悪評
近頃、自分を見る視線が多くなっている気がする。いや気の所為なんかではない、それにいやに冷たいものも込められているようである。
日々の仕事はつつがなく、誠実にかつやりすぎず、周りの反感を買うこともなく人付き合いもほどほどに。自己評価では非常にうまく立ち回っていると思うのだが、一体何が悪かったというのだ。
……まあ理由は自明である。というかそれしかない、誰にも気づかれないことを、知りもしない神に祈る気持ちで過ごしていたのだが、なかなかに世の中思う通りにいかないものだ。
皆のアイドル、麗しき女騎士様。聞けば聞くほどその美貌や風格に当てられる男どもの声が増えていく。見えている地雷ともいうべき、ここさえ躱せば人から恨まれることもなかろうという一点を綺麗に、ものの見事に踏み抜いてしまった。
無礼を承知で逃げればよかった、恥知らずの口を切り落としておけばよかった。なにがどうしてあのようなことをしてしまったのか、正直相手が彼女でなかろうと「あれ」をしたらば怒りを買うこと必至であろう。
などといくら悔いても悔やみきれない過去の自分を恨みながら可能な限り慎ましく作業をしていたのだが、そこら中から聞こえてくる風評に耳を塞ぎたくなる。刃など向けていない、欲情にまみれた視線など……、主観なので否定するのは難しいのだがそんなものは込められていない。話すことすら無礼……なのは間違いないかもしれない。
悲しいかな否定しきれない部分も多いがゆえに火消しに回るのも難しい、直接尋ねられれば平身低頭弁解をしているのだが焼け石に水、回る火の速さを上回ることなどできはしない。
こんなことでと思わなくもないが、最悪の事態を想像しながら、転職も選択肢に置きながら今日も洗濯をして馬糞の掃除をする。こんな暮らしも悪くないと思い始めた矢先の出来事にこの世の不条理を学ぶようである。
人の噂もなんとやら、いつか風化するだろうと願いながら仕事をしているとどこからか視線を感じる気がする。よくない感覚だが、ここ最近ではありえなくもないことである。こういうときは頑として気づかぬ体で粛々と作業を続ける。そして幸運を願う。
だのだが往々にしてこういった思いは叶わないのが世の常である。嫌な予感ほど的中する、最悪のケースほど起こりがちなものだ。
この場合の最悪のケースとは、嫉妬に駆られた将校諸氏に目をつけられ、虐められた後にクビを言い渡される。そして悪評が広まり同職に就けなくなる。
……なんだ大したことではない、この世に生きるすべはまだまだ多くある。盗賊に身を窶す前に選べる道はあるはずだ。そう考えれば勇気も湧いてくる。少し悲観的になり過ぎであろうか、自分自身への怒りの感情に支配され過ぎであろうか。
等々考えつついる中、今は二人の兵士殿に詰問を受けている。あまり見ない顔であるが、装備の装飾などから下位士官、小隊の副長にあたる人間である。階級ではそこまで高くないが、そもそも立場が違うのでそれもあまり関係のないことである。
「お前、少し職務に対する姿勢が甘いのではないか」
「下仕えとはいえこの栄えあるアーケリア正規軍に仕えているのだ、相応の礼節を持つべきであろう」
「……おっしゃるとおりです」
抜かりなく職務をこなしていたと思うのだが、つまるところ因縁をつけられているのだろうか。彼らの目線はニタニタとしているがその奥に優しさのかけらは見当たらない。
「立場をわきまえているだろうな」
「それは当然……」
「なれば我々と気安く話せると思わぬことだ」
なら話しかけられている現状はいかがなものだろうか。
「それだからいらぬ風評を買うのではないかな」
「風評とはなんのことでありましょうかセリ殿」
「いや、愚かにも上官どのに失礼を働く奴隷がいるとか」
「なんと! いやはや……」
この安い芝居は必要あるのだろうか、要件だけ話してさっさと本題に入ってほしいのだが。
「そうは思わぬか、貴様」
「異論はありません、我々とは立場が違いましょうに」
「ではなぜに、かの御仁に無礼を行ったのか、申し開きはあるのだろうな」
ありません、一切ございません。
「なんのことを仰っているのか……」
「愚か!」
「しらばくれるとは、その性根は腐りきっているのか!」
どっちにしても怒られるのだから、何と言ってもよいだろう。
「仕方がない、我々が指導を行ってくれよう」
「これは貴様の為なのだ、よいな」
「光栄の極みにございます……」
もうなんでもいいよ。
見慣れた鍛錬場に連れられ、何も持たされず、しかし彼らは武器を手にこちらを向いている。軽い騒ぎになったので観客も何人かいる。見知った顔は憐憫の目線をくれ、それ以外は興味本位で眺めている。
いずれも救いの手はくださらないようで、期待もしていないが億劫な気持ちが募る一方である。だがその中に、一際目立つ顔があった。話題の中心の片割れ、皆の憧れロンペルド様である。
今しがた来たようで、驚きのままこちらに寄ってくる。
「なにをしているか!」
「……ロンペルド様」
いじめっ子が急におろおろしだす。親に見つかったいたずらっ子のようでもある。
「これは何の騒ぎだ」
「いえ、こちらの子供が団長殿にご無礼を働いたと聞きまして……、その、指導を」
しどろもどろの言い訳を聞きながら、呆れた顔のロンペルドだがこちらをみてなにか考えている。そしてある提案をした。
「なるほど、いくつか誤解はあるようだが、その姿勢は評価しても良いかもしれない」
「……は?」
まさかの展開に彼らのほうが面食らっている。自分も同様である、何を言っているのだろうか彼女は。
「一般市民でも、下仕えであろうとも身を守る術を持っていて悪いこともあるまい。それを貴殿らが手ずから施すのであれば彼にとっても光栄なことだろう」
「それはつまり……」
両者がこちらを見る。嫌な予感は当たりがちだが、思わぬこともそこらに転がっているのもまた事実である。
「彼に稽古をつけてやりなさい」
「え、ええとそれは……」
「よいな」
「……はい」
もう少し粘れんか士官殿。意を決したようにこちらに向き直る彼ら。
「では、剣を持ちなさい」
「あ、はい……」
どうしてこうなった。そう思いながらよろよろと剣を手に取る、早く帰りたい、逃げ出したい。
微笑を浮かべる彼女に文句を言いたい気持ちを抑え「稽古」が始まった。




