うわさ話
アーケリア市内にある正規兵たちの集う駐屯所、軍の高官たちが意見を交換しあいときに語らい休息も取る。一番最後を行っている時間がもっとも長くはあるが、この街においても重要度の高い施設の一つだ。
そこで今、とある話題が特に若い将校や兵の間で盛んに取り上げられている。この軍で、いやこの街でも有数の人気者であり兵たちにとってはまさにアイドル的な存在とも言える女性がいる。名をロズラーサ・ロンペルド、誉れ高きレゼラルド騎士団の団長である。それがいかに見てくれだけの名ばかり騎士団だとしても彼女の美貌を損ねるものではない。それどころかその貴き家系を象徴することで彼女をより近寄り難き人物へと仕立て上げるのだ。仮にも武人であるのにも関わらず絹のような肌、しなやかな肢体に見るものを魅了する美しい黄金色の瞳、触れることも憚られるその蒼い長髪。
彼女と話すことは同年代の男性兵にとっては至上の喜びであり、他の人間にとっては怨嗟の対象にすらなる。彼女に恋心を抱くものは数知れず、実際に求婚を行ったものも星の数ほどいる。その結果は彼女が未だ伴侶を持たぬ身であることが物語っている。そもそも彼女に釣り合うだけの血筋や立場を持つものも少ないうえ、本当に身分の高いものほど彼女の家の重みを知っているためそうそう手を出す者もいない。それでもいずれは誰かと共になることを思えば夢見る男たちは夜な夜な枕を濡らすのだ。
そんな彼女が、話しかけることすら躊躇われる彼女に刃を向けたものがいる。それもただの召使いの子供がである。最初は事実に基づいたうわさ話であり、小枝を片手に挑発を行っただの、恥すらずにも親しげに談笑しただのといった程度だったのだが、日を追うごとに尾ひれがついては男たちの嫉妬を煽るおとぎ話へと変化していった。
とはいえその少年というのがつい最近来たばかりであり、よく働き気の利く子供だというのもまた知るものが多いのも事実であった。なので話が広まってもそれが誇張された作り話だということも皆わかっており、当人に確認した者もその謙虚な振る舞い(過剰にも見えるほどの)から徐々に溜飲を下している。
しかし中にはその人となりを知らぬ者もおり、それに加えては強い想いの反動からか荒唐無稽な肉付けされたうわさ話すら信じてしまう始末であった。
こうしたごく一部ではあるが、噂の召使いの(奴隷とも誤認されている)少年に怒りを燃やしていることを、本人は未だ知らないでいる。
そんなことも露知らず、渦中の人間ロズラーサは執務に取り組んでいた。現場に赴かない身であってもすべきことはある。団員の管理や数少ない実務の確認など、細かい作業を続けている。形だけの警らですらお坊ちゃま騎士に任せては要らぬ揉め事の種にもなり得るのだ。親譲りの選民思想を携え横柄な態度で市民の反感を変えば逆にそれに対して指摘をしてトラブルを引き起こす。
何度もあることではないが、出番の少なさに対してのこういった不始末の多さは割合で言えば軍内部でもトップクラスである。
ロズラーサもそれには常々悩まされているが、言葉を素直に聞くような者は最初から揉め事など起こさないのだ。つまりはその親が面倒を押し付けるように騎士団へと加入させ、そのことをわかっている当人も思いを拗らせて行動に出る。負の連鎖を止めるにはより強く叱るか、あるいはきちんとした活躍の場を提供するか。
後者はロズラーサも望むところなのだが、それができぬから彼女は日々思い悩んでいるのだ。
悶々としながら公務に向かう彼女の横には、お目付け役と補助を兼ねた副団長のコレッサが立っていた。彼はロンペルド家ともゆかり深いセナルド家の次男であり、優秀な頭脳に将来を嘱望されるもさらに優秀な兄の前にその栄光をせき止められている。
コレッサはそのことを強く気にはしていないが、よく知る仲のロズラーサが近頃思い悩んでいることにこそ胸を痛めていた。その理由についてもおおむねわかってはいるのだが、だからこそどうしようもないことを知り彼もまた見守ることしかできないのである。
羽ペンを持ち、最初は迷いなく動いていた手は動きを止めて久しく、思索を続けている彼女。静かな空気に居心地の悪さを覚えたコレッサは気まぐれにでもと会話を投げかけた。
「……時にロンペルド様」
「誰もいないのだ、様はいらない」
「……近ごろ巷でうわさ話が広まっているそうで」
下世話なうわさ話などコレッサにとっても興味の対象外なのだが、その広まりようからもロズラーサ本人の耳に届くのも時間の問題だと思い、先に補足も交えて伝えることとした。
「とある奴隷……、実際には単なる下仕えの子供だそうですが」
「!」
ロズラーサが急に羽ペンを投げ出して机を軽く叩いてみせた。普段あまり見せない慌てたような行動にコレッサも慌てる。
「どうされたのですか」
「…………、いや、なんでもない」
「そ、そうですか」
どう見てもなにかあるのだが、話を続けるか迷っていると彼女がこちらを振り向き目線を送った。
「それで? 続きを話さないのか」
「えっと……、そうですね。その少年がロンペルド様に少し、無礼を働いたとかで」
「まったく知らない、つまらぬ作り話だ」
ぴしゃりと言い放つ。異論は許さぬとでも言いたげな雰囲気にコレッサも言葉を失う。
「少々様子がいつもと違うようですが、本当に……」
「なにもない!」
彼女が立ち上がり、そのまま部屋を出ていく。
「二度とこの話題を口にせぬように、他のものにも、くだらぬことに時間を取られるなと伝えておくように」
「……承知しました」
ロズラーサがいなくなったあと、コレッサは呆気にとられていた。彼女があそこまで動揺した姿を見たのは初めてであり、言葉とは裏腹になにかがあったのは間違いないようだ。
ただのうわさ話、彼もそう考えていたのだがこうなれば嫌でも関心が湧いてしまう。その少年、コレッサもひと目見たいと思いながら彼はロズラーサの残した道具を片付けるのだった。
部屋を離れたロズラーサはどこへ行くともなく施設内を歩いている。まとまらぬ考えを少しでも整理しようと体を動かし続ける。
あの少年、ただの召使い、ただの子供。「そんなわけがない」。
あの目、あの動き。不意をつかれたのではない、油断はしていた、予測にない動きだったのも確かだ。だが仮にそうであったとしても、あの細枝を見極めることができたか、その自信が彼女にはなかった。
口ぶりもそうだ、何も知らぬただの子供、年端も行かぬ市井のそれらとは一線を画す気配。言っている意味はわからない、彼のこれまでの経験や思いが溢れたようにも感じた。しかしそれにしてはずいぶん大それた言葉にも思えた。まるで「救国の英雄」とでも言わんばかりの雰囲気で語るそれは、子供がゆえの誇大妄想であると考えられる。
それなのにどうしてか、そこには真実があるように思えてならなかった。
あの瞬間、自らに向けられたあの瞳、城壁も射抜かんばかりの視線を思い出すだけで身震いがする。それと同時に、奇妙な高揚感も覚えていた。
理由も根拠もないが、彼女の勘が言っている。彼が自身の「契機」につながるのだと。そのためにはもう一度彼に会わなければいけない、その勇気を、きっかけをこの数日ロズラーサは探していた。そしてついに、動くときだと自らに言い聞かせ彼女はその輝く瞳に炎を宿した。




