劣勢
ファガロム・オーダンは戦の最中にあって、焦燥を覚えていた。今まさに攻めている砦は、守るに易く攻めるに難い。実に理想的な作りになっている。そもそも兵を並べにくい山中で、攻城兵器を用いるとなれば正面から攻める他無い。
百年以上にわたってリュグレムシア以下、敵対関係にあった国に対して、圧力をかけるための重要な拠点として存在してきた。
まずからいって、今回の作戦に関しては速度こそが最も重要だった。敵によって奪われたと知った瞬間に行動を開始すべきだったのだ、国王を批判する気はないがその点についてだけは誤りであったと言わざるをえない。
過ぎたことを言っても仕方がないが、初動を間違えたのなら万全を期すべきだった。オーダンの直の部下を除いては、まともに戦闘経験のある兵士は数えるほどしかいない。
包囲した上での消耗戦になればこちらが有利だと、今回の作戦指揮を任された上級将官考えているようだが、向こう側にどれだけの余裕があるかは分からないなかで経験不足の兵を抱えていると長期戦は逆に不利にさえなりうる。
実際包囲を始めてから戦闘開始に至るまでの士気の低下は著しいものがある。それもそうだ、多くが本来は農具を保っているべきの素人集団なのだ。いくら褒美で釣ろうとも限度がある。
そしてやはりと言うべきか、砦の中にいる敵兵はただの山賊などではなく、しっかりとした訓練を積んだリュグレムシアの人間だ。
それと一部、魔術兵と思しき姿が見受けられた。リュグレムシアの魔術を戦闘に導入する技術はアーケリアよりもやや進んでおり、さらにお互い様ではあるが技術体系が異なるがゆえにまるで見たことがない術を使ってくる。
魔術をろくに見たことがない兵にとっては強く恐怖を感じるだろう、すでに何度か不可思議な攻撃を受けたが、その度に戦場から情けない悲鳴が聞こえてくる。実際には大したことがない攻撃だったのだが、それもまた士気を下げる要因となっていた。
オーダンが声を荒らげ、兵を鼓舞する。未だ砦の門まで至れず、その前にいる防衛隊と交戦が続いている。横幅が限られている山道では数の利を活かしづらく、また致命的なのが指揮官の“センス”が皆無なことだ。
数で上回っている以上、上手く兵を入れ替えれば圧倒的に有利に戦えるはずなのだ。
前線にいるオーダンからは当然、戦場の全容を把握することは難しく、より遠くから俯瞰してみているものがその役割を担うのだ。その指示のタイミング、好機を知らせる伝令など全ての“間が悪い”のである。
指揮官を攻めたくもなるが、これが戦場経験の無さによるものであることから、一方的に批判するのも違う。まずは彼に任せた者が問題なのだ。それもこれもくだらない権力闘争の果てなのだから頭が痛くなる。
戦いの中でこんな余計なことを考えている暇など無いのだが、編成の都合上オーダンは最前線から一歩引いて中隊の指揮を執っている。本当は昔ながらの乱戦が好きなのだが、近年は戦の様式も変わってきている。より効率的に、より効果的に作戦を立てて望むのが当たり前となっている。
なによりオーダンの名前が、名声が高まるに連れかつてのように自ら剣を取り、並み居る敵兵とせめぎ合うことができなくなってきている。
国王の命とあらば異論などないが、育成や政など向いていないのだ。それに今のアーケリアには一人でも多くの勇士が必要だ、だから自分は戦場にこそ相応しい。
砦の壁の上からこちらを狙う弓兵たちが後退した。矢の補給かと思ったがどうにも違う、なにか慌てているようだ。砦の中でなにかあったのだろうか、わずかだが下の防衛隊にも動揺が奔っている。
ふと前もって別動を命じていた隊のことを思い出す、オーダンが目にかけている、近年見た兵士の中で最も見込みのある少年のいる部隊。もしやとは思うが、あれのお陰だろうか。
なんでもいいがこれは間違いなく、千載一遇の好機、多少の被害を無視してでも押し込むべきだ。だがその号令が来ない、機を逃す訳にはいかない命令を受けていなくとも行くべきか。
少し優勢になってきたがまだ押し足りない、投石機も支援が足りない。こちらに被害が出ようとも、今は手が足りない。
そうこうしているうちに、壁の上の兵士がいくらか戻ってきた。今度はまた魔術兵だ。それは油壺のようなものを投げてきた。
「火矢に気をつけろ! 油がついたものは後退せよ!」
だがなにか、様子がおかしい。油壺は我々ではなく、見当違いの地面にぶつかっていた。
壺が割れて中身が溢れだしたが、それはもぞもぞと地面を這っている。手のひら大の蜘蛛がうごめいているようで、やがてそれはどんどんと大きくなっていく。
たちまち水たまりのように黒い塊が出来上がり、それが複数重なって洪水のように我々に向かって流れてくる。
「な、なんだこれは……」
「怯むな! 前に進め」
そう声をかけるがすでに全体に恐怖が蔓延しかけている、オーダンの足元にも黒い波が来ているがそれ以上なにかが起こる様子もない。そう思っていたが足先からなにかが這い登るような感覚に襲われる。しかし同時にそれが“まやかし”だと気づく。
だがこれはまずい、オーダンは経験則からこけおどしだとわかったが、他は違う。恐怖のあまり逃げ出しているものがいる、その背中に向かって容赦なく矢が降り注ぐ。
「まずい……!」
戦場が崩壊する、その音がオーダンの脳内に響き渡った。




