アーケリアの英雄
懐かしさを感じながら歩いているのはアーケリア帝国の首都、にぎやかな喧騒をかき分けて進んでいる途中だ。
もう半年、あるいはたった六ヶ月。アーケリアから離れ、落ち着く場所を持たない魔獣狩り専門の部隊に配属されてからそれだけの時間が経過した。
初めにこの都市を訪れた時はある程度腰を落ち着けて、この国の文化や技術を学びたいと考えていた。そうそううまく行くこともないと思ってはいたが、それにしても思惑とはかけ離れた日々を送ることとなってしまった。
約束もある以上は長い間ここを離れられないので、遠征などは限られるだろうと思っていたのだから来て早々に半年も他の場所にいることになるとは想定外だった。
ジネットたちとの行動も学ぶことは多かったが、その性質上書物などに触れる機会はほとんどなかった。ジョックなどは読み書きもできるがほとんどが自分の名前も書けないのだから、彼らのキャンプに本があるわけもない。
補給の際に書物などを頼んだこともあったが、そもそも読み物を売り買いする文化がこの近辺にはなさそうだ。一部の知識人同士での交流などでしか文字は使われておらず、一般人には文字を見る機会さえほとんどない。
それを思えばシレナの家に複数の本があるというのはかなり異常なことではないだろうか。やはり彼女の父親か、まだ村にいた母親には話を聞いておきたかったと今更ながら悔やんでしまう。
詮無きことはひとまず置いておいて、とにかくこれからはそういった文字などから得られる情報などを求めていきたい。彼女、ロンペルドのもとで働けばそれもいくらも捗るのではないだろうか。
そんな思いを支えに今だ覚悟の決まらぬ体を、やや懐かしい気持ちの残るアーケリア市内の正規軍兵用の駐屯地へと向かわせた。
アーケリアに帰ってきてどこにもよらずに目的地へと向かっているが、午前中につけたのは幸いだった。
まだ昼前なのでロンペルドもいるだろう、旅立つ前の彼女を思えずいぶんな歓迎を受けるかもしれない。それがまた要らぬ重圧の種なのだが、彼女にも悪気はないのだから致し方あるまい。
入り口まで来れば見覚えのある顔が今日もあの場所を護っている。少し前は彼らの着るものや食事を日がな一日運んでいたものだ。
「止まれ……ってお前、戻ってきたのか!」
「どうも、そういうことになりました。お久しぶりです」
気さくに挨拶をしてくれる門番の男、オルダはいつもさわやかで人当たりのよい好青年だ。下仕えだった自分にもにこやかな笑みを絶やさなかった。
「噂は聞いたぞ」
「噂……?」
「ああ、向こうの方でずいぶん暴れていたらしいじゃないか」
「よくご存知で……」
噂になるのは悪いことではないのかもしれないが、あまり有名になるのもトラブルのもとになりそうで呑気に喜んでばかりもいられない。
「その話は皆さん知ってらっしゃるのでしょうか?」
「いいや、多くの人間は例のジネットとかいう男たちの部隊が、魔獣退治に貢献したという話しか知らんさ」
「そうなんですね」
それは一安心だ。
「ただお前を知っているものからすれば、その中にお前の名前があることに驚いているのさ。俺もそうだ、知らなかったよ、ただの下仕えだと思ったら武器が扱えるなんてさ」
「大口をたたけるほどの腕前ではありませんので……」
剣の腕前が立つこと、それが広く知られること。自分にとっていいことなどありはしない、人助け以外の争いごととは極力離れていたいものだ。
「今日は何の用事だ? まさかまたここで働きたいなんて言わないよな」
「それは……、そのロンペルド様に頼まれごとをされていまして」
本当のことはできるだけ、はっきりと決まるまでは知られたくない。
「……本当なのか、それは驚いた」
「私としても光栄の限りです」
たぶん。
「では中に入れ、お前であれば問題あるまい」
「ありがとうございます」
「……ああそうだ、今日は珍しい方が来ていらっしゃるぞ」
「珍しい方?」
誰のことだろうか、この街についてはまだまだ知らないことが多いので、正直わからない可能性のほうが高い。
「驚くなよ、あの偉大な戦士のオーダン様だ」
「そうなんですか……」
誰だ? 戦士と来たか、国王以下の政にかかわる人間は少しは覚えているが、そちらはまだ調べてもいない。
「あまり詳しくないのか」
「そうですね、この国に来て日が浅いので」
「そうだったか、まあとにかく強くて皆の憧れの方だ。くれぐれも失礼のないようにな」
「気をつけます」
そんな話をして駐屯地の中へと入っていく。季節は過ぎて近頃は暑さも和らいできた、真昼だが心地よい風が吹いている。外では収穫に農夫たちが忙しく働いているが、この場所は相変わらず静かである。
建物の中に行けば喧々諤々と、この国の将来について将校諸氏が論戦を繰り広げているが、それも今は聞こえてこない。
ロンペルドはいつもの執務室にはいなかった。誰かに尋ねようと思い、通りすがりの年若い(自分より二つほど上だが)兵士を呼び止めて聞くことにした。
「……ロンペルド様? 今日はまだ見ていないな」
「そうですか……」
残念ながら留守らしい。日を改めるかここで待機するか悩むが、人まずは兵士に礼を述べる。
「お手数をおかけしました」
「構わんともしかしな――」
「ロズラーサ嬢に何用か?」
後ろから現れた大きな影、それを見に振り向くと巨人がいた。
「これは……、オーダン様!」
「この人が……」
「良いよい、畏まらんでいいから」
慌てて傅こうとした二人を制するのは噂の戦士どのだった。濃い茶色の長髪を後ろで束ね、豊かなあごひげが特徴の男性だ。自分の身長が低い方なのもあるが見上げるほどの長身は、この国の中でもかなり大柄な方である。鋭い眼光はなるほど歴戦の兵士といった力を持っている。
「ロズラ……、ロンペルド殿に用があるのか?」
「ええと、そのとおりです」
「ふむ、仔細を聞いてもよいか」
「……ロンペルド様のご用命ですのであまり他言すべきでないかと」
階級がわからないがロンペルドよりも上なのであれば言わなければならないのかもしれないが、人まずは言い訳をして逃れようとする。
「ふむ、ふむふむ……」
急に黙り込んでしまった。嫌な予感がしてきた。
「お前の名は?」
「クロムと申します」
「おお、おお! お前が例の! ロズラーサの想い人か!」
「ロンペルド様の!」
なんてことを言い出すんだこの大男。横の兵士も聞いている中で適当なことを言わないでくれ、今後の対人関係に大いに影響してしまう。
「冗談はやめてください」
「冗談なものか、よく聞いているぞお嬢から何度もな」
「なんてことだ……」
まずいまずい収集が効かなくなる前にこの口を塞がなくては。
「誤解されているようですが想い人というのは間違いです、ただ私の実力を評価してくださっただけで……」
「ははは、そう慌てるな。だがそうだ、そうだな実力。よく聞いたとも、とてつもない、驚くべき実力者だとな」
どれだけ話を盛ったのかロンペルド様は、勘弁してくれ。
「あいつはそのうち戻ってくるぞ、それまでどうだ。俺の「暇つぶし」に付き合わないか」
そう不敵に笑うオーダン、目の前につくって見せる握りこぶしはこの後に続く「暇つぶし」とやらの内容を想起させる。
「そんな、無理ですよ」
「そうですよ、オーダン様のお相手など子供には……」
「やかましい、命令だ。来い!」
圧が強い、苦手なタイプの人間かもしれない。
こうして彼の暇つぶしというなの戦闘訓練に付き合わされることとなってしまった。




