ミニットの追想 その2
村人との折衝はこの旅を最初に言い出したバニスが行った。彼とはもう数年の付き合いだが、あまり交渉などに長けているわけではない。とはいえ自分よりは社交的なのでやってもらえるぶんにはありがたい。
クロムはもっと多く情報を引き出してほしかったらしく不満げだったが、最低限の山の情報だけあれば十分だと思っていた。
実地調査や素材の採取は基本的な行動であるため、山へと入るのも経験としてはある。それゆえにクロムの足取りや山中においての振る舞いは見事であり、洗練されていた。
急な斜面や変化の激しい環境への対策も十分で、どこかで訓練を積んだのかと尋ねてしまうほどだった。いわく山の中で育ったとのことだから、それにはなるほどと思わされた。
そして見つかったのはみすぼらしい祠一つで、魔力の気配もしないことに落胆したが、ゆえに調査を続行することとした。
このあたりから雲行きが不穏になっていったのだ。魔術儀式の痕跡などに残留魔力があることはあっても、肌に感じるほどの魔力は物質世界で起こりうることなどまずありえない。
儀式によって精神世界へと繋がってでもいない限り、魔力に「触れる」ことが出来るはずがない。
そのはずなのにあの山を奥深くに進んでいくと、そのあり得るはずのない空気に溶けた魔力が漂っている。魔術師とは魔力というものを感知できる素質を持つものを指し、それゆえに魔術儀式というものを成立しえるのだ。
だから濃い魔力に触れるというのは集中力を要する繊細な作業であり、ああしてまるで水の中を泳ぐようにするのは多大な負担となった。
素質があるというクロムだが、彼はさほど気にならない様子だったが私とバニスはかなり滅入っていた。しかしここまで来て引き返すなどと言うのは魔導を窮めんとする者にとってはあり得ない選択だ。心配するクロムをよそにその足を止めはしなかった。
それに求める霊脈と、現状況を照らし合わせればその信ぴょう性というのも増してくる。
そもそも霊脈というのはこの世界にありふれたものであり、基本的にはどこにでもあると考えられている。つまるところ「深さ」にしか違いがないのだ。
地表近くにある霊脈の上で儀式を行えば、より強く魔力を感じられるようになる。だから魔術師はそれを探し、可能ならばその上に陣取りたいと考えている。
しかし浅い霊脈であっても地中に存在していることに変わりはなく、それは大地に眠る精神世界との境界にあるがゆえである。だからこの先にある霊脈が信じられぬほどに地表近くにあるということになり、その価値は計り知れなかった。
弱る精神とは別に、それへの期待は高まるばかりであった。そんな思いを打ち砕くかのように、待っていたのは凄惨な死体と変哲のない洞窟だった。
荷物を調べたところ同じ魔術師だというのはわかった。だが先程まで溺れんほどに溢れていた魔力が薄れていくのを感じた。まるで「霊脈が移動」したかのように。
バニスとともに調べていたところ、クロムが緊張した面持ちで村に戻ると言い出した。そのおかしな様子が気になり、また村に異変が起きているかもしれないと言い出した。
私の聞く限り、この村に纏わる蛇の伝承はよくありがちなうわさ話と伝聞で生み出された架空の存在であり、特に気を払う必要を感じていなかった。
だからクロムの心配など杞憂だと思ったのだが、あまりに真剣なふうだったのでつい着いていくことにした。一応は護衛を請け負っているのだからこちらの意向を優先してもらいたかったが、止めても無駄なように見えた。
そうしてクロムとは違い面倒臭さと見物がてらの思いで向かった村にいたのは、今まで見たことがない、その存在すら想像したことのない怪物だった。
それをひと目見た瞬間に呼吸は止まり、思考することすら出来なくなった。悍ましい姿に生命の危機を易易と想起させる冒涜的な瞳。その全てが邪悪であり、あらゆる生命の敵とさえ確信できた。
あれを目の前にして出来ることなど何一つない、一瞬で自分とこの村の終わりを直感した。
その時、自分を叱咤する声と、動く姿があった。
クロムだった。
彼はその脅威を目の前に、一切怯むこともなく駆け出しあろうことかそれに立ち向かっていった。その事自体にも驚愕したが、同時に驚いたのがその姿だった。
後で尋ねても教えてもらえなかったが、全身を白く輝く鎧で覆い、異常なまでの身体能力であの怪物を殴り飛ばしたのだ。全く理解の出来ぬ出来事に思考を奪われかけたが、その時ばかりは思考よりも目の前の怪我人を助けることに注力していた。
霊薬などで身体に影響を与えることや、独自の方法で武器や鎧にまじないをほどこす魔術は聞いたことがあったが、どこからともなく物理的な性質を持つ鎧を出現させるというのは今までの魔術理論からは程遠いものである。
いつか必ずその秘密を聞き出したいが、とにかくそのときは彼のその姿が心強く感じられた。
一度は吹き飛ばされ、命を落としたかとも思われたが蛇がこちらを見て死を覚悟した時に彼が再び目の前に現れた。
あの山のような大きさの蛇の攻撃をまさか受け止め、その上でこちらの心配をする余裕さえあった。ついにはあの蛇を打ち倒すことまで成し遂げたのだが、バニスともども未だに信じられぬ思いだ。
今でもバニスと顔を合わせるとお互いにあの時のことが現実であったか確認しあっているほどだ。
古今東西あれだけの怪物を打ち倒すなど伝説の中だけだと思っていたのだが、英雄というのは意外にもそこら中にいるのかもしれない。
記憶の旅を終え、ミニットは一度立ち上がり部屋の中をうろうろと歩き回る。あの時のことを思い出すと今でも胸の奥が熱くなるのを感じる。
あの姿、自分を守るために立ち尽くすあの白銀の鎧姿を思うだけで胸が詰まるようであった。それはあの魔術への興味ではない、「違う感情」によるものだと理解はしてもそう考えることを拒否している。
魔術の道に不要なものは多い。だから余計なことを考えぬよう、また研究に思考を割こうと試みる。だがそれでも、ミニットの頭からはあの大きな背中が離れなかった。




