蛇
それは「蛇」だった。いや、そう呼ぶしかない、そう「呼ばなくてはいけない」。だってそうでなければもっと「悍ましいもの」になってしまうから。
村についた時、すでにそれは蹂躙のただ中だった。黒く、長く、体表には鱗が見える。まぎれもなく蛇の特徴であり、たとえそれが家屋より大きくとも、その尾が果てしなくとも要素を挙げれば間違いなく蛇のそれだった。
村の半分はすでに崩壊し、火の手が上がり人々の泣き叫ぶ声がそこら中からする。
それを見た途端に走り出し、目の前で崩れ落ちている村人を介抱した。それから初めてその蛇を見た瞬間に、一旦思考が停止した。村を救うつもりだった、脅かすそれを排除する目論見だった。
そんな思いが一瞬にして崩れ去る。後ろの二人を見るが、バニスもミニットもキョトンと空を、あれを見上げるばかりで動かなくなっていた。
「なにしてる! 今すぐみんなを助けるぞ!」
そう怒鳴りつけ、三人で足の折れた老人や擦り傷だらけの子どもを手当する。だが肝心の「あれ」をどうにかしなければ先はない。
三人とも、あるいは村人も全員があれが蛇なんかではないと理解していた。
蛇はあんなに破壊的でない、蛇ならあれほど邪悪でない、あそこまで「恐くない」。
蛇の特徴的な、縦長の瞳孔は放射状に裂けている。その奥にはどす黒い空間が広がっているようで、見ただけで心の臓が潰れてしまいそうになる。黒々とした鱗はありえないほどに光を飲み込み、その一切を逃さんとばかりに反射を許さない。地鳴りのような威嚇を聞けば発狂してしまいそうになる。
だがそれを許してはならない、許す訳にはいかない。あれをこの世に放ってはおけない。
そう覚悟を決めた瞬間に、鎧を全身に展開する。光沢のある白い外殻――黒いノイズ混じりだが――が顔も全て覆い隠す。そこにエネルギーを流し込むと黒いノイズ部分が宇宙のように深く揺らめいた。
この状態を維持できるのはおそらく五分が限度、命を削っても十分持てば良いほうだろう。だから即座に駆け出す、この姿を見て戸惑っている二人を尻目にその速度は加速していき、一飛で建物を軽々と飛び越え、その手には鎧ごと取り込んだ白く輝く剣が握られている。
そしてそれを持たぬ「左手」を深く握り込んだ、恐怖を振り払うように、恐れを遠ざけるように。あの怪物をどこかにやってしまいたくて、高く高く飛び、振りかぶった。
矢よりも速く蛇の頭部側面に接近した、まだ気づいていないそれに全力で拳を叩き込む、出し惜しみなどしない。
「――っざっけんな!」
振り切った拳は狙い通り命中し、蛇は山の方向に弾き飛ばされた。数トンにもなろう巨体が地面に激突すると、それだけで地震が起き崩れかけの家屋が崩壊した。
高さ五メートル程度から自由落下したが危なげなく着地する。そして蛇を見るが、やがてゆっくりと体を起き上がらせてきた。まったく傷ついている様子はなく、ケロッとした風で、それでいて不愉快そうにこちらを睨んでいた。
蛇に睨まれた蛙のごとく、まさしくそれそのものの状況であるが、それが放つ圧迫感はおそらく蛙が感じるものよりも遥かに大きいだろう。足がすくみ震えが走る、だがそれに負けてはいけない。
だが蛇のいない横側から音がした、なにがゆえか確認しようとわずか一瞬目を送った瞬間、家屋をなぎ倒しながら巨大な「壁」が目の前に出現した。
なにが起きたかもわからないうちに体に衝撃が走り、視界が揺れた。気づけば体が横になって天を仰いでいた。すぐさま立ち上がるが全身に激しい痛みがある。痛みの原因はあの蛇の尾であった。軽く薙いだだけか、力の入れ程はわからないがそれは家々をなぎ倒すだけにと止まらず、村にいた人間を十数人まとめて吹き飛ばしていた。
自分の横や更に後方にはすでに事切れた遺体が転がっている。それを護れなかった悔しさに歯噛みし、口の横から血が滴る。
蛇はすでにこちらへの興味を失い、別の得物へと狙いを移していた。舌なめずりしながら見ているところにはミニットがいた。老婆を横にかがんで逃げるのを手伝っている、まだ狙われていることに気づいていない。
大口を開けて迫る蛇にもう一度、前とは逆側の頬を殴りつけた。先程よりも力を込めて、距離もあったので助走も長くとって身を投げ出すようにぶつかった。
轟音を立てて家屋に突っ込んだ蛇だが、またゆったりと身を起こした。だがその間にミニットたちと蛇の間にたどり着けた。
「ミニット、早く避難しろ!」
「だ、大丈夫なの……?」
心配は最もかも知れないがそれに答えている心の余裕はない、黙って蛇を見ていると後ろの気配が遠ざかるのを感じた。それを許すまいと再び蛇の尾が動き出した。
しかし今度はどこから、なにが来るかわかっている。だから力を受け止める為に回す。
「ぐ、うおおおおお」
とんでもない速さで迫る黒い壁を両手で押し留める。後ろに数メートル押し込まれるがやがて止まる。どこからか感嘆の声が聞こえるが、それを睨んで逃げるように目線を送った。
子を連れた女性が頭を下げながら走り去るのが見えた。
だが劣勢は続いている、それに受け止めることは出来たが右腕がだらんと下がっている。完全に折れて、少なくとも今は動かすこともままならない。それに対して未だに蛇はダメージを追ったのかすら不明。進退窮まったかと思っていると後方から近づいてくる音がした。
見るとそれはミニットだった。
「馬鹿! なんで戻ってきた」
「これ!」
ミニットがなにかを投げつけてきた、それは「弓矢」だった。
どういうことかすぐに理解し、左手で受け取る。激痛に耐えながら右腕でそれを持つ。引くことは出来ないが、鎧を強化して固定した。そして左手で矢をつがえた。
尾を受け止められた蛇はすでに角度を変え、今度は頭を戦闘に突っ込んでこようとしていた。誘導すべく弧を描くように走り出し、こちらに意識が向いているのを確認した。
そして突っ込んでくるよりも先に、矢を放った。
「喰らえ――」




