奉仕
現在この堅牢な城壁で囲まれたアーケリアの内側には一〇〇万を超える民が言われている。しかしその約一割に及ぶ人間は市民権を持たぬとも言う。それは奴隷であったり他国からの移民であったりもする。
それらがどこにいるか。奴隷は当然その主人の与える住居か彼らが集まる地域で固まって暮らしている。その多くは正当な対価で十分とは言えぬまでも飢えない程度には食べている。
しかし移民などはその経緯はさまざまだが、戦火により村を焼かれ逃げ出したもの、罪を犯し逃げ込んだもの、何らかの理由により捨てられた子供。これらのものはよほどの幸運に恵まれぬ限りその立場から脱することはない。
特に現国王であるデミュニオスは貧民街の者たちを戦に明け暮れた先代の負の遺産として、その排斥に力を入れている。一部のものには正当な理由がある場合に限り特例として市民権の交付も行っている。他方で由来に後ろ暗いものがあるものに対しては強権的な手段を行使することもある。
市民の中には国王がいつも顔色が悪いことを理由に、青い血が流れているのだと言う。国王はたとえ子供が相手であろうとその由来を説明できぬものを許しはしなかった。
追放するにあたっては一人当たり銀貨十枚を渡すこととなっている。だがそれは長い旅路と、その後の生活を考えれば雀の涙であり到底足りる金額ではない。
だが金銭を渡すにあたっては国費から捻出されるので元老院や一部の臣下からは懐疑的な声も挙がっている。
中にはそれらを集めて軍を作るという案もあるが、まともな環境で育てられなかったり罪人である人間が集ったところで役に立つ人材にはなり得ない。せいぜいが特攻させて盾にするぐらいしか使い道も生まれない。
結局貧民街にいる者たちはいつ目をつけられ追い出されるかわからぬ日々を震えながら過ごしている。
そういった事情を言葉としては知っていたロズラーサではあるが、初めて目の当たりにする彼らの姿は想像を絶していた。
まずはその置かれている環境。アーケリア内には水道が敷かれ、ある程度水不足というものから縁遠い場所となっている。だがその恩恵から離れている者たちがどうするか、雨水を溜め汚水をすする。
パンを買う金がなければネズミに齧りつくしかない。当然疫病などに罹ることになるが明日死ぬのか一週間後に死ぬのかの違いでしかなければ後者を選ぶのも致し方なし。たとえその後に待っている未来がが飢えよりも苦しいのだとしても。
飢餓や病気によりギョロギョロと飛び出た目、枯れ枝のような手足。およそ精気の感じられない瞳。途中途中には打ち捨てられた死体も多くあり、それから生まれる死臭が鼻を突く。
今まで見たことがなかった、あるいは目をそらしてきたアーケリアの暗部に胸を刺されるような痛みを感じる。
いくら戦で勝とうとも、富を溜め込み潤うものが増えようとも、こうした弱者は生まれ誰にも気づかれずに消えていく。
弱肉強食、自然の摂理と切り捨てれば簡単かもしれない。だが目の前で苦しむものを見て胸を痛めぬものなどいない。だからと言ってそれに手を差し伸べるものこそありはしない。
人一人がが救える人数などたかが知れている。それをできるのはより多く持つもの、または国を統べるもの。いずれでもないロズラーサにできることなどない。
人並みに憐憫し、その上でその瞳を別の方向に向ける。そうでもしなければこの世界で生きることなど出来ないのだから。
ロズラーサもまた、それらから目をそらしてクロムを追いかけるという目的に集中する。そうでもなければ自我を保てないという防衛本能でもある。
そのクロムとは言うとこの地獄を悠々と歩き、時に鼻歌さえ聞こえる。ロズラーサはそれに怒りを覚えた。そんな権利が自らにないことは重々承知だ。そのうえで彼も同じ想いを持っていると手前勝手に押し付けている。
それを自覚すること自体が吐き気を催すが、それゆえに目の前の少年に怒りを向けることでしか感情を昇華できないのだ。
身を隠すということも忘れよろよろと歩くロズラーサ。距離はあるがクロムが気づいていても不思議はない。だがそんな気を使う気力もないほどに打ちのめされていた。
やがて何度か路地を曲がった先に、今までにない笑い声が聞こえてきた。それはおよそこの場所に似つかわしくないような明るさと活気があり、それに縋るようにロズラーサも引き寄せられていった。
細い路地には木板が立てかけられており、それ以上先には進ませまいという意図を感じられた。流石に勝手に避けるのも躊躇われたロズラーサは身をかがめ、隙間からその奥を覗くこととした。
そこには大勢の子供達とクロムの姿があった。彼は手に持っていた木箱を地面に置き、子どもたちの顔を見ながら笑顔を浮かべている。横にはザガール人と思しき褐色肌の少女が立っている。
子どもたちもまたクロムを歓迎するように取り囲んでいた。
「クロムー、久しぶりじゃんか!」
「悪いな最近忙しくてさ」
「その箱はなにー?」
もったいぶるようにした後、箱を開けるとロズラーサのもとにも届くほど濃厚な「葡萄」の香りがした。
「うおーすげえ!」
「これどうしたの!」
子どもたちは色めき立ち、興奮した様子でその場で跳ね回っている。ザガール人の少女が懐疑的な目で問いただしている。
「こんなにどうしたんだよ、まさか盗んだとは思わないけどさ……」
「うーん、強いて言うなら「拾った」?」
そこではたと思い出す、商人と話した時クロムが葡萄の処理を手伝ったということ。大樽三つもの葡萄をすぐさまどこかに捨てるというのも簡単ではない、とはいえ落ちた時に馬が踏んでしまったこともありすべてを拾うことも出来ない。
彼は無事なものをかき集め、彼らのもとに運んだのだろう。その対価に貴族のもとに行ったのかもしれない。
「そんな馬鹿な」
「けどこれを食べたって文句言うやつはいないよ。それは保証する」
「クロムが言うんだから間違いないって、食べていいよねジャネム!」
ジャネムと呼ばれた少女は困ったような顔をしたがすぐに諦めたように笑顔を浮かべた。
「いいけど、みんなの分も残すんだよ」
「わかってるよ……、っておいケケそんなに頬張るなって!」
子どもたちが手に手に葡萄をつかんでは皮ごと口の中に詰めていく。その様を遠くから見ていたロズラーサは先程まで彼に抱いていた思いを恥じ、自らの愚かさに嘆いている。
その時後ろから人が近づく音がした。
(。•̀ω-)☆




