わらない。それらはまだそこにある。あなたはただ、もうそれらと向き合わなくて済むようになるだけだ」


 アトはうつむき、涙が一滴一滴地面に落ちる。


「私……怖い」と彼女は言った。「残ることが怖い。また失敗するのが怖い。また誰かを傷つけてしまうのが怖い」


「なら、失敗すればいい」モーリガンの声は平静だ。「失敗したらまた立ち上がれ。立てなければ這え。這えなければ寝転べ。力が戻ったら、また試せ」


 アトは顔を上げ、涙でぼやけた目で彼女を見た。


「そうするのも……生きるってことなのか?」


「そうするのが生きるってことだ」


 アトはゆっくりと手を伸ばし、モーリガンの指先を握った。


 彼女の手は震えている。モーリガンは急かさなかった。


「私……やってみたい」アトの声が喉の奥から絞り出される。全身の力を振り絞ったかのようだ。「生きてみたい」


 モーリガンはうなずいた。


「やってみればいい」


 あの赤いバツ印は消えなかった。しかしもう増えてもいなかった。


 遠くで、アマラートは壁に寄りかかり、口元を微かに緩めた。


 彼女はこちらに歩いては来なかった。しかしその視線は決してモーリガンから離れなかった。

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